<出会い>に学ぶ生き方の極意

No.6 ~人生の師から教わり学ぶ日々に感謝~

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トイレ掃除の神様と出会う

十年を過ぎた今でも、鍵山秀三郎さん(イエローハット相談役、当時はローヤル社長)と出会った日を鮮明に覚えている。東京都内で開かれた「船井総研・経営セミナー」の講演で、トイレ掃除三十年…を聴かせていただいた時の衝撃は大きい。

 平成7年9月10日。会場は政治の舞台として度々ニュースを賑わした平河町の砂防会館。鍵山さんは「世の人々から心の荒みをなくしたい」と誓願され、人が最も嫌がるトイレ掃除を開始した動機を語られた。

 私が抱いていたトイレのイメージは「暗い」「臭い」「汚い」「恐い」の4Kで、小学生時代の体験からこびり付いている。率直に言って鍵山さんの話を聴くまで、きれいな場所と感じたことは全くなかった。

 企業トップが誰よりも早く出勤、便器を素手で磨いて社員に使わせるなど、想定外の体験談だった。

 しかも三十年間、一日も休まず続けていると淡々と話される。さらに驚いたのは、鍵山さんのトイレ掃除を見習って、全国の経営者の間にも同様の活動が広がり、一部では「掃除に学ぶ会」として定期的に活動が開催されている事実である。

 その時は素直に信じた。「世の中は広い。すごい人がいる」。同時に「変わった人だな」とも思った。正直な感想である。ただし、掃除はまだ実践するには至らなかった。

平凡な事を非凡に努める―に疑念

 鍵山さんについては、全国をネットするカー用品販売・ローヤル(イエローハット)社長と講演前に紹介されていた。だが、経歴などに関心がなかったせいか、すぐ忘れた。

 数日後にメモを整理しながら、改めて気付く。年商1000億円、従業員2000人、業界ではオートバックスに次ぐ第二位の大企業、しかも、創業者でオーナー社長…。業界の位置付けを知って、素直でない私の常識は揺らぎ、疑念を抱いてしまった。

 「平凡な行いをやり続ける」大切さを説かれ、その通りだと共鳴し、胸を打たれたのだが、その感動は鍵山さんの経歴が経歴だけに変化…。

 「まさか年商1000億企業のオーナーが、トイレ掃除など人の嫌がる行いを三十年も続けられるはずない」と、私の固定観念が否定する。

 私の見知る大会社の経営者らは、舶来の高級スーツをまとい、運転手付きの豪華な外車に乗り、秘書を従えて活動している。傲慢不遜な立ち居振る舞いばかりが目立つ。

 そんな立場とトイレ掃除が、どうしても結び付かない。鍵山さんは平凡な紺の背広、履き古したソラマメ形の靴、カバンを自分で持ち、徒歩で移動される。穏やかな笑顔で、温かい握手までしてくださった。

 同じ経営者ながら、どう考えても乖離がありすぎ、その差異が埋まらない。私の思考能力を超えている。

 ところが五ヵ月後に鍵山さんの素晴らしさを目のあたりにでき、一気に疑念が氷解する幸運に恵まれた。

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私にとって座右の書となった鍵山さん作の「掃除に学んだ人生の法則」

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会う人々を和ませ、包み込む慈父のごとき温顔。
まさに「現代の菩薩」と評される鍵山さん

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還暦記念に贈呈いただいた色紙

感動の「言行一致」を体感

 鍵山さんはモットーの「凡事徹底」を、①すべての物を生かす、②すべてに行き届く、③言行一致の集積―と、分かりやすく解説される。

 いみじくも曹洞宗開祖・道元禅師が、著書「正法眼蔵」で述べた「閑らにすごす月日は多けれど、道をもとむる時ぞ少なき」(本当の道を歩む難しさと、一日一日の尊さ)の至言。その生きざまにも直結する「凡事徹底」は、実に意味深い。

 平成8年2月、初めて「沖縄掃除に学ぶ会」に参加。南国とはいえ真冬の寒冷に凍えながらも私は、素手素足で便器を磨かれる鍵山さんの姿を現認した。真摯で自然体の「凡事徹底」の神髄を、間近でしっかり確信できた。雷に打たれたというか、体中が震えるほどの感動で、しばし立ち尽くしたままだった。

 それ以降、各地で開かれる「掃除に学ぶ会」に率先して参加し続けている。けれども、沖縄で体験できた人生観を変えるほどの鮮烈な場面にはなかなか出会えない。その中で、同年9月に実施された「上海掃除に学ぶ会」四日間の旅は忘れ得ない。

 今でこそ小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題などで、日中関係はぎくしゃくしている。だが、当時のマスコミは「大切な日本の友人たちが、掃除の大切さを中国人民に教えてくれた」と、最大級の賛辞で報道。大歓迎だったのも懐かしい思い出だ。

 最終日、人民広場をゴミ拾いしながら、一行はバスの待つ場所に向かった。途中、鍵山さんは道端の脱糞を新聞紙に包み、ひょいと掴みあげ手持ちのゴミ袋に入れたではないか。これには一同、ぶったまげた。私のちっぽけな人生観も、跡形なく吹き飛んだ瞬間である。目撃した上海市民から、大きな拍手が起こった。

「唾面自乾」で屈辱に耐える

「掃除に学ぶ会」の活動に励むうち、私にとっては実に屈辱的でかつ衝撃的な一つの事件に直面した。

 その時、相談した鍵山さんは自らに課す「唾面自乾(だめんじかん)」という言葉を、書簡に託して送ってくださった。

 「たとえ顔に唾を吐きかけられても、手で拭ってはならない。自然に乾くまで待て。長い人生には、さまざまな屈辱を味わう場面がある。そんなときは、心を乱すことなく、ひたすら耐えよ」という厳しい戒め。

 その一言が胸に響き、忍耐を覚えて、心を乱す場面が少なくなった。

 私とて弱い人間。だから思いがけない出来事に遭遇すれば心も乱れ、うろたえる。ガン告知を受けた時もそうだった。鍵山さんの言葉が支えになり、大過なく乗り越えられた。

 人生の師を持つ人間は、最高の幸せを掴んだのと同じ―と言われる。

 まさにその通りだ。「沖縄掃除」「上海掃除」の実体験、『唾面自乾』の教戒が、鍵山さんこそ、わが生涯の師と仰ぎ、畏敬する由縁となった。

  天のご配慮に感謝する日々である。