平成26年8月15日(No6448)   終戦記念日

終戦記念日

今年の終戦記念日は69回目となる。昭和20年8月15日、日本国はアメリカを中心とする連合国に対して無条件降伏をした。当時8歳だったが昭和20年は、生涯2度と経験できない激動の一年になった。当時、父親が海軍軍人であったため呉市で暮らしていた。呉市は軍港があったため、連合国の攻撃の標的にされた。空襲警報の度に地下の防空壕に逃げた。

 

焼夷弾が投下されて街が明るくなると、間を置かず米軍機が爆弾を落とした。今も恐怖にさらされているイラクやガザ地区の破壊と寸分違わない。慣れっこになっていると言いながら、映画を見るような心境ではない。3月26日、父は沖縄特攻作戦に従事するため出港した。3月28日、親子4人が着のみ着のままで志路へ疎開した。両手に荷物を一杯持った。

 

井原市の駅から疎開先まで8㌔の石ころ道をひたすら歩いた。母と8歳、6歳、3歳の4人連れ。月明かりが頼りだった。4月7日、父は戦死した。村葬が催され遺骨を受け取りに8㌔の道を往復した。7月に弟が生まれ大晦日に栄養失調で死んだ。8月6日に原爆が広島に投下された。やがて全身焼け爛れた被災者が次々に学校に運び込まれ、そして死んだ。

 

8月15日、戦争は負けて終わった。飢えとの戦いは壮絶を極めた。口に入るものは何でも食べた。今の飽食の時代には考えられないことだが、振り返ってみれば貴重な経験だった。耐えることを覚えた。つましい暮らしを積み重ねた。人生には辛い場面が数限りなくある。しかし昭和20年に比べれば物の数ではない。あの経験があればこそ、いまも生きている。

 

安倍さんは8月15日に靖国神社を参拝しないという。戦争の犠牲者のために日本の首相として手を合わせて欲しい。

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