生涯学習・プラスワンステージ

第22期「生涯学習・古代への道(105)」⑥~平成30年11月21日(水)

⑥アイヌ語は縄文語 1 ヤイコオコイマ=寝小便 オソマ=大便

 

ヤイコオコイマ

 縄文時代の遺跡で色々な人と話していると大半の人が、縄文時代は、遠い昔のことだと思っている。私もかってはその一人であった。しかし、彼らの生活様式や考え方を表す言葉を知ると、縄文の生活や考えは現代にも脈々と生きており、遠い過去とは思えない。「はじめに」で書いているが、縄文は生きている。

 縄文が生々しく生きている例を私の小学校低学年の頃の思い出話でする。

 ヘェー、これが縄文人の生活なのかときっと驚かれるであろう。その縄文語(アイヌ語)とは、「ヤイコオコイマ」である。「ヤイコオコイマ」とは、現代語に「寝小便」と置き換えられている。

 寝小便がごとき語で縄文時代の生活の何が分かるのか。多くの人は、きっと疑問に思うであろう。しかし、「ヤイコオコイマ」(寝小便)が解読できなければ古代(縄文時代)を知っているとも言えない。ましてや、アイヌ語(縄文語)をよく知っているとは言えない。

 では、「ヤイコオコイマ」を逐語解読する。左記のとおりである。

ヤイコは、「一人で」である。

オコイマは、「小便」である。

 

 

 直訳すると、寝小便とは「一人でする小便」である。では、なぜ、「寝小便」を「ヤイコオコイマ」(一人小便)と言うのか。ここが理解できなければ、アイヌ語(縄文語)を解読したことにはならない。

 それが簡単にわかればアイヌ語学者はこの世には必要がないと言われるだろう。単純な事柄は、単純なゆえに解読が難しい。

 一人でする小便=寝小便の構図は、私にはすぐに理解できた。なんとも寝小便を上手に言い表している。縄文人の言語力の高さを垣間見た。

 ヘタな感動をせずに早く答えを言えと言われそうである。私が独力で得たアイヌ語(縄文語)の「ヤイコオコイマ」の解を披露するのは勿体ない気持ちが先に立つ。永遠に私一人懐に抱いておきたい。

 時は、今をさかのぼる二千年以上前の縄文時代である。小さい子が、夜間、竪穴式住居の入口から一人で這い出て、月明かり、星明りしかない家の外、そのまた向こうにある共同便所に行って、小便をすることは肝っ玉の太い子でも、腕力に自信がある子でもそう簡単にはできなかったのではなかろうか。

 

 

 夜の野外には、現代とは異なり人を襲う狼や熊もおり、大変危険である。そこで、夜間の排便(小便)は、通常、親か兄弟が付き添って共同便所に出かけ用を足すことになる。

 昭和三十年までの家屋では便所は、臭気を避けるためにどの家でも屋外にあった。母屋の近くの別棟、あるいは、渡り廊下で接続はしているが、雨戸をあける実質的な屋外にあった。

 私の家は、祖父が昭和七年にそれまでの税務署の官吏生活で得た最新の設計に基づく家であったが、それでも便所は、寝所からは遠く、雨戸をあけて囲いのない廊下を三間半も歩いて行かなければならない所に風呂場とともにあった。

 

 

夜間、尿意を催すと、一人で行くのが「オッカナイ」ので、母を起こすか、兄を起こすかして便所に同道を願うことになる。近時、道の駅で野営することが多いが、車外に出て便所まで歩いていくのは気持ちの悪いものである。特に北海道ではヒグマが出るのではと恐怖心が募ってくる。

 便所への同道を兄にでも懇願すると、弟とは言え、深い眠りから無理やり起こされるのであるから、その見返りは翌日には必ずやってくる。どんな難しい用でも嫌なことを言いつけられても次回また便所への付き添いをお願いすることを考慮すると断る選択肢はない。否が応でも聞かなければならない。

 

 

