続・世相藪睨み

No.1 ~過疎地の活性化に生かしたい「土嚢ハウス」プロジェクト~

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『ゆとり教育』の反省に危惧

この程、中央教育審議会は『ゆとり教育』の行き詰まりについて「理念は間違っていないが、やり方に問題があった」と反省の弁を述べた。

 現行の指導要領は、「生きる力」の涵養(かんよう)を理念としている。自ら学び、主体的に判断し、問題を解決する能力、豊かな人間性などを指す言葉だという。中教審は「生きる力は知識基盤社会の中で、ますます重要になっている」として、理念を引き継ぐ。

 しかし「詰め込み」から「ゆとり」へ、さらに「脱ゆとり」転換に危惧を感じる。「ゆとり」と決別する一方で、「生きる力」を継承するという曖昧な折衷案は、教育現場を混乱させ、今後に問題を残す。「学力」と「生きる力」はどちらが大事か…ではなく、どちらも大切なのである。「読み、書き、そろばん、話す」を徹底して詰め込みながら、「自ら学び取る能力、社会規範を守る意識、民主主義のルール」を学校教育、家庭教育、地域の協力で学ばせる重要性は変わらない。

 小学校五、六年では英語授業がスタートするが、正しい日本語の習得が先ではないか。英語を不要とは言わないが、子供たちには効果以上の負担感が生まれそうだ。日本語の乱れは、「生きる力」を涵養する理念の足を引っ張っている。

青空に吸い込まれた200個の風船

平成19年11月4日、雲一つない秋晴れの下で、第四期『親子農業体験塾・志路竹の子学園』の卒塾式を開いた。過疎集落の自然を舞台に、22名の塾生と保護者、それに支援する地域の高齢者たちが、至る所で感動的なシーンを繰り広げた。

 平成14年の「詰め込み教育」から『ゆとり教育』への大転換を機に、「生きる力」を養うには、自然体験、農業体験は欠かせない- と地域の有志と共にスタートした活動である。

 5000坪の大舞台は、子供らの自由な発想力や好奇心を育ててくれた。月に一度の開塾であるが、都会の混雑や規制の中で戸惑いながら暮らしている親子には、穏やかな自然に包まれた環境が、心の縛りを解き放つ良い機会であったに違いない。

 学園では稲をはじめ、16種類の野菜を栽培している。その生育過程を体験しながら、自然の偉大さや恵みを知り、同時に台風や洪水、それに猛暑、冷害の恐さを学び取ったと思う。机の上では教えられないことばかりだが「生きる力」は養える。

 過疎の集落で暮らす心温かい高齢者たちとの出会いは、索漠(さくばく)とした都会では味わえない得難い体験だろう。

 お別れセレモニーを締め括ったのは、完成したばかりの「土嚢(どのう)ハウス」のドーム天井から舞い上がった色とりどりの200の風船。子供たちの未来を予感させるかのように、鮮やかな青空に吸い込まれていった。

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銀色に輝く「土裏ハウス」は、意外にも自然の舞台に溶け込んでいる。

「土嚢ハウス・ヴィレッジ」構想

 今年の8月、広島大学の町田宗鳳(まちだそうほう)教授(大学院総合科学研究科)から、暑さを吹き飛ばすような爽やかなメッセージがFAXで届いた。

 <鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者>からご紹介いただいた。現在、本学の大学院生たちと「土嚢ハウス・プロジェクト」を企画している。親子農業体験塾「竹の子学園」の活動に生かせないか(要約)…>

 著名な学者にありがちな尊大さは見られず、謙虚で丁重なご提案に感動し、広島大学を訪問した。

 アフガニスタン難民救済に力を入れてきた天理大学のキャンパスには、研修用に7棟の土嚢ハウスが建立され、現存している。他に滋賀県の琵琶湖畔、兵庫県の丘陵にも1棟ずつ姿を見せている。これらの写真や資料を拝見しながら、町田教授のプロジェクトに対する熱い思いを拝聴した。土嚢ハウスとしては日本で4番目だが、ヴィレッジ(村)の構想では初の試みとなる。「竹の子学園」としては嬉しいご提案で、全面的なご協力をその場で申し出た。

 10月26日から3日間、集落の協力者、学生やボランティア、それに見学にきた「竹の子学園」の塾生親子まで汗を流して、直径3m、高さ約5mの土嚢ハウスが完成した。

 急いで着手したのは、設計者で工事指導を担当する渡辺菊真(わたなべきくま)さん(渡辺豊和建築工房代表)が、年末から2年間、「土嚢ハウス」作りの指導にヨルダンヘ出張されるからだ。

設計・施工指導の建築家・
渡辺菊真さん(奈良市在住)
渡辺菊真さん
町田宗鳳・広島大学教授
土嚢の突き固めに汗を流す
プロジェクトリーダーの
町田宗鳳・広島大学教授

都市と農村の交流拠点作り

 プロジェクトの目的、問題意識、思想的背景、構造、機能、全体図については稿を改めてご紹介したい。

 今のところ試作棟を1棟完成したところだが、第5期「竹の子学園」のカリキュラムに導入の予定。

 できれば5年程度で、町田教授の企画に沿って「土嚢ハウス・ヴィレッジ」のメインハウス、サブハウスなど、合わせて5棟を建立し、小さな村を構成したいと願っている。

 急速に進む過疎集落の活性化、高齢者の生きがい、子供らの豊かな人格形成-- を目指す「竹の子学園」の理念、3つの目的達成には最適のプロジェクトになる予感がする。

 加えて新しく多彩な機能を持った都市と農村の交流拠点が誕生し、子供や若者だけではなく、高齢者も含めて生きがい創生の場になり得る。

 わが国は世界で最も平和な国であるが、その一方で家庭や教育の荒廃、精神の疾患や自殺の増加など、人間の心に由来する問題が生まれ、悲しむべき社会現象が増えている。

 多くの識者たちはこれらの諸問題を批判・論評することがあっても、その状況を改善するための行動を起こすことは稀である。

 親子農業体験塾『志路・竹の子学園』の活動を中核とし、新たに『土嚢ハウス・ヴィレッジ』のプロジェクトを加えて、過疎地の活性化に向けて意義ある活動を展開したい。

No.2 ~補助金政策では救えない増え続ける<限界集落>~

chotto seso_00 補助金政策では救えない増え続ける<限界集落>

選挙対策で決まる農政の愚劣

 政府は補助金の対象となる農家の認定条件を緩和する農業政策の見直しを発表した。1000億円程度の2007年度補正予算への計上を目指している。参院選での惨敗を踏まえての選挙対策である。

 現在は4ヘクタール以上(北海道は10ヘクタール以上)の大規模農家が補助金の対象だが、今後は市町村の判断で小規模農家へも交付できる。緩和するといってもその条件は現実に合致しない。

 一例をあげると生産調整への協力を条件に、集落で営農組織をつくり補助金を受け取る場合の面積基準も弾力化。従来は5年以内に組織を法人化する義務があったが、その期限も柔軟に対応する。

 政府は金さえ出せば農業がよみがえると錯覚しているのかも知れないが、いくら金を積んでも肝心の人がいない。20ヘクタール以上の営農組織なんて、少なくとも補助金の対象になる集落は広島県には一カ所もない。

 コメの生産調整を着実に実施するため、食用米の減反に協力し、飼料米などに転作する農家へは新しい補助金制度も設けるらしい。コメの消費が減退し政府の倉庫には古米が積み上げられているというから、食用米の生産を減らせるというのだ。

 しかし、ちょっと待った。日本の農業は米作りを中心に営まれ、独自の文化を継承してきた歴史をお忘れではないか。要らないからと米作りを放棄したら、問題の(限界集落)などはあっという間に消えてしまうのではなかろうか。

 お題目は並べるけれども、選挙対策の補助金は大規模で生産性の高い農家に集中し、その施策は中山間地域の小さな集落には及ばない。

 

救いようがない限界集落

 <限界集落>に明確な定義はないが、齢化や世帯減少により、冠婚葬祭や生活道路、農地の共同管理などが難しい集落を指す。

 国土交通省の調べによると、中国地方の限界集落数(住民の半数以上が65歳以上)は、全国トップの2270カ所で、全集落数の2割を超える。そのうち中山間地域を中心に425カ所が、今後10年間に消滅すると予測されている。

 補助金を出せば過疎地が活性化するのなら、今の農政で何とかなるかもしれない。農水族を自負している自民党など与党の先生方は、雑草が生い茂った耕作放 棄地や山林化した集落を自分の目で見たことがないらしい。だから、補助金を増やすことで農業政策の見直し…などと能天気なことを平気で言う。

 民主党の農業政策にも期待したが、「個別所得保証制度」の創設、「森林・林業に対する自立支援を拡充」し、100万人の雇用を目指す…などと自民党の上を行く極上の能天気。

 限界集落には農産物の価格を補ってもらうモノもないし、雇用機会を創出されても働ける人はいない。

 過去35年間、国と地方自治体が過疎対策に投入した事業費は、交通網や社会福祉施設の整備など総額76兆円に上る。そのすべてが選挙対策や対症療法的なハードに集中。過疎の現状を見れば、すべてが無駄な投資であったことがよく分かる。

 時代の変化と一言で片づけられるが、先が見通せない政治の貧困、自己中心主義の政治家の無能を写す鏡となっており、笑うにも笑えない。

「竹の子学園・ハッピーハウス」の周辺整備計画・詳細設計図「竹の子学園・ハッピーハウス」の周辺整備計画・詳細設計図

「ハッピーハウス」周辺工事完成後の東側立面図(2008/10竣工予定)「ハッピーハウス」周辺工事完成後の東側立面図(2008/10竣工予定)

いい加減に目を覚ましてほしい

 道路特定財源は、表向き余剰金は一般財源に向けるというが、国と地方の格差是正が必要だとして、無駄な道路予算の分捕り合戦が激しい。

 少なくとも過疎地には車の走らない道路は不要だし、使わない公共施設は維持管理の負担が大きい。おそらく住民は望んでいない。道路が必要なのは、既得権益を守りたい政治家らと大手の業界だけではないか。

 たしかに利便性は良くなるだろうが、それでは格差は埋まらないし、農村は都会に追い付けない。地域の担い手も戻ってはこない。ぼつぼつ幻想から目を覚ましてほしい。

 消えゆく限界集落の現状を受け入れる、格差是正は不可能だと認める。そこから過疎の対策に何が必要かを、切り口を変えて検討したいものだ。

 広島県の試算では、農業・農村の多面的機能を年間1500億円と推計。洪水防止、保健休養・やすらぎ、水資源涵養など。そのうち中山間地域が44%を担っていると評価している。山林も加えれば更に膨大。

 荒っぽい言い方だが、豊かな都会の暮らしは農山村の恩恵によって保たれているといって過言ではない。

 もはや補助金などというケチな税金の使い方ではなく、里山の保全や廃校など休眠中の公共物の再活用などに積極的な投資をすべき。さらに過疎に暮らす高齢者の生き甲斐や、都市と農村の交流ネットワークなどのソフト対策に総力を上げたい。

 残念ながら政治家に期待するのは無理のようだから、心ある市民らの知恵に頼るのが近道に思える。

新しい展開の<土嚢ハウス>群

 ビジネス界・12月号で紹介した過疎地の(土嚢ハウス・プロジェクト)は、刺激的な展開を見せ始めている。中国新聞の社会面の記事がきっかけで、地元テ レビの特集番組が放映され、注目を浴びた。消費者を対象にしたイベントも開かれ、200人を超える都会からの参加者があり賑わった。

 親子農業体験塾『志路・竹の子学園』の活動施設だけに、参加する子供の敦育、お世話をする限界集落で暮らす高齢者の生き甲斐、過疎地の賑わいを創出する活性化対策、その上、都市と農村の交流にも、予想を超えて有効だと実証された。

 政治家のお世話になる補助金などに頼らなくても、過疎集落の活性化は市民の英知で十分に可能である。道路は要らないし、金食い虫の箱物も邪魔だ。経済効果を生まないだろうが、つましく暮らす分には不自由だが、決して不幸ではない。

 <土嚢ハウス>は広島大学教授・町田宗鳳さんに「ハッピーハウス」と命名された。設計者で世界的権威の建築家・渡辺菊真さんは、ハッピーハウス周辺の整備計画の設計図を届けてくださった。さらに充実する。

 渡辺さんは東アフリカで『エコヴィレッジプロジェクト』を立ち上げる計画を「エコヴィレッジ国際会議・TOKYO」で発表された。過疎や貧困緩和の自立支援は、世界的なテーマとの判断からだ。

 政治とは別の切り口で、住民の自主・自立による過疎活性化のモデルを実現したいと願っている。

 「竹の子学園」に、日本初の土嚢ヴィレッジが花咲くのが僕の願いー と渡辺さんの力強いメッセージ。

 東アフリカと「竹の子学園」が同時進行で新しい試みをスタートするなんて、何とも愉快な話ではないか。

No.3 ~中央教育審議会の朝令暮改は日本の未来を危うくする~

chotto seso_00 中央教育審議会の朝令暮改は日本の未来を危うくする

求人難時代の人材確保に苦しむ

 やや停滞感があるとはいえ、大企業では好況が続き史上最高益を出す企業も少なくない。

 団塊世代の大量退職が続く背景もあって、大企業では新しい人材を求めてバブル期以上の青田刈りが顕著になっている。困った現象だ。

 そのあおりを受けているのが零細企業だ。好況の風が届かず新規求人の体力も失いつつあるが、それでも人材がいなければ仕事にならない。

 長期計画による採用が難しい現状だけに、どうしても立ち後れは否めない。大企業では大学三年生に就職内定を出す傾向にある。こうなると零細企業は太刀打ちできない。

 やっとの思いで採用できたとしても、学生の質が予想以上に変わっている事実に驚く。

 ビジネス社会では身に付けた知識を使いこなさなければ、実戦で役に立たない。自分で考え、自分の力で説明できない人間は身の置き所がなくなる。その挙げ句が早期の退職につながると考えられる。

 しかし、よく考えてみれば無理もない。中学、高校、大学と丸暗記や反復学習で身に付ける「知識型」の学力を強いられてきたのだ。
 
 学校の試験内容は定かではないが、繰り返し勉強し丸暗記をした人間が勝利している。一部の教師はこうした詰め込み教育に危惧を抱いていると思うが、「応用力」を中心とした教育を周辺は許さないだろう。

 仕事で役に立たないからといって、彼らを責める訳にはいかない。実社会で通用しない勉強を余儀なくされた若者たちも、矛盾した学校教育の被害者なのである。その若者たちを採用した企業も、また被害者だといって過言ではなかろう。

日本の将来が歪められる

 彼らもやがては日本を担う各界各層の中堅に成長する。明治、大正、昭和の三代にわたって、世界に誇った日本の教育レベルの高さが溶けるのは火を見るより明らかである。

 2006年に実施された経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)で日本は、世界のトップクラスからアジア各国の後塵を拝する教育後進国に転落した。

 その結果、「詰込み教育」の反省から生まれた「ゆとり教育」を掲げた現行学習指導要領の改定審議を中央教育審議会に求めるなど、学力低下批判を拭い去ろうと躍起になった。

 理念の表現としては「ゆとり教育」を残しながらも、具体的方針は明らかに「ゆとり教育」から方向転換した。朝令暮改の教育方針は、わずか6年で再び学校現場を混乱させる。

 授業時間と学力の関係が十分解明されていないのに、小中の主要教科を10%程度増やすことで、再び世界トップの座を取り戻せるのか。はなはだ疑問であり、安直な教育方針の転換に唖然とする。

 今回のOECDの学力テストで問われたのは「読解力」「数学的応用力」「科学的応用力」で、答えを出す力よりも答えを導く過程が重視されている。この部分を理解しなければ、再び誤りを繰り返すことになり、日本の教育は致命傷を受ける。

 学力調査で出された問題を検討してみた。そこには明らかに日本の詰込み教育では、正答できないだろうと納得できる設問が数多くあった。

 実社会に出てから直面する出来事に、手持ちの知識でどのように答えを導き出すかが問われている。日本の高校生らの白紙が多かった事実も残念ながら首肯ける。

嘆いていても始まらない。企業も教育に責任を持つ

 「詰込み教育」や「ゆとり教育」の洗礼を受けた若者たちは、自らの力で生き抜かねばならない実社会に飛び込む。大学などで専門的に学んだ知識が、実社会ではほとんど通用しない現実に戸惑う。

 期待して採用した企業側も、余りにも現実離れした若者たちの応用力のなさに、宇宙人の再来かと驚く。

 ここで問われるのは企業の教育力だ。しかし、大企業ならともかく零細企業には、若者を再教育する能力も時間も費用もない。ないないづくしではあるが、彼らを育てなければ零細企業の明日はない。

 罪のない学生らを責めたとしても問題の解決にはなるまい。企業にはさまざまな考え方の人間が働いているが、何よりも「人材力が企業力」と認識し、若者を育てるという意識と仕組みの構築が急務となる。

 教育学者の森信三先生は 「教育とは流水に文字を書くような果かない業である。だがそれを岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」と教えられた。

 大学は授業料を学生らから徴収し、国家からも多額の助成金を受けているが、企業は生活費も敦育費も利益から捻出しなければならない。一種の投資になる が、回収が保証されない支出である。それを承知で取り組むにはそれなりの覚悟が必要だ。企業の収益力もだが、何よりも教育は当たり前という社風が培われて いなければ成り立たない。

