第19期人生講座「日本・街道の旅」⑦ ~平成28年11月22日(火)~
「日本・街道の旅」⑦-午前クラス
「日本街道の旅」シリーズは、東北道から関東一円、さらに北陸道、東海道、伊勢街道を歩いて今回は近畿地方の後編の街道、全体では第七回になる。「古事記」にも伝わり〝日本最古の道〟とされる山辺の道、京から忍術の里・伊賀へ向かう伊賀街道、熊野三山に詣でる人が、引きも切らず長い行列を作ったと言われる熊野街道。大和朝廷の古代の香りがする。
大和盆地を縦断し、また熊野の山々に分け入る道では、神々の宿る自然と出会うことが出来る。自然を神と崇める習慣があったせいだろうか、壮大で華麗な神社が多い。最初の「山辺の道」は起点の春日井から終着の金谷集落まで35㎞。当時の国道であるが道幅は大半が1~2㍍。身分の高い人達も馬や駕籠を利用したと思われる。至るところに石仏がある。
白毫寺⇒石上神宮⇒桃尾の滝⇒大和神社⇒長岳寺⇒箸墓⇒兵主神社⇒大神神社⇒金谷の石仏を経て終点の金谷集落に辿り着く。歴史の香りが美しいロマン漂う自然街道である。次いで伊賀街道を歩く。山城から上野を経て津に至る。木津川⇒笠置⇒島原⇒上野⇒恭仁京⇒当尾の里⇒浄瑠璃寺⇒国宝・三重の塔⇒笠置寺⇒伊賀上野⇒伊賀流忍者屋敷で終わる。
三つ目は和歌山から新宮までの熊野街道だが、途中、大辺路と中辺路に分かれ新宮で合流する。著名な湯浅醤油蔵⇒滝尻王子⇒近露王子⇒継桜王子⇒湯の峰温泉(二世紀に発見)⇒熊野本宮大社⇒夫婦杉(樹齢八百年)⇒熊野速玉大社⇒野中の清水(古来枯れたことがない)⇒熊野川を船で下る⇒橋杭岩⇒那智の滝⇒那智大社を経て新宮に至る。神秘な街道群。
八回目はいよいよ身近な山陽道、山陰道、北裏街道を学ぶ。残念ながら広島県は尾道と厳島神社で広島市はない。有名なところは多い。姫路城や孔子を学んだ閑谷学校は見応え抜群。
「日本・街道の旅」⑦-午後クラス
■本日の五七五
トランプで 通じる遊び 日本だけ 不純斎
学園祭 留守宅覗けば 缶の山(未成年のはずだが?)
降りられぬ 梯子外れた TPP
知り合いも マスクと帽子 他人顔 弘子
日留まりが 今日は上席 小六月
小春日に 労わりながら 漬け大根 道章
集います 老いた同士の 忘年会
炉開きの 庭に続くや コモの花 実
干支話題 ひと月余り 新年の
篝火が 秋風呼んで 庭妖し 伸雄
出雲路の 神有月に 人の群れ
湖の 風に揺られし 萩の花
本日の資料は前回の人生講座リポート。プラス落合勲さんの「二十四節気『小雪』空と海のへだてなく」に山口県長門の棚田が季節に添って描かれおり美しい。柴崎博男さんのことば二つ、十二月の講座カレンダーが添えられた。「日本街道の旅」は第七回・近畿Ⅱで「山辺の道」「伊賀街道」「熊野街道」。
伊賀街道は剣豪荒木又右衛門の仇打ちの場面で有名な伊賀上野の「鍵屋の辻」が紹介された。仇を待ち伏せた街道茶屋は「数馬茶屋」として現存している。伊賀忍者屋敷のからくりも詳しく紹介された。徳川家康の窮地を救った服部半蔵一族が著名である。恭仁京という首都があったことを知った。
熊野街道の地名は昭和36年に新婚旅行で訪れた場所が多くあった。白浜⇒勝浦⇒新宮⇒伊勢と続く。橋杭岩、那智の滝、瀞8丁、熊野古道は懐かしい。健康を取り戻してもう一度訪れたい。第8回は山陽道、山陰道、北裏街道など近隣を学ぶ。