新・人生講座

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」22 ~令和元年9月3日(火)~

漫才ブームと校内暴力激化

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」21 ~令和元年8月6日(火)~

日本赤軍日航機ハイジャックと王選手七五六号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑳ ~令和元年7月2日(火)~

ロッキード事件と五つ子誕生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑲ ~令和元年6月4日(火)~

石油ショック狂乱物価と巨人九連勝

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑱ ~令和元年5月7日(火)~

札幌五輪日の丸飛行隊と浅間山荘事件

 

 

   

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑰ ~平成31年4月2日(火)~

大阪万博と公害多発

 

   

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑯ ~平成31年3月5日(火)~

アポロ月面着陸と東大安田講堂落城

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑮ ~平成31年2月5日(火)~

昭和元禄と三億円事件

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑭ ~平成30年12月4日(火)~

旅客機連続墜落とビートルズ来日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑬ ~平成30年11月6日(火)~

東京オリンピックと新幹線開業

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑫ ~平成30年10月2日(火)~

オリンピック景気とケネディ大統領暗殺

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑪ ~平成30年9月4日(火)~

所得倍増計画とキューバ危機

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑩ ~平成30年8月7日(火)~

六十年安保闘争と大鵬初優勝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑨ ~平成30年7月3日(火)~

⑨人皇太子ご成婚と長嶋天覧試合さよならホームラン

 

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑧ ~平成30年6月5日(火)~

⑧人昭和33年(1958)美智子さまブームと東京タワー

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑦ ~平成30年5月1日(火)~

⑦人工衛星スプートニクと西鉄黄金時代

 

 

 

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」⑥ ~平成30年4月3日(火)~

⑥国連加盟と南極観測船「宗谷」

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」④ ~平成30年2月6日(火)~

④日本独立と血のメーデー事件

 

 

 

新・人生講座「昭和ニッポン 1億2千万人の映像」③ ~平成29年12月5日(火)~

③湯川博士のノーベル賞受賞と朝鮮戦争

新人生講座のリポートはしばらくお休みしていたが、今月から再開させていただく。昭和20年から24回にわたってニュースをまとめて見ながら、自分の経験した事柄を話す。人間は不思議な頭脳をしており、若いときの事柄を知らされると勝手に脳が若いときに戻る。今月は今村さんがまとめてリードして下さった。88歳になられるのにしっかり具合に驚く。

 

 

 

年末には友を誘って道後温泉に行かれるとか。まったく旅が出来ない私としては羨ましい。今日の昭和ニュースは「湯川博士のノーベル賞受賞」や「フジヤマのトビウオ」の世界新など、約60項目のニュースを知った。子供の頃のことだけに話には聞いていても映像を観るのは初めて。昭和25年の人口は8319万人とか。第1回の日本シリーズも開催。

 

 

 

今村さんは既に社会人として上京された年になる。他の人はまだ若いからこれからの出来事に関心が高い。なぜか相撲の話になった。これからどのように決着がつくのか興味が深い。天皇陛下の全国行脚については、それぞれ尊敬の念を深くした。日本人にとって天皇皇后両陛下はまさに「神様」である。譲位まではおそろいで健康に過ごされることをお祈りする。

 

 

 

1月は2日が第一火曜日だからお休みになる。第四巻は昭和26~27年のニュースを伝える。この時期は対日講和条約の調印、講和が成立した年でもある。第一回のプロ野球オールスター戦、第33回全国高校野球、皇太子の立太子礼などがニュースになった。パチンコの大ブームなど見近な話題も多い。日本は戦後の復興に向けて駆け足で姿を見せ始める。

新・人生講座「プロジェクトX」⑩ ~平成29年7月4日(火)~

⑩あさま山荘 衝撃の鉄球作戦

まだ梅雨が終わっていないのに台風第三号が日本列島に上陸した。講座に出にくいと思っていたが、台風など気にせずに参加してもらってありがたい。本日のリーダーは浜本さんにお願いした。八十路を少し超えておられるが、その熱心さには頭が下がる。昭和47年2月、まだ雪に包まれた長野県軽井沢の静かな別荘地で、日本犯罪史上に残る大事件が発生。

 

 

 

のちに「あさま山荘事件」と呼ばれる連合赤軍の立てこもり事件だ。2月19日、警察に追われていた連合赤軍のメンバー5人は、あさま山荘に侵入し、管理人の人妻を人質にとって立てこもった。建物は急斜面にあり、警官隊は容易に近づくことが出来ない。犯人たちは大量の銃や弾薬を所持していた上、山荘には1か月分の食糧が備蓄してあった。

 

 

 