「凡事徹底」で人育て

 数年前より社員の協力を得て人材育成に取り組んでいるが、教える側も教わる側も半端な思いでは続かない。「知識型」の教育にどっぷり浸かった若者たちには驚きだろう。

 研修のうち、座学は年間144時間、しかも一日の仕事を終えてからスタートする。大学の講義に慣れた新入社員はメモ上手で研修報告書をまとめるのは得意だ。だから講義のない研修に戸惑いを隠せない。


人材育成に欠かせない始業1時間前の地域清掃人材育成に欠かせない始業1時間前の地域清掃


トイレ磨きは気付きの宝庫トイレ磨きは気付きの宝庫


 

 課題に対して朗読、そしてQ&Aがすべてだ。考え抜いて答えを導き出せば解放される。慣れれば何でもないが、しばらくは難行苦行の連続だろう。しかし、半年もすると少しは考える人間になれる。

 中には耐えられず逃げ出す若者もいるが、それを恐れていては教育にならない。ゼロになっても手を抜かない覚悟で取り組んでいる。

 実戦研修はさらに厳しい。毎週土曜日は午前5時からJR駅のトイレ磨き、平日は1時間早く出勤して地域清掃と通学路清掃。この研修には終わりがなく、やがて日常活動に変わり、良い習慣が身に付く。

 トイレ磨きや地域清掃で得られるのは、「充実感」「達成感」「連帯感」「爽快感」である。平凡な行いを積み重ねると人間は成長する。

 内閣が変わって《教育再生会議》の熟も冷めたようだが、ねじれ国会で右往左往していると日本は縮む。

 今からでも遅くはない。学校数育も社会に通用する人育てを目指し、国家総動員で取り組んでほしい。

 2008.2

No.4 ~暫定税率存廃問題の議論迷走が、政治のまやかしを明るみに曝す~

chotto seso_00 暫定税率存廃問題の議論迷走が、政治のまやかしを明るみに曝す

道路族議員の顔に注目

 民主党の菅直人代表代行が1月30日のテレビ朝日で発言。「自民党の古賀誠さんとか、二階俊博さんとか見るからに、道路族としてこの利権だけは離さないぞという顔をしている」と痛烈に批判。政治家はさすが表現がうまいと思わず笑ってしまった。その通りだからである。

 二階さんは図星だったのか「明らかに名誉棄損だ。法的措置も考える」と激怒。さらに自民党も「党の代表の顔に泥を塗られた」として菅さんに謝罪と訂正を求めた。党の顔もずいぶん軽くなったものだ。

 菅さんの指摘は的を射ているが、テレビなど公共の電波に乗る表現としてはいささか品性と穏当を欠く。

 自民党の古賀誠選挙対策委員長は、「道路族と言われることを誇りに思っている。どんな批判を受けても結構だ。必要な道路は造り続けていく」と盗人猛々しく開き直った。

 必要な道路というところがミソだが、まさか国家に大切というのではあるまい。己の権益を死守するための、倣慢な意思表示とも思える。

 古賀さんの選挙区である福岡県八女市の山間部に架かる「朧(おぼろ)大橋」は、2002年に90億円の巨費を投じられたが、6年を過ぎた今も行き止まりのまま、集落につながる道路は未完成で放置されている。いくら厚かましい古賀さんでも、国民の為とは強弁できまい。

 ほんの一例だが道路特定財源の無駄遣いは、全国至るところに見受けられる。かつて小泉純一郎内閣時代一」ま、道路特定財源を一般財源化する方針を決めた。だが、なし崩しに時計の針は逆方向に回っている。

問題を矯小化したガソリン国会

 2008年の通常国会を民主党の小沢代表は「ガソリン国会」と銘打ち、道路財源になる暫定税率の延長を阻止すると宣言した。

 道路財源が「既得権益の温床になっている」という民主党の指摘は正しい。それならそれで何故真っ向から、懸案の道路財源問題の根幹で論戦を挑まないのか。「ガソリン国会」などと矯小化するからおかしくなる。

 暫定税率が期限切れになれば、あちこちで多少の混乱が起きようが、悪の根元を正す絶好のチャンスを失っては元も子もない。

 さかのぼれば1952年に決められた道路建設の財源のありかたに始まる。予算は一般財源しかなかったから、道路に配分すべき額を予算編成で割り振って決めていた。

 ところが戦後の復興には、国土の整備を優先し、経済を発展させなければ国民は生きていけなかった。先見の明のある政治家は、鉄道の次は道路だと見事に予見した。

 しかし、当時の道路整備費は200億円。それでは一気に日本全国に道路網を張り巡らせない。

 今や当たり前になっている使用目的を決めた道路特定財源は、のちに首相になる青年代議士・田中角栄さんによる議員立法で決まった。ガソリンにかけていた税金を、すべて道路整備に使うというのである。

 当時は「憲法違反」「予算編成権の侵奪」「財政の原則」など政財界、学界を巻き込んで大論争になったと伝えられている。

 戦後の政治史で毀誉褒貶はあるが田中さんの道路に懸ける情熱は、政治家モデルとして評価できよう。この時の立法は「臨時特別措置法」で、さらにガソリン税を引き上げ「暫定税率」が決まった。

民主党の正論に国民は不信

 この暫定税率のなし崩しが30余年続いて、暫定措置法の存廃どころか、日本を借金王国に陥れた道路建設の仕組みを見直す絶好のチャンスがやってきた。それなのに政権を担うと豪語する民主党の面々はガソリン値下げ国会と矯小化し、内外から批判や嘲笑を浴びている。

 昨年の参院選挙で第一党になった民主党にしか挑めない、国家百年の大系を左右する大論争を期待した。

 だが、民主党代表の小沢一郎さん、幹事長の鳩山由紀夫さん、それに党税制調査会長の藤井裕久さんも、当時、自民党の幹部として、暫定税率の維持には深くかかわっている。

 とりわけ藤井さんは、細川・羽田内閣の大蔵大臣として、また石油危機で税収が落ち込んだ74年、田中内閣の官房長官秘書官として、暫定税率の導入と維持に力を注いだ。

 この辺りに小沢さん、鳩山さん、藤井さんらの弱腰の原因がある。だから国民は圧倒的に暫定税率の廃止を望みながらも、関わった人たちに一度禊をしてもらわないと感情的にも両手を上げて賛成とはいかない。

 何が何でも道路を造れというのは結局、道路族の国会議員、首長とその選挙を支える建設業者、それに道路をほんとうに必要としている一部の国民だけではなかろうか。

無駄遣いのゆとりはない

 今国会に提出されている税制関連法案は、ガソリン税ばかりが注目を浴びている。だから、100を超える租税特別措置の延長や改正が含まれていることに関心が薄い。

 これらには期限が切れれば、実質増税になる項目も少なくはない。一括提案という政府の手練手管は、ガソリン暫定税率を延長したい卑怯なやり方だ。時間が掛かるだろうが、分離しての並行審議が望まれる。

 小泉内閣以来の道路特定財源の一般財源化の目論みは、昨年末に閣議決定された道路整備計画で反古にされた。何と10年間で59兆円もの予算を組んで道路を造り続けるという。「日本が滅びて、道路が残る」愚案をあっさり了承してしまった。

 国土交通省や道路族議員の既得権益が守られれば、日本なんかどうなったっていいとほくそ笑む政治家らの厚かましい姿が垣間見える。

 今の日本は国家存立のピンチに追い込まれており、荒療治が必要である。貴重な税金を浪費して、無駄な道路を造り続けるゆとりはない。

 国家財政、地方経済、社会保障制度、教育制度など国家の根幹部分が腐りかけている。世界各国の信頼を失い株価も急落、頼みの綱の経済は国際競争力を失いつつある。

 国益や国民主役の視点を欠いた内輪向けの論議に終始していては、やがて国家が消えていく。いっそのこと衆議院を解散に追い込んで、民意を問うてみればよい。

 国民の意志は選挙でしか示されない。ただし、悪徳政治家を追放する責任は、意思表示する国民側にある。そのことを肝に銘じて忘れまい。

2008.3

No.5 ~正義の仮面を付けたメディア報道の軽佻浮薄~

No.5 ~正義の仮面を付けたメディア報道の軽佻浮薄~No.5 ~正義の仮面を付けたメディア報道の軽佻浮薄~No.5 ~正義の仮面を付けたメディア報道の軽佻浮薄~

呆れ返るテレビの報道姿勢

 四大紙などの日刊新聞はともかくとして、キャスターが全面に出てくるテレビ報道のいい加減さには呆れる。白を黒といいながら、指摘されれば飽きもせず「ゴメンナサイ」。

 他の番組を余り見ないせいもあるが、テレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」のメーンキャスター、古館伊知郎氏の誤った言葉遣いや解釈、やらせ番組などは、実に目に余る。解雇もされずにのさばっているのが不思議…。

 それにしてもニュースに殺人事件の多いこと。番組の大半をむごたらしい事件が占めている。日本はそれだけ殺人者の多い国かと、諸外国の誤解を招くほどである。

 現実に日本の治安は悪化しておらず、世界一安全な国であることは認められている。殺人事件でも半世紀をスパンに考えれば、半分以下になっているにもかかわらず、古館さんのニュース番組を見る限り、体感治安は著しく悪化している。

 ニュースの軽重にかかわらず、日替わりの話題を追い続ける報道姿勢もいかがなものか。

 最近でも年金で賑わしたかと思えば、中途半端で道路特定財源問題へ。食品偽装や農薬入りの餃子被害に、沖縄基地の米兵による少女暴行事件。あっという間にイージス艦と漁船の衝突事故のニュースに…。

 しかも被害者が発見されないまま一部を残して捜索が打ち切られ、福田康夫首相が事故のお詫びに被害者宅を訪問。さらに野党と共に「石破茂防衛相は辞めろ」の大合唱。

 もしかしたら古館さんは、敵がいない状態が不安になり、自ら仮想敵を作り出して攻撃しているのではと錯覚するほど。正義感を前面に出しているが、低俗な週刊誌レポーターにも劣るように思える。報道の基本をなおざりにしながら、事件の表層だけを追いかけていないか。

イージス艦は真っ黒か

 石破さんは歴代の防衛大臣(かつては防衛庁長官)では、かなりの傑物らしい。官僚の間では煙たい存在と評されているようだ。「大臣は責任を取って辞任せよ」の包囲網は、大歓迎と噂されている。防衛省内に生息している(たるみ菌(役人体質))の維持、増殖に役立つらしい。大臣の首が飛んでも官僚機構は痛くも痒くもない。彼らにとって石破さんのような硬骨漢がいなくなれば、気楽に働けるようだ。かえって動きやすい。トップはお飾りに限るとのこと。

 たるみで漁船と衝突し、惨事を起こしたイージス艦の罪は限りなく重い。非難されても当然のことだ。しかし、誤解を恐れず言うと漁船側にへまはなかったのか。古館さんのコメントには、この辺りの疑問が一言半句も出てこない。

 重箱の隅をほじくるような防衛省非難の報道も、それなりの価値はあろう。官僚に反省させ、たるみを引き締めるに効果はある。だが、過密ダイヤの海域においては、法令の遵守を超えて漁船にも衝突を回避する義務があったのではないか。

 もう一度原点に戻って、イージス艦、漁船どちらにも瑕疵はなかったか、洗い直す必要があると思う。せっかくの機会だから、再発防止のためにも検証すべきである。犠牲になったお二人は気の毒だが、不幸な事故だった。だが、軍艦が一方的な加害者だと決めつけた報道は、非現実的で愚かな論議に思えて仕方がない。いかがだろうか。

 素人考えだとしても、軍艦、タンカー、商船などは小型船を意識しての回避行動は難しい。現実的には漁船に回避義務があると考える方が、分かりやすく説得力がある。 石破さんは辞任して責任を取るのではなく、この機会に防衛省の(たるみ菌)と対峙すべきだろう。腹を括って組織改革に頑張ってほしい。

家庭教育に問題はなかったか

 性懲りもなく米軍基地のある沖縄で、米海兵隊による暴行事件が繰り返された。人間の尊厳をとことん傷つける行為で、決して許されるものではない。厳罰に処すべきだ。

 広島市内でも昨秋、岩国基地の海兵隊員らが同様の事件を起しているが、何故かマスコミの取り上げ方には大きな温度差が感じられる。

 事件は大きく報道され、日米双方の首脳から〝遺憾″の常套語が述べ合われた。さっそく再発防止策が講じられ、防犯灯の設置場所を増加、夜間の外出禁止令や巡回活動も強化されるようだ。

 再発を防ぐためにも犯人を厳罰に処してほしいが、なぜか告訴が取り下げられ米兵は釈放、外出禁止令も一部を除き解除された。

 被害を受けた少女は、法廷に立って自ら証言する重圧に耐えかねたのか、あるいは何らかの権力側の作為があったのか、定かではない。だが、メディアなどは、犯人の釈放を機に報道をしなくなった。一件落着?

 犯人の厳罰を願いながら、家庭の躾に問題はなかったのか、誤解を恐れず私見を述べてみたい。

 確かに米兵による事件は、基地があるから起こつたと言えよう。しかし、基地を縮小したり、移転すれば似たような事件がなくなるのか。ニュースは事件の起因を米軍基地のせいにしているが、基地問題と少女暴行事件は密接に関わっているように見えて、実は本質が違う。

 事件の起きた午後八時半頃は、家庭における一家団欒の時間ではないだろうか。その時間に中学生が繁華街を歩くことに、メディアは違和感を持たないのか。米兵に声を掛けられて、バイクの荷台に乗って付いていくのは、少なくとも尋常ではないと思う。

 報道の立場としては暴行事件を糾弾すると同時に、その原因の一つになっている日本の家庭のあり方に対しても、警鐘を鳴らすべきだろう。

 類似の事件は基地に限らず、身近なところで日常茶飯事のように繰り返されている。せめて一社くらいは「この機会に家庭のあり方や、子供の教育について考え直そう」と呼び掛けてほしかった。

キャスター発言の軽重

 一市民が社会の片隅で何をわめいても、世の中を動かすことは不可能に近い。しかし、テレビ画面で口角泡を飛ばすキャスターたちの言葉は、もしかしたら日本の進路を決める要因になりかねないと思われている。発言の意味は重い。

 日本中の空港、新幹線駅や車内のアナウンスを聞いていると、今にもテロが起こりそうな錯覚を起すほど、治安が急激に悪化しているように受けとめられる。いったい何に対して、何のために。これほどの警戒態勢が必要なのだろうか。

 しかし、国民は意外にものんびりしている。もしかしたら報道の真実と虚偽を、本能的に見分けているのかもしれない。視聴者はキャスターが考えている以上に冷静で、しかも賢いと思える。

 とすれば、古館さんも視聴者の変化に気付かず、一人よがりの道化師を演じているに過ぎない。そう思えばまだしも救われ、バラエティ番組と思えば腹も立たない。

 それでは悔しいだろうから、せめて柔和な顔を画面に出して、穏やかな語り口で、良いニュースも加えて事実を伝えてほしい。そうであれば、古館さんの報道も楽しく、かつ価値がアップするのではないか。

2008.5

No.6 ~上のもんがぼんくらじゃけえ、いつも下のもんは泣かされよる~

No.6 ~上のもんがぼんくらじゃけえ、いつも下のもんは泣かされよる~No.6 ~上のもんがぼんくらじゃけえ、いつも下のもんは泣かされよる~

選挙の勝敗は地域の事情

 平成20年4月6日投開票された広島県安芸高田市長選挙の応援に、知人のご縁で巻き込まれる羽目になった。事前のマスコミ報道は現市長の引退を受けて、新人3候補による三つ巴の混戦と報じた。だが、私が応援した候補は、当選者の獲得した票の半分も得られず惨敗した。

 安芸高田市は旧高田郡の6町が合併し、平成16年に誕生した。初代の市長は旧高宮町長の児玉更太郎さんが、無投票で就任した。広域合併が市民に幸せをもたらしたかどうかは定かではないが、3万6千人の市民がわずか4年で3千人も減った。

 わがふるさとの広島市安佐北区白木町は、広島市に合併される前は高田郡に属していた。50年前の話になるが、青春時代は高田郡内・7町の若者が将来を熱く語り合った。児玉さんは当時の高田郡青年連合会長を務め、その後を私が引き継いだ。

 選挙の結果は元県庁の役人で、中央とのパイプを強調した候補が当選した。徒手空拳で市政改革を訴えた候補は、残念ながら主張が過疎の集落にこだましただけに終わった。

 同月27日に投開票された衆院山口2区の補欠選挙では、国交省の元官僚が中央とのパイプを訴えた官僚出身者が大敗を喫した。地域の事情が、結果に反映したと思える。

 「おとしよりをいじめるな」と高齢者の情緒に訴えた野党の候補者が、予想通り当選した。道路特定財源問題からガソリンの暫定税率、そして後期高齢者保険 へ批判を目まぐるしく変えた戦術が成功したようだ。後だしじゃんけんのごとき情緒的批判での勝利は、さほど威張れるものではない。むしろ恥ずべき稚拙さと いえる。政権交代なんて夢のまた夢。

変貌する地域格差に怨嵯の声

 バブル崩壊後の日本では、至る所で見る光景だが、安芸高田市とて例外ではない。青春の血を燃やした地域だけに、その激変振りには心が痛む。山あいの田畑に働く人の姿は見えない。山々にこだましていた子供らの歓声も聞こえない。のどかな田園風景は、至る所で山林化…。

