こころ豊かに生きる・人生講座

新・人生講座「プロジェクトX」⑨ ~平成29年6月6日(火)~

⑨町工場 世界へ翔ぶ~トランジスタラジオ営業マンの戦い~

昭和30年、ソニーの営業マンは自信の新商品「超小型トランジスタラジオ」を持って世界へ飛んだ。敗戦による復興に必要な外貨を、日本にもたらしたい一心だった。しかし、敗戦国である日本の技術など誰も見向きもしない。当時「メイドインジャパン」は、粗悪品の代名詞だった。ヨーロッパで、アメリカで、彼らはどうやって日本の技術を売り込んだのか。

日本最初のトランジスタラジオ
「TR-55」

ソニーは戦後の焼け跡から立ち上がった小さな町工場の一つだった。しかし、彼らには設立趣意書にもはっきり記した「日本再建」という大きな目標があった。戦後の復興期、小さな町工場から世界を相手に戦った若き営業マンの奮闘に感動と拍手を惜しまなかった。「ソニー」という社名は、ラテン語のソヌス「音」という意味である。前身は東京通信工業という。

 

「東京通信工業株式会社」の看板

 

ソニーの小型トランジスターラジオの優秀性はアメリカでも認められ、ブランドをアメリカ名にすれば10万台購入するという注文を受けた。しかし、ソニーの盛田昭夫はおいしい話を断った。ブランドネームの誇りが許さなかった。それは更に苦労を背負わせたが、社員の意気は上がった。高野さんは30年以上トランジスタラジオを使用、それを誇りにする。

 

必殺のセールストーク、「これさえあれば、家のラジオに縛られているあなたの生活が変わる」。ドイツでラジオを売るのは北極で氷を売るようなものだと貶されたが、高級店に絞って売り込み10大都市にラジオを置くことに成功した。客が店に殺到し売り切れが相次いだ。盛田は叫んだ。「俺たちが売る一番大切なもの、それは『メイドインジャパンの誇り』だ」。