村人たちも土嚢づくりやあたたかい食料の差し入れなど、出来る限りの協力を惜しまなかった。しかし、膠着状態が続きついに突入作戦に踏み切る。決行は2月28日。突入に当たって人質が監禁されていると見られた二階と、犯人が籠城する三階を分断するため、解体用の鉄球で階段部分を破壊することになった。そのためにはクレーン車を微妙な位置に設置。

 

 

 

鉄球を正確に振り下ろさなければならない。僅か20㌢でもそれれば、柱に当たって建物が崩れる恐れがある。誰もが尻込みする中、ある重機オペレーターの兄弟が名乗りを上げ勇敢に挑戦した。いくつかの齟齬はあったものの、人質は救出し、犯人は全員逮捕できた。じつに10日間の戦いだった。それにしても浜本さん、高野さん、田畑さんの勉強が深い事。

 

 

 

新・人生講座「プロジェクトX」⑨ ~平成29年6月6日(火)~

⑨町工場 世界へ翔ぶ~トランジスタラジオ営業マンの戦い~

昭和30年、ソニーの営業マンは自信の新商品「超小型トランジスタラジオ」を持って世界へ飛んだ。敗戦による復興に必要な外貨を、日本にもたらしたい一心だった。しかし、敗戦国である日本の技術など誰も見向きもしない。当時「メイドインジャパン」は、粗悪品の代名詞だった。ヨーロッパで、アメリカで、彼らはどうやって日本の技術を売り込んだのか。

日本最初のトランジスタラジオ
「TR-55」

ソニーは戦後の焼け跡から立ち上がった小さな町工場の一つだった。しかし、彼らには設立趣意書にもはっきり記した「日本再建」という大きな目標があった。戦後の復興期、小さな町工場から世界を相手に戦った若き営業マンの奮闘に感動と拍手を惜しまなかった。「ソニー」という社名は、ラテン語のソヌス「音」という意味である。前身は東京通信工業という。

 

「東京通信工業株式会社」の看板

 

ソニーの小型トランジスターラジオの優秀性はアメリカでも認められ、ブランドをアメリカ名にすれば10万台購入するという注文を受けた。しかし、ソニーの盛田昭夫はおいしい話を断った。ブランドネームの誇りが許さなかった。それは更に苦労を背負わせたが、社員の意気は上がった。高野さんは30年以上トランジスタラジオを使用、それを誇りにする。

 

必殺のセールストーク、「これさえあれば、家のラジオに縛られているあなたの生活が変わる」。ドイツでラジオを売るのは北極で氷を売るようなものだと貶されたが、高級店に絞って売り込み10大都市にラジオを置くことに成功した。客が店に殺到し売り切れが相次いだ。盛田は叫んだ。「俺たちが売る一番大切なもの、それは『メイドインジャパンの誇り』だ」。

新・人生講座「プロジェクトX」⑦ ~平成29年4月4日(火)~

⑦運命のZ計画~世界一売れたスポーツカーの伝説~

昭和45年に発売された名車「フェアーレディZ」。日産自動車の日本を代表するスポーツカー。しかしこの全社の期待を背負って華々しく登場したわけではない。むしろ、社内では日陰を歩んでいた男たちの、意地と矜持の結晶なのだ。誕生は簡単ではなかった。当時の日本と米国とのインフラの違いもあり、米国の国民に認知を受けるのは簡単ではない。

 

 

物語「昭和30年代、宣伝畑一筋だった片山豊は経営陣との折り合いが悪く、突然、アメリカの営業責任者に任じられた。当時の日本車は性能もデザインも不評で在庫の山を築いていた。そこで片山が目を付けたのが、スボーツカーだ。ポルシェやジャガーの半分の値段で庶民が買えるスポーツカーなら、きっと勝負が出来る。それは単なる夢物語であった。

 

 

しかし、スポーツカーを単なる飾り物と考えていた会社は、開発に消極的だった。デザインは入社以来、遊園地のゴーカートなどを作っていた松尾良彦が担当することになった。設計はバキュームカーなどの特殊車両を作っていた植村斎らのチーム。彼らには実力では誰にも負けない自負があった。こうしてそれぞれの思いを込めて「Z計画」はスタートした。

 

 

デザインへのこだわり、立ちはだかる設計上の難問、発売直前のトラブルなど、多くの困難を乗り越えてアメリカ市場で認められた最初の日本車を作り上げた熱き男たち。大ヒットし、一車種では最高の143万台も飛ぶように売れた。スポーツカーのヒットなど、考えられもしなかった時代なので吃驚。アメリカの駐在員にカルロスゴーンがいた。奇しき因縁だ。