 子供らが列をなして通学していた砂利道は、車の走らない高企画道路に変わっていた。さんざめいていた木造の校舎は、子供のいない豪華な鉄筋の箱に変身。更に心が痛んだのは崩れ落ちた廃屋、至る所に見られる廃校や公共施設の無残な姿。

 演説会場の少ない聴衆は、大半が高齢者であった。ふるさと再生を訴えながら、その妙手が見つからない歯痒さを感じつつ、改革を呼び掛ける虚しさを悲しく思った。

 やがて消えゆく限界集落の現実を知らないのか、政治家は相も変わらず無駄な道路や建物を作り続けようとしている。

 自民党は己の不手際により失効になったガソリンの暫定税率を、衆議院の再可決により復活させた。近所のガソリンスタンドでは、125円から163円へ38円も値上げした。これからガソリンを購入する時、市民の怨嵯の声は高まる。
 
 後期高齢者は2カ月に1度の年金を受け取る度に、その額が減少している事実に怒るだろう。さらに10月から医療費が3割負担になる層は、激怒の頂点に達するのではないか。更に多くの負担が待っている。

矛盾に満ちた国の財政政策

 道路特定財源を今後10年間維持する「道路整備費財源特例法改正案」を、政府与党は5月13日の衆院本会議で再可決する方針と報道されている。福田康夫 首相は来年度から道路特定財源を、一般財源化すると明言している。その決意であるなら再議決など不要だと思うが、雲の上の考え方はまったく理解できない。

 今国会の一連の混乱の原因は、国や地方の無駄遣いには頬かむりして取りやすいところから取る政策にある。お金が入らないと予算執行が出来ない事情を理解したとしても、同時に無駄遣いを改める具体策が見えてこないのは納得できない。

 サラ金で借金したり人を編してでもいいから、ともかく収入を増やして当座をしのぐ。ぜいたくで無駄な暮らしは、しばらく改めないと言っているのと同じだ。借金を返す当てもなしに借り続ければ、やがて一家心中でもしなければ人生のケリは付かない。

 税金の無駄遣いや官僚の不祥事はねじれ現象によって、白日の下に曝された。増税の負担に堪えるのはやぶさかではないが、悪徳政治家の私腹を肥やしたり官僚の特権維持のた
めなら御免蒙りたい。

 入るを計るより出ずるを制するのが先決ではないか。家計も国家財政も同じではある。たとえつましくとも、収入の範囲で暮らす-この生き方が健全と思うがどうだろうか。

 族議員や官僚に阿る自民党、政局一筋の民主党、役たたずの泡のごとき小政党、いずれも国民の方に顔を向けていない。一部を除いて恥知らずな政治家を選んだのは有権者だから、責任の多くは国民に帰するのか。

仁義なき戦い

1973年1月に封切された広島やくぎ抗争を描いた東映の「仁義なき戦い」の5部作が、30年の歳月を経てDVD化され根強い人気を保っている。

 若いときの菅原文太が主役のこの映画は、広島と呉を舞台にした実録であるが、第一部は大半が現地ロケで撮影されただけに懐かしい。

 1964年、草深い農村を出て広島で小さな商売を始めたが、当時は抗争の真っ只中であった。それぞれの映画で描かれたシーンや登場人物は、20歳代の脳裏に鮮やかに記憶されている。DVDをやっとの思いで購入し、見たが事件を思い起こしながら背筋が寒くなった。

 当時、暴力追放キャンペーンに命懸けで立ち上がった新聞記者、第一線で指揮を取った刑事も親しい間柄だけに、思い入れが深い。

 原作は飯干晃一のモデル小説だが、主人公が獄中で書き綴った原稿用紙700枚に及ぶ手記がベース。映画化するには多少のいきさつもあったようだが、中国 新聞が展開した「暴力追放キャンペーン」の『ある勇気の記録』は、1965年の菊池寛賞を受賞した素晴らしい歴史である。

 主人公は手記の最後に「上のもんがぼんくらじやけえ、いつも下のもんが泣かされよる」と書いた。

 やくぎの世界であれ、政治の世界であれ、上の人間が役に立たなければ、辛い目に遭うのはいつの時代でも弱いものである。

 今の日本の政治はまさに何でも有りの「仁義なき戦い」の様相を呈している。総理大臣の福田さん、民主党代表の小沢一郎さん、どちらもぼんくらの代表選手で役に立たない。

 ぼつぼつ国民の力でガラガラボンで出直しとならないか。やくざ抗争で命を散らした若い衆の「上のもんがぼんくらじやけえ…」という怨嵯が、墓場の底から聞こえる気がする。

No.7 ~働かなくなった人たち 働けなくなった人たち~

No.7 ~働かなくなった人たち 働けなくなった人たち~No.7 ~働かなくなった人たち 働けなくなった人たち~

 

公共の意識を変える

 『初夏になると歩道脇の植栽や雑草が伸び切り、街路樹の枝が通行人の邪魔をするほど垂れ下がる。

 地区のメイン通りの中央分離帯は、雑草が1mを越えるほどに生い茂り交通に支障をもたらしている。

 こうした状況は毎年のことながら、行政は気付かないのか手入れする様子もない。住民は不平・不満があるものの、何故かお役所の窓口ヘ届かない。届いているのかも知れないが現実には放置されている。

 日々迷惑を蒙るのはそこに暮らす住民であり、動きの鈍い役所の職員には痛痒がないのか。

 待っていても埒があかないので、今年も自分たちの手で周辺整備を始めた。長さ300mほどの中央分離帯の雑草を、始業前のわずかな時間を割いて鎌で刈り終えた。1日20分、10日間で見通しが良くなった。バイクも安心して走行できる。

 植栽の剪定はこれまで植木鋏を使っていたが、身体に負担が掛かるので電動鋏を購入し、作業した。とりあえず社屋やガレージの周辺80mだけ済ませたが、見通しが良くなり、車の出し入れの安全が確保できた。

 子供たちの背を越える雑草や植栽の現状は、地域全体にわたり美観のみならず、生活の安全を阻害している。誰の責任で整備すべきなのか。

 高度成長時代なら、行政に頼り切っていても何とかなった。残念ながら長い間の政治の仕組みが制度疲労を起こし、地域の末端まで手が届きにくくなっているのが現実だ。

 住民が快適で安寧な暮しを望むなら、自らの手で環境を整える時代に変わったことを認識したい。  すべてが出来るわけではないが、公共の維持は行政と市民の双方が力をあわせて果たさねばならない』。(地域情報誌・フォーラムより抜粋)

現場に足を運ばない弊害

 中央分離帯の雑草を刈り終えた1週間後、同じ場所を造園業者らしき一団が草刈作業を始めた。作業員8名、トラック3台、草刈機の騒音もにぎやかに働く。草がないのに刈っている。あきれながら仕事ぶりを見ていた。雑草が威張っている他の中央分離帯は手付かずで残っているのに…。しかも空缶、ペットボトル、ポリ袋、タバコの吸い殻などは放置したまま。序でに片付ければいいのにと思うが、雑草の処理とゴミの処分は、担当する部署が違うからなのか。呆れ返るばかり。

 業者に責任は問えない。発注者から命じられるままに作業をするのが、公共事業を請け負う彼らの立場だからである。工事を発注する側が現場を熟知していれば、このような税金の無駄使いはしないだろう。

 大抵の業務は冷房のよく効いた室内で、パソコンのキーボードを叩いていれば書面上は済むのかも知れない。しかし、現場に足を運ばない分、ムダがムダを生み続ける。  IT機器の進歩は事務作業量を軽減させたが、市民生活や現場状況を見えなくしている。残念ながら「事務処理」は出来ても、「現場対応」にムダが激増する結果になる。一見機能的に仕事を進めているようだが、パソコンには見えない部分が多すぎる。自分の目で現場を確かめなければ、市民の暮らしに役立たないし、税金の無駄遣いは止まらない。

教育効果を阻害している現実

 学校教育の成果をあげる有効な手段は、教師と子供たちが接する時間を増やすことに尽きる。ところが、現実には次々と新しい制度が設けられ、教師の貴重な時間を奪っている。

 結果として子供たちと接する時間が減り、教育効果を上げようとする諸制度が、皮肉なことに足を引っ張っている現状。嘆かわしい。

 学校の教育活動や成果を検証することで、教育の改善を意図して学校評価が実施されている。これまでの「自己評価」に加え、平成17年度より「外部評価」が努力義務として課せられた。現在、公立の小、中、高校の約8割が、外部評価による学校評価を実施していると伝えられる。

 外部評価制度の理念と目的は立派だが、学校教育の役に立っているのかと言えば、はなはだ怪しい。

 外部評価は各学校の「学校協力者会議」で行われるが、委員の構成と会議の運営が心許ない。

 制度の善し悪しは、結果として役に立つか立たないかで決まる。

 協力者会議は「評価部会」と「提言部会」で成り立っており、学校経営目標に添って集計されたアンケート結果を検証しながら論議する。

 制度がスタートして複数校の委員を委嘱されている。子供の将来に関心はあるが、識者でもないし、教育現場を見る機会も少ない。したがって、学校教育の改善に役立つ的確な評価が出来よう筈もなかろう。  気の毒なのは学校側の委員に選ばれた教師たちである。児童・生徒、保護者、教師らを対象に実施する膨大なアンケートの集計作業に、貴重な教育の時間の一部を奪われてしまった。教師たちの切実な悲鳴が聞こえてくる。「子供らと一緒に過ごす時間を返してくれ!」。

仕事は人間がするもの

 行政や教育の現場では、言うまでもなく人が主役でなければ機能しない。ところがパソコンなどの目覚しい進化が、業務のシステム化を超えて人間の領域まで侵し始めた。

 市民生活の現場で働くべき公務員が、パソコンのキーボードを叩く業務に忙殺されている姿はおかしい。

 本来、教室や運動場で子供たちとコミュニケーションすべき教師たちが、教育現場から離れた場所で働いている現実は厳しい。

 文明の利器は便利であるが、本来人間が持っていた多くの能力をスポイルしてしまった。数字を打ち込めば計算しなくても、自動的に求める結果が得られる。判断すべき分野までパソコンに頼る習慣が生れた。

 汗水流して身体を動かさなくても働いている錯覚を起こさせる。だから水が低きに流れるように、本来の働きを追いやってしまったのだ。

 パソコンを駆使すると手作業に比べて大幅に時間短縮が出来るだけに、不要に近い統計や文書まで求められるようになった。複雑な資料などが簡単に出来るといっても、それなりの時間は必要である。

 山積みされている膨大な統計資料など、屋上屋を重ねるようなものでさほど役に立っていない。

 その結果、本来の仕事に使うべき時間が足りなくなっている。働きたくても、働く余裕がなくなってしまった。機械主役の仕事は達成感を得られないし、人間関係をきしませ機能しなくなる。

 働かなくなった人たちも働けなくなった人たちも、本当は、働きたいに違いない。天から与えられた能力や時間を再起動して、人間主役の座を取り戻すべきだ。

2008.10

No.8 ~正論だけでは政治は機能しない 小さな実践から変えてゆく~

No.8 ~正論だけでは政治は機能しない 小さな実践から変えてゆく~No.8 ~正論だけでは政治は機能しない 小さな実践から変えてゆく~ 正論だけでは政治は機能しない 小さな実践から変えてゆく

団塊世代の意識改革

平成20年3月から団塊世代をメンバーとして、小さな講座を月2回の割合で開いている。1クラス6名の構成で午前の部と午後の部に分かれ、闊達な論議が展開されている。

 名付けて「豊かに生きるための人生講座」。対象を団塊世代に絞り自由に意見を述べ合う仕組みが、メンバーに受け入れられたのか、12回コースが第2期に入った。

 講座の時間は1時間半だが、最初の30分は座長が最近の話題を解説し、お互いの意見を求める。雰囲気が和んでからメインテーマに入る。

 原則として、異なる考え方を述べるのは構わないが、相手の意見に反論をしない。結論も出さない。

 考え方の違い、立場の違いを認め穏やかで遠慮のない議論の場になって面白い。永い間、言いたいことが言えないサラリーマン生活から解き放されたせいか、実に瑞々しい新鮮な話し合いの展開になる。

 同じことの繰り返しだから12回も続ければ飽きそうだが、回を重ねるごとに盛り上がり、止まるところを知らない。したがってメンバーの入れ替えもあるが、新春から第3期がスタートする。

 できるだけ政治の話題に触れないようにしているが、教育論議だけは活発である。麻生太郎内閣のスタート時に、日教組発言で国土交通大臣の椅子を棒に振った中山成彬さんの見解には賛意が多い。

 日本の教育は厚さ3mのコンクリートに固められたようなものだから、その上から種を蒔いても水を遣っても芽は出ない。いくら教育基本法をいじっても予算をばらまいても、所詮「焼け石に水」でしかないー と。

毀誉褒貶はあるが団塊世代の多くは、実に健全な思考回路の持ち主だと実感している。また、異なる意見の交換で意識改革も始まっている。

正論が通用しない歪な社会

 中山さんは問題発言の後、閣僚を辞任し、次の衆院選にも立候補しないと宣言した。「ゴネ得」「単一民族」発言は記者会見の場で撤回し、かつ謝罪した。しかし、日教組問題については、頑として撤回しなかった。中山さんの発言には批判的な人も多いが、内容はともかく信念を曲げない姿勢には拍手を送りたい。

 最近の政治の停滞や混乱には、建前発言で事を円く収める風潮に問題があると思う。本音で語ると職を賭けねばならないとしたら、闊達な論議になりにくい。本音と建前を上手に使い分ける政治家は安全だが、本音で語り切らないから政治に対する国民の不信が増加する。

 どうでもいいことの前に、大切な問題が消えてしまうのが、今の政治を歪めているのではないか。

 中山発言の成田問題だけでなく、日本の社会に「ゴネ得」は間違いなく蔓延している。ゴネれば得をする現象はごまんとある。誤った権利を主張して無理を通せば、腰の弱い道理が引っ込みやすい。言葉の品性は別として、正鵠を射ていると思う。

 中山さんには信念を貫き通して教育の改革に頑張ってほしいが、元大臣とはいえ一市民の立場になるとマスコミの関心は極端に薄くなる。

 せっかく国会議員の職まで賭けたのだから、なんとか日本の教育が正常になるように正論を展開してほしい。

目に余るマスコミの言葉狩り

 大臣の要職にあるものがその職を辞するのは、政策の誤りやスキャンダルなら仕方ないと思う。しかし、中山さんの今回の発言程度で辞任しなければならないとしたら、政治は正しく機能しない。言葉尻を捉えて問題発言化し、大臣の首を飛ばすなどの悪習は政治を貧しくさせる。

 みのもんたの「朝ズバ!」に中山さんが緊急出演された。中山発言の真意を補足説明させるのかと思ったら、結果的に民主党幹部とマスコミ人3名の計4人に囲まれて責め立てる「詰問会」模様になってしまった。これが民主主義を標榜する政治家やマスコミ人の正体だとすると暗澹たる思いがする。

 政権与党の大臣や要職にある人は、言葉を吟味して抽象的な建前論で話さねばならない。万一、本音で語って失言すると、たちまち野党やマスコミの「言葉狩り」の餌食にされる。

 日本の政治の次元の低さにがっかりするし、メディアの常套手段にも腹立たしくなる。彼らは「言葉尻」を捉えて、陰湿で卑怯な報道をしている意識さえないに違いない。

 中山さんの発言がすべて正しいとは思わないが、彼らに嵩にかかって責められてもびくともしない姿は頼もしい。毀誉褒貶はあるが骨のある政治家が「言葉狩り」によって、またも抹殺されたかと思うと情けない。  残念ながら正論だけでは日本社会は動かなくなっている。正論は、例え小さくても市民の力で支えなければならない。「言葉狩り」に代表されるような貧しい批判にのみ終始していると、やがて日本は滅んでしまう。可愛い子や孫たちに、誇り得る幸せな社会を残せなくなる。

日本を掃除する

 鍵山秀三郎さん(日本を美しくする会創設者)が提唱された掃除活動の輪は、47都道府県はおろか、中国、台湾、アメリカ、ブラジルなどの外国にまで燎原の火のごとく広がっている。たかが掃除でしかないが、想定外の驚くべき現象だ。

 平成20年9月14~15日にわたって京都市内で開かれた「日本を美しくする会・全国大会」で、『日本を掃除しよう』という宣言が満場一致で採択された。

 日本中の家庭、地域、学校、職場で、毎朝、丁寧な掃除を行い、身の回りを美しくしてから一日を始める。そうすれば、日本中に心地よい風が吹き、穏やかな一日が始まる。

 政治やマスコミの愚かさから目を離すことはできないが、いちゃもんを付けるだけでは何も変わらない。世の中を良くする思いがあれば誰にでもできる行動を、コツコツ続ける活動が必要な時代になった。

 残念なことであるが現在の国の政治機構や政策決定の仕組みが変わらないかぎり、与党が政権を維持しても野党に交替しても、国民の暮らしは悪くなりこそすれ良くはならない。

 少なくとも戦後60数年、似而非民主主義の政治体制で肥大してきた悪習は、各政党が美辞麗句を並べて叫んだとしても国民の期待を裏切り続けるだけだ。実に情けない。

 国会議事堂でも議員による清掃活動が始まったと伝えられる。地方の首長や有職者による『日本を洗濯しよう』という活動も立ち上げられた。

 地方から、そして一市民からの日本を変える活動は回り道のようだが、案外、近道かもしれない。

2008.12

No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~

No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~

愚問愚答の繰り返し

 文部科学省が示した学校教育の外部評価制度が推進され、保護者や地域の世話役が学校教育に口を挟む機会が与えられた。文科省のねらいは明らかでないが、外部圧力で子供の教育が再び迷走し始めている。  

 学校教育協力者会議の席上「スポーツが盛んになったのは結構なことだが、その分だけ子供が勉強の時間を取られる。スポーツと学業の両立について学校はどう考えているか」と詰問調。「その問いに対してはノーコメント」と教師は両腕でバツマークを作って答えた.。

 親の質問も下らないが、教師の返答は無責任極まる。スポーツを優先させるか、それとも学業を第一とするか、はたまた両立させるか、それは親の責任で決めてもらいたい━ と簡潔に回答すれば済むことだ。

 中には子供の躾まで学校に責任を求める役立たずの親も少なくない。学校側はへっぴり腰で、大抵の場合あいまいな返事でお茶をにごす。これでは学校教育を下支えする協力者会議には程遠い。

 「知識・情報を得るだけではなく、自分で考え、創造し、表現する能力が一層重視されなければならない」という素晴らしい教育理念を掲げて、2002年4月『ゆとり教育』がスタートした。皆が期待した。

 「ゆとり」という表現が災いしたのか、子供は勉強しなくなり、親の大半は放任した。責任放棄と言って過言ではない。もともと子供の教育は「学校と家庭と 地域がセットになって実効が挙がる」と、中央教育審議会の元会長・有馬朗人氏は答申している。家庭教育力の復活に問題はないのか?地域社会の教育機能に疑 問はなかったか?

