親子農業体験塾『志路・竹の子学園物語』

⑨子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず 「親子農業体験塾」のカリキュラムに「論語」を組み込むー

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第8期から自然体験、農業体験に加え「論語」の朗誦、解説をカリキュラムに加えた。塾生、保護者、世話役まで6歳から80歳まで年齢の幅が広いため、馴染むかどうかを危惧したが、案ずるより生むが易し、童謡・唱歌をうたうより声が出ている。

表題から保護者の解説。「『知者は惑(まど)わず』とありますが、たくさんの知識を持っているだけでは、単なる物知りで知者とは言いません。知者とは善悪の区別がキチンと出来る人のことです」。「『仁者は憂(うれ)えず』の仁者とは、相手の痛みのわかる優しい心の持ち主の人です。自分のことより人の幸せを常に願っているから、心の中に憂いがないのです。
                             
「『勇者は懼(おそ)れず』の勇者は具体的に言うと、みなさんのクラスにいじめられている子がいたとき、その子を見捨てないで守ってやろうと頑張る人のこと。懼れずはビクビク怖がらない、すぐに逃げ出さないことです」。

テキストは「あいうえお論語(閑谷学校刊)を使い、先生は保護者が務める。一回が五章句だが言葉の解説に加え、日頃の自分の行いを通して裏付けが求められるから簡単ではない。体裁を繕うと子どもからブーイングが飛ぶ。当番の指名を受けると、少なくとも一ヶ月は自らの行いにプレッシャーがかかる。

 「論語」は奈良時代から昭和20年の終戦までの長い間、日本における道徳教育の基本であり、学校でも地域でもしっかり学び続けられてきた。すべての日本人が「論語」を基盤とした共通の道徳観を持っており、家族も地域も強い絆で結ばれていたと思う。世話役の世代は共通認識を持っているが、若い保護者は学んでいない。まして子どもたちに求めるのは無理がある。「論語」は章句が短く簡潔だから、声を出して朗誦することで、言葉の強さ、エネルギー、リズム、響き、文の持つ情感が伝わる。子どもたちの知的好奇心を刺激し、学び続けることで心の中に芯が生まれると信じている。意味は理解できなくても、正しい生活規範とともに、新しい親子の絆が芽生えるのではないかと期待している。

一年生から六年生までともに学べる工夫

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「竹の子学園」には知力、体力、判断力に差がある小学一年生から六年生まで在籍し、三つのグループに分けて運営しているが、カリキュラムによってはその差が障害になる。もっとも顕著に出るのが毎月求めている宿題の感想文と、年に一回実施する運動会。子どもの能力や家庭の事情にもよるが、一年生の中にはひらがなをマスターしていない子ども珍しくない。原則として400字詰め原稿用紙のます目を埋めるよう求めているが、それはもともと無理な話だ。

思案したあげく、第7期から宿題に絵を併用することにした。これが大当たり。作文と違って感性の表現だから、年齢差を超えて見事な作品が相次いで誕生した。際立ったのは「将来の夢」。こどもたちの未来は無限の広がりを見せる。毎月、写真集と共に編集して配布するが、その成長のプロセスは驚くばかりだ。すべての子どもが天才に化ける。

運動会も工夫を要する。チーム競技だから全体にはバランスが取れるが、一人一人で考えると不公平だ。かけっこでは一年生は六年生に勝てない。中には傷つく子どももいる。リレー競技では学年ごとに、距離を調節してバランスを取った。親子が力を合わせる風船運びや借り物競争では、学年差が感じられなかった。段ボールを貼り合わせたキャピタラを走らせる競技は、体力のみではなく知恵も競い合った。一年生が六年生を抑えて一位になった。もっとも歓声が挙がったのは飛び入りプログラムの「世話役チーム」と「ママさんチーム」の綱引き競争。男だと威張っていても平均年齢75歳は、30~40歳代のママには勝てない。来年こそはと意気込むが、果たしてリベンジが可能なのか。

10月塾は稲刈りを中心とした収穫作業が待っている。芋掘りもある。11月の卆塾式で第8期は終了する。第9期の募集をしているが、後継者の現れないいま、いつまで続けられるか悩みは尽きない。貴重な子育ての舞台をこのまま荒れさせたくはないが、現実は甘くない。せめて10周年は迎えたい。

泥縄政策に翻弄される子育て家庭

かつて小泉純一郎さんは首相時代に「公約が守れなくても大したことではない」と放言して問題になったが、そのときは独特の笑顔で後始末をした。しかし、いまは違う。「マニフェストが守れなくても…」などと言おうものなら、内閣は いっぺんに吹っ飛ぶ。

 「竹の子学園」は経費の負担が家族単位だから、子沢山でも容易に参加できる。3人の子どもと参加している保護者に、「子ども手当て」が子育てに役立っているかどうか聞いた。「公約どおり二万六千円なら家計の足しにはなるが、半額の一万三千円では収入減になる」という回答。「子ども手当てが子育てに役立つ実感はない。せいぜい家計の赤字補填程度だね」。社会全体が子育てに責任を持つという基盤政策を柱にした民主党としては泣き出したいほどの国民の声だろう。

 子ども手当てが満額支給されれば、四兆八千億円の防衛費を超える五兆五千億円もの巨費が投じられる。目的が明確であれば支持もされようが、生活支援なのか、出生率の低下を抑えるのか、子育ての社会化なのか、目的すら吟味されることなくマニフェストが消えようとしている。「方向は間違っていないが、財源問題で見通しが甘かった。不十分な点があればお詫びしたい」と、菅直人前首相は陳謝というより開き直りを見せた。

 民主党は「児童手当改正法案」を用意し、子ども手当ては実質的に廃止される。必ずしも、子どもの養育費に使われる保証がない手当ての廃止にブーイングは少ない。不公平感を持っていた子どものいない家庭は、むしろ大賛成だろう。それよりも五兆円ものお金を法人税、所得税の減税に振り向ければ、子ども手当てよりはるかに家計の健全化に貢献できるし、企業も働く人も明るくなる。

 竹の子学園の参加費は年間三万円。学園の運営に公費助成の申し出があったが、丁重に遠慮した。どうせなら学園で学んでいる家庭に参加費を助成してくれたほうが、子育ての社会化に貢献できる。最少の費用で最大の効果が得られるはずだ。