 それではと、何とか我慢して布団の中でじっと夜明けを待っているとついつい眠り込んでしまう。そして、朝起きて大失敗をシでかしたことに気が付く。この苦い経験を二・三度しているので、「一人でする小便」を寝小便と言うのは、理解できる。

 なお、「オッカナイ」は、現代語に「おそろしい」とか「こわい」と置き換えられている。アイヌ語(縄文語)では、「おそろしい」を表す語は「ハ、オカナイ」である。「ハ」は、現代語では、「ワァー」である。このことは、今年の三月の講座(98回10頁~12頁)に詳しく書いている。

 「ヤイコ」の現代語への置き換えは、『アイヌ語辞典』によれば、「一人で」あるが、なぜ、「ヤイコ」の現代語への置き換えが「一人で」あるのかは逐語解読で説明する。

 では、「ヤイコ」を逐語解読する。左記のとおりである。

は、「私」である。

は、前の名詞の「状況や状態」を表す。

は、「○○に向かって」である。

 「ヤ」が「私」であることを証明する語は、「ヤル」である。「ヤル」は、「ヤ」に動詞化音「ル」が付いて創成された語である。「ヤイ」の説明文の途中であるが、「ヤル」を逐語解読する。左記のとおりである。

は、「私」である。

は、「動詞化音」である。

 

 

 「ヤル」とは自分のことを自分で処理することである。勉強をやる・仕事をやる・動物に餌をやる・子供に小遣いをやるなどと使用する。

 次は、「ヤイ」の「イ」である。「イ」は、形容詞の「イ」である。強い・寒い・怖い・高い・低いなどの「イ」である。前の名詞の状況・状態を表す。

 アイヌ語の「ヤイ」は、日本語に「自分自身のこと」と置き換えてある。「ヤ」が自分を表し、「イ」が「ヤ」の状況・状態を表している。

 ここで子供の頃を思い出したので『哲西の方言』を取り出して、「ヤイ」を見る。そこには、「ヤイ」ではないが、「ヤイコ」(ヤェーコ)がある。

 「ヤイコ」(ヤェーコ)は、現代語に「互い」と置き換えてある。「コ」は、アイヌ語(縄文語)と同じなので『アイヌ語辞典』の置き換えに従って、「○○に向かって」である。「○○」には、「ヤイ=自分自身」が入る。

 そうすると、「ヤイコ」は、「自分自身の状態」である。アイヌ語の「ヤイ」と全く同じ置き換えになる。双方が縄文語であることの証である。

 

 

 なお、「ヤイ」については、この後「5 ヤイコ」で詳しく解読する。

 では、寝小便と現代語に置き換えられている「オコイマ」を逐語解読する。左記のとおりである。

オコは、「小さい」である。

イマは、「私の所」である。

1 「オコ」を小さいと解読する理由は、「オ」(ヲ)も「コ」も縄文語で「小さい」ことを表す語であると考えているからである。

 現代語でも「おこぜ」(虎魚)・「おこじょ」(日本の本州中部以北に分布するイタチに似た動物)の「オコ」は「小さい」を表している。

 本来は、「こぜ」で小さい魚、「こじょ」で小さな動物を表しているが、更にその上に「ヲ」(小さい)を加えていると考えている。

2 「オコ」は水とも解釈可能である。

 「オコイマ」は、『アイヌ語辞典』には「オコイマ」とも言うとある。「オンコ」が「水」を表すことは、今年の四月の講座(99回11頁~16頁)に詳しく書いている。

 

 

 この場合は「オコ」は、「オンコ」の動詞化音「ン」の脱落形である。「オコ」が「水の先」で小便を表すのは、水が人の口から体内を流れて最後に排泄されることを言い表している。

 1と2、甲乙つけがたい解読である。しかし、二つの説が成り立つときは、どちらか一方が間違いか、あるいは、両方とも間違いである。

 従って、この場合は、「小便」が「大便」と対立する語なので、「小さい」が正しいと考えている。