「生活体験の詰め込み」が必要

 先述のスポーツ問答と同様に「子供が遊んでばかりいて勉強しない」と嘆く親は多い。その挙句「勉強しろ!塾へ行け!」と尻を叩かれる子供はたまったものではない。
 
 学力低下を心配して、再び詰め込み教育を復活させようという風潮の中で、親の叱咤激励はさらに拍車が掛かってきた。OECD(経済開発機構)の調査(PISA)で「日本の子供の学力は著しく低下した」と繰り返し指摘を受けた。

 PISAが指摘したのは「知識の量」ではあるまい。結論を先に言えば「学習する能力の低下」ではなかろうか。問題解決能力、コミュニケーション能力、生きる自信など、詰め込み教育の教科では得られない能力が求められている。

 今必要なのは「生活体験の詰め込み」である。再び競争原理を教育の場に持ち込むのは、子供の将来を考えると問題だ。子供たち自身の意志で「競う」のは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のはとんでもない誤りだと思う。

 スポーツで心と体を鍛えるのはいい。学習塾での学びを否定するものではない。しかし、今の子供たちに欠落しているの

は「生活体験」だ。子供らにとって大自然の中で「生活体験」を積めば、新鮮な驚きや発見を体感し、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その結果として「競争心」を他に強いられず自ら育て、学力アップにつながると確信している。

 その学習体験の場を提供するのが地域の教育機関であり、子供の秘められた才能を開花させるのが親に課せられた子育ての責任である。

自然は「学び取る力」を与える

 2008年11月2日、親子農業体験塾『志路・竹の子学園』は5回目の終了式を迎えた。入塾している幼稚園年長組から5年生

までの20名は、フィナーレに手に持った鮮やかな風船を青空に向けて放った。風船は塾生親子たちそれぞれの夢を乗せて宇宙に飛び立った。

 農業体験塾は『ゆとり教育』の欠陥を補い、地域の学習機能を再生するために企画し、2004年4月に1年間のプレオープンを終えて、集落の高齢者の支援でスタートした。

 当初はわずか750坪の田畑でしかなかったが、今では支援者の協力で総面積が5000坪にまで広がり、休憩室、キッチン棟、仮設トイレ、ミニ運動場、遊歩道、約200本の桜まで子供たちを迎える自然の大舞台が整ってきた。

 これからの社会を支えるのは高齢者で、しかも結びつきは金銭ではなく好みや嗜好、それに価値観の共有である━ と堺屋太一さんは持論を述べている。

 堺屋理論が実証されたカタチで、子供の教育、高齢者の生きがい。過疎の活性化にベクトルを合わせた価値観の共有が、①労力の無償提供、②助成金の辞退、③受益者負担の原則に今も繋がっている。

 自然や土に楽しみ、楽しく農作物を育てながら、親はわが子の素晴らしさを再確認し、子供は普段の暮らしでは得られない親との絆を発見する。高学年の子は 低学年の子を思いやり、いたわる。逆に、小さい子は体験を通して、大きい子を尊敬し、信頼する。いつのまにか社会の規範を身に付けている。世代や年代を超 えての学びあう場が誕生している。

こども農山漁村交流プロジェクト

 総務省、文部科学省、農林水産省が連携し、全国の小学校を視野に入れ、地域各層の協力のもとに新しい試みが生まれた。小学校が毎年、一学年単位で農山漁 村に子供を送り出し、一週間程度の宿泊体験を行うものである。2012年には、全国2万3千のすべての小学校が、この取り組みに参加することを目指す。

 この企画はどこから生まれたのか分からないが、もろ手を上げて賛成である。政治家や官僚たちは己の権益死守に躍起となっているが、この取り組みは日本全体を見直す運動である。地域の自立を促し、遅々として進まない中央集権体制を地方分権に変えていく一助になると確信。

 学校の教科書がすべてではない。生きた教科書は、日本という現実のさなかにいくらでもある。学校教師だけが先生でもない。すべての大人が手本である。荒廃した学校教育を立て直すには、地域総ぐるみで取り組まなければならない。

 国の政策に先駆けて実践した『親子農業体験塾』における6年間の成果は、自然体験や農業体験による学び取る力の著しい成長が、人格の形成、学力の向上に貢献したことを証明している。すでに全国の数十ヵ所にモデル地域が選定され、現実に動き始めている。

 国民の税金の中から、この運動に少なくとも予算が組まれている。道徳や箱もの作りとは違うので、利に敏い悪徳政治家が手を突っ込みはしないだろうが、心配である。

 学力重視の親たちからは異論もあるようだが、あらためて子に対する親の責任を考え直して欲しい。何よりも子供の嬉々とした姿が見たい。

2009.1

No.10 ~百年に一度のチャンス到来 日本の再生がスタート~ 

No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~seso_10_00

批判しても始まらないが

 1月5日、国会が召集され第2次補正予算案の論戟が始まったが、居眠りあり、ニヤニヤあり、まるで別世界の空間に思える。アメリカ発の金融危機などで右往左往している国民の苦しみなど、どこ吹く風のいい加減な予算委員会のやりとり。

 日本の政治が何故ここまで堕ちたのか、もともと愚劣だったのが危機に出会って正体を現したのか、文句を付ける元気もない。政治家の質の低下を世襲議員の増加や、タレント議員の数合わせだと切って捨てる向きもあるが、結局、これらの政治家をのさばらせた国民の責任も軽くはない。反省している。

 戦後の日本は経済の復興に総エネルギーを結集して来た。その分だけ政治の誤りには寛容であったように思う。いまさら後悔しても始まらないが、国民も政治家らの質の低下に責任の一端を負うべきだろう。

 政治家らは政権選択の決戦の年だというが、どの政党も選択肢に成り得るかといえば、残念ながら審判に耐え得るとは言い難い。政権政党の自民党はかつてないほどバラバラで、麻生太郎首相には求心力のかけらもない。早晩、のたれ死にする。

 与野党とも現在の危機に対処する力に欠ける。小泉純一郎元首相が目指した小さな政府構想は、跡形もなく瓦解した。どうやって国家機能を立て直すのか、その道筋にはまるで無関心過ぎる。麻生総理が就任して5ヵ月を過ぎるが、日本の将来について全く言及していない。

 目先の繕いにばかり精力を注ぎ込んで右顧左眄されては、国民もたまったものではない。民主党が声高に唱える「政権が交代すれば、日本は必ず良くなる」は子供騙しの虚言でしかない。左右寄せ集めの政党に何が出来るというのか。批判するのさえ腹立たしい。自民党に愛想尽かしをしても、民主党に期待する向きは少なかろう。国民の信任を得るなど夢物語に過ぎない。

 

「万縁の会」活動の意味

 いずれにしても政権与党は惨敗し野党の連合政権が誕生すると思うが、日本の政治は一層混迷を極めるだろう。4年連続して違った顔の首相が年頭の辞を述べる恥ずかしい国家に成り下がるに違いない。

 昨年の11月29日、広島市内に中田宏・横浜市長を招いて、横浜市政改革の実践や将来展望について語ってもらった。すでに11年連続の来広だが、「中田宏と共に日本を良くする万縁の会(会長・鍵山秀三郎)」活動の一環だ。

 中田宏は6年前「横浜から日本を変える」と宣言して、衆議院議員から横浜市長に転進した。政治を劣化させる企業・団体から献金を拒否し日本では育たないと言われる個人献金に活動資金を求め、まっとうな政治活動を行う決断をした。

 「万縁の会」は広く全国の有志に支持を求め、12年にわたって活動を展開している。入会のルールは極めてシンプルで分かりやすい。

①中田宏の政治活動を支援する。
②政治資金の支援母体となる。
③個人入会のみとする。
④会員は個人的頼みごとをしない。
⑤会費は年間一人、一口、一万円。

 幸いに心ある全国同志の理解を得て、選挙区の横浜市に止まらず千葉、栃木、兵庫、四国、広島、島根、福岡、長崎の各県に支部が誕生し、中田宏の政治活動を支えている。

 360万都市のトップになって僅か7年足らずだが、枚挙にいとまがないほど改革の実績を挙げた。

 中田宏は世襲議員でもないし、ましてタレント議員でもない。高い志を持った一人の青年政治家である。政治の質の低下と混迷は今に始まったことではない。日本の将来を託せる逸材を見いだし、地域を超えて支援することが喫緊の課題ではないか- と鍵山さんは喝破された。

 国民の多くは信頼できる政治家のもとで、すばらしい国作りの一翼を担いたいと思っている。今の政治的な閉塞状況は、信頼するに足る政治家の不在が原因ではなかろうか。現在の政治的混乱、経済的危機がいつまで続くか分からないが、長い下り坂が待ち受けていることは疑いもない。今こそ大胆で緻密なリーダーシップを持つ政治家のもとで、国民は再び愛すべき国・日本を再建しなければならない。その鍵を握っているのは麻生太郎でもない。まして小沢一郎でもない、天が与えた救国の政治家・中田宏だと考えるのはさほど的外れではないと思う。

歴史の大転換期が到来

 国会議員たちは能天気で議事堂を舞台にして、下らぬ権力闘争のみに終始している。しかし、現実はそれほど甘くないし、超スピードで崩落社会に向かっている。国会論戦を聞いていると、この人たちが日本の政治を舵取りする先生方かと思うと恥ずかしくなる。

 日本の資産は今回の金融危機により、天文学的数字で目減りし、自動車もマンションも日用品もぱつたり売れなくなった。単純な大不況だと甘く考えると取り返しのつかない事態になる。かつての栄光の日々は二度と戻ってはこない。

 これからの経済は限りなく縮小を始める。働き場所はおろか食べるものさえ乏しくなる。残念ながらこれは現実であり、政治や企業を批判しても解決の足しにはならない。国民一人一人が現状を正しく認識し、明日に備えなければならない。

 愚痴を言っても始まらないが、今回のピンチを本来の生き方に戻す最高のチャンスと考えてはどうだろうか。「お金があればなんでも手に入る」と考え浪費の限りをしてきたが、この際、無駄遣いをしない、つましく暮らす生き方に変える良い機会だと認識する。甘えを捨てて「自分のことは自分でする」覚悟が必要だ。

 国や自治体の財政が豊かな時代は、行政サービスに依存していても障りはなかった。それが国民の依頼心を助長したことは間違いない。もはや行政は日本全国どこも破産状態にある。まったく当てにはならない。

 その意味では自主・自立の絶好のチャンスである。行政もない袖は振れないことくらいは、十分に分かっている。団塊の世代以降の強者どもが、日本には3000万人もいる。
 
 人生の大半をかけて身に付けた知恵と経験を、存分に発揮すべき時機到来とは考えられないか。今こそ見返りを求めないで、未来のためにどれだけ貢献できるか問われる。

 せめて自分の町くらいは行政に頼らないで、住民の手で美しくしたいものだ。天は「他人依存型の社会から決別」の絶好のチャンスを与えてくれた。難有り、有難し。

 3月15日には上甲晃氏(元松下政経塾・塾頭)提唱の「日本、この手で何とかする」箱根会議が開かれる。中田宏をはじめ日本の未来を憂う有為の政治家も数多く馳せ参じる。もちろん私も末席に連なる。

 

 

 

No.11 ~軽きがゆえに漂流つづける総理の椅子~

No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~seso_11_00

鳩山大臣がポテンヒット

 止めたバットにボールが当たり運よく野手の間に落ちた。ポテンヒットになった。結果的にビッグイニングを作った。そんな鳩山邦夫総務大臣の直観的な発言が「かんぼの宿」一括譲渡問題に待ったを掛けた。

 すでに日本郵政はオリックス不動産と「かんぼの宿」70箇所の一括譲渡契約を締結していた。それについて鳩山さんが「安すぎる」と、いちゃもんを付けたのが発端だ。その時点で鳩山さんは闇に包まれた契約の詳細はご存じなかったと思うが、幸運にも大問題に発展した。

 一旦契約した案件を大臣権限で被棄するのなら、鳩山さんはデータに裏打ちされた動かぬ証拠を突き付けてストップを掛けるべきだろう。

 譲渡は27社が応募し、2度の競争入札で決まった。少なくともこれまでの手続きに、落ち度はないと日本郵政側は説明。オリックスの経歴や宮内義彦さんの過去の言動を理由にして、所管大臣が口出しするのは許認可権の乱用と言える。

 幸いと言うべきか鳩山発言をきっかけとして、次から次へと怪しげな契約のからくりが見え始めた。

 島根県岩見町の「かんぼの宿」は旧郵政公社が不動産業者に1万円で売却し、半年後に6千万円で転売したという。まさに濡れ手に粟。このような税金の無駄使いケースは、全国至るところに存在する。

 今回、一括契約で問題になつた79箇所の簿価は資産から負債を引いた純資産額が約93億円で、オリックスがそれを上回る109億円で落札したものだ。

 これらの施設は建設費や用地取得費に2400億円にのぼる巨額の税金が投入されたが、「減損処理」の操作によって簿価は二十分の一に圧縮されている。過剰投資や人件費のコスト負担が原因らしいが、その責任を誰一人として取っていない。無駄な税金の流用は犯罪に等しい。
 
 契約の経緯にばかり目を奪われて、日本郵政の経営改善という本筋の議論が抹殺されると、将来に大きな禍根を遺すことになりかねない。

 

麻生首相の呆れた迷言

 これらの混迷を野党が見逃すはずもない。民主、社民、国民新の野党三党は、かんぼの宿などの譲渡に関する疑惑追及プロジェクトチームを立ち上げた。結果的に麻生政権を追い込む結果になるだろうが、国民の税金が正しく使われているか- の視点で徹底的に明らかにしてほしい。

 それにしても麻生太郎首相は希代の大虚(おおうつ)けか、それとも凡人には計れない大政治家なのか。

 昨年9月、凋落著しい自民党再生の顔として、圧倒的な党員の支持を受けて麻生さんは首相に選ばれた。

 以来、喫緊の課題である公務員改革、定額給付金、消費税の値上げ、道路特定財源問題、挙げ句の果てには郵政改革の混迷まで、呆れるほどぶれ続けた。とくに衆議院の予算委員会における郵政改革見直し問題では、うっかり発言? の綻びを縫い合わせるために、矛盾を存分にさらけだした。後世に残る迷言集だ。

 首相は自身が総務相を務めた小泉内閣の郵政民営化方針に「反対だった」と述べた。閣僚として署名しているにもかかわらずだ。その舌の根も乾かぬうちに「民営化したほうがいい。最終的にはそう思った」。

 「郵政民営化の担当大臣は竹中さんで、私ではなかった」と不快感を表明。ところが昨年9月の自民党総裁選では「間違えてもらっては困るが、私が総務相として郵政民営化を担当した」と鼻高々。さらに「総務相を二期務め、一期目は役割を果たしたが、二期目は反対したから外された」と辻褄合わせをした。

 定額給付金についても、ころころ臆面もなく発言を変えた。高額所得者が受け取るのは「さもしい」と言いながら、一転してみんな受け取ってじゃんじゃん使え…。いつのまにか生活支援が景気対策に衣替え。それでも「私の言っていることは、ずっと一貫している」とは厚顔無恥。道路特定財源の一般財源化では、常人では思いつかない非論理的答弁に終始した。当初は一般財源化した1兆円を地方が自由に使える「地方交付税」にすると宣言した。ところが道路族議員たちに反発されると腰砕けし、2009年度予算には反映されず、地方の期待を裏切った罪は限りなく重い。

 発言は雰囲気に流されて「うっかり」が多い。訂正して謝ればいいのに、辻褄合わせに終始するから強弁で押し通す。能天気に言葉足らずが絡むから、野党も責め手を見失い国民不在の不毛の議論が続く。

 威厳を欠き差恥心のない首相の存在は、国民に失望を与え不幸をもたらす。

 

