超高齢化社会の「生きがい」チャレンジ

⑨中国山脈横断百キロウォーク大会に五回目の参加~完歩するまで諦めない 「喜寿」の無謀なチャレンジ~

⑨中国山脈横断百キロウォーク大会に五回目の参加        ~完歩するまで諦めない「喜寿」の無謀なチャレンジ~

 

思いがけない悔しい挫折

 

 平成二十七年六月十三日、「中国山脈横断百キロウォーク」に五回目の挑戦をしたが、見事に失敗した。新年早々に肺炎で入院し、妻の勧めに従って体を労わることを優先した結果と、四年も続けていた毎日一万歩のウォークをほぼ二ヶ月休んだ。トレーニング不足に一抹の不安はあったが、これほどまでに体力が落ちているとは予想だにしなかった。スタートして休まず二時間、厳しい日差しの下で歩き続けることが出来た。

 ここで妻に経過報告。「日差しは厳しいが体調はいい」。その直後、腿の裏が痙攣した。これまで四回も挑戦しているが、足の痙攣は経験がない。足の裏が破れても痛みを我慢すれば歩ける。しかし、足が攣っては歩けない。歩幅を狭くしてゆっくり歩きながら回復を待つのだが、それも間隔が短くなる。結局、立ち止まることになる。

 太股の痙攣は回復せず、脹ら脛、足首へも連鎖した。立ち止まっては終わりだがこれでは歩けない。わずか十四キロでリタイヤを決意。断腸の思いである。大抵の痛みは克服できるが、肝心の足が動かなくては諦めるしかない。昨年の七十三キロよりはるかに大きなダメージを体験した。あらためてトレーニングの大切さを実感。すべて己の責任だ。

 口では今年はダメだと弱気を言いながら、無謀にも完歩すると自分に言い聞かせていた。夜間の灯具、深夜の寒さをしのぐジャンパー、ゴール前の身だしなみの着替えなど、準備がすべて無駄になった。トレーニングはどんなに無理をしても休んではならない。直前の肉体疲労や睡眠不足は言い訳にもならない。挫折は無念の一語。これを機会に諦めろと妻は言う。分かったと返事。しかし、内心でまだまだと思っている。

 

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人生の楽しみは目標を持つこと、挑戦し続けること

 

 平成二十三年六月十一日、後期高齢者の仲間入り記念に初体験の百キロウォークに参加する。コースは広島県安芸太田町から島根県益田市までの中国山脈横断百キロ。恒例の清掃活動を終えてスタート地点に向かった。強い雨が降っているが、暑い太陽を浴びるよりは楽チン。雨、大歓迎だ。帽子、シャツ、スパッツ、靴下、リュック、杖など、ことごとく新品。アメ、ガム、スポーツ飲料もリュックに入れた。財布、携帯、カメラ、筆記用具、メモも忘れない。

 スタート地点に近づくに従って興奮度は高くなる。ゲート入り直前の競走馬のよう。多くの人から年齢を考えろと忠告され、トレーニングの経過を知る友から賞賛を浴びた。百キロ完歩の体力は望むべくもないが、せめて第一チェックポイント(18㌔)の「いこいの村」まではたどりつきたい。

 百キロウォーク大会の主催者は尊敬する小河二郎さん(Мランド会長)。小河さんの挑発に乗って無謀にも参加を決めた。胃がんで全摘出手術をした後期高齢者には過酷な体験だが、一度目標を掲げたら挑戦してこそ人生だ。途中、小河会長に一キロほど介添えウォークがあり元気を貰った。八十八歳と七十五歳のペアウォークは見る人にどのように映ったろうか。何とか目標の第一チェックポイントに到着し、満足のリタイアとなった。トレーニング次第ではまだまだいける。身体は極度の疲労でへたっていたが、青空を仰ぎながら「来年こそやってやる」。傲慢にも決意した。

 

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喜寿記念に完歩を目指す

 

 百キロウォークのチャレンジ一回目は十八キロのチェックポイントで満足のリタイヤ。二回目の翌二十四年は島根県境を超えて三十八キロのチェックポイントまで届いた。三回目の挑戦では更にその距離を五十キロまで伸ばした。参加を決めてから生活のリズムを変えた。片道わずか二キロだが徒歩通勤を始めた。一日一万歩以上歩くことも決めた。虚仮の一念というが、驚くなかれ千百二十日も休まず歩き続けた。キロ数に換算して九千四百四十万キロも歩いた計算になる。新幹線の東京⇒鹿児島中央間を三往復した計算になる。

 七百万歩を超えたあたりから微妙に肉体のあちこちに変化が見え始めた。腓が固く大きくなった。無駄な脂肪がなくなった。後期高齢者には筋肉は付かないと言われるが、決してそんなことはない。歩幅も八十センチを超えた。平成二十六年は喜寿を迎える。喜寿記念に百キロを完歩しようと決意した。その思いを秘めておけば良かったのだが、不遜にも自慢たらしく公言してしまった。畏友から百通を超える激励のメッセージが届いた。こうなっては引っ込みがつかない。「スーパーじいじい」という異名までいただいた。

 これまでの失敗に懲りて友人にサポートをお願いした。整体師さんにお願いして五十キロ付近に待機してもらった。ドキュメント用の撮影も準備。ゼッケンは一番。最高齢者として選手宣誓の栄誉までいただいた。主催者の小河会長に右手を高々と上げて「ゴールで待っていてください」と宣言した。

 

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人間は今が一番若い 諦めてなるものか

 

「百キロは必ず歩ける。自分自身でそう思えば必ず叶う。歩けないは己の固定概念や枠組みが邪魔をしている。限界は自分自身で幾らでも変えることが出来、また変わるものである。まずは百キロを完歩し、自分自身に限界などないことに驚いて欲しい」。主催者であるМランドのオーナー小河二郎さんは、参加者に熱く語りかけた。

 自然(しぜん)の懐に抱かれて五感を超えた感覚で自然(じねん)を感じ取り、一体となる感覚を知る。そのために自からの足で力の限り時空を超えてひたすら歩く。そして自然(じねん)と一体になる。それが中国山脈横断百キロウォークである。この語り掛けに納得。そのためには「譲る心」「あいさつ」「笑顔」は欠かせない。単に歩くだけではいけない。一緒に歩く人、道端で声援を送る人、行き交うドライバー、全ての人に元気を与える振る舞いが求められる。

 四回目は七十三キロ、十九時間歩いて夜明けにリタイアした。五回目はわずか十四キロでストップ。しかしまだ終わった訳ではない。己の力には限界はない。これからが本番である。「喜寿記念完歩」は失敗したが、諦めない限り終わりは無い。妻には申し訳ないが、次は「傘寿記念完歩」を目指したい。次には「米寿」があり「卒寿」も待っている。