親子農業体験塾『志路・竹の子学園物語』

③喜びと幸せの二重奏

五千坪を超える夢の舞台が整う

平成22(2010)年4月4日、微風快晴の過疎集落で、第7期の入塾式を迎えた。第一期の入塾式は奇しくも、平成16(2004)年4月4日だった。「喜びと幸せの二重奏」と語呂合わせし、不安いっぱいのスタートながらも、縁起を担いで志気をむりやり高揚させた日を思い出す。
今期の塾生は28名、参加資格は幼稚園年長組から小学校6年生まで。
保護者や家族を加えた登録者は100名を超えた。

4月から11月までの8ヵ月間、賑やかな自然体験、農業体験が過疎集落を舞台に繰り広げられる。
塾生親子は自己紹介のとき、頬を寄せて抱きしめ合うのがきまり。
自然であるべきこの仕草が、実は意外に難しい。
日々の暮らしで習慣がないからか、どうしても照れる。

壇上に立った最初の母親は、慣れないせいかささやかな抵抗をした。
塾生たちは待ち望んでいたかのように、全身に幸せいっぱいの表情を見せる。
温かい拍手と爽やかな笑い声が満ち溢れ、初対面の垣根を取り除く。
記念イベントは「心に響く小さな五つの物語」(致知出版社刊)から、イチロー選手の「夢を実現する」をボランティアが朗読。
子どもらの学力低下を、行政や学校の責任として批判することはたやすい。

だが、それだけでは一市民としての責任は免れない。
文句の言いっ放しだけでは、無責任極まる。
資格のない人間が教壇に立って、子どもらを教え育てることはできない。
無論、他人様の家庭に入り、子育てにあれこれ口を挟むことは許されまい。
残された手段は地域社会の一員として、できる役割を見つけることだ。
「年甲斐もなく」と思われないでもなかったが、教育行政に異を唱えた後始末はしなければならない。

ビジネス現場から退いた高齢者の一念発起が、親子農業体験塾『志路・竹の子学園』創設への夢を駆り立てた。

「心のよりどころが消える

当初、600坪余りの田畑で始めたささやかな体験塾だが、7年目を迎え自然公園、遊歩道、竹林、研修棟など舞台が整ってきた。
面積5000坪。自主自立を標榜し、やせ我慢しているが、その維持管理は並大抵ではない。
行政の助成金は受けない、必要軽費は塾生家族の参加費でまかなう、労力は高齢者の世話役10名の無償提供が原則だから、ふるさと再生に対する強い志がないと支えきれない。

ところが、世話役の心のよりどころの一つになっている小学校の廃校が、現実になってきた。
行政による地元説明会の開催である。
小学校の創設は古く、明治6(1873)年に誕生し、137年の歴史を誇る。
戦後の昭和30年代は児童数500名を超えていたが、現在はわずか11名。

役場や農協が消え、中学校が統合されて50年を超える。
「たくさんの児童と一緒に学んで競争力をつけ、子どもらの未来を開いてほしい」という説明が理解できなくもない。
市町村合併と時期を同じくして、学校の統廃合は加速しはじめた。集落に暮らす人たちの、最後の砦であった小学校が消える。
漂う喪失感は止まるところを知らない。運動会も、盆踊りも、伝統神楽も活動の拠点は、すべて小学校だった。

説明会で古老の一人がつぶやいた。

「町の小学校を田舎へ統合したらええ。
そうすれば過疎問題も一挙に解決じゃ。
合宿制度にすればまっとうな教育ができる」
だれも相手にしなかったが、価値ある意見ではないか。

4年前の国土交通省の調査によると、広島県の過疎集落は3384。
そのうち生活機能を持たない10戸未満の集落は708を数える。
集落が一つずつ消えることで、日本の国土は崩壊し形を失う。
荒唐無稽な提言のようだが、規模や効率性を優先する政治の舵取りを、国土維持に大きく切り替えれば、夢物語にはならない。

求められる新たなステージ

japanist_003

農村に都会の小学校を誘致するほどの劇的な効果はないが、親子農業体験塾は過疎地の活性化にささやかな貢献をしている。
1ヵ月に一度ではあるが、人口が4倍にも膨れ上がる。
三世代の集い、都市と農村の交流による賑わいも創出するが、それだけではない。
かつては田植えや稲刈りの農作業で助け合う光景もあったが、増えた休耕田や人口減でみんなが顔を合わせる機会も滅多にない。
塾の世話役を担って、再び出合いがよみがえった。

さらに労力の無償提供が、高齢者の生き甲斐と健康をプレゼントする。
損か得かの打算を超越した、新しい世界が見えた。
子ども手当てなどの愚策に続いて、農家へのばらまきを国は決めている。
農業経営に対して一時的な麻薬の役割を果たずだろうが、小規模農家には無縁である。
くだらない補助金よりも、高齢者の生き甲斐を創出する新しいステージが求められている。
団塊の世代は農業や自然に魅力を持ち、国も多額の費用を投じて学習の機会を与えている。

しかし、彼らの大半は習得した技術などを、農業の活性化やふるさと再生には生かしていない。
己の余生を楽しく過ごすための、趣味・道楽の範囲を超えることはない。せっかくの能力を世のために使えないでいる。

しかし、「金持ち」「知恵持ち」「時間持ち」の彼らが、スポットライトを浴びるステージを用意したらどうだろうか。
「己のためから人のため」への、新たな役割を演じてくれるような気がする。そう信じたい。
ふるさとの自然にこだまする塾生ちの歓声を耳にすると、消える小学校の代役は務まらないが、このステージは失えないとひそかに覚悟。

さらに団塊の世代が演じる舞台づくりの必要性を、痛切に感じている。
可愛い子らを抱き上げながら、夢は無限に広がっていく。まだまだ老いられない。