軽口で失った総理の威厳

 郵政民営化は小泉純一郎元首相がその是非を国民に問うたテーマである。有権者の多くは賛同し、先の総選挙で自民党に圧勝させた。

 麻生さんが本気で反対ならば、郵政民営化を争点にして総選挙を戦えばいい。それが男の道というものだ。

 その度胸も力もないくせに「反対だったから濡れ衣を着せられるのは面白くない」などと女々しい言い訳をするのは、一国の総理として余りにも情けない。民主党の渡部恒三さんに「男らしくない」と揶揄されたり、前原誠司さんに「やるやる詐欺だ」と面罵されても仕方がなかろう。
 
 「綸言汗の如し」というが、ここまで言葉を軽んじては、首相の地位を無にしたに等しい。もはや日本国の最高権力者とは言えない。

 講読している読売新聞の2月12日付け・編集手帳に辛殊なコラムが掲載されていた。叱られるかもしれないが引用させていただく。

 《大相撲の決まり手は「四十八手」と言われるが、現在では八十七手を数える。八十二手は勝者の掛けた技、残る五手が敗者の自滅で「非技」という。
◆(勇み足)や(腰砕け)は日常の会話にも使われる。バランスを崩した(つき手) (つき膝)、戦意なく土俵を割る(踏み出し)と非技もいろいろだが、観客には興醒めの決まり手であることに変わりはない。
◆野党に技を掛けられたのならまだしも、勝手にこけた首相の(つき手)黒星を喫しては、閣僚や与党の幹部が顔をしかめるのも分かる。本誌の世論調査では麻生内閣の支持率が19.7%と2割を切った
◆麻生首相の郵政発言が響いたとみられている。小泉内閣で郵政民営化を決めたときに閣僚でいた人が、この期に及んで「実は反対だった」と語る必要はどこにもなかった。首相は発言を修正したが「総理の椅子に執心して信念を曲げた人」という印象を国民に植え付けたのは痛手だろう
◆ふんどしならぬ口もとをきりりと締め直さなければ、いずれ迎える総選挙の大一番で、非技の(踏み出し)の憂き目を見ないとも限らない》

No.12 ~沈みゆく日本の政治に喝!”日本、この手でなんとかする”運動の旗揚げ~

No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~seso_12_00

箱根の山に集結した「志」

 平成21年3月15日朝、広島空港を離陸して約40分、左翼方向に神々しい富士のお山が姿を見せた。春らしからぬ寒波の到来で、やや大きめの綿帽子を冠っていた。手前の箱根一帯は春の太陽をいっぱいに浴びて、萌黄色に輝いている。

 この日は箱根・仙石原文化センターに全国から約500名の志ある人々が集結し、日本政治の沈没に歯止をかける〝日本、この手で何とかする!″箱根会議が開かれる。歴史的な集いに日本の象徴である富士山が、全身で祝福しているように思えた。

 わが国の政治のありさまを横目で見ながら、他人ごとのように不平・不満を口にして何とかなる時代ではなくなった。日本の舵取りをすべき政治家の姿は、あまりにも恥知らずで己の欲望と保身のためにのみ税金を浪費している。彼らに政治を任せていたら、傾きつつある愛する祖国は間もなく沈む。

 〝今、新しい風を起こそう! 国民の手で現状を変革しよう″と呼び掛けたのは、上甲晃さん。上甲さんは《松下政経塾》の塾頭、副塾長として16年間、志の高い人間教育に携わり、多くの政治家や経済人を育てるために精魂を傾けてきた。

 それだけに現状の政治を見過ごせず、国民の手で日本を再生しょうと立ち上がられた。この日、箱根に集まったすべての人が、上甲さんの熱意に賛同して〝日本、この手で何とかする!″運動の発起人として全国の心ある有志に呼び掛ける。

 政治は国民に未来への希望・夢、そして生きる勇気と誇りを与える役割を担っている。国家百年の計を立て、子々孫々のために誇れる日本を実現するというのが心願である。

 

子々孫々のため国家百年の大計を

 この運動を支える発起人の代表は、山田宏・東京都杉並区長、中田宏・横浜市長、中村時広・松山市長の三名である。他に国会議員の逢沢一郎氏、長浜博幸氏、村井嘉浩・宮城県知事、河内山哲朗・柳井市長、鈴大康友・浜松市長も発起人として加わる。松山市長の中村さん以外はいずれも松下政経塾出身で、上甲さんの薫陶を受けて政治家になった。

 午後1時からの意見発表は、延々5時間の長丁場になった。500名を超える参加者は、身じろぎもせず聞き入った。それだけ国の未来に心を馳せる人が多い証である。

 上甲さんの思い。『世界は未曾有の困難に遭遇し、誰もが自分の綻びばかり目が行き、他人のことなど考えるゆとりがなくなっている。それなのに〝日本、この手で何とかする″運動の呼び掛けに、これだけ多くの人が全国から箱根に集まってくださり、感無量…感謝!感激!

 今、日本に必要なのは経済対策だけではなく、日本人としての誇りと高邁な精神を取り戻すこと。

 日本の国には国家の理念と方針がない。会社ならとうに倒産している。羅針盤を持たない日本が、政治的にも経済的にも行き詰まるのは自然の成り行きだ。今日の実践報告、政治家の決意を受けとめ、先ず自分からと心に決めて、日本を良くする運動の輪を広げてもらいたい』日頃は冷静な上甲さんの熱弁に、会場が割れんばかり拍手で会議の幕は揚がった。

 立ち上げのテーマは〝国家百年の大計、目指せ命の大国″

 「農」と「食」の実践者にたちの報告からスタートした。

 

食と命の教育が不可欠

 最初に登壇したのは林浩陽さん(石川県)。林さんは上甲さんが主宰する志ネットワーク『青年塾』一期生。
 
 21世紀は農業の時代!と喝破した上甲さんの薫陶を受けて成長した。34ヘクタールの米づくり農業法人を経営。「農家への補助金はモルヒネである」と国の農業政策の誤りを指摘、農業で利益を出して法人税を支払おうと呼び掛けている。

 何百年も同じ場所で作り出せるのは米しかない。米こそスーパー作物だ。子供たちに「田んぼの授業」を行ない、続けている。命を生み出す食の大切さを伝える活動だ。食と命の教育が不可欠。義務化を提唱する。

 青年塾二期生の長田竜太さん(石川県)は「日本の産業は一次から二次、三次、四次と発展した。今、命が危機にさらされている。食料自給率を100%にしなければ、死が待っている。食料の輸入が止まれば、10人中、4人しか生き残れない」と一次産業(農業)の大切さを訴える。

 岩崎輝明さん(北海道)は「健康道」、潮谷愛一さん(熊本)は「福祉の現場から」大塚貢さん(栃木)は「食と子供」料理研究家の辰己芳子さん(東京)は「風土に即して命を食べる道理」について、それぞれ食と命の大切さを語られた。

 辰己さんは皇后さまの要請で皇居を訪問されたとき垣間見た、天皇ご一家のつましい暮らしを紹介された。

 締め括りはジャーナリストの桜井よし子さん。「日本の未来に求めるもの」をテーマに、世界における日本の位置付けを紹介。祖先の素晴らしさをもっと認め、明るく前向きに生きたい。大人の私たちが自信を持って日本の良いところを、子供たちに伝えようではないか。私はこの運動を応援しますーと力強い言葉。

 

時代は国家の変革を求めている

 後半は政治家からのメッセージだったが、国会議員の話は実にくだらない。責任の軽い立場の人間は気楽なものだ。二大政党の親分と同じように、役立たずの政治家たちが日本を駄目にしたと分かる。盛り上がった熱気を一気に冷やすほどだった。

 しかし、責任ある首長は違う。それぞれの地域で改革に取り組んでいる姿勢が伝わり、国を思う情熱が参加者の心を揺すぶる。閉塞感に覆われた日本の政治に失望していたが、元気溢れる首長たちのメッセージに希望の灯りを点された思いがする。

 とりわけ〝日本、この手で何とかする″活動を牽引する山田宏・杉並区長、中田宏・横浜市長、中村時広・松山市長の志は、500余名の人たちを奮い立たせるオーラを放った。

 その願いは、山田宏著『日本よい国構想』が分かりやすい。内容を紹介できないのは残念だが、五章で構成されるテーマで推察を乞う。

第一章 人間の幸せを考える

第二章 「自由」と「責任」と「相互尊重」

第三章 誇るべき国、日本

第四章 なぜ「私たちの幸福」が実現されないのか

第五章 「豊かで、楽しく、力強い国」となるために

解 説 中田宏 回天への道すじ

 発起人代表の山田宏52歳、中村時広49歳、中田宏が44歳、3名は奇しくも昭和30年代生まれ。

 麻生太郎、小沢一郎など昭和10年代生まれの政治家は、速やかに表舞台から去るべきだろう。過去の業をいっぱい背負っていては、日本再生の道すじなど望むべくもない。

No.13 ~局観を欠いたばらまき農政が限界集落を疲弊させ続ける~ 

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痩せ衰えた神鹿に涙

 春燦漫の4月3日、久し振りに安芸の宮島を訪れた。今年は天候に恵まれて桜は満開、多くの観光客が小さな島を埋め尽くした。「志ネットワーク・青年塾」第13期生の入塾式が行われる宮島商工会館に向かう途中、いくつかの公園に立ち寄ったが小さな異変に気が付いた。シカの糞が小豆粒ほど小さく、まばらなのだ。宮島に渡った時、観光客に群れるシカの頭数が、以前より激減していることに違和感を持った。数や糞だけではない。周辺の住宅には網が張られている。ごみ箱にまでネットで覆われていた。増え続けるシカの被害に悲鳴を上げた町民の訴えに、広島県と廿日市市が責任の所在で論議していた。詳しい経緯は分からないが、町あげてのシカ追放運動にまで発展したようだ。シカの餌を販売禁止し、町民の防御も堅くした。シカの数が減るはずである。しかも痩せこけていた。食べ物もままならないから、胃腸の機能も自然に衰える。糞が小さくなって当然。

 しかし、人間の仕打ちは酷い。かつてはシカを神の使いとしてもてはやし、観光資源にも散々利用し、被害が広がると自然に戻れーと追放する。人間の都合で自力で生きる能力を奪っておきながら、いまさらそれはないだろうーというシカたちの恨み辛みが聞こえてくるようだ。

 若者に日本の将来を支えて欲しいと強く願った上甲晃さん(松下政経塾・元塾長)は、平成9年4月「志ネットワーク・青年塾」を立ち上げられた。今年13年目にもなるが、地方で初めての入塾式が安芸の宮島で開かれた。上甲さんの「塾長記念講話」に続いて、光栄にも地元としてメッセージの機会を与えられた。

 衰退の一途をたどる日本の農業と、宮島のシカの現状は余りにも酷似していると若者たちに伝えたかった。

政治にもてあそばれ続けた農業

 青年塾で学んだ穀倉地帯の若者たちは、上甲さんの「21世紀は農業の時代だ!」の檄を信じてUターンした。石川県金沢市の林浩陽さんは第一期生でその一人だ。現在は農業法人の経営者として、34ヘクタールの水田で稲作に取り組む。

 林さんは農業補助金をモルヒネだと喝破している。その正体は何か。魚が釣れないからといって、国のお金で魚屋さんで魚を買うのと同じ。働かなくても生きていけるなら、農法の改革もしないし、手間の掛かる品種改良に取り組まないーと。

 父親の教えがすごい。「絶対に補助金はもらうな!」父親の存在が米作りを成功させた。自力で生きる道を探し当てた。日本の農業を再生させる格好のモデルと言えよう。

 総選挙が近いせいか、農政の改革が声高に語られるようになった。各党が掲げる政策の大半は、農業そのものを弱体化させる選挙日当てのばらまきでしかない。与党の自民党も政権交代を目指す民主党も、その他の小政党もマニフェストは似たり寄ったりである。国策として日本農業の未来像は語られない。補助金のメニューを増やしたり、上乗せしないと一票に繋がらないからだろう。目先の支援を求める選挙民にも問題があるかもしれない。

 しかし、大規模農家はともかく、小規模農家は補助金なくして生きられなくなっている。つまり補助金を与えられ続けて、自らが生きる力を失ったのだ。長い間国会議員たちは、当選する目的だけのために農業や農民を操ってきた。そこには国家百年の大計などは、かけらほども見ることができない。暗愚な政治家に国の行く末を任せ切ると、日本も農業も沈む。

ふるさと再生を夢見るが…

 わがふるさとではシカが繁殖して農作物を荒らし、甚大な被害を与えるばかりか、防護のための莫大な出費を余儀なくされている。シカたちの糞は宮島のそれに比べて数倍も大きく、しかも大量である。自力で生きるシカから農作物荒らしは生存権の主張であり、領域を犯した人間との戦いだというメッセージが聞こえてくる。人間が乱開発した国土では、彼らとの共生は夢物語…。増え続けるシカなどの害獣と、減り続ける農民との熾烈な戟争である。自分の力で生きるシカは手強い。

 ふるさとは戦後60数年を経た現在、2000余人の住民が634人に減り、今もなお減り続けている。高齢者率は47%を超え、若年人口(15歳未満)は5%にも満たない。労働人口はすべて兼業で、専業者はゼロである。「限界集落」を超えて「消滅集落」へ一直線に進む。

 石破茂農水相は「中山間地域の小さな農業も大切だ」「減反見直しは正直者がばかをみないカタチを…」というが、補助金などのばらまき政策は、まったく役に立たない地域がある事実を知ってほしい。残念ながら、国会議員が欲しがっている票は数百票しかない。だが、同じ国で生きている日本人だ。

 石破さんは国会議員のなかにあっては、数少ないほんもの政治家だと認識している。ばらまき補助金以外で「限界集落」再生の妙手はないものか、票にはならないかも知れないが、高齢者の生き甲斐、過疎の活性化に役立つ政策を掲げて欲しいものだ。このまま弱小農家が消え続ける現状を放置するのは、政治の機能不全ではないか。経済の再生は不可欠だが、人の命は何よりも重い。

過疎を置き去りにした行政

 GW期間中の高速道路は、30回以上の渋滞が前年の約2倍で58回を数えたという。「休日割引」や「定額給付金」の効果もあって、一時的には各地に活況を呈した。交通渋滞は二酸化炭素を撒き散らす。地球温暖化対策の一環として二酸化炭素削減に「真剣に取り組んでいる」と政府は言うが、やっていることと言っていることの乖離が大き過ぎる。

 戦後、食料の確保や農業の発展のためと称して、国・地方自治体が使った税金は80兆円を超える。残ったのは荒れ果てた休耕田の真ん中を貫く立派な道路と、人影のない無数の公共建物だけである。農家戸数は280万戸に激減し、専業農家はその一割にも満たないのが実情である。瑞穂の国はなぜここまで崩壊したのか。諸悪の根源は無差別に補助金をばらまいた農政と、それに群がった卑しい族議員たちの愚にある。

 いまさら悔いてもはじまらないが、衆議院の予算委員会のやり取りを聞いていると、まだ懲りずに道路や箱物を作ろうと議員は躍起だ。彼らに一票を投じた有権者として、安易な己の行為を恥じている。

 連休中にもかかわらず、ふるさとの高齢者たちは田植えの準備に余念がない。まるで別世界の光景である。国会議員らが赤絨毯の上を闊歩するのは構わないが、時には限界集落の畔道を歩いてほしいと願う。農業の現実がよく見える。その中から真の農政が生まれる。選挙中のどぶ板作戦も結構だが、人口の密集した都会にとどまらず、人影が疎らな荒れ果てた農村に足を運ぶのも政治家の大切な役割だ。そこにも人は生きている。生殺与奪の権限は、政治家が握っていることを忘れて欲しくない。  (青年塾のメッセージを加筆・補正)

No.16 ~中田宏(前横浜市長)に 日本の未来を託したい~

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中田宏(前横浜市長)に日本の未来を託したい

世相を表す漢字は「暑」に決まる

 平成22年の世相を表す漢字一字は 「暑」 に決まり、 清水寺の森清範貫主が特大の和紙に見事な揮毫をされた。猛暑のイメージが強かったのか、 一万度の熱さに耐えて帰還した「はやぶさ」への賞賛などから選ばれたと思う。だが「世相」の観点から見ると違うのではないか。
 一年を通して日本を覆っているのは民主党内閣の「迷」や「愚」がぴったりくる。「劣」を加えてもいい。
 萎縮した市民の表情からは 「暗」も候補の一つになるだろう。 ネガティブな文言は好まないが、 残念ながら明るい話題はノーベル化学賞のダブル受賞、 ワールドカップ南ア大会における日本チームの健闘くらい。
 珍しくもないが民主党の内輪揉めに絶え間がない。政治とカネの問題で「一点のやましいところもない」
と小沢一郎は公言するが、それは小沢自信の価値判断でしかない。国民の目から見ればやましいところだらけである。どこにでも出て説明すると言いながら、出ろと言えばあれこれ難癖をつけて大騒動する。
 主導権争いならまだ救われる。分裂するならそれもいい。騒動に目的がなければ混乱するばかりだ。迷惑を被るのはいつも弱い立場の国民である。喧嘩は分かりやすく理由を明らかにして、倒れるまで取っ組み合いをしたらいい。
 菅直人も遠くからぼそぼそモノを言い、オロオロしていては何も始まらないし解決もない。これまでは仮免許だったが、半年過ぎたいま本免許になったと言う。笑わせてはいけない。比喩も稚拙だが、その思い込みは傲慢そのもの。
 本免許は試験を受けなければ交付してくれない。何もしないで時間が過ぎればもらえるほど易しくはない。
「暗愚」な宰相は「迷走」し続け、日本の政治を「劣化」させている。

