住まいの物語

住まいの物語⑩「日本壁のはなし」そのⅡ  平成25年10月19日(土)

⑩「日本壁のはなし」そのⅡ

在来工法による日本壁を新しい時代の建築に適用することは難しい。問題は完成した日本壁にあるのではなく、完成するまでの前近代性にある。最近は内壁に「珪藻土」などが重宝され、施工性もよく調湿性能も高い。インテリア性にも優れ、和洋室を問わず重宝されている。しかし、木舞下地の純粋な日本壁は伝統として保持されるべきである。

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それが忘れられたとしたら、新しい構想による日本壁の創造は不可能になる。一般建築で顧みられないのは残念である。漆喰白壁は崇峻元年(588)、百済から職人と共に技術導入した。後の法隆寺金堂を俟つまでもなく画工は、仏寺の壁画を専門とする。土壁に白亜上塗りを施す本格的な左官工事はここに始まる。土壁に画を書くことはできない。

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この技術がやがて発見される高松塚に及ぶ。華麗な壁画が描かれていたが、白亜上塗りの主成分は現代の漆喰と同質と分かった。土壁は火災に強く、やがて貴重品を守る土蔵へと進化する。貴族の邸宅は白壁が中心となったが、権威の象徴でもあった。慶長14年(1609)、関が原合戦の後、大阪夏の陣の前、軍事的に最も緊張の高まった時期になる。

外部からの火災に強い白壁は、すべての城郭の天主に採用された。最盛期には日本全国で25基の天主が建設中となった。そのうちの一つ姫路城は世界遺産に登録されている。その美的完成度はわが国の木造建築最高位にあり、世界的にも類のない優れものである。工期は足掛け9年、同因された延べ人数は2500万人に達したと伝えられている。

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