俳句歳時記

俳句歳時記 十一月俳句歳時記 平成30年11月17日

十一月俳句歳時記~初冬~

草炎俳句会  石川 芳己先生

広島マルコシ句会の11月例会の作品を紹介しよう。今日も10名全員出席。10時開始だが、今日も30分も早くに会場に着いて選句に余念がない。選句も俳句上達の為の重要な作業である。この閑かな学びの空間に惹かれる。

 

小春日や庭掃き清め客を待つ        芳己

 

特選

天  口忠実な鵯のこし去る実の赤き     栄子

蕪村に「鵯のこぼし去りぬる実の赤き」の句もあり、類似句との懸念もあるが、よく鳴く鵯を口忠実と言いきった擬人法が妙。上五がこの句の手柄と言えよう。鵯は、結構大きな実を食べるという。糞が残した実も赤い。江戸時代と変わらぬ鵯の習性を観察したパロディ風の軽妙な句。

 

地  秋日和紅白戦に声嗄らす       勝子

紅白戦は同じチームが敵味方に分かれての対抗試合である。屋外球技の最たるものと言えば野球を想像する。紅白戦と雖も応援には力が入る。声を嗄らして声援を送るサポーターの熱狂的な風景が眼に浮かぶようである。秋日和の季語の斡旋が巧みである。

 

人  今日もまたポーッと生きてた秋の暮  明男

NHKの番組『チコちゃんに叱られる』の名台詞「ボーっと生きてんじゃないよう」を連想する。まさか、ポーッと終日過ごしているわけではない。諧謔的だが、実は逆説的に謂えば真面目に生きている姿が実相なのである。秋の暮れは早い。そのことをも焦点化している。

 

入選

字をなぞる芭蕉の句碑やこぼれ萩      恒子

苔生した俳聖の句碑の刻字をなぞる行為そのものに芭蕉への溢れる敬慕が滲む。芭蕉の「奥の細道」の名句「一家に遊女もねたり萩と月」を連想させる。座五の斡旋が上手い。

 

カメラマン俄に増えて秋麗         弘子

紅葉の季節には各所でカメラマンが俄に殺到する。秋晴れともなると格好のシャッターチャンスである。秋麗らかな平和的な風景が鮮やかに描かれている。中七の表現がリズム感よろしく座五に繋がる。

 

店頭の籠の無花果数えたり         輝子

値札と無花果の数を見て咄嗟に単価を計算している主婦の逞しさが垣間見える一句。無花果の季節感よりも経済観念が先行するところの人間の浅はかさに対して風刺を込めて巧みに描いて見せている。

 

迷い事あるなら聞くと秋の雲        美紀恵

雲と対峙して話しかけている。雲は、相談に乗ってくれるかも知れない。空想的な雰囲気を醸し出している不思議な一句。石井桃子の「のんちゃん雲に乗る」の童話を想起して郷愁を誘う。

 

秋深し二時間待ちの診察日         昌子

何処の病院も待合室で待たされる。日暮れが早い晩秋というのにあれやこれやの家事や家族のことも気にかかりやきもきする。上五の季語の斡旋が待合室の緩やかな時間の流れる景を想像させてくれる。

 

オカリナの童謡聴いて秋惜しむ       日出美

     赤蜻蛉か焚き火か、晩秋の風景を描いた童謡がオカリナで演奏されている。懐かしいメロディを聴きながら、過ぎ去りつつある秋の風情を惜しむ。如何にも耳元にオカリナの音色が響いてくる如く。

 

迂回路に道標なる案山子あり        博子

災害か事故が。やむを得ず迂回路を廻らねばならない。臨時の道案内には案山子が使われている。何とも可笑しみの溢れる光景である。。迂回路を余儀なくされた苛立ちも忘れて思わず微笑んでしまう。

 

句材は様々である。季節に関する一切が季語と言っても過言ではない。今回は、秋日和、秋の暮れ、秋麗、秋の雲、秋惜しむ、等の天文、そして無花果、こぼれ萩、案山子、鵯、といった植物や動物、生活といった分野からの季語の斡旋が見られた。何れの分野からでも季語の選択は自由であるが、歳時記に親しみ、様々な季語に触れて作句する試みも必要であろう。句会に参加して、選句したり、合評したりするなかで、季語に親しみ、俳句の感覚が磨かれていく。 マルコシ句会の会員の皆さんの熱意には敬意を表するものである。俳句は継続の文学なり。自然を確り描写しながら、人生の哀歓を五七五に託したいものである。