高まる政界再編への期待

 このほど実施された産経新聞社の世論調査によると、政権交代の期待が大きかっただけに、国民の民主党に対する失望・落胆が数字にはっきり見える。政党支持率でも自民党が久しぶりに民主党を逆転した。
 しかし、自民党政治の復活を望んでいる訳ではない。民主党の度重なる失策で得点を重ねたにすぎない。臨時国会で法案成立率がここ十年で最低だった要因として、野党の強硬姿勢は一割に満たない。菅首相の指導力の欠如と民主党の国会運営の拙劣さを加えると六割に達する。
 このまま推移すると民主党政権は自爆する。摩訶不思議な政治の世界だけに、どのような奇策があるのか予測はできない。首のすげ替えをしようとしても後釜が不在だ。菅政権が運営するとしても「民主・自民の大連立」は期待できない。小沢一郎中心の政界再編は、小沢チルドレンといえども二の足を踏む、連立の組み替えも難しい。わずかに「部分連合」への期待はあるが、ねじれ国会は克服できない。
 急浮上したのが「政界再編後の既存の枠組みによらない政権」待望論。
 世論調査では「部分連合」と肩を並べる期待度で、クリアーすべき課題は多いが約五割の人が支持している。
 来年一月からの通常国会をどう乗り切るかという政党本位の立場ではなく、日本の将来に責任を持つには何をすべきかと考えるまともな政治家も少なくない。
 昨年の総選挙で政権交代を勝ち取った世論が、民主党政権に失望しながら、望ましい政権のあり方を模索しはじめている。だが、沈みつつある日本の現状は、十分な時間を与えてくれない。茶番劇を冷やかす余裕はない。国民の一人として何を為すべきか、真剣に取り組みたい。

「万縁の会」の果たす役割

 平成22年12月11日、横浜市内で、『中田ひろしと共に日本を良くする万縁の会︵万縁の会)』の常任幹事会が、前横浜市長・中田宏も出席して開かれた。この会は平成10年4月、当時は衆議院議員であった中田宏の政治活動を資金的に支えることを目的として誕生した。イエローハットの鍵山秀三郎・相談役が会長を務めておられる。
 当時も今と同じように政治とカネの問題で政界は揺れていた。志が高く能力のある政治家が、次々とカネにまつわる事件で沈んでいった。しがらみのある企業・団体の献金で政治活動をしていては、やがて日本は沈むと憂う同志が心を合わせた。
 日本で馴染まないと言われる個人の献金で中田宏の政治活動を支えようというのである。会員は一人一万円の年会費を負担する。しかも一人一口に限定し、個人的な頼みごとは一切しない約束になっている。
 それから13年、中田宏は当初の約束を守り、個人の会費でのみ政治活動を続けている。ピンチは国会議員から横浜市長に転身した平成13年のこと、多くの地方会員が離れていった。それを救ったのは鍵山会長の「私は中田宏が国会議員であろうと一個人であろうと、日本を憂える政治家である限り支援する」という決意の披瀝である。この一言が今もなお生き続けている。
 以来、中田宏は横浜市長の退任、
日本創新党の立党、参院選の敗北と険しい道を歩み続けている。
 しかし、政治の仕組みを変え、新しい日本を創る熱意に揺るぎはなく、東奔西走中。次の選挙のことしか考えない政治家は、選挙区以外に顔を出すことは滅多にない。彼らは日本のためではなく政治家になることが目的だ。ここに大きな違いを見る。

絶好のチャンス到来

 「理想のみ追っていては日本回復に時間が掛かりすぎる。私が指し示す新しい国家像に賛同してくれるなら、いかなる個人・団体とも力を合わせる」と常任幹事会の冒頭に中田宏は決意の宣言をした。大きくウイングを広げたことになる。
 いま政治は迷走し、揺れ続けている。国民はかつて自民党政治に失望し、自ら選んだ民主党に裏切られた。
 世論調査でも明らかなように、必然的に新しい枠組みによる政党の政権を望むようになっている。NHKの大河ドラマの「竜馬伝」の坂本竜馬が語った「みんなが笑って暮らせる世の中」が、目指す日本の姿である。民主党が目標とする「最小不幸社会」ではない。異論もありそうだが徳川幕府からの大政奉還を唯一の目標に掲げた坂本竜馬の姿に、中田宏の今を重ね合わせている

 「万縁の会」 は中田宏に日本回復を託すことを目標に、組織を整備し再生へのスタートをした。北海道から九州までの全国を14ブロックに分けて活動を展開する。統括責任者もそれぞれ同志が引き受けてくれた。
 これだけでも選挙のための支援組織ではないとご理解いただけるだろう。
 ハードルは高いが、本気になればできないことはない。できないとすれば本気さが足りないか、やり方が間違っている。日本回復を中田宏に託す思いは正しいと信じて前に進みたい。「迷」「愚」「劣」「暗」 はイヤだ。来年の一字漢字は、自立の「立」、創新の「創」「新」を願う。

No.15 ~溶けていくニッポンを救おう  有権者よ、今こそ立ちあがれ~

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溶けていくニッポンを救おう 有権者よ、今こそ立ちあがれ

 日本はおろか地球の隅々まで陰湿で品格の乏しい話題が、ようもここまでと思うほど次々に飛び込んでくる。何か明るい話題はないものかと待っていたら、2010年ノーベル化学賞受賞のビッグニュースが届いた。栄誉に輝かれたのは北海道大名誉教授・鈴木章氏(80)と米パデュー大特別教授・根岸英一氏(75)。

 受賞理由は門外漢なので十分理解できないが、低下著しい日本国の名誉をいささかでも挽回した快挙である。科学技術分野の仕分けで「なぜ二番ではいけないのか」なる名言を吐いて予算を削ろうとした阿呆な大臣もいるが、オンリーワンでなければ世界は注目してくれない。
 研究開発のプロセスでは足を引っ張っているのに、他国から成果を認められるとあわてて拍手を送る大臣らには呆れ返る。菅直人首相の祝意に対し「日本の科学技術は世界でもトップクラスなので、もっと生かしてほしい」と、受賞者の鈴木教授はちょっぴり皮肉を交えた謝意。
 鈴木教授は北海道生まれ。豊かな自然のなかで野山を走り回り、川や沼で魚釣りを楽しむこどもだったという。塾もなかったし、親から勉強しろとも強制されなかった。それでも勉強嫌いでなければ、科学者として最高の栄誉を手に入れられる。
 一番はやっぱりいい。日本人のすべてに大きな希望と勇気をプレゼントしてくれた。今回の栄誉を機会に科学者が伸び伸びと研究できる環境づくりを進めてほしいものだ。
 * * * * * * * 
 事情あって昨年の六月「ビジネス界」は休刊を余儀なくされた。「続・世相藪睨み」を連載中だったが、やむなく13回で中断、14回分は掲載されなかった。その原稿を読み返してみると面白い。名前と日付だけ変えると、昨日書いたように生々しい。つまり日本の政治家らは一年半、無為徒食であった証である。一節を再掲させていただく。

政権交代で日本は良くならない

 『どこまで堕ちるか分からない日本政治の現状だが、民主党代表は金権権化の小沢一郎さんから友愛坊ちゃんの鳩山由紀夫さんに代わった。だが「民主党が政権を取れば日本は良くなる」のキャッチフレーズは引き継いだ。笑わせてはいけない。政権が交代して日本が良くなるのなら、これほど簡単なことはない。日本を良くするのは勝れた政策であり、強い遂行能力である。
 遅くとも九月までには総選挙が実施されるが、自民党が政権を死守するのか、民主党が念願の政権を奪取するのか予測ができない。どちらもホームランはおろかポテンヒットさえ打てず、相手のエラーでのみ得点を重ねている現状だ。その都度、世論調査は右往左往する。たまにはクリーンヒットで観客を沸かせるプロ野球を範としてもらいたい。麻生さんは性懲りもなく言動がぶれ続け、失点の積み重ねで国民のため息を呻き声に変えた。鳩山さんは国を憂う志が見えず、政権担当能力の疑問が解消しない。小沢さんは政治献金疑惑を晴らすどころか、一点の曇りもないと開き直った。永田町の話は余りにも遠すぎて、国民の目には見えなくなった。
 今はっきり言えることは総選挙の結果、いずれが政権を担ったとしても、政治も経済もさらに低迷を深め国民の暮らしが益々疲弊し続けることは間違いない。一年に一度、総理大臣が代わっていると批判されるが、これからは半年に一度はトップの顔が違う時代に入る。つまりどの政権も半年は保たないということだ。
 日本は溶けはじめた。それでも暗愚な政治家たちに、日本の将来と国民の暮らしを任せてよいのか。』
(2009・6月号原稿 未掲載)

お家の一大事に何も言えない

 やっとの思いで政権交代を果たし、念願の総理大臣の座まで上り詰めた菅直人さんのクビをわずか四カ月ですげ替えるのはみっともないから、もう少し頑張ってほしいけどもういけない。あなたの暗愚に付き合っていると日本が溶けてしまう。
 アジア欧州会議で豪・韓・越首脳と2国間会談を行い「尖閣問題に理解を得た」と菅首相は白い歯を見せたが、理解程度は誰でもしてくれる。日本の外交が正しいとは言ってくれない。どうせ他人事だから「そうだね」と言っておけば事は済む。
 中国の恩家宝首相を廊下で呼び止めて雑談をしたのは、菅さんとしては勇気ある行動だった。しかし、拘束された日本人を返せ! となぜ言えないのか。恩首相が「魚釣島は中国の領土だ」と主張しても、あいまいに笑ってよき友のふりをする。
 ニューヨークで開かれた国連総会でも、あれだけ恩首相から足蹴にされながら、二度も演説したのにわが国の主権を主張しない。オバマ大統領との会談でも、中国問題は避けて通る。こどもの喧嘩だって対等なら主張すべきはきちんとする。あげくの果ては何でも人任せ。遠吠えすらできない役立たずに思える。
 衆院本会議で自民党の稲田朋美議員に対して「原稿を見ないで質問するのが筋だ」と菅さんはいきり立った。その通りだ。しかし稲田議員の「官僚の用意した原稿を読まず、首相自身の言葉で答弁してほしい」とただした発言に対する答弁となれば話は違う。後から陳謝したが、なんとも見苦しい。哀れをとどめる。
 自身のことばどころか、官僚の書いた原稿もしどろもどろでまともに読めない。本会議の質疑応答はセレモニーだから、見せどころでは拍手が起こり野次も飛ぶのが通例。それなのに議場は白け切って、気味が悪いほど静かだった。
 国家の主権を侵されるような他国の行為に対しては、遠くからでも構わないから怒鳴り付けてほしい。そうでないと国民はやりきれない。

もの言えば唇寒し民主党の秋

 『小沢氏 強制起訴へ』日刊紙の一面トップに踊った。民主党の小沢一郎元幹事長の政治資金規正法違反事件で、東京第五検察審議会は検察の不起訴処分を「強制起訴すべきだ」と決議した。小沢さんは事件に対して不起訴になったから真っ白だと強弁していたが、とんでもない自分勝手な解釈だ。白か黒かはっきりしなかったに過ぎない。検察審議会は検事の勝手な判断ではなく、裁判で黒白を付けるべきだと言ったのだ。「離党も辞職もしない。権力と戦うのみだ」と息巻いているが、政治家として倫理感が欠如しており、厚顔無恥そのものだ。恥知らずにも程がある。
 牧野聖修・民主党役員が「起訴議決を受けた小沢さんは自ら身を引くべきだ。さもなくば離党勧告か除名処分だ」と正論を述べたところ、あっさり更迭された。当然のことも言えない民主党に明日はない。菅さんは小沢氏が判断することだと逃げているが、本人は〈唯我独尊〉動くはずもない。せっかく天が与えてくれたチャンスだ。思い切って追放すればいい。そうすれば民主党は小沢呪縛から解放され、風通しがよくなる。新しい明日が見えるかもしれない。
 なにはともあれ国民が納得する自浄能力を発揮しないと、いつまでも温和しくしてはいない。

No.14 ~溶けていくニッポンを救おう  有権者よ、今こそ立ちあがれ~

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黄金時代を迎えた広島東洋カープ

 日本はおろか地球の隅々まで陰湿で品格の乏しい話題が、ようもここまでと思うほど次々に飛び込んでくる。なにか身近に明るい話題はと探すと、あった、あった。広島の新たな象徴「マツダスタジアム」の超賑わいぶりである。もちろん球場を造っただけでは人も集まらないが、真っ赤なユニフォームが躍動する広島東洋カープの勝ちっぷりがファンを呼び込む。

 6月18日のセ・パ交流シリーズ楽天イーグルス戦では、平日にもかかわらずゴールデンウィークを凌いで入場者の記録を塗り替えた。人気の田中まーくんに負けず大竹投手が3試合ぶりに好投し、石原捕手の劇的なサヨナラホームランで超満員のファンに応えた。広島東洋カープの黄金時代再来か。

 6月20日、わが社の社員、協力会社の職人たち、家族総出で応援に駆け付ける。交流戦最後の試合となる北海道日本ハムファイターズとの2連戦。人気のダルビッシュ投手の当番が予想され、球場外も人の波で溢れそうだ。残念ながら筆者は留守番の貧乏くじを引き、1人さびしく溜まった仕事をこなす。

 広島東洋カープの本拠地である広島市民球場は1957以来、幾多の名選手を輩出したが老朽化に耐えきれず新球場の誕生となった。紆余曲折はあったが総工費90億円余を投じて、JR広島駅東側の好立地にお目見得した。全天候型ドーム球場全盛のいま、天然芝オープン型の球場は野球の楽しみを倍増させる。観客定員は3万3千名で、今のところ閑古鳥が鳴くような事態にはない。

 自動車メーカーのマツダをはじめ伝統企業が夫人を極める広島経済の光明となり、クライマックスシリーズ進出を目指して市民に明るい話題を提供し続けて欲しい。7月24日は待望のオールスターゲームmの開催され、市民に勇気を与えてくれる。

政権交代で日本は良くならない

 どこまで堕ちるか分らない日本政治の現状だが、民主党代表は金権権化の小沢一郎さんから友愛坊ちゃんの鳩山由紀夫さんに代わった。だが、「民主党が政権を取れば日本は良くなる」のキャッチフレーズは引き継いだ。笑わせてはいけない。政権が交代して日本が良くなるのなら、これほど簡単なことはない。日本をよくするのは勝れた政策であり、強い遂行能力である。

 遅くとも9月までには総選挙が実施されるが、自民党が政権を死守するのか、民主党が念願の政権を奪取するのか予測が出来ない。どちらもホームランはおろかポテンヒットさえ打てず、相手のエラーでのみ得点を重ねている状況だ。その都度、世論調査は右往左往する。たまにはクリーンヒットで観客を沸かせるプロ野球を範としてもらいたい。麻生さんは性懲りもなく言動がぶれ続け、失点の積み重ねで国民ため息を呻き声に変えた。鳩山さんは国を憂う志が見えず、政権担当能力の疑問が解消しない。小沢さんは政治献金疑惑を晴らすどころか、1点の曇りもないと開き直った。永田町の話は余りにも遠すぎて、国民の目には見えなくなった。

 いまはっきり言えることは総選挙の結果、いずれが政権を担ったとしても、政治も経済もさらに混迷を深め国民の暮らしが益々疲幣し続けることは間違いない。1年に1度、総理大臣が代わっていると批判されるが、これからは半年に1度はトップの顔が違う時代に入る。つまりどの政権も半年は保たないということだ。日本は溶けはじめた。それでも暗愚な政治家たちに、日本の将来と国民の暮らしを任せてよいのか。

頼りない政治家たち

  少々旧聞に属するがさる2月20日「岡田克也と語る会」が広島市内で開かれた。トイレ掃除仲間の1人が次の総選挙に立候補を予定しており、平たく言えは選挙の事前運動である。この種の選挙活動に関心はないが、仲間の要望もあり枯れ木も山の賑わいの思い出参加した。

 せっかくの機会だから岡田克也・民主党幹事長(当時は副代表)に質問を試みた。「来年の年頭の辞を述べる日本国の総理大臣は岡田さんだと思うが、どのような日本を作りたいのか、未来ある子供たちにどんな日本人になってほしいのか、政治家・岡田克也としての信条を披露していただきたい」と、いささかの世辞を加えて問うた。ところが驚いた。

 なぜかしどろもどろになって「小沢さんが代表を辞することはない。民主党政権の総理大臣は小沢一郎に決まっている」と弁解に終始し、質問に対しては一言も触れることはなかった。どろどろした政治家群の中では比較的清潔で、しかもリーダーシップがあると好感を持っていただけにがっかりした。幸か不幸か予言は的中し、翌月、不透明な政治資金のやり取りの罪で小沢さんの秘書が逮捕された。その責任を取るカタチで民主党代表を辞任し、なぜか一蓮托生と声高に格好をつけていた鳩山さんが代表に選ばれた。

 すべてとは言わないが、政権与党も野党も権力の争奪戦に終始し、国益や国民の暮らしには無関心に見える。経済が混乱に国民の生活が疲幣している現実を無視して、政局こっごに明け暮れている。国を導いていくのは政治家の責任である。だから「先生、何とかしてよ」と有権者は政治家に頼ってきた。しかし、どうお願いしても何ともならない世の中になってしまった。

未来を見限ってはいけない

 本誌3月号で「日本、この手で何とかする!箱根会議」の熱気を詳細にお伝えした。多くの政治家が役立たずなら、有権者が心ある政治家の尻を叩き立ち上がらせる。「箱根会議」では心ある政治家たちに、新たな国民中心の運動を展開すべく決起を迫った。平成21年3月15日、日本の政治史に新しいページが開かれた。次のページがめくられるかどうかは不透明だか、提案者である上甲晃氏(松下政経塾・元塾頭)の国を思う熱誠に応えて500名を超える全国の同志が発起人になった。

 目先の事情に振り回されて、後先も考えあず後世に借金を垂れ流し続ける今の政治はうんざりだ。その現実に嫌気がさして見限るのも一つの方法。選書をボイコットし、白票を投じるのも一つの選択肢。でも政治に絶望したツケは、やがて自分自身に降り掛かってくる。子や孫たちの負担を強いる結果になる。どうせなら世界の荒波に漂流する日本を、自分たちの手で何とかしようではないか。

 きたる7月17日午後6時30分、日比谷公会堂で「日本、この手で何とかする!サマーフォーラム」が開かれ、新たな狼煙があがる。上甲さんをはじめ全国の有志の熱意に応えて、永田町政治の枠を超えた国を思う志高い政治家が、どれだけ箱根会議の問いに対する答えを持って馳せ参じてくれるか、それは分らない。

 これからの政治は、志ある有権者と志ある政治家の共同作業でこそ成り立つ。条件が整うのを待っていたのでは何も始まらない。まず決意してスタートする。次いで必要な条件を整える。今日の政治に絶望したとしても、日本の未来には希望を持ちたい。平成維新の幕開けを期待。

No.17 ~嫌な奴でもニッポンの  ためになるなら批判中傷  よりも叱咤激励を! ~

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”嫌な奴でもニッポンのためになるなら批判中傷よりも叱咤激励を!”

