掃除に学ぶ

2-7 ~青年市長先頭に立つ~

青年市長先頭に立つ

近代産業発祥の地

群馬県高崎市から、電車で西へ1時間ほど行くと、人口4万の富岡という小都市があります。

明治新政府は、明治5年日本の近代国家への礎石として、工場化された産業施設の創設を計画しました。

外貨獲得の手段として、生糸の輸出振興策が打ち出され、官営模範製糸場(現・片倉工業)が建設されましたが、その第一号の場所として選ばれたのが富岡市です。

この製糸工場は、木造煉瓦づくり延べ一万坪におよぶ大工場で、120年を経たいまも歴史的な文化遺産として輝いています。

明治5年といえば、西郷隆盛で有名な西南の役(明治十年)の前だから、当時の日本にはいまでは想像もつかない優れたリーダーシップの持ち主が存在したことになります。

行政が音頭をとる

富岡掃除に学ぶ会は、「日本を美しくする会」ではじめての行政が音頭をとった珍しい掃除の会です。

この会が誕生して五年が過ぎ、全国各地ですでに100回を越える掃除の会が開かれていますが、これまでに行政が表立って支援した例はありません。

なぜこのような喜ばしい事態が起きたのか。それは富岡市の行政トップである若鷹今井清二郎市長と鍵山秀三郎さんの出会いにあります。

今井市長は、NHKで放映された「こころの時代」に出演された鍵山社長の掃除哲学に偶然ふれる機会を得られました。

感動された今井市長は「なんとしても一度鍵山社長にお目にかかりたい」という強い気持ちを持たれ、旧知の片倉工業相談役の柳沢晴夫氏のご緑で、日本を美しくする会発祥の地である岐阜県大正村での対面となったのです。

このことが、富岡掃除に学ぶ会の実現につながりました。

富岡を美しい町にしたい

今井市長は、市の施設や町全体が年を経るごとに悪くなるのは間違っている。町も建物も年とともに輝かなければならないという持論を持っておられます。

官営製糸揚が120年を経た今も輝き続けているのを見るたびに、その意を強くしたといわれます。

建物は
1.耐用年限のきたものは取り替える。
2.まだ使えるものは修繕する。
3.汚れたものは掃除する。
この三つさえしっかりやれば、年を経るごとに磨かれ美しくなるにちがいないと考えられました。

ただ1と2は予算さえつければ誰にでもできるが、3は誰にでもできるように思えるが、誰にもできるものではありません。

市民の日々のおこないの積み重ねで美しい町にしたい。町だけではなくそこに住む人の心までも美しくしたい。それには掃除がいちばんだ。

神様は、今井市長の願いを聞き届けられ、鍵山社長との縁結びをしてくださった。

それから今井市長は、各地の掃除の会に積極的に参加され、わたしたちと一緒に、素手で便器磨きに一心不乱に取り組まれました。

その熱意が鍵山社長を動かし、多くの市民を動かし、「富岡掃除に学ぶ会」を実現しました。

お掃除ですべてが生きる

当日は今井市長を先頭に行政の関係者、善良な市民、全国のお掃除仲間、349人が富岡小学校に集い、トイレ掃除に汗を流しました。

「掃除によって町が生きる、人が生きる、道が生きる、なにもかも生きる。ありがとう」今井市長の涙のあいさつは、多くの人のこころを熱くし、富岡市の未来を物語ったのです。

(富岡掃除に学ぶ会より)

(98年1月)