掃除に学ぶ

1-2 ~ゴミに出会う~

ゴミに出会う

掃除はイヤー!

ことしも昨年につづいて就職活動が厳しく、学生は辛い体験を強いられています。

 我が社のような零細企業でも資料請求や会社訪問が増えています。
「我が社では企業活動や人材育成の基本を掃除においている。」

 これはここ数年来の企業説明会における私の第一声です。一瞬怪訝な顔をするものの説明をすれば、ほとんどの学生は理解してくれます。

 しかし頭で理解できても、日々の掃除の進めかたや、それに要する時間のことなどが明らかになると半数は辞退されます。

新しい発見

徒歩通勤を続けているといろいろ新しい発見があります。最初はともかく遅刻しないように一生懸命前に向かって足を運ぶだけでした。

 やがて家を出る時間、信号を渡るタイミング、歩くペース配分など上手になり、早く楽に歩けて余裕が出てきます。

 そうすると四季折々の風情や、美女たちのファッションの移り変わりなど自然にインプットされるようになります。これらはその気になりさえすれば車通勤でも可能ですが、歩かなければ絶対にインプットされないもの、それは「道・路」の状況です。

行政の谷間にある道

車の走る道は、定期的に「公」の負担で清掃車や散水車のお世話になるので比較的きれいです。

 中央分離帯のみどりも、造園屋さんの手を煩わしているのでまずまずです。

 また住宅や商店に接している道はそれほどひどくはありません。それは町内会や商店会など「民」の善意による奉仕が定期的におこなわれているからです。

 いちばん悲惨なのは「公」も手を入れない、「民」の奉仕も届かない住宅にも商店にも隣接していない人間の歩く道です。

ゴミに気づく

不思議なことに人の歩く道のゴミに気づいたのは、徒歩通勤をはじめてほぼ1カ月くらい経過してからです。

 その間、ゴミというゴミが種類を問わず散乱し、しかも積み重なって悪臭を漂わせていたのに、なぜゴミを意識しなかったのか今もわかりません。

 ある日の朝突然神の啓示のように「自分の歩く道は自分できれいにする。」と何の理由もなく決意してしまったのです。

妻からのクレーム

翌朝からのわたしの格好は、ジャンパーに運動靴、軍手で身をかため右手に長尺ヒバシ、左手にキャスターつきのお土産ぶくろ。

 タバコの吸い殻、ジュースなどの空缶、ビニール袋などの 「ゴミ」を拾いながらの通勤になりました。

 「ご近所の手前もあるしその格好をなんとかしてくれないか」
 「毎朝ゴミ拾いしているという噂でも立つと、恥ずかしくて買物にもゆけない」

 妻の抗議はもっともですが、一旦やろうと決めたことは、そうそう間単に中止することはできません。

 毎日いつもより30分早く家を出て、大型ポリバケツ2杯分のゴミを拾います。20日ほどでわたしの通勤する歩道が、やっと人並みのきれいな歩道に変身しました。

 妻もわたしの頑固さに呆れ果てて以後文句は言わなくなったものの、理解したわけではありません。

 その妻が4年後夫唱婦随で夜間のバス停清掃をはじめ、夢中になるのですから、掃除は不思議な力を持っているとしか言いようがありません。

(96年8月)