菅直人首相の大胆な改革提案

 菅首相が政権に就いて実現したことはほとんどなく、メディアと野党、そして自身が率いる民主党の多くの議員が追い落としに躍起になっている。菅さんも前任者たち(安倍、福田、麻生、鳩山)に続いて歴史の塵に消えるかと思われたとき、彼はこの20年間の経済停滞期に試されたどんな政策よりも急進的な改革をまとめ上げた。外国人を魅了し、優勢なうちに退任した小泉純一郎元首相でさえこれほど無謀とも思える大胆な改革は試みていなかった。

①社会保障を全面的に見直す計画で支払能力の保障と国の財政を安定させる手段として、6月までに消費税率引き上げに関する計画をまとめる。

②財政引き締めと成長刺激策を一体化し、九カ国に拡大した地域自由貿易圏・環太平洋経済連携協定(TPP)に参加したいと考えている。(同協定への参加は農業ロビー団体を屈服させることを意味する)

③米国志向の貿易圏を優先する姿勢は、日米同盟復活に向けた取組みと同時に、中国の台頭への対応と世界における日本の地位に関するビジョンを明らかにしている。

 日本のメディアと受け止め方が異なるから、門外漢にとっては称賛なのか皮肉なのか分かり辛い。

 エコノミスト誌はなるほどと思わせる見方もしている。「菅首相は抜け目のない政治家であるが、演説は下手で小泉氏のような華やかさは全くない。しかし、奥の手がある。それは、古い政治に対する国民の不満の高まりだ」。奥の手をどう使うか。

国民にすべてを委ねる

kann2_copy_copy国債の増額発行、子ども手当、農家の戸別所得保証、高速道の無料化、などなど、愚図な政府の対応にウンザリしている有権者は複雑な心境で見つめている。政治家は支えてくれなくても、もしかしたら国民は支持してくれるかもしれない。鳩山前首相のように単なる思いつきや軽口ではなく、信念の産物であることを行動で示してもらいたい。いずれの提案も理に適ったことであるが、野党はもとより政府与党にも声高に反対する勢力は多い。大半の国会議員は、日本のためより己の選挙を優先する。信念や持論とは関係なく、己の地位を与えてくれる一票に土下座する。したがって菅首相の改革提案は支持されないかもしれない。そのときは小泉さんのように政治家の頭越しに有権者にアピールすべきだろう。解散権を使おう。

 深い眉間の皺、落ち着きのない態度、うつろなまなこ、多すぎる「あの~」、目線を落としてしかモノが言えない、好みで言えばタイプではない。しかし、いまピンチに見舞われている日本国の総理大臣は、菅直人ただ一人。批判中傷して足を引っ張るよりも、叱咤激励して尻を叩くのが道に適っているような気がする。

わが「ディリーメッセージ」

還暦直前の平成8年、ふとしたきっかけで「ディリーメッセージ」と称する600字前後の雑文を書き始めた。内容は政治、経済、教育、ビジネス、スポーツなどあらゆる分野にわたるが、不平・不満や愚痴などの域を超えることはない。そう長くは続かないと高をくくっていたが、平成23年2月末日で5182号になる。この間、胃がんの全摘出手術などのアクシデントもあったが、なぜかそれでも休んでいない。

 もともとは社内向けのメッセージだったが、一週間分まとめて畏友にFAXで届けてもいる。昨年10月からホームページでも公開を始めた。何事も三日坊主で、あれこれ言い訳しながら先送りし、挙句の果てはポイ捨てしている。それなのにこの「ディリーメッセージ」と「はがき」「そうじ」は、15年間、一日も休まず続いている。よほど相性がいいのだろう。5000日も続けば、ちょっとした自慢もできる。

 生意気にも政治に対して文句を言っているが、中には面白い一文もある。菅直人さんは小沢一郎さんを処分したが、おかしな16人に反旗を翻され、おたおたしているように見えるが果たしてどうか。

 解散を求める世論が大きいとメディアは伝えている。国会議員になりたい一念で生きている人たちが、自らを解雇するとは思えない。とすれば、任期を半分以上残しての解散はあり得ないだろう。そうなら菅さんに頑張ってもらうしか手はない。わがディリーメッセージで激励の一文を…。

近代政治史に名を刻む名宰相に(№5143号 11・1・8日)

最近の政治家は明確な言葉を発する能力を失っている。いくら思いがあっても、具体的に口にしなければ国民に伝わらない。菅直人首相は年頭の記者会見で、珍しくはっきりモノを言った。小沢一郎元民主党代表に「不条理を正す政治」の一環として、表舞台から去るよう忠告した。この一言で日本の政界に君臨した怪物は消え去る。

 条件を整えるにはこれから難所に差し掛かるが、やせてもかれても最高権力者の意思だからその方向に進む。そうなれば鳩山由紀夫前首相も出番がなく、得意の軽口撤回でもう一度引退を表明するかもしれない。小沢さんの降壇は単に民主党の害毒を取り除くにとどまらず、田中角栄時代から続いている政治の仕組みの終焉を意味する。目出度い限りだ。

 菅首相が「国民生活第一の政治」を目指すなら、まず明確な目標を設定し、然る後に実現の条件を整えてもらいたい。条件を整えて物事を決めるのであれば何一つとして実現しない。平成の開国→TPPの参加、財政再建→国会議員、公務員の削減、消費税の増税などによる安心社会の実現、日米安保体制の確立→普天間基地の移転など、まず決定すること。

 国民の支持率を気にしない、政界、経済界に斟しん酌しゃくしない。評判の悪い子ども手当てをはじめ農業や高速道のばら撒きは、誰が反対しても止める。総理大臣の鶴の一声はそれだけの力を持っている。一つずつ着実に行えば、総理の座を失うかもしれないが、近代政治史に菅直人の名前が刻まれる。もはや失うものは何もないだろう。乾坤一擲の勝負を賭けるときだ。

2月23日に開かれた民主党常任幹事会で、小沢一郎氏は事実上追放された。万事に信念を貫けば、勢いは世論の風が持ってきてくれる。

(2011、2、28)。

No.18 ~親が役立たずのぼんくらでも子がしっかり役割を果たすニッポン ~

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”親が役立たずのぼんくらでも子がしっかり役割を果たすニッポン ”

お辞儀で分かる菅首相の本気度

新入社員研修の基本部分を「経営理念」から「職場のエチケット」まで8講に分けて行った。真意がうまく伝わらず歯がゆい部分もたくさんあるが、いまどきは上から下までそんなものだと割り切っている。だが、お辞儀の仕方などは「言って聞かせる」では足りない。お詫びのお辞儀は「太ももに置いた掌が、膝を過ぎるまでの角度」とやってみせる。

 テレビニュースで村井嘉弘・宮城県知事が、菅直人首相を総理官邸に訪問したと報じられた。言うまでもなく東日本大震災の対応にもたもたしている国の責任を問い、復興の具体的な施策を迅速にして欲しいという陳情であろう。映像を見て驚いた。同席した枝野幸男官房長官、松本龍防災担当大臣は、低頭する村井さんを無視するかのように無表情で突っ立ったまま。菅首相はちょこんと頭を下げ握手した。

 低頭すべきは原子力発電所事故などの対応にミスにミスを重ね、被災者に塗炭の苦しみを与えている菅直人ではないか。土下座してお詫びしてもおかしくない。官房長官や防災担当大臣の所作は、日本人として恥ずかしい。翌日の朝刊で確かめた。村井知事の頭のてっぺんは、菅首相の顎の下にある。お辞儀には語らずして本気度が見える。レベルは表情と所作が裏付ける。

 研修では菅首相のお辞儀を悪い見本として伝え、われわれはあのような無礼なお辞儀をお客様にしてはならないと戒めた。口先だけなら何とでも言える。あの態度を見る限り、今さらの『復興構想会議』などはパフォーマンスでしかない。会議の乱立や人事の乱発、船頭多くして日本丸を何処へ案内しようというのか。

「吉里吉里人」の誇り

 悲劇の三月十一日から一ヶ月が過ぎた。まだ震災は進行中であり、復興への見通しは立っていない。未曾有の大惨事に見舞われながら、菅内閣をはじめ与野党の国会議員は己の役割を果たしていない。『国会は、国民に選ばれた代表者が、国民のためにさまざまなことを決めていく大切なところ』と教わっている。

 関東大震災では一ヶ月で復興予算と組織が決まった。関西大震災でも一ヶ月で必要な法律を十一本成立させた。東日本大震災では、まだ第一次補正予算案が国会に上程されていない。緊急の法律も手付かずのまま。国会が開かれているのかどうかもはっきりしない。国会議員のバッヂを付けていない『復興構想会議』の議長が、『復興税導入』をぶち上げた。

 こんな体たらくの行政を待っていたらいつまでたっても復旧しないとばかり、住民の手で瓦礫を片付け、コンビニの協力で飢えを凌いだ。災害用の発電機を使い医療用の電源も確保。中学校の校庭にライン引きで『H』を書いて自衛隊のヘリコプターを誘導した。重症者や透析患者らを順次搬送してもらった。「独立精神」で支えあいながら、避難生活を送っている地域がある。

 故井上ひさし著「吉き里り吉き里り人」の発刊を機に町おこしをして注目された岩手県大槌町の東三㌔の地にある吉里吉里地区。小説は東北地方の寒村が政府から分離独立する物語である。今回の震災でも翌日には対策本部を立ち上げ、役割分担も細かく決められたとう。政府が役立たずだと優れた地域王国が生まれる。明日にでも被災者が希望を持てるよなメッセージを発しないと菅内閣には天罰が下される。

新しいトップは秋葉市政にノー

 三期十二年もの長い間、広島市長の座にあった秋葉忠利さんが、市民を馬鹿にしたようにあいさつもしないで引退した。新しく市長の座に着いたのは松井一実氏。広島市中区出身の厚生労働省の官僚だが、立ち遅れのスタートを自民党と公明党の推薦で楽々クリアーした。

 前市長が後継に名指した副市長は、予想外に脆かった。事実上の一騎打ちを演じる与野党対決の構図だったが、投票終了と同時に松井氏の当確が報じられた。三期も勤めれば名物市長も飽きられる。後継指名などおこがましかったのか、凋落著しい民主党推薦が災いしたか。担がれた前副市長には気の毒だった。

 松井さんは『これまでの市政がなし得なかった議会との対話に努め、市民の声をお聞きする。広島を良くし、日本の元気を取り戻したい』とにこやかに当選の弁を述べた。議会とは、三期にわたって対立し続けた。そのことが市民にとって良かったのか悪かったのか判定できないが、政策のことごとくが停滞した。

 天から啓示を得たかのように、ある日突然、前市長はオリンピックの招致運動を始めた。多くの反対はあったが聞く耳持たず猪突猛進。新市長は公約どおり招致運動中止で一件落着。費用がいくら掛かったのか分からないが、どぶに捨てたようなもの。一部開催も否定しての完全撤退で一安心。ごたごたしていた広島西飛行場も、知事とうまく解決しそう。

 広島市民球場跡地の再開発では折鶴は保存しないと言明。「若者中心の賑わいの場にする」と方針変換を打ち出した。新しい広島市は「出かける平和から迎える平和へ」と大きく転換する。世界のヒロシマと著名になるだけでは、街の活性化にはつながりにくい。平和都市であって欲しいが、祈るだけで街は元気にならない。新市長の基本方針に賛成。

頼りない身近な先生、正体見えず

 市長選と同日に市議選、県議選も投開票が行われた。掃除仲間からは何を基準に投票すればよいかと聞かれ「菅直人が率いる民主党の公認・推薦以外の候補者」と返事した。選挙公報は発行されず、おかしな自粛ムードで個人演説会も開かれなかった。選挙期間中は事務所前で手を振るか、あいさつと個人名の連呼だけで騒々しく過ぎた。意外な人が当選し、当確と思われた人が落選した。その差は何なのか。

 候補者の選挙はがきには、地域の絆を復活、子どもの教育、過疎地の活性化、高齢者の生き甲斐、農業の振興など公約として掲げていた。一人くらいは市民のことを考える議員がいてもよさそうなものだが、彼らは何も勉強する気がないし、現地を見る力もない。支持者の陳情を役所に取次ぎしたり、地域のイベントに参加して手を振る程度の役割。これで年俸千四百万円とは勿体ない。

 役に立たないようでも役所では幅を利かす。職員は先生の顔を見ながら仕事をする。結果として議員を出していない集落が、行政から公平に扱われることはない。「村おこし・町おこし」と御託を並べるが、残念ながら過疎地の活性化などには一円の税金も回ってはこない。議員の知らないところで、集落は静かに一つずつ消えてゆく。

No.19 ~もうすぐ政治の仕組みが変わる 菅直人の辞任が日本を良くする~

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”もうすぐ政治の仕組みが変わる 菅直人の辞任が日本を良くする”

東日本の震災復興や原発の事故処理に何一つとして有効な手が打てないまま、菅直人首相が辞意を表明した。そのいきさつや不信任案を巡るどたばた劇は、もはや政治とはいえない。面白くもない茶番に過ぎない。鳩山由紀夫前首相が亡霊のように蠢いて、すでに過去の人になった小沢一郎民主党元代表と語らって「菅、辞めろ!」の大合唱を始めた。うまく運びそうだったが、策士の菅直人にいっぱい食わされた。頭に血が上った鳩山由紀夫は「嘘つき!」「ペテン師!」などとわめき散らした。

宰相というものは一旦辞めるといった以上、○○をめどになどと屁理屈をこねてもすぐ辞める羽目に追いやられる。辞める宰相が居座っていたのでは、日本国の身動きが出来ない。六月末には間違いなく辞任するが、鳩山も小沢も一緒に消える。岡田克也幹事長、枝野幸男官房長官、仙石由人官房副長官などは菅直人と共に表舞台を去ることになる。これらの無能な権力亡者の顔を見ないで済むのは嬉しい。

無責任な野次馬の興味で申し訳ないが、次の首相は誰になるんだろうと考えたとき、詰まってしまった。今のところ民主党の代表が首相に選ばれる環境にない。自民との谷垣禎一総裁はひ弱い。残念ながら日本国には、危機に瀕した国政を担える政治家がいない。いずれ政策を中心とした新しい集団に生まれ変わるだろうが、六月末には間に合わない。

苦吟の末、亀井静香国民新党代表に思いが浮かんだ。瓢箪から駒となるかもしれない。しかし、しばらく機能しないだろうから、子どもが親を引っ張るしかないように思う。自分のことは自分でする時代に転換するということだろう。

多かれ少なかれ公共はささやかな善意で成り立っている

児童・生徒には美しい通学路を歩いて登校して欲しいと強く願っている。「美しいものを見れば、美しいものに子どもは似てくる」と生涯の師・鍵山秀三郎さん(日本を美しくする会・創立者)に教わったからだ。せめて通学路をきれいにしておけば、子どもらは明るい気持ちで校門をくぐると信じた。そして実践した。

CIMG1323_copy 口先だけでは誰も動かないことは百も承知。率先垂範すれば必ず同調者が現れ、すべての学校の通学路が毎週きれいになると思っていた。毎週水曜日の朝実施すると決め、平成十一年四月からスタートした。その都度、学校周辺の百戸に呼びかけのチラシをポストインした。すぐ効果が上がるほど甘くはなかった。

七校をローテーションで回っているから、十二年も続けると各校とも百回程度回ったことになる。その間、学校も行政も地域も、横断幕や懸垂幕などで清掃の大切さを訴えているが、呼び掛けには誰も応じなかった。唯一人五年前、学区外から大江雅雄さん(口田南在住)が参加してくださった。毎週水曜日、通学路を清掃しながら、元気で明るいあいさつを子どもらに届けておられる。改めて学校現場の荒廃に付いて考えさせられることが多い。

