ちょっととーく

傲りを捨てて 誇りを持つ 2009.5

責任を問われるべき人

学校現場における学級崩壊が、最近は著しく低学年化しつつあります。少年少女の非行化が、深刻な社会問題になりました。
これらに対して、家庭での教育や学校の指導のあり方、量刑の軽重に批判・非難の声が上がります。問題は深刻化するばかりで、よくなる気配はありません。
しかし、子供たちは自然にこういう行いをするようになったのではありません。すべて身近な大人から影響を受けているのです。

原因を作った大人こそ責任を問われるべきであって、子供たちの姿や行いを責めることはできません。
周囲の大人の暮らしを見るとき、私のような高齢者の世代にあっても、世の顰蹙を買う大人が少なくありません。
子供たちは嫌でもその姿に触れ続け、無意識のうちに見も心も染められているのです。

黙って拾う姿

小学校の環境問題の授業で町を美しくするのは、そこに住む人の責任だと伝えました。
話がたばこの吸い殻のポイ捨てに及んだとき、目撃したらどうすれば良いかと質問がありました。
君たちならどうする?と逆に質問しました。大半の子供たちは捨てた人に注意をすべきだと答えてくれました。
先生ならどうするの?その問いに「黙って拾う」と答えました。
理由は注意することが目的ではなく、町をきれいにすることが目的だからです。後日の感想文に「吸い殻を黙って拾うなんてすごい!」とありました。

大抵の場合、知らぬ顔をして見過ごすか、注意だけする大人を見ているから驚いたのでしょうか。
識者と称する大人たちが批判者や非難者になり、自ら実行しない姿を目撃しているからでしょう。これは大人たちの傲りです。

子供たちは言行一致の大人を見習い、尊敬します。自分に備わった力を自分のためにだけ使う人には違和感を持っています。

謙虚な生き方を見せる

自分に備わった力、与えられたものを、どれだけ他の人や社会のために使えるかに比例して、大きな誇りを持つことが出来ると信じます。
自分が何もしないで子供たちにあれこれ注意するだけでなく、自ら実践で示し誇り高く謙虚に生きることが、子供たちを健全に育てる道でしょうね。

無垢で生まれてきた子供たちには何の責任もありません。
きちんと躾ができない家庭、誇りを持って教えられない学校現場、無関心を装う地域の大人たちに大半の責任があります。
子供たちを批判する前に骨身を惜しまず子供たちのために何をしているのかを反省すべきでしょう。

大人の謙虚な生き方は、百回の訓戒に勝るといいます。次の時代を託す子供たちのてめに、大人自らの反省が求めれれます。

Plus One Message

傲りを捨てて 誇りを持つ

 

大人は 傲りを捨て去り誇りをもった 生き方をしたい