平成24年11月13日(No5808) 石川遼の涙
石川遼の涙
一世を風靡したプロゴルファー・ジャンボ尾崎の熱狂的ファンだった頃、テレビのトーナメント中継を欠かさず見、録画していた。ジャンボが画面に映らなくなってからテレビ観戦から遠くなっていた。11月11日、「三井住友VISA太平洋マスターズ」40回記念大会の最終ラウンドをテレビ観戦した。前日トップに立っており、石川遼の復活を期待した。
石川プロはアマのとき15歳で初優勝したが、そのとき少年の涙を流した。歴戦のプロを相手に十代で賞金王にもなり、9勝を挙げた。そして「AON」が衰えて凋落した男子プロゴルフ界の救世主になった。ところが一昨年の同大会で優勝してから丸2年間も優勝とは無縁になった。プロスポーツの世界では、トップに立つというのはかくも難しいものか。
18番でウィニングパットを決めたときの感無量の表情は、まさにプロとして障壁を越えた男の顔であった。優勝インタビューの後、耐え切れずに泣いた。涙は止まらなかった。2年間を振り返って「つらくなかったですよ」とインタビューで答えていたが、そんなはずはない。15番で2位の松村に4打差を付けていたが、不安と戦っていたのではないか。
1打差に追い上げた2位の松村は、最終のロングホールで2打目をグリーンに。石川の次のショット次第では奇跡の逆転も予想された。それを無視するかのごとく、当たり前のように池越えでナイスオン。プロの真髄を見せた。松村のイーグルパットに目もくれなかった。降りしきる氷雨のもとで10勝目をツアー最年少記録で勝ち取った。石川時代の到来だ。