掃除に学ぶ

2-5 ~掃除は雑事にあらず~

掃除は雑事にあらず

お掃除は雑事か

北は北海道から南は九州沖縄まで毎月どこかで開かれている「全国掃除に学ぶ会」の参加メンバーは、圧倒的に経営者が多い。

中には㈱イエローハットの鍵山社長をはじめ、東京一部上場企業の経営者も少なくないが、まだまだ掃除など雑事と考えている経営者に比べれば、浜辺で百円硬貨を探すほどの少数派です。

わたしがトイレ掃除に全国のあちこちへ出掛けていることを知り、軽蔑の眼差しを向けないまでも「なんのために」とか「理解できない」と怪訝な表情をされる人はあとを絶ちません。

普通に考えればその通りです。貴重な休日を使い費用も馬鹿にならない。しかも技術が進歩し、合理的な分業が進んでいる昨今です。

単純な雑事であるお掃除などは、新入社員かパートか専門業者に任せておけばこと足りると考えて一向におかしくありません。

世の中に雑事はない

鍵山社長は、自分の身体とりわけ手足と自分の時間を使って、他人様のために尽くすことが、人間にとってもっとも大切なことだと教えられます。

もともと世の中には雑事というものはない。小さなことを雑事と錯覚して、雑におこなうから雑事になるのであって、どんな小さなことでも一生懸命取り組めば、それは素晴らしい行いであると教えられます。

人間は雑事と称して面倒なことを他人に押しつけていると頭が働かなくなり、この世のなかに雑事などないということに、気がつかなくなるそうです。

その最も顕著な現象がバブルの崩壊であるといって過言ではありません。

「はきものをそろえる」の原点

まだ残暑のきびしい8月の最後の日曜日、比較的便利の悪い「長野掃除に学ぶ会」に全国から370名もの経営者が、お掃除で自分を磨こうとして集まられました。

いつもは250名くらいで300名を越えることは滅多にない。便利の悪い長野市にこれだけの人々が集まられたのは、掃除の魅力もさることながら、「はきものをそろえる」という詩で有名な、曹洞宗・円福寺の藤本幸邦老師にお目にかかれ、しかも2時間の講演を聞かせていただけるというビッグな付録がついていたからだと思います。

もともと「はきものをそろえる」ということは、永平寺を開かれた道元禅師が、禅宗の修業のひとつとして「自分の履物を揃えられないようなものに何ができるか。まず履物を揃えるところから始めなさい。」と教えられたことが原点ということです。

このように教えられると「掃除ひとつできないものに何ができるか。まず掃除から始めよ。」という言葉には説得力があり、もはやお掃除は雑事などとは言えなくなります。

八十七 燃ゆる不動の 残暑かな

養護施設円福寺愛育園や篠の井高校をはじめとする各施設のトイレはもともときれいに掃除してありましたが、藤本幸邦老師の五七五の決意の句を披露されたあとだけに、一層トイレ磨きに心がこもりました。

わずか二時間でも、一緒にトイレ掃除に取り組むと、いつしか百年の知己のようになります。それはおたがいに打算や損得でなく、無心になれるからではないでしょうか。

やってみるとはじめて理解できるが、心と身体になんのわだかまりもなく、ひたすら無心に取り組める。それが掃除の魅力のひとつでもあります。

(長野掃除に学ぶ会より)

(97年11月)