ちょっととーく

地味ながら領収書の人生を 2007.11

卑しくない生き方

生涯の師と仰ぐ鍵山秀三朗さん(イエローハット創業者)は、月刊誌『致知』に巻頭言を寄稿されていますが、12月号に「人の生き方には二通りある」と人生を説かれています。

――もっと、もっとと際限なく求め続けて生きるのは「請求書の人生」です。寺社にお参りしたときなどは「お願いします」ではなく、「ありがとうございます」と、領収書のお参りをするように― と先哲から教えられた。求めるばかりではなく、いま与えられているものに感謝の心を持つ「領収書の人生」を歩めと言うことでしょうね。

人間は欲が深いのでなかなか教えの通りにはいきませんが、そうありたいと常日頃願っています。

豊かな人間の魅力

請求書の生き方をしている人は、目立ち勝ちで世間から注目されます。一方、領収書の生き方をする人は地味で、人目につくことはありません。

殺伐として精神が病んでいるような世の中です。それでも報いを求めず、ひたすら世のため人のためになる行いをしている人が数多く見受けられます。

その姿には卑しさは微塵もなく、むしろ人を惹き付ける清々しい豊かな人間的魅力を感じます。

そうした人たちを見るにつけ、勇気をいただいていますが、まだまだ請求書の人生を送っている― と実感する出来事がありました。

掃除用具が姿を消す

毎朝お掃除をさせてもらっているバス停などに、竹ぼうきや塵取りを置いています。その掃除用具が時々姿を消しているのです。
 

凡夫ゆえにその度に腹が立ち、心が騒ぎます。掃除する手に力がこもらず、つい雑になってしまいます。

快い朝を― と願っているのに、「おはようございます」のあいさつもなおざりになります。鍵山さんの巻頭言を味わいながら、まだまだ請求書の人生を送っている― と自戒の日々です。

もともと掃除という行いは謙虚であるべきはずなのに、心のどこかで「してあげている」という傲慢さがいつのまにか芽生えていたのでしょうね。やはり「させていただいている」境地にならないと偽者です。

どこかで生かされている

使い古しの掃除用具ですが、姿を消すのはどこかで必要とされているからでしょう。そう思えば、いくらか心が穏やかになります。

これまで廃棄処分にしていた使い古しの竹ぼうきなどを、地域の公園などに掛けさせていただいています。

領収書の生き方をしている人なら、きっと手にとって生かしてくださると信じています。その分だけ町がきれいになれば、そこで暮らす人々の心も和やかになれると思います。

いつの日か「ありがとう」に満ち溢れた「領収書の世の中」になるでしょう。

それには何はさておいても、自分からと決めました。

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