1-4 ~あいさつ~
あいさつ
万歩計
血糖値が高いから用心するようにと医師から注意されたとき、友人が「一日一万歩は歩け。」と万歩計をプレゼントしてくれました。
早速ベルトに着用して、毎日活用させてもらっています。
朝の掃除に要する歩数は、多いときで3千8百歩、少ないときで3千3百歩、平均3千5百歩である。
拾うゴミの数が多いときと少ないときでは差がでます。
その他会社のなかや、現場の往復など、結構歩いているように思いますが、一日一万歩はきつくそれを越えることは滅多にありません。
血糖値を下げるにはまず歩くことそう心に決めてから、お掃除の範囲を広げました。ともかく一日一万歩を越えることを目指しています。
子供のあいさつ
お掃除の範囲を広げたため、毎朝子供たちと出会う回数が一気に増えました。わたしのお掃除の時間と、子供たちの登校時間が重なるためです。最近の若者はあいさつができないと言われます。もちろん子供たちも例外ではありません。
このような現象は、戦後の学校教育や家庭教育に、責任の全てがあるかのように論じられており、それを嘆く大人も少なくありません。
わたしもそのように思っていました。それは、毎朝出会う子供たちからのあいさつの少なさを、日々経験しているからです。
大きくなるほどあいさつは少なくなります。それでも小学生は半分くらいしてくれます。中学生高校生はあいさつするほうがめずらしい。大人の若者はもちろんゼロ。
残念ながら若者の現状を嘆いている熟年の大人たちもゼロに限りなく近い。
あいさつのできる子はよい子。あいさつのできない子はダメな子。
いつのまにかそう思い込んでいました。
子供だけではない
あいさつできない子供を嘆く。子供を教えられない学校や家庭のありかたを論じる。それはそれで結構ですが、それらを論じる大人たちはキチンとあいさつできるのか、嘆く資格があるのか、その前に自らを戒める必要はないか。
子供たちが先にあいさつしてくれればニッコリ返す。
あいさつしてくれない子供たちは無視。
毎朝このようなことを繰り返しているわたしも、よく考えてみれば、自分からあいさつのできない部類の恥ずかしい大人ではないか。恥ずかしい人間が、人のことをしたり顔であれこれ論じたり、嘆いたりしてはならない。
笑顔がいっぱい
自分からあいさつできる人間になろう。すこし勇気が必要だったが、気がついた翌日から朝出会うすべての子供たちに、自分から明るくあいさつをすることにしました。
そっぽを向く子供、怪訝な顔をする子供、無視する子供、などいろいろです。無理もありません。
ある日突然ゴミを拾う怪しげなオッサンが声をかけはじめたのですから。
「おじさんはゴミ拾い屋さん?」
「うんゴミ拾い屋さんだ。」
「まいにちたいへんだね。」
「そうでもないよ。」
「ぼくらもゴミを捨てんようにするけんね。」
それでも一カ月もするとほとんどの子供たちが 「おはよう」を返してくれるし、会話も弾むようになります。「おはよう」には必ず笑顔がついてきます。
子供たちがあいさつをしない、と嘆く前に、大人から先にあいさつすればよい。簡単なことです。
(96年10月)