俳句歳時記

俳句歳時記 十二月俳句歳時記 令和元年12月21日

十二月俳句歳時記~初冬~

古い恋しかできぬ女冬椿     雅幸

 

草炎俳句会  藤兼 雅幸先生の講評 

特選

天 椿落つただそれだけの庭となり         美紀恵

中七のそれは庭に掛かるのではなく作者自身の内面を吐露している。椿は萎れずとも落ちる、それは人の未練の姿をも連想させる、いつかの自分の姿があったかもしれない。椿のそれにふと来し方そしてこれからを見つめる作者がいる。それでも世の中は坦々と時を刻んでゆくものだと、達観した目がこの庭を比喩として巧みに詠まれている。

 

地 大嚏して古里の山河かな            栄子
 

一瞬時が止まったかのようになる大くしゃみ、そしてその爽快感、その刹那作者は時を巻き戻したのだ。祖父祖母、父母、田舎は街より少し寒い、今ごろは霜で真っ白だろうと。飄々と大胆に、こういった作り方は俳句を解っていなければできるものではない。

 
人 ジャズの音にポインセチアのなほ妖し          恒子
 
ピアノのスローなジャズ、まったりとした時間に聞き流すのにちょうどいい。家のリビングの入口あたりか、またはショットバーのカウンターの隅か、花でもないのに冬の冷めた空気に色を放つ、花になれなかった娼婦が男を誘うように、ピアノの時折の高音に震えている。確かにポインセチアは不思議な植物だ、作者はそれに感情の移入を試みている、妖しいのは私かもしれないと。句の裏にある景が興味深い。ジャズがいい!
 
 

入選

読み終えて余韻の中の冬日和                輝子

上・中・下巻、大作を読み終え感慨無量の時間、残りの珈琲を飲み乾して外に目をやると、なんといい天気だ、「今何時だろう」時間を確認して現実に戻っていく。時の経過を巧く表現している。

 

山辺の紅葉や神の島燃ゆる                 昌子

他の地方には別にあるのかもしれないが、中国地方で「神の島」といえば宮島だ。「山辺の小径」もよく知られている、そこの紅葉に圧倒され、瞬時に詠んだのであろう、その感動が伝わってくる。

 

冬晴の茶会男の裾捌き                   博子

理にかなった所作に日本の美学がある茶道、この季語ゆえ裾捌きの衣擦れの音が聞こえてくるようだ。

 

親かし叔母臥せて幾とせ冬の星               勝子

寝込んでしまってもうずいぶんになる、良くなって欲しい。まさに星に願いを、心優しさが溢れている。

 

友逝きて巻かれしままの古暦                日出美

年も押し迫って、貰いすぎた暦が筒のままで出てきた。つい今年を振り返る、大好きだった友人を失った。開いていないこの暦には、まだ友は生きている。この暦は捨てられないかもしれない。

 

入選句総評

鑑賞に余るすばらしい句が揃いました。深い句軽妙な句、どれを取ってもどこに出しても胸を張れる句ばかりです。ただ、いつもながら特選三句の選には悩まされます。深さ、巧みさ、高尚性、個性、公認性、リズム、等々様々な選基準もレベルが揃えば、どの句会どの大会でも最後は選者のその時の気分・好みに委ねられるもの、そう「私の句が一番!」と思っていいのです。人の句も認めつつ…。