<出会い>に学ぶ生き方の極意

No.23 ~はがき道に目覚め、「はがき」で豊かな交友と幸運彩る~

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「はがきの詩」に秘めた不思議

上掲した「はがきの詩」は、「複写はがき」セットの裏表紙に印刷されている。「はがき道」を創始された坂田道信さん(広島在住)のご自筆で、目にも優しい淡いグリーン色。

平仮名を多用した詩は、一見すると読みやすい。だが、はがきに縁のない人には、全く理解できなかろう。

人生の大半を費やして「はがき道」を求め続け深めておられる坂田さんに共鳴して、数年間または数千通もはがきを書く人でも難解かと思う。

たかが一通のはがきだが、それだけ奥行きがあり、味わいも深いのだ。

中には、はがきの道を歩くプロセスで、生き方を根底から変えて、新たな人生を歩む人も少なくない。

私も還暦を過ぎて人生が開けた一人だ。平成8年6月、坂田さんと広島の会合でご縁を得て、「はがきを書き続けたら人生が良くなるよ」と教えられた。以来11年間、書かせていただく日々…。今年8月で発信総数が約4万通に達し、驚いている。

本来なら還暦ともなれば交友関係も細くなり、寂しい余生を過ごすはずだろう。ところが、古希を過ぎた今もなお、日本だけでなく海外にまでネットワークが広がりつつある。

「はがき」で人生も味わい深く

平成9年10月、畏友・頼経健治さん(東京在住)が主宰される《武蔵嵐山志帥塾》に出席した。同塾は作家の神渡良平さんを精神的支柱に仰ぎ、心の修養をめざす勉強会。年1回開かれ、全国から300名余の参加者が一泊二日で学ぶ。研修内容も格調高く、新しい縁を得る良い機会だ。

講師のお一人に、当時は住友生命の関連会社「スミセイリース」社長の金平敬之助さんがおられた。

感銘深い講演だったので終了後、金平さんを囲む人たちの輪を押し退けて、厚かましくも名刺の交換を申し出た。快く応じてくださった。

講演の中で、巨人軍監督時代の長島茂雄さんに話が及んだ。管理者としての能力に疑問を持ちながらも、実に思いやりに満ちた心温まる内容で、胸を打たれた。「長島さんは同世代にとって、太陽を超える存在…」と締めくくられて、また大感動!

熱狂的なカープファンの多い広島にあって、やや肩身の狭い思いをしていた私は、「狂」の字が幾つも重なるほどの長島ファンを自負する。友人に揶揄されながらも、宮崎キャンプまで追っ掛け。望みがかなって握手、サイン、記念撮影に成功した時の感激は、今も鮮やかに覚えている。

それ故、金平さんご自身も熱心な長島ファンと知って大好きになる。何かとご縁を深めたいと切望した。

しかし、知名士とのお付き合いは簡単ではない。念願してもすぐに実るとは思えなかったが、取りあえず、お礼のはがきを書き送ってみた。

有り難いことに、坂田さんのご託宣通り。はがきは、予想をはるかに超えて、幸せを私に運んでくれた。

強く願えば、必ず通じる

待ち望んだはがき第1号が、同年12月29日付で元旦に届いた。

正直言って、無視されるかも…と、期待していなかっただけに、数多くの年賀状に交ざる金平さんからのはがきを見つけた際は、天にも昇るほどの喜びを感じた。「やった!」

地位や立場に関係なく、強く願えば大抵のことは実現すると痛感した。

平成13年に長島さんが巨人軍監督を引退。その時点まで続いたはがきの往来は、長島さんをめぐる話題で満載…。優に一冊の本になろう。

金平さんは大企業のトップでありながら、エッセイストとしても著名であった。平成3年に東洋経済新報社から発刊の『ことばのご馳走』はシリーズ化されて、現在もなお超ロングセラーを保持している。

これまでに、出版された金平さんの随筆集は30点を超え、読者から「心のビタミン剤」として好評だ。

文章は、どれも簡明かつ平易で洗練の極み。はがきと同様に、無駄を削り取った表現の滋味は、読む人の心に印象深く吸い込まれていく。

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こぼれんばかりの笑顔を見せる
心優しい金平さん

金平さんから頂いた
待望のはがき第1号
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700通を超えた兼平さんのはがきファイル

back_24_05金平敬之助さん著
『一枚のはがき』
入院中に届いた
励ましの「一日一信」
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「一枚のはがき」に大感激!

いささか面ばゆいけれども、「二百六十一枚」と題した金平さんご自作の一文を紹介してみたい。

木原伸雄さんは
広島にいる巨人ファンだ。
平成九年に東京で一度お会いした。
その後三年八カ月ぶりに再会した。
二時間ほど雑談した。
お会いするのは二回目だが、
旧知の友人のように話がはずんだ。
お互いに
巨人ファンということもある。
でも「二回目で旧知の間柄」には
秘密がある。
はがきだ。
二百六十一枚。
これは三年八カ月の間に
私が出したはがきの枚数。
二百七十数枚。
こちらは木原さんが
私にくださったはがきの数だ。

はがきがつくってくれた
ありがたい縁といえるだろう。

(金平敬之助著『一枚のはがき』=2002年11月・PHP研究所発行=から抜粋)

このご縁物語には後日談がある。

『一枚のはがき』が発行された翌2003年1月30日、私は胃がんの全摘出手術を受けた。直後に思いがけなくも金平さんから、お見舞いはがきが、舞い込んだではないか。

<驚きました。でも心配していません。神様が木原さんを助けない筈はありませんし、近代医学の力を信じるからです。これからもはがきを五百枚、千枚と続けましょう>

配慮あるはがき一枚に、どれだけ励まされ元気をもらったことか…。

五百枚、千枚と続けるためには、ともかく生き抜かねばならない。

金平さんからは、欠かさず激励のはがきが「一日一信」として約3週間、退院する日まで病床に届く。内容の大半は巨人軍のニュース・情報に加えて、大リーグに移籍した松井秀喜選手の活躍ぶりで占められた。

大いに勇気付けられたはがき千枚にはまだ及ばない。だが、幸いにして金平さん宛てに書き届けたはがきは、既に731枚目を数える。

千枚に到達したら、ぜひ三回目の再会をお願いしたいと念じている。