日々の暮らしを見つめ直す6 最後まで使いきる
最後まで使いきる
きれいになったバス停
毎朝始業前に歩道やバス停などの清掃をしていますが、10年前を考えると夢のようにきれいになりました。
何よりもアルミ缶やペットボトルの放置が、ほぼゼロになったこと―驚くべき事実です。手を焼いていた家庭の生ゴミも、滅多にお目にかかれなくなりました。こうなるとやりがいが一層増え、元気が出ます。
現在担当している場所は「上岩の上(ハイライフ)」停留所の下り線です。2名で清掃していますが、私は自転車置場や通路付近を済ませ、移動します。
陸橋を渡り、落合東小学校まで子供たちに「おはようございます」とあいさつしながら、歩道のゴミを拾って会社まで戻るのが日課になっています。
気になる放置自転車
清掃のついでに自転車を揃えていますが(バイクは重いのでそのままま)、気になるのは長い間放置されている自転車です。新品同様の自転車、ちょっと手を加えれば乗れる自転車、廃物化した自転車などさまざま。
捨てられているように見えますが、これらの自転車はれっきとした個人の所有物なのです。どんなに邪魔になっても、私たちが勝手に処分できません。
といって、行政の担当者が何とかしてくれるのか―といえば、実は簡単ではありません。放棄されているとはいえ、個人の所有物を処理するには、それなりの手続きが必要です。
ある調査によると1台の処分費が13000円必要です。日本全国では650万台、何と845億円もの税金が使われるのです。
もったいない
「もったいない」の表側は、物的損失を惜しむ心です。その裏側では、「努力」や「苦労」、それに「時間」や「歴史」など、せっかく積み重ねてきたことを「失ってしまう」「無しにしてしまう」ことへの無念と悲しみがあるのです。
日本は資源の少ない貧しい国なのに、ものが溢れ過ぎて豊かな国と錯覚しているのではないでしょうか。
食料自給率が40%のわが国では、何らかの事情で輸入がストップすると、たちまち飢餓の国になってしまうのです。怖いですね。
一例を上げれば、買い替えの携帯電話が1年間に約5000万台、テレビが355万台、冷蔵庫が265万台、使えるのに廃棄され、税金で回収されています。もし、修理しながら使いきったとしたら、日本はとてつもなく豊かな国に変貌します。
浪費でものを失いながら、大切な日本人の心まで捨てているように思います。