親子農業体験塾『志路・竹の子学園物語』

②春を待つ自然の舞台

春を待つ自然の舞台

復活した「とんど祭り」には、「竹の子学園」の塾生25名に保護者など、合わせて63名が参加した。
世話役をはじめ集落の高齢者も多数集い、50年ぶりの賑わいだと顔をほころばせた。
新とんど祭りの特徴は、「合格祈願」の書き初めが増えたこととすぺての塾生が自分の作品に願いを込めて天へ届けたことである。
ただし、良い風習の復活を願う思いは聞き届けられたが、門松や七五三縄の姿はなかった。
来年の宿題として心にとどめ、「竹の子学園」の新カリキュラムに加えたい。

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第7期・竹の子学園のスタートを前にして、集落の世話役たちとカリキュラムの詰めを行った。
自然が相手だけに念には念を入れなければならない。手抜きをすると強烈なしっぺ返しがある。
4月から11月までの8ヶ月間、米や16種類におよぶ野菜を栽培する計画を検討した。
植え付けも大切だが、収穫計画は塾生親子の喜びを倍増させる。
新たにつけ加えられたのは、収穫した野菜などを家庭で生かす習慣である。せめて漬物くらいは自家製を、と願い、若い親と塾生らに伝統の秘技を伝えたい。
また、工作教室に竹細工を加え、刃物を使う大切さも教える。
子どもらの農業体験に田植え、稲刈り、芋掘りなどが目立つが、お仕着せのイベントは単なるレクリエーションでしかない。
植え付けから収穫までの成長過程をつぶさに観察しながら、親子で取り組んでこそ教育になる。自然の中でも体験はさらに厳しく、害獣、蝮、蜂などからの被害も想定しなければならない。
また、塾生らに自然の素晴らしきを満喫させるには、それなりの舞台装置が欠かせない。準備に時間と費用は必要だが、行政の補助金では味わえない達成感が得られる。

幸いに今年は桜の開花が早い。ふるさとの自然が大手を広げて若い親子を待っている。

自立する人たち

2月11日の「建国記念の日」に、『よい国つくろう! 日本志民会議』全国キャラバンの2回目に当たるフォーラムが広島で開催され、600名を超える志民の熱気が会場を覆った。
その中で、「ふるさとを再生する」志民活動をしている竹下員さん(79)は、7年間続けている親子農業体験塾『志路・竹の子学園』の活動を紹介した。
竹下さんは親子農業体験塾を地域で支える「つくしクラブ」の代表である。
フォーラムにゲストスピーカーとして参加した中田宏氏(前横浜市長)は、その時の感動を公式ブログ上で次のように伝えている。
「私はお話を聞いてとても嬉しく、かつ勇気を得る思いでした。大丈夫!日本は。こういう人たちがいるうちは、と、再認識できたのです。
彼らに共通しているのは、既に定年退職していること、行政からの補助金を受けていないことです。皆さんほそれぞれの創意工夫で資金を集め、自分たちで汗水を流して地域のために頑張っているのです。
その人たちの活動は補助金の対象事業にもかかわらず、あえて受け取らない。
補助金は天から降ってくるものではなく、自分たちが納めた税金、これからの世代が納める税金を原資にしていることを知っているからです。
行政に頼らず、自力で地域を再生しているからこそ胸が張れるのではないか。
あの清々しい笑顔を思い出しながら、自分たちでできることは自分たちでやる!そこにある大きな喜びを多くの人に気づいてほしいと思いました。
広島で発表された4人の活動報告は、そのことを雄弁に物語っていました」。
補助金は一種の麻薬のようなもので、一旦味を知ると足腰まで萎えさせてしまう。戦後の農業政策が物語っている。地域の再生には自主・自立人の存在が不可欠である。

とんど祭り復活

2010年1月10日、気温2度の寒気を感じさせるいとまもなく、オレンジ色の炎が鉛色の冬空を焦がしていた。
高齢化が進んだ過疎集落に久しく途絶えていた思い出の「とんど祭り」の復活である。
「とんど」の竹櫓を囲んだ子どもたちの黄色い歓声が、谷間にこだました。協力してくれた集落の人口は、15世帯で28名に過ぎない。高齢者の割合は8割を超える。児童・生徒は1人もいない
児童手当ても高校の授業料無料化も頭上を通り過ぎ、政治の光は届かない。愚かなばらまき政策は、ささやかな高齢者の年金さえも天引きで掠め取っていく。
どんど祭りは、河原や空地などで行われる火祭りの一種で、正月の神が御座(山)に帰る行事と考えられています。

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「とんど祭り」の起源は不明だが、古文書や伝承によると正応2年(1289)年には神事として執り行われていたようだ。
昭和20年の太平洋戦争末期にふるさとへ疎開したが、当時は集落の人が総出で準備をしていた。
竹を切って集め、やぐら風に組み立てる。集落の長(おさ)が最初に火をつけ、門松、七五三縄、お札なども一緒に燃やす。
炎は一気に燃え立がって火の粉が舞い、竹の弾ける音があたりにこだまする。子どもたちは逃げ惑いながらも、歓声を上げ、どよめく。
炎の盛りに「書き初め」を細い竹の先につけ、てっぺんにかざすと気流に乗って一気に天を目指す。
空に吸い込まれると、字が上達すると古老たちは伝えていた。
やがて火が地面に降りてくると、先を割った竹に鏡餅を挟んでじっくりと焼く。
真っ黒に焦げたお餅は無病息災の良薬と伝えられ、欠食児童のようにてんでに頬張った。
かつて、粉雪が舞う時もあったが、大家族の三世代が楽しんだ日が懐かしい。
今ではとんどに欠かせない門松、七五三縄、書初めなど、滅多にお目にかかれなくなった。だが、古くから伝えられていた、ふるさとの良き風習は、鮮やかによみがえった。