<出会い>に学ぶ生き方の極意

No.22 ~ムリ・ムダ・ムラのない金融取引で肝胆相照らす間柄~

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金融機関は再編成で戦国時代入り

広島県人にとって愉快な話題ではないが、もみじ銀行が山口銀行の傘下に入った。呉相互銀行はせとうち銀行に、広島相互銀行は広島総合銀行に改称…。さらに広島総合銀行とせとうち銀行が統合し、もみじ銀行に社名変更して歩んでいた。だが、山銀にのみ込まれてしまった。

メガバンクも数行ずつ統合され、元の銀行名を思い出すのが難しいほど。金融機関はいずこも再編成されて、肥大化していった。いずれにせよ零細企業にとっては雲の上の話。さして影響が及ぶわけではない。

従来、県や地域ごとにすみ分け、無風状態に近かった中国地方の金融機関が、日銀のゼロ金利解除に伴い激しく競争する事態に転じた。これまで中国地方のトップに君臨していた広島銀行は、遂に山口銀府グループに預金残高、貸出金残高で後塵を拝し、総合力で2位に転落した。

ただし、広島市場を見ると、貸出金シェア35%で広銀がトップを堅守し、山銀グループは30%前後で健闘している。広銀は地銀64行のうち62番目に短期プライムレートを引き上げ、山銀は据え置いている (平成18年12月現在)。

地域別に加え、業態別でもすみ分けてきた金融業界だが、少子高齢化などから、同一市場の顧客を奪い合う構図も鮮明になってきた。

バブル崩壊による不良債権の処理で、庶民の預金金利を犠牲にして、血税が惜しみなく注ぎ込まれた各金融機関。ほぼ一段落した今、どこが生き残り、勝ち残るのか? 外野席から観覧する側にも興味は尽きない。

明快でシンプルな経営方針に期待

今年3月で60カ月連続と「いざなぎ景気」を超える記録を更新し、戦後最長の好景気といわれるが、零細企業にその実感はない。逆に経営環境の厳しさは増し、相次いで歴史ある企業が消えている。経営者の資質や売上減に原因もあろうが、雨で傘が欲しいときに差し掛けてくれない金融機関の体質も大問題である。

半面、晴天で傘など要らないときには貸したがる。この金融機関の基本姿勢は、昔も今も変わらない。

格好をつけていても、金融機関はもともと金貸し業である。困っている企業に資金を回さないのなら、存在価値が問われるはずではないか。

6月15日に、広島市信用組合の第55期通常総代会に出席した。

冒頭の山本明弘理事長のあいさつは、極めて明快でシンプルだった。従来、山本さんは声が大きく、相対して話していても耳鳴りするほど。

それだけに迫力もあり、元気を頂ける。私は最前列に座って、理事長のあいさつ内容を懸命にメモした。

どこかの知事のように原稿を棒読みするのではない。まさにトップによる生の経営理念の披歴である。

印象に残ったのは、地域における信用組合の存在意義を強調し、在るべき姿を追求するという基本姿勢。具体的には本来業務に徹する経営を貫き、資金の運用で収益を求めないという明確な方針である。

メガバンクや地銀の真似事はしない。他行が訪れない所にも足を運んで「金貸し業」に徹するという。

また株式や投資信託は手放す。相場の上げ下げで業績を左右しかねない商品には手を出さない- と宣誓された。実に勇気ある発言だと思う。

むやみに貸し出すわけもなかろうが、少なくとも弱者の声に耳を傾けていただけそうだ。小雨程度なら傘を差し掛けてもらえそうな期待もあり、随分と敷居が低く感じられた。

40年を超える地道なお付き合い

広島でプロパンガスの小売を創業したのが昭和40年。ある人の紹介で数年後、広島市信用組合から融資してもらった。実は田舎から出たばかりで、銀行取引の何たるかも知らないため、「取引のない相手には金を貸せない」と断られ続けていた。それだけに有り難く、必要資金の融資直後から当座取引がスタート。

その時のご恩を、忘れたことはない。増改築業の今もメーンバンクとして、40年を超える取引が続く。

山本さんが市信用組合に入組されたのは昭和43年だが、その年の内には早くも初めて出会っている。

今でこそ筋肉質で引き締まった体型、精悍そのものだが、当時は細身で背の高い紅顔の美音年だった。

若くして支店長に昇進され、やがてトップに上り詰められたが、折り目正しい礼儀作法と奥床しい謙虚な態度は、当初から全く変わらない。

何が気に入ってもらえたのか、幸い親しくお付き合いくださるものの、不思議にも飲食を共にしたり、ゴルフに興じたことは一度もない。

しかもコーヒー一杯ご馳走になっていない。どちらかの事務所・職場以外では会って話した記憶もない。

通常では考えにくい付き合い方だが、なぜか肝胆相照らす間柄で、今日まで続く。感謝の念でいっぱいだ。

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当社の新社長披露パーティーで
主賓として激励くださった広島市信用組合の山本明弘理事長

back_23_02「ビジネス界・6月号」表紙 back_23_03「ビジネス界・5月号」表紙

 

不思議にもご緑は今なお不変

平成16年1月、病を得た私は第一線からの引退を決意し、ささやかな新社長披露パーティーを催した。

その際、山本さんは快く主賓を引「ビジネス界・6月号」の表紙き受けてくださり、大いに激励いただいた。零細企業側にとっては破格のご厚意であり、招待客の皆さんは一様に驚かれ、面目を施した。

今年になって、さらに不思議が起きた。地元の月刊誌『ビジネス界』の表紙写真に、二人が相次いで登場したのだ。5月号の表紙を山本さんの精悍な姿が飾る。すぐにはがきを書いた。「かっこいいナイスガイ」と…。折り返して「ありがとう」と電話が入って、感激した。

だが何と、光栄にも同誌6月号の表紙写真は、私に指名がかかり、大いに面食らう。山本さんは金融機関のトップだから、顔が書店に並んでも何ら遜色はない。しかし、私は零細企業の一経営者にすぎない立場。

とても、そんな役柄ではないが、またとない「千載一遇」の奇縁だけに、厚かましくも深く受諾した。

「還暦」の山本さんとの年齢差は9歳。アップの写真を比べ「古希」との違いは歴然。だが、しわの数こそ隠せないけど、髪の色なら私が若い… と、密かに優越感に浸っている。

企業にとって、資金は血液と同じである。何かの事情で枯渇したら、事業はたちまち行き詰まる。安全弁として取引銀行を複数にするのが賢明… と、強く友人は勧めてくれる。

しかし、零細企業は、そんな術策を使ってはならないと思う。日本の夫婦のように、金融取引は一夫一妻制に限るべきだろう。無理をしなければ、決して困ることはない。

顧みても、親しいお付き合いに甘えて、身分不相応で無駄な融資をお願いしたことなどは一度さえない。

今後とも、後継者たちを含め、真面目な姿勢で本来業務に徹して打ち込めば、あわてて傘を差し掛けてもらう事態にはならないと確信する。

お互い現役を退いたら、街角の小さな喫茶店でコーヒーを飲みながら、大声で人生を語り合いたいと願っている。果たして実現するだろうか。