<出会い>に学ぶ生き方の極意

No.2 ~巡り合いの”不思議”に手を合わせる~

No.2 ~巡り合いの"不思議"に手を合わせる~No.2 ~巡り合いの"不思議"に手を合わせる~

「総合的な学習」の先駆者

群馬県箕郷町で「まごころ塾」の塾長として、若い教師の育成活動に 奔走されている内堀一夫さん(元小学校教諭)とのご縁は、平成八年十月に開かれた「奈良掃除に学ぶ会で同室になった偶然から始まる。

 内堀さんは一小学校教師にすぎないのに、実は文部省(現在の文部科学省)の指導方針=知識の詰め込み教育に疑問を持ち、「子供らの感性を育てる教育」に重点を置いて指導されてきた。いま話題の〈総合的な学習〉のはしりといえる。

 人はそれぞれに長い人生の中でさまざまな経験を積んでいる。電気工事のおじさん、郵便配達員や歌い手さん、企業の経営者だって例外ではない。いろんな職業の人たちに教室で人生を語ってもらう。それが子供たちを刺激し、感性を育むのだ。

多くの困難をしのぎ、信念を貫く

 文科省の方針で〈総合的な学習が、実験的に始められたのは平成十一年。内堀さんの試みは既に平成四年にスタートしているから、先見性
のある画期的な授業といえよう。

 当時の実情を考えれば、教師資格のない人物を教壇に立たせるなど、頑迷な教育委員会や事なかれ主義の学校管理者が簡単に許すはずもない。内堀さんは当 時、高崎市立長野小学校の四年生担任。何とか子供たちを人間性豊かに育てたい―という信念を貫き、紆余曲折もあったけれど、結果として見事に実現させた。

 その代わり、思いもかけない代償を支払うことになる。平成十四年に定年退職されたが、校長はおろか教頭にも任命されず、一教師のまま教 員生活を終えられた。この事実一つを見ても、いかにすさまじい闘いであったか、容易に想像できよう。

学級通信を24年間1日も休まず

そんな内堀さんはユニークな教育活動で、心ある知識人の間では著名であった。私も縁あって『ガリバンのうた』『出会いのある教室』などの著書を読んでいた。それだけに偶然の出会いであっても、心に深く重く響いて、共感するものがあった。

No.2 ~巡り合いの"不思議"に手を合わせる~

トイレ磨きに没頭する内堀一夫先生と試作
~「三冠王になった子供たち」より~

 

ご縁を得た数日後、子供らの詩集『おいらの先生は社長さん』と写真集『三冠王になった子供たち』が届く。本を開いてびっくり。

 何と、教員免許のない講師第一号は、鍵山秀三郎さん(当時はローヤル社長、日本を美しくする会・創設者)ではないか。鍵山さんと内堀さんの交流記録は、神渡良平さんにより書かれ、月刊誌『致知』(平成七年二月号)に詳しい。あらためて巡り合わせの不思議を痛感した。

 ご年配の方は「ガリバン」なるも のをご存じだと思う。蝋(ろう)紙に鉄筆で文字を刻み、ローラーにインクを付けて、手動で一枚ずつ印刷する。暑い夏には蝋が汗で溶ける。文字がかすれて読みにくくなる。手掛けた方々もあろう。一枚書くにも刷るにも並大抵ではないのだ。

 内堀さんは、このガリバン刷りの学級通信『あおいこえ』を、一日も 欠かさず二十四年間も続けたというから、本当に驚嘆してしまった。

しかも、著書『ガリバンのうた』によると、生徒らと食事をしながら昼食時間に書き続けたという。そう
しなければ、下校時に手渡せない。

 その内容は、子供らに対する愛情と配慮でいっぱいだ。怒らない、愚痴らない、けなさない、良い面を見つけては褒めたたえる。子育ての神髄・極意に満ち溢れている。

 最大の教育効果を挙げるには、一人一人とスキンシップが欠かせない。しかし、現実には教師一人が四十人近い生徒と、分け隔てなく接するのは難しい。それを補って余りあるのが学級通信の発行という伝達方法で、大きな成果を収めてきた。

私も欠かさず社員にパソコン通信

 内堀さんとの出会いをきっかけに啓発された私も、社員とのコミュニケーションツールとして、六百字前後 の『デイリーメッセージ』をパソコン通信で活用している。このほど三千号を超えた。見習った内堀さんの二十四年間には遠く及ばないが、一日も休まず続け、 「千日行」ならぬ「三千日行」を達成した。

 よくぞ続く…と我ながら感心するが、もしも『奈良掃除に学ぶ会』で内堀さんと巡り合わなかったら、書き始める気さえなかったに違いない出会ったご縁の不思議を思う。

 内容の良し悪しは別だが、延べ百 八十万文字のメッセージを積み重ね て、継続する素晴らしさと意義を実 感している。しかし、読まされる社員側は、とんだ迷惑だったかも?

 二年半前、私は癌に侵され、胃の全摘出手術を行った。その時点でデイリーメッセージは、二千二百号を上回っていた。癌の先輩によるご託宣では「いくら気丈でも、手術後二日 間は身動きできない」という。

内堀さん同様に「一日も休まず」が目標だけに、中断したくない気持ちの方が、どうしても強かった。「座るぐらいで、手術後の傷口は裂けないよ」という主治医の言葉に意を強くして、ともかく病床で起き上がりパソコンを叩いて、続行…。

意外な展開となった出会い

 私は知らなかったのだが、内堀さんは、知る人ぞ知る熱狂的なカープファン。今は夢物語ながら、平成三年に山本浩二監督が初優勝した時のインタビューで「選手を褒めてやってください」と話す第一声に惚れ込んだのが、のめり込む契機とかとか。

 以来、中国新聞の社会面「ほのぼの」欄に取り上げられたり、中国放送では「群馬と広島のキャッチボール」としても放映されたそうだ。

 その上、驚いたことに「内堀先生を励ます会」までもが広島にあって、カープの試合観戦を通じて交流を絶やさず続けていることも初耳だった。その世話役のお一人が池田博彦さん(当時は広島東洋カープ広報室長)で、広島の池田さんを群馬の内堀さんから、逆に紹介された。

 そして、そのご縁がまた新たな転機をもたらす不思議なご縁につながっていく。「木原さん、現役を離れたら子供たちと農業をすれば…。それが一番似合って いるよ」と、池田さんは初対の私に言われた。深い意味はなかったと思うが、その言葉がきっかけで、やがて私は、実際に親子農業体験塾《志路・竹の子学園》 を創設し、塾長として有意義な新人生を刻むことになる…。