こころ豊かに生きる・人生講座

新・人生講座「プロジェクトX」⑦ ~平成29年4月4日(火)~

⑦運命のZ計画~世界一売れたスポーツカーの伝説~

昭和45年に発売された名車「フェアーレディZ」。日産自動車の日本を代表するスポーツカー。しかしこの全社の期待を背負って華々しく登場したわけではない。むしろ、社内では日陰を歩んでいた男たちの、意地と矜持の結晶なのだ。誕生は簡単ではなかった。当時の日本と米国とのインフラの違いもあり、米国の国民に認知を受けるのは簡単ではない。

 

 

物語「昭和30年代、宣伝畑一筋だった片山豊は経営陣との折り合いが悪く、突然、アメリカの営業責任者に任じられた。当時の日本車は性能もデザインも不評で在庫の山を築いていた。そこで片山が目を付けたのが、スボーツカーだ。ポルシェやジャガーの半分の値段で庶民が買えるスポーツカーなら、きっと勝負が出来る。それは単なる夢物語であった。

 

 

しかし、スポーツカーを単なる飾り物と考えていた会社は、開発に消極的だった。デザインは入社以来、遊園地のゴーカートなどを作っていた松尾良彦が担当することになった。設計はバキュームカーなどの特殊車両を作っていた植村斎らのチーム。彼らには実力では誰にも負けない自負があった。こうしてそれぞれの思いを込めて「Z計画」はスタートした。

 

 

デザインへのこだわり、立ちはだかる設計上の難問、発売直前のトラブルなど、多くの困難を乗り越えてアメリカ市場で認められた最初の日本車を作り上げた熱き男たち。大ヒットし、一車種では最高の143万台も飛ぶように売れた。スポーツカーのヒットなど、考えられもしなかった時代なので吃驚。アメリカの駐在員にカルロスゴーンがいた。奇しき因縁だ。