新・人生講座「プロジェクトX」⑥ ~平成29年3月7日(火)~

⑥不屈の男たち世紀の瞬間・青函トンネル

昭和39年5月、まず「先進導坑」着工。本坑を掘り進める前のパイロット抗として、言わばプロジェクトの成否を決する重要な工事だった。日本各地で難工事を成功させたトンネル工事のスペシャリスト74人が結集。家族とともに過酷な自然の中で生活をともにしながら、この難工事は進んだ。

しかし、本格的な海底トンネルとしては前例のないこの工事、海底の地層が複雑に入り込んでいる上、中央部には砂状の際だって軟弱な地層が横たわるなど、今までの技術だけでは立ち行かない局面にも遭遇した。加えて、高温多湿となる坑内の過酷な環境、度重なる大規模な出水事故。

犠牲者を出しながらも次々と新しい技術を開発ながら、トンネルは一歩ずつ掘り進められていった。着工から19年、昭和58年先進導坑貫通。昭和63年には津軽海峡線が開通した。全長53,85㎞。トンネルとしては世界最長を誇る青函トンネル。本州と北海道を結ぶ安定した輸送ルートは確保。

DVDは54分だったが、実写に基づく熱いドラマは見る者の心を熱くした。関門トンネル、四国三橋とともに日本はすべて繋がった。政治的に不可解ないきさつもあったようだが、海国日本のすべてが一本になったことは世界に誇り得る。高野さんも浜本さんも88歳の今村さんも田畑さんも、お互いに高齢ながら胸を熱くした時間を共有した。

 

来月はアメリカ大陸を駆け抜ける「フェアーレディZ」の開発のプロセスを学ぶ。楽しみな日本の男たちの姿である。

新・人生講座「プロジェクトX」⑤ ~平成29年2月7日(火)~

「プロジェクトX」⑤世界一のテレビ塔建設・東京タワーの難工事

昭和30年代の初期、各放送局はそれぞれ自局のテレビ塔を立て、電波を発信していた。しかし、高さ150㍍程度の高さでは関東一円に電波を送ることは出来ず、また都心に幾つもの塔が立つことは景観上も好ましくない。そこで計画されたのが、総合電波塔「東京タワー」だ。地上333㍍、自立塔としてはエッフェル塔を超え世界一の高さとなる。

 

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かつてない規模の建造物、しかも工期は僅か15カ月と決められていた。設計は〝塔博士〟といわれた内藤多仲と日産設計が担当。台風や地震に耐えられるよう、緻密に強度を計算し、ミリ単位の精度で図面が引かれた。建設現場には全国から腕利きの鳶が集まった。若頭は25歳の桐生五郎、現場監督として過酷な現場を仕切ったのは31歳の竹山正明だった。

 

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平成22年3月、高さ日本一の座はスカイツリーに譲ったものの、今なお東京のシンボルであり続ける「東京タワー」建設の苦闘ドラマは、胸を熱くさせ涙がこぼれる。同年代に青春を過ごした今村さんは昭和31年に結婚。当時は三菱重工の本社勤務であったためにタワー建設の現場を見ている。開設時は観覧者が多くてエレベーターに乗れず、徒歩で登った。

 

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完成の翌34年は皇太子殿下のご成婚、ミスター長嶋の巨人入団など一気にテレビブームとなった。ドキュメントは日本人の素晴らしさを教えてくれる。第6回は高野さん、第7回は今村さん、第8回は浜本さん、第9回は田畑さん、第10回は浜本さん、第11回は今村さん、最終回は高野さん。それぞがリーダーとして仕切る。今村さんは88歳で健在だ。

 

新・人生講座「プロジェクトX」③ ~平成28年11月1日(火)~

「プロジェクトX」③男たち不屈のドラマ 瀬戸大橋

四国市民400万人と自らの家族のために力を尽くした男たちの不屈のドラマから学んだ。昭和30年5月、瀬戸内海で国鉄連絡船紫雲丸と第3宇高丸が衝突。沈没した紫雲丸に乗っていた修学旅行の児童100名を含む168名が犠牲となった。古くから海難事故が多発していた瀬戸内海でも、最悪の海難事故となった。町内にも多くの人が犠牲になっている。

 

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この事故をきっかけに本州と四国を結ぶ「瀬戸大橋」の実現を求める声が高まった。四国市民の再三の陳情の末、昭和45年、ようやく国は計画を認め本州四国連絡橋公団が発足した。メンバーの一人から運営について意見が寄せられた。「交代で司会を務めながら、①内容の突っ込みや感想を全員に発言させる。②感動した個所、難解な箇所を全員に問う。③次回。

