日々の暮らしを見つめ直す8 はじける笑顔で朝のスタート
はじける笑顔で朝のスタート
笑顔いっぱいの国
貧しい国の代名詞代わりに使われるバングラデシュ国を、ご縁があって何度か訪問しています。
その都度、感じることはアッサラーム・アライクム(おはよう)、ドンノパッド(ありがとう)の言葉の多さです。しかも弾けるような笑顔が付いてきます。
外国人の私たちにも、百年の知己のように明るいあいさつが飛んできます。多少の警戒心など、その一言で胡散霧消してしまいます。
この国では「あいさつすること」 「助け合うこと」 「分かち合うこと」が、生きていく上で最小限の条件なのです。
貧しいからこそ、本来人間が持っている善なる習慣が存分に発揮されるのでしょうね。滞在中、ずっとうらやましく思いました
豊かさで心を失う
最近の日本では路上で物乞いする人、まして飢え死にする人なんていませんね。どんなに不景気でも、おいしいものを食べて食ペ残しをして生ゴミを増やし続けています。
でも、分かち合ったり、助け合りたり、笑顔であいさつを交わす光景は滅多に見なくなりました。溢れるモノを得た代わりに、豊かな心をどこかへ捨て去ったように思います。
毎朝、バス停などの掃除をする時、大人や子供すペての人に、大きな声で「おはようごぎいます」と声を掛けています。だが、子供はともかくとして、まるで目や耳が不自由なように無視する大人の多いことか。
どんなに上等な衣服を着て外見は立派でも、心の貧しさが透いて見え、寂しくなってしまいます。
■子供たちを範とする
バス停の清掃の後、ハイライフの陸橋を渡って、落合東小学校までゴミを拾いながら往復します。登校する子供たちからは、遠くから元気一杯の「おはようございます」が届き元気をプレゼントされます。まさに救われる思いです。
あいさつを返してもらえない大人を批判しているのではありません。あいさつをしなくても生きていける今の社会の有り様が悲しいのです。
仕事に疲れた夕方はともかくとして、せめて、朝一番くらいは弾ける笑顔でスタートしたいですね。
まるで路傍の石のような無感動、無表情の人たちのバス停の行列を見ると、日本社会の冷たさを象徴しているようで辛いです。せめて子供たちの元気さを見習ってほしいですね。
■賑やかなパス停に
おたがいに小さな町で暮らすもの同士、声を掛け合い笑顔で楽しいバス停の光景を演出してください。きっと仕事もうまくいくと思いますよ。アッサラーム・アライクム、ドンノパッドが溢れる朝にしましょう。