<出会い>に学ぶ生き方の極意

No.12 ~発展途上の太陽と緑の国バングラデシュ(下)~

No.12 ~発展途上の太陽と緑の国バングラデシュ(下)~

「志ネットワーク」(上甲晃代表)の主催する実学の旅『バングラデシュ・スタディ・ツアー』 十周年企画に、私は孫の将宏 (小学五年)を同伴して参加。平成18年4月29日~5月6日の8日間にわたり、発展途上国バングラデシュを友好訪問した。ツアー一行は、子供を含めて総勢36名。実に有意義で印象深い体験学習の旅だった。

5月3日(水)

バングラデシュの医療の実情

 実学の旅は当初から、炎暑と過密スケジュールの連続だけに、一行のうち、私たち高齢者は口ほどにもなく、へたばってしまった。

 ところが意外にも、弱いはずと思い込んでいた子供たちは順応して、予想以上に元気で飛び回っている。危なっかしくて目が離せないものの、ひとまず安心する。

 3日午前8時から約1時間のモーニングセミナーでは、日本に留学して山形大学で学んだ整形外科医のD・ラーマン先生(44歳)から「バングラデシュにおける医療の現状」について講義を受けた。

 その要旨は以下の通り。

<ラーマン先生の講義>
医療の問題点は深刻な現状

 私の学んだ日本の医療システムは極めて優れており、ぜひともバングラデシュでも生かしたい。

 現在の最大の悩みは、わが国に医療保険制度がないこと。貧しい人々が数多く、保険制度が成り立ち得ない。貧しい人々にこそ保険制度は必要で不可欠なのに、政府はその矛盾を全く理解していない。

 とりわけ、国民は、医療に対する知識も足りないし、理解も乏しい。

 病気の原因は医者に診せれば分かり、痛みは薬を飲めば和らぐ、それすらも知らない人が多過ぎる。村々を巡回して「医療を受けよう」と強く説くが、住民たちからは、一向に聞き入れてもらえない。

 設備が整った大きな建物の政府系病院は増えている。しかし、建物や設備が良くなれば、良質な医療ができるとは限らない。人材が肝要。

 政治の質が良くならないと、より良い人材が海外に流出してしまう。

 すべての人々が幸せにならない限り、安全安心な暮らしもできないのに、政治家には、貧しい人々のために働こうという意欲も、志さえも乏し過ぎる。

施設も医師も絶対数が不足

 何よりも、より良い政治家を育てる一方で、優れた人材が国家のために働ける環境づくりこそが必要だ。

 医療関係の中でも、志の高い医師の場合、午前を政府系病院で働き、午後を民間で働いている。

 政府系病院は全国64県内に1院ずつできたが、20床規模の公立病院が460院、村の診療所も約1万院あるだけ。約1億4000万人の国民に対して、施設も医師も圧倒的に不足している。  病人の70%は自然治癒を待つ。残る30%は病気になったら、死ぬのは当然」と考え、病院に来ない。「お金は不要だから…」と勧めているけれど、それでも来院しない。

 民間の-医師として、本当に力不足だが、地道に取り組みを続けていけば、必ず誰かが志を引き継いでくれるだろう。それを信じて、今は前に進むしか道はない。

日本人の贅沢さ、平和ボケ痛感

 今回の受講から、恵まれ過ぎる日本の医療にも思いが及んだ。離島や過疎地を除き、病気になったら、すぐ病院や薬局へ走り込める。そんな便利な仕組みが当然になっている。

 他国から見れば、至れり早くせりの医療の制度や環境にさえ、人によっては不平不満を絶やさない。  マンネリになってしまった日本人の贅沢さを痛感する。

 パキスタンから分離独立して35年を経た今もなお、医療に対する国民の理解が得られないバングラデシュの実情は、決して看過できない。

 ラーマン先生は、「リーダーの欠如以外の何ものでもない」と、ズバリ指摘する。そこには、想像を絶した残虐非道極まる深刻な歴史の実情があった。

 支配国であったパキスタンは、バングラデシュの独立戦争当時に新しい国家のリーダーとなるべきはずの人材を約300万人も殺戮したのだ。

 その慄然となるほどの事実が今も尾を引き、指導者層も薄く、重要かつ至難な問題は山積したまま。

 平和である有り難さは、このような戦争の悲惨さ、残酷さを本当に知ってこそ、実感を伴って伝わっていく。今回も痛切に身に染み込んだ。

人生を見直す感動の出会い

 M・オマール先生(40歳)は、ラーマン先生の4歳離れた弟だが、やはり日本に留学して宮崎大学と鳥取大学で口腔外科を学ぶ。今は首都・ダッカ市内にあるダッカ山形記念病院で兄第が一緒に働いている。