 

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本四架橋は、その規模も難易度も前例のない工事である。地元の漁師との交渉、オイルショックによる着工の凍結。多くの困難の末、海中基礎工事は成功し、昭和63年「瀬戸大橋」は完成し、四国と本州は橋を通して一つになった。ドラマはその間の悪戦苦闘と成功への足跡を、分かりやすく伝えてくれた。「瀬戸大橋」は美しいが、海の下のドラマは見えない。

 

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後半は浜本明男さんがリードしたが、架橋の苦労と共に「男の生き方」「橋と共に生きる」「偉大なる人生とは」など多くの感動が味わえた。浜本さんの巧みなリードで夫々が感動の場面や涙する場面など話した。それなりに受け止め方は異なるがいい勉強が出来た。浜本さんのおかげである。次回テーマは「コンビニを作った素人たち」、担当リーダーは田畑さん。

新・人生講座「プロジェクトX」② ~平成28年10月4日(火)~

「プロジェクトX」②翌日宅配~物流革命が始まった~

戦後最大の物流革命と言われる宅配便。しかし、かつての民間の輸送は企業相手の大口が中心だった、家庭から出される小さな荷物を扱う小口輸送は、手間が掛かり過ぎて採算が合わないともと考えられていた。この事業を初めて民間で手掛けたのはヤマト運輸。大量輸送時代に乗り遅れて倒産寸前の運送会社だった。どうしてこの分野に目を付けたのか。

 

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昭和46年に初代社長の跡を継いだ2代目・小倉昌男社長が小口輸送を決断。10人の若手社員を招集し、社運を懸けた新商品の開発を命じた。なぜ小倉社長が小口輸送に目を付けたのか、論理的な理由は見つからない。取り組む会社がなかったから飛び込んだのか。苦労をしたが結果としては成功した。DVDの内容を見ても簡単ではないことが理解できる。

 

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当時は1週間くらい掛かった輸送時間を「翌日配達」を打ち出した。営業マンがいないと分かったら運転手に営業を兼用させた。時間は掛かったが車用の指示は悉く成功した。「人がやらないことをやる。成功する方法をとことん考える」その姿勢が社員の心を惹きつけ、やる気を出させた。ヤマト運輸の小口輸送成功は、多くの零細企業に勇気をもたらした。

 

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参加者は5名だったがそれぞれにヤマト運輸を称賛した。ユーザーの声が「儲ける」から「儲かる」へ環境を変えてくれる。「電話一本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」という作戦は当たった。いずれも消費者が待ち望んだことだから。時間は掛かったがすべてが当たった。次回は「男たちの不屈のドラマ・瀬戸大橋」。

新・人生講座「プロジェクトX」① ~平成28年9月6日(火)~

「プロジェクトX」①厳冬 黒四ダムに挑む~断崖絶壁の輸送作戦~

新しい講座で無謀なことをしたなと後悔していたが、案ずるより生むが易し、そこそこに恰好がついた。もともとフォーラム新聞7月号で地域の皆さんに案内したが、発行した途端に相次いで入院した。そのままになっており期日がせまって慌てた。あわてて社員の皆さんに参加者の募集をお願いしたが、本業が忙しかったのか残念ながら成果はゼロであった。 

 

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申し込みが1名と募集が1名で定員8名のところ予定が2名となった。それでもともかくお詫びしながらスタートはする積りになって当日の朝を迎えた。申し込みの高野さん、間違って来社した田畑さん、常務が募集してくれた水入り夫妻と遠路白木町の鳴戸さん、それに水先案内人の私、合計6名で何とか恰好がついた。感謝しながら心底ではほっとした。

 

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講座はDVDを45分視聴し、残りの45分は意見の交換をしながら進める。2名は進め方を十分承知し、3名が五里霧中である。意見の交換に先立って自己紹介をしていただき、年齢を聞いた。いずれも70歳台ながら私より若かった。とりあえずそれぞれの健康法と日々実践していることを聞いた。全員がマルコシの顧客で共通点があり、和やかになった。

 

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黒四ダム計画は断崖絶壁の奥地に日本最大の巨大ダムを建設するという前例のない計画だった。課題となったのは資材の輸送だ。60万トンもの資材をどうやって現場に運び上げるのか。その苦労のありさまをDVDは、ドキュメントタッチで描いていく。近年では観光地となり多くの人がダムを訪問するが、創られた苦労を知る者はいない。次回は宅配便の誕生。

 

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