1-12 ~生涯の師~
生涯の師
自分の顔ではない!
厚顔無恥と言われそうだが、[ビジネスセミナー]の巻頭グラビアの「経営者の素顔」に登場することになりました。
もともとこのコーナーは、わたしのような零細企業の経営者ではなく知名度の高い財界のお歴々が登場するものと理解しています。
固辞したものの、わたしにお鉢が回ったいきさつについて不明のまま取材を受けてしまいました。
それでも発売日が待ち遠しく早速書店で購入し、ページを開いて第一感「この顔は自分の顔ではない!」
わたしのまったく知らない顔が大写しになっていました。いつも鏡で出会う自分とは適う顔を発見。
わたしはこのグラビアのように穏やかな顔をしていない。このように優しい笑顔に出会ったことはない。
もしもこれがわたしだとしたら、わたしの知らない間に変わってしまったとしか言いようがありません。
人の顔を変える力
鍵山秀三郎さんとは平成5年9月東京で開催された[船井セミナー]が最初の出会いです。
鍵山さんはそのセミナーで講師をつとめられ、穏やかな表情でお掃除を例として「凡事徹底」について語られました。
そのころ、わたしもある動機から毎朝バス停や通勤途中の道路の清掃をしていました。
わたしの掃除は、はじめて4年もたった頃であり、ぽつぽつ世間の話題になりはじめ、いささか得意顔をしていた時期でもありました。
そんなわたしに鍵山さんのお話はものすごいショックを与えました。
33年のトイレ掃除や、徹底した掃除のやりかたはまだしも、お掃除を「させていただいている」という謙虚な姿勢は、お掃除を「してやっている」という、わたしの傲慢な姿勢に鉄槌をくだすものでありました。
いつのまにか鍵山さんの人生観や経営哲学にひきこまれ、セミナー終了後、興奮状態のまま名刺交換を乞うことになりました。
もしも鍵山秀三郎さんとの出会いがなかったら、依然として傲慢なままのわたしであったろうし、いまのようないい顔にはなれなかったにちがいないと思います。
素手で便器を磨く
世間には立派なことを言っても、己れのおこないとの間に、大きな隔たりのある人が多いのが普通の社会です。
はじめて沖縄で開催された「掃除に学ぶ会」に参加したとき、汚れた便器を穏やかな顔で、しかも素手で磨かれている鍵山さんの姿にふれたとき、そこに菩薩を見たように思いました。
いうこととおこなうこととの間に寸分の隙もない。これこそ現代の菩薩。もともと自転車に乗って行商からスタートした自動車部品の販売会社を、年商一千億を越える業界第二位の上場企業に育てあげられたいまもその謙虚さは変わりません。
人間形成の三要素は「素質」「師匠」「逆境」と言われていますが、このときから鍵山秀三郎さんをわが生涯の「師」とすることを自分勝手に決めました。
あのようになりたい
その後各地の「掃除に学ぶ会」や遠くブラジルや上海のお掃除にも、鍵山さんのお供をさせていただいています。
その謙虚で穏やかな日々のおこないから、学ぶべきことはあまりにも多い。講演を聞くことも学び。書かれた本を読むことも学び。
しかしどんな学びも、行をともにし、間近で人柄に接し、そのおこないから学ぶことには遠く及ばない。
その度に「あのようになりたい」という気持ちは一層高まります。
(97年6月)