掃除に学ぶ

1-11 ~環境美化表彰~

環境美化表彰

お掃除で表彰

マルコシが「多年にわたり清掃活動に精励し、地域の環境美化向上に功労」があったとして、広島市長より表彰されました。

表彰式には、市長をはじめ議長、教育長、各区の区長、それに関係部出者の幹部の列席があり、盛大なものでした。

ほかにも各地区の町内会、老人会PTAなどの団体も表彰を受け、もっと街を美しくしようという思いのかたがたくさんおられ、目立たないところで日々活躍されている実態を知ることができ、意を強くしました。

お掃除で人間を磨く

もともとわたしたちの清掃活動は単なる手段で、目的は「お掃除を通じて人間を磨く」ことにおいており、表彰の主旨とは若干異なるものの、見えるところは同じです。

お掃除が地味なおこないであることは今も昔も変わりませんが、どちらかといえば、地味なこと、他に評価されないこと、などは素通りする人が多い。とりわけ汚いことには目をそらしがちです。

お掃除は、毎日続けることにより汚いことから逃げなくなる。小さなことに気づくようになる。自分より他人を大事にする気持ちが生まれてくる。つまり他人のことを思いやる気持ちを養い、他人のために尽くすことが当たり前の人間になる。

お掃除が、今の企業が目指している「ひとづくり」に有効な方法であることは、数多くの事例が証明しています。

お掃除はむつかしい

最近は各地でお掃除の活動が活発になり、高い評価を受けているものの、実践者はまだまだ少ないようです。毎日実践ということになると微々たるものではないでしょうか。

お掃除は特別な技術もいらないし特殊な用具も必要としない平凡なおこないです。

それなのに何故できないのか。きれいにする人よりも、汚す人の多いのが圧倒的に多いのが実状です。

わたしたちは長い間毎日お掃除をしているので、掃除そのものは苦になりませんが、少しも減る気配を見せない空缶、煙草の吸い殺、ビニール袋、ときにはバスのベンチに放置される家庭ゴミなどには、正直いってため息をつくことがあります。

もののない時代から、ものの氾濫する時代へ急激に変化した日本人は傲慢になり、ものを大切にするこころ、他を思いやるこころ、公共を大切にするこころなど、かつての日本人がもっていた美徳を失ってしまったように思います。

その結果、責任の所在があいまいになり、「自分がやったことを、自分が始末する。」というあたりまえのことができなくなったのではないか。これらのことに気づくとお掃除は難しいものではなくなると思うのですが。

お掃除をやってみる

日本では、諸外国にくらべて、公のことより個をたいせつにする風潮にあります。たとえば生ゴミを平気でバス停などに放置できる人は、我が家の快適さしか頭になく、その行為により被る他人の迷惑など思いもよらないのでしょう。

その方々には、まず我が家以外の場所を掃除されることをお薦めします。手間のかかることはできなくても、公の場所にはゴミを捨てないとか、我が家の前の道路のゴミを拾うとか、ほんの小さなことから始め、毎日続けることにより、自分より他人を大切にすることの素晴らしさを実感してもらえたらと思います。

そのことの総和が、やがてお掃除が表彰の対象になるような特別のおこないではなく、人間としてのごく当り前のおこないとして浸透していくものと思っています。

(97年5月)