 両先生の古里は、同国東部のインド国境に近いラクシャン郡フェヌマ村。豊かな自然環境に恵まれて、人口は、約5000千人、うち子供は約500人。少子化現象が著しいわが国と比べると、実に羨ましい。

 オマール先生は、無医地区のフェヌマ村で孤児院をボランティアで経営している。併せて、病床つきの本格的な診療所までも建設中だった。  ダッカから車で4時間半かかる。国道は整備されているが、村に入ると、そこは何と道なき道の様相。

「命からがら」という表現も大げさでないほど、ヒヤヒヤ、ビクビク続きのドライブだったが、マイクロバス2台で3日午後1時半頃、何とかツアーの全員が無事に到着した。

 孤児院は「ボンズ・クティ」 (友達の家) と名付けた施設で、親のいない24名の子供たちを養い育て、通学させている。その費用はすべてオマール先生の私財から捻出される。

 大切な資金の中から、私たちのために用意された心温まる手作りの昼食、そして食事運びなどを手伝う子供たちのつぶらな瞳と明るい笑顔に、目頭が潤むひとときだった。

 長時間の道中の間に、実はオマール先生のすばらしい立志と生きざまを、じっくり拝聴でき、深い感銘を受けていたせいもある。

<オマール先生の話>
後から来る人のために道を開く

 私は古里における社会貢献活動に生涯を懸けているが、出来得れば、将来は学校建設も夢見ている。

 日本留学中に、私たち兄弟が支援を受けた山形大学の大島義彦教授から「国のために働いてください。後から来る人のために、道を開いてあげてください」と励まされた。

 この一言こそが私の生き方の原点になった。私の活動は古里への「援助」ではない。「使命感」である。

 お金のためではなく、外国のためでもなく、自分の国のために働き続ける。自分のために何かをするのではなく、他人のためにすべてを捧げる決意をした。

 国は箱を造ってくれる。けれども魂を入れてはくれない。残念ながらも、この国では大人を変えるのは難しい。まず子供を育て上げて、その上で、大人も変えていきたい。

 バングラデシュは、世界第一級といえるほどの自然に恵まれた国だ。すべてが必ず良くなると信じて、活動を続けていく決意だ。

 私が生きているうちに、夢はかなわないかもしれない。だが、道さえ開いておけば、必ず後から歩く人が生まれてくる― と確信している。

父の生き方を誇り、学び、尊敬

 祖父は教師だった。父(80歳)はバングラデシュでは著名な教育者だ。一代で学校を興して現在、ハイスクールなど3校を経営し、生徒数は4000人を超える。

 幸い私は進級・卒業できたが、妹は不合格で他校に転校させられた。

 首相や大臣の子供であっても、所定の成績に届かなければ入学・進級・卒業はできない。

 原則に忠実で、しかも公平な運営を心掛けている。その揺るぎない姿勢が学校の評価を高めている。

 父は ①良い人間であれ(知識より人間性、正直)。 ②大いなる存在を信じよ(畏れよ、神を信じよ) ③勤勉であれ(続けよ)― と、教えてくれた。

 私は生き方のすべてを、父の言葉と行動から学び取つた。祖父や父、兄を尊敬し、誇りに思っている。

 私たちの力は小さい。「だから、駄目」と思って諦めたら、何もできない。ともかく続けることが大切だ。

 理想は高く掲げ、活動は休まず地道に続ける。そうすれば、いつの日か必ず、夢がかなうと信じている。

 <注記>大島教授は、平成15年9月7日に他界。享年62歳。

「援助活動ではない。使命感だ」

 オマール先生の気高い志に接して、私は己の生き方を根底から見直す強烈なきっかけを与えられた。

 相次いで、兄弟お二人の国家、古里を思う熱き志、医療、教育に傾ける情熱を知ることができた。

 この日は期せずして、お二人と得難いご縁がつながり、バングラデシュ滞在中でも最高の感激を味わい、かつてない大きな学びを得られた。

 とりわけ、オマール先生の「援助活動ではない。使命感だ」と言われた言葉は目が覚めるほど衝撃的だ。

 ともすれば、萎えそうな私の心の炎を再点火し、私なりの熱き志を再構築するためには、十分過ぎるほどの貴重な出会いとなった。

 西に向かって帰る道すがら、オレンジ色の太陽が刻々と沈む美しい夕焼け空を堪能できたのも印象的だ。

 さすがに疲れたのか、車中では一行の言葉数も少なく、居眠り組も目立った。戻ったダッカ市内で遅い夕食をとり、夜11時に宿に帰着。

 孫は、シャワーも浴びないまま寝込んでしまった。私といえば、昼間の出会いとご縁に啓発されていたためか、心の高ぶりがやまず、例によって、はがきを書きながら深夜2時まで起きていた。充実した一日…。