地域内には商店や住宅などに接しない道などが意外にも多くある。それなのに汚れが気になるところは見当たらない。大抵の場合、高齢者からの善意のプレゼントだ。目立つことを遠慮し、表彰などは拒絶する。地域の公共は名もないささやかな善意で成り立っている。彼らはひそかに人のために汗を流している。生活はつましいが心は圧倒的に豊か。善意が育つ地域があちこちに生まれると随分暮らしやすくなる。

トイレを磨くとほんとうに人生が変わるのか

植村花菜さんがNHKの紅白歌合戦で「トイレの神様」を熱唱して以来、トイレ磨き活動が見直されたようにも思えるが、実践になると別の問題のようだ。もともとトイレは昔から「4K」と言われ、臭い、汚い、暗い、怖い、の代名詞だった。近年では①謙虚な人になれる、②気付く人になれる、③感動の心が育まれる、④感謝の心が芽生える、⑤心が磨かれる、の自己研鑽「5K」として評価されるようになった。加えてトイレには「べっぴんさんにしてくれる女神様がいるんやで」と植村花菜さんが歌ってくれた。

CIMG1325_copy平成十一年一月九日の土曜日から平成二十三年六月四日の土曜日まで六百四十六週連続で、地区内のJR駅や公園のトイレ磨きを続けているが一向に人格が向上した自覚はない。まだまだ磨きようが足りないと思えば、これからの励みにもなる。

現在は八か所のトイレ付き公園の清掃を続けているが、地域ボランティアのみなさんのおかげで三か所も卒業させてもらった。その都度汚れたトイレのある公園を探しては加えている。いくらでもある。公園トイレの輝度は地域住民の公徳心の差が表れる。行政は二日に一度の割で巡回しているが、文字通りの巡回で何もしない。壁に貼ってある管理用紙に巡回時間を書いて捺印するだけ。

当たり前のことだが行政に頼っていては、暮らしが決して良くはならない。何とかしてくれるだろうと期待していても何も変わらない。行政はやらないというより出来ない仕組みになっている。自分たちで出来ることは自分たちでする以外、暮らしを良くする方法はない。自主・自立の心のレベル次第である。それが暮らしの価値を決める。

徒歩通勤で再び脚を鍛える百キロウォーキング参加のために

島根県益田市内でドライビングスクールを経営する『Mランド』主催の「百キロウォーキング大会」に参加申し込みをした。年齢を考えなさいと妻に忠告されたが、来年は後期高齢者の仲間入りをする。七十五歳ともなれば気も萎えるおそれもあり見栄を張って小さな決心をした。

決めたその日から徒歩通勤を始めた。往復で三キロほどだが、格好よく歩こうと意識すればするほど、身体に余分な負担をかける。帰宅は遅く朝は早いから日射病に罹る心配はない。だが、片側が法面の歩道の暗さにはびっくりした。省エネで街灯の照度が落とされ、街路樹の生い茂っている区間は、すれ違うまで相手の姿に気付けない。おまけに自転車は大半が無灯火だ。

街路樹と歩道脇の植栽がきちんと剪定されていれば、走る車のライトくらいは届く。役所には暮らしの安全のために整備して欲しいとお願いしているが、応える気配はない。「予算が足りないからねえ…」と嘆き節も聞こえるが、事故が起きてからでは取り返しがつかない。現場に足を運べば実情が分かるのではないか。

たまりかねて自前で剪定でもしようものなら「公の財産を勝手に処分するな」と文句を言いに来る。本来は公僕のはずなのに、封建時代の御領主様のように高飛車だ。それでも住民に危害が及べば重い腰を上げるのだろうが、予測して防御出来ないのは行政の悪しき習慣だ。

夜の街頭犯罪は街灯を明るくし、見通しを良くすることで大半が防げる。その基本を行政は怠っている。文句を言って安全がキープされる訳ではない。自分の身は自分で守るべきだ。そのためにゴミ袋と火ばしを武器に、徒歩通勤を続けている。

No.20 ~辞めると言って辞めない菅直人に国民はもっと怒るべきではないか~

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”辞めると言って辞めない菅直人に国民はもっと怒るべきではないか”

辞めると言った首相に居座られると、東日本大震災の被災者は当然のことながら、世界中の国が困ってしまう。もうすぐ辞めると言った人と約束してもしようがないから、どの国も交渉のテーブルについてくれない。外国の首脳どころか、知事や市長でさえ拒否する始末。これではいくら本人が政治生命を懸けるといっても、何一つとして成就しない。

「続・世相薮睨み」⑲で『もうすぐ政治の仕組みが変わる。菅直人の辞任が日本を良くする』と書いて、菅首相の6月いっぱいの辞任、政界再編成前夜の新内閣誕生を予測した。残念ながら見事に外れた。言いっ放しで無責任のようだがお許しあれ。

それにしても総理大臣の権限は強いものだ。あれだけ学級崩壊状態なのに会議などにはキチンと出席し、自分たちがアホ菅と罵っている男を前に低頭している。目の前で「あなたが総理の職を辞さなければ日本は沈没します」と、口を揃えて大合唱できないか。ネクタイを掴まえて観念させられないのか。次期首相候補だ、与党大幹部だと奉られながら、この体たらくは余りにもみっともない。

マスコミの右顧左眄はあんなもので何も期待できないが、国民は菅直人の居座りを怒っていないのか。まさか歓迎しているとは思わないが、あまりにも大人し過ぎる。「菅直人は総理を直ちに辞めろ」程度のデモがあってもおかしくない。日本人は紳士的だと世界の評価は高いが、実体は無関心なのではないか。東日本大震災を評して「他人事ではないが、自分のことではない」と言い切った人もいたが、政治の停滞も同じ意識にあるのではないか。そうであればこの国に未来はない。国民はもっと怒りを形にすべきだと訴えたい。

復興大臣を辞めた松本龍は言葉遣いを正しくして出直せ

もともと松本龍のような男を政治家にすべきでなかったし、まして東日本大震災の復興事業のトップに立つ大臣になどしてはならなかった。もっとも本人は己の器を知っていたのか、菅直人首相の要請に再三辞退していたようだから任命責任が問われるところだろう。政治家はすべて言葉で評価されるほど、その一言一句は重い。鳩山内閣から菅内閣に繋がる民主党内閣では、濁流に流される木っ端のように軽くなっている。一連の発言を岡田克也幹事長に注意されても「誤解だ。発言を全部見てもらえば分かる」、村井嘉浩・宮城県知事には「長幼の序をわきまえろ」とお説教。「辞めるつもりはない。このまま真っ直ぐ進む」と反省の色もない。政治家の言葉は品性が欠けては、権威を失う。足りなかった、荒かったと陳謝する以前の問題だ。

松本氏は「個人的な思い」と理由を示さず辞任した。就任してわずか9日目の出来事だ。菅首相は松本氏の暴言に対して発言撤回も求めず、更迭をしようともしなかった。辞任の申し出に慰留さえしたらしい。政治の世界はまことに分かりにくい。首相はじめ政府与党幹部は、なぜ松本氏ごとき品性に欠けた政治家を擁護し続けるのか。今回は幸いにさっさと辞任したから野党の追及の手は緩むだろうが、菅首相は任命責任を逃れられない。適任者を選べなかったという意味でリーダーシップがなかった。松本氏は辞任の際「粗にして野ではあるが卑ではない」と第五代の国鉄総裁・石田礼助氏の言葉を引用したが、とんでもない話だ。松本氏の「粗」と「野」は品行を表し「卑」は品性を表す。いずれも不合格だ。先人の訓えである「長幼の序」などまるっきり曲解している。

益田市と広島市を結ぶ志あるグループの清掃活動

7月8日午前6時、金座街の一角に竹箒を手にした老若男女30人を超える人たちが集っていた。元気のいいリーダーの指示により、それぞれが持ち場に散っていった。シャッターの下りた商店街の歩道を隅々まで掃いていく。空き缶やペットボトルを拾う人、箒で掃いてゴミを集める人、ちりとりに掃き取り土嚢袋に入れる人、路面に仕上げのモップをかける人、それぞれ役割りは違っていても、広島一の金座街をきれいにしようという思いは一つだ。

 総指揮を取る小河二郎さんは88歳と高齢ではあるが、日本一の自動車教習所に躍り出た『MDS』の代表取締役である。昨年の7月8日に「カフェ・Mランド」を金座街にオープンした。同社としては初めての広島進出となる。開店して満一年になるが、以降、毎月「8」の日を記念日として有志が金座街の清掃を続けている。広島では新参だけに万事控えめではあるが、山陰と山陽を結ぶ活動は積極的に展開している。前述の掃除活動もそうだが、産地直送の新鮮な野菜や果物もカフェの店頭で販売、広島人の人気を呼んでいる。

 オーナーの小河さんは、企業も人も「友情と絆のために存在している」という。その考え方は関連する企業の、人や設えの隅々まで徹底している。ただし、唱えるだけでは意味がない。行ってこそ価値が生じる。だからすべてを形にして見えるようにするべきだと考えている。山陰と山陽を結ぶ活動はいまはまだささやかだが、続けることで価値が生まれ、やがて多くの人が追随し、結果として世の中が良くなると信じ切っている。1時間の清掃で心なしか本通りの空気の流れが変わったように感じる。きっとよい1日になるだろう。

減反政策のばら撒き被害が「ひまわりプロジェクト」に及ぶ

広島市安佐北区出身の半田真仁さん(福島市在住)がリーダーとなって東日本大震災や福島原発事故からの復活に向け「福島ひまわり里親プロジェクト」をスタートさせた。全国でひまわりを育ててもらい、タネを被災地に集めて希望の花畑を作る計画で「震災を風化させず、復興のシンボルにしたい」という。将来は観光客が訪れるような広大なひまわり畑をつくる構想を画く。郷里広島にも協力を呼びかけ「夏に咲くひまわりを見て、原爆とともに福島の原発被害に思いを寄せて欲しい」と訴える。

 この活動の経緯はプロジェクトリーダーの父親・半田和志さん(広島市安佐北区在住)からもたらされた。和志さんは「熟年のための生涯学習・プラスワンステージ」の常任講師を務めている。原発事故の現場で放射能を浴びながら活動する息子が心配で「帰って来い」とコールしていたが、熱意に負けて広島からも応援することになった次第。

 呼びかけられた講座のメンバーも大賛成で、福島と広島がひまわりで結ばれることになった。それぞれが庭の片隅の空き地やプランターなどで育てることになったが、合わせて休耕田を活用できないか模索を始めた。郷里の先輩たちに構想を持ちかけたが、あっさり拒否された。実はかつて米の減反政策で補助金目当てにひまわりを栽培した経験を持つ。一年で笹竹が田んぼに繁殖し、米作り復帰に塗炭の苦しみを味わったと言う。趣旨には賛同するが、ひまわり栽培は出来ないとの話。ばら撒き農政の被害がひまわりにまで及んでいたとは、夢にも思わなかった。愚策はいつまでも悪影響を及ぼす。まるで放射能みたいだ。

No.21 ~統治者能力のないリーダーに国家の将来を委ねる不安~

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”統治者能力のないリーダーに国家の将来を委ねる不安”

海江田万里経産大臣の号泣に唖然

7月29日に開かれた衆議院経産委員会で海江田万里経産大臣は、自民党の赤沢亮正委員に大臣辞任の時期を追及されて号泣したらしい。涙ぐんだという記事もあるが、最後には大泣きしたようだ。福島第一原発事故の後処理や、原発政策を巡る菅直人首相との対立が続いて感極まったのか。菅首相の執拗ないびりに同情論もあるようだが、事情が何であれ国会の席で号泣されては、とんちんかんな政策に振り回されている国民はたまったものではない。

記者会見で「尋常でない状況が続いている」と言い訳をしていたが、号泣したいのは国民の方だ。原発政策を巡って菅首相とことあるごとに対立、担当閣僚として苦悩していると伝えられるが、政治家も小粒になったものだ。この程度のことで涙を見せるだけでも大臣失格だ。「いつ辞めるのか」と追及されて、「もう少しこらえてほしい」とは答弁にもならない。質問する赤沢委員も成り行きに驚いたのではないか。菅首相のように何を言われても馬耳東風の厚かましさは恥ずかしいが、やっていることに信念があるのなら、大臣らしくドーンと構えてはどうか。

同日の夜開かれた「東日本大震災復興対策本部」で復興基本方針が決定されたが、担当閣僚である海江田大臣は欠席した。理由は「私に連絡が入っておらず、知らなかった」と連絡ミスが理由だと述べた。それでものごとが決まるのなら、形式的なものか、もしくはいい加減なものではないか。政治家たるもの感情でものごとを決めるのはよくないが、男泣きするほど辛いのなら菅首相に辞表を叩きつけてやればよかった。国民のイライラも少しは解消されたのではないか。

借金してもばら撒きをやめない「税と社会保障の一体化改革」

よく考えると菅直人首相はツキのない政治家だ。内外ともに大きな問題がなければボロを出さない宰相になれただろうに、あいにく東日本大震災に加え福島第一原発事故など未曾有の災害が相次いで勃発した。餅は餅屋に任せればよかったのだが、権力を振り回して素人がしゃしゃり出たから、二進も三進も行かなくなった。東日本大震災や原発問題に国民の目が向いている間に外交も内政もとんでもない方向に進んでいる。

その一つ。「税と社会保障制度の一体改革」が一応の成案を得たが、案の定「消費税引き上げ反対」の大合唱が起こり、消費税の引き上げは事実上封印された。核心の引き上げ時期は2010年代半ばまでとあいまいになった。その上、「経済状況の好転」という条件まで付された。普通に考えれば同時期までに経済状況が好転するとは考えにくい。それどころか識者らはさらに悪化すると予測している。一体改革の目的は、少子高齢化に耐えうる社会保障の構築だった。それなのに高齢者の医療費や年金支給開始年齢の引き上げなどの負担増はことごとく見送られた。

民主党がお願いを嫌う理由は、選挙に勝てないからだという。有権者もアホではないから、いつまでもばら撒き政策を信頼しないだろう。財源の当てもないのに、巨費を必要とする政策を目玉にする政党が支持されるとは思えない。これからも高齢者は増え続け、制度の支え手である若者は減り続ける。高齢化社会においては、自助自立を基本にして社会保障が本当に必要な人に絞り込み、すべての人に支払能力に応じた負担を求めるしかない。国民一人一人が覚悟すべきときに来ている。

一人暮らしが3割を超えた気楽な暮らしは心細い暮らしに

半世紀前のNHK「きょうの料理」のおかずの材料は6人分、ほどなく4人になり、今では2人前が多いそうな。ぼつぼつ1人前が必要になる。昨年の国勢調査によると、一般世帯数は5093万世帯。一世帯当たりの人数は、2・46人と減少の一途をたどっている。家族形態別では「一人暮らし」が一位で1589万世帯。以下、「夫婦と子ども」、「夫婦のみ」と続く。65歳以上の年金受給対象者は23%で世界一、15歳未満の割合は13%と主要国の最低だ。高齢者は増え続け、子どもは減り続ける。この事実は放置できない。

 人類未体験の少子高齢化に伴い、社会保障の破綻、老々介護、孤独死など不安のタネは尽きない。それでも菅内閣は何もしない。したくても政策決定システムがなく、統治体制が歪んでいるから何も出来ない。毎年一兆円ベースで増え続ける社会保障費の自然増に、財源の当てもなくいつまで目をつむっているのだろうか。責任転嫁する野卑な怒鳴り声は聞こえてくるが、真摯な政策論争は届かない。今でも7400万人の勤労世代では、2946万人の年金世代を支えられない。やむなく赤字国債でやりくりしている。

 ばら撒きマニフェストの平謝りはいいが、公務員の2割減、国会議員の定数減、天下りの根絶、特殊法人の全廃などは話題にも上らない。何よりもわが身を削る。その上で国民に税の負担、年金支給年齢の引き上げをお願いする。その大元を正さなければ、不安はいつまでも消えない。

震災に教わるまでもなく、血縁より頼りは地縁というが、細くなった「互恵互助」の絆は大丈夫だろうか。

つましい暮らしが生きるわが省エネ・節電の日々

豊かな時代を謳歌した世代に求めるのは難しいが、つましい生き方が通用する世の中になった。モノを大切に使い、ムダを省く暮らしが社会貢献につながる。間もなく後期高齢者の仲間入りをするが、幸いにして年中無休(夢求)の日々を過ごしている。会社では個室を与えられているが、冷暖房の設備はない。昨年も今年も真夏日は当たり前、猛暑日も少なくない。やせ我慢をしている訳ではないが、30度を超える室温も窓を開ければそれほど辛くはない。わが家でも超クールビスで熱帯夜に扇風機のお世話になる程度。家族の評判は芳しくない。

 通勤は往復3㌔程度だが徒歩に決めている。愛車は年代ものだがエアコンを使わなければ、リッター当たり12㌔と4㌔も余分に走ってくれる。テレビをつけるのはニュースの時間くらいだから、室温も上がりにくい。問題は冷房のあるホテルや新幹線だが、長袖を着ていれば風邪をひくこともない。当然のことながら暖房も使わない。ひざ掛けをして下半身を保護すれば、室温10℃でも気にならない。省エネ生活を嘲笑されたときもあったが、最近は羨ましがられている。特に努力している訳でもなく、子どものころ祖父に教えられた生活の知恵を生かしている。

 暑さ寒さを凌げる生活習慣を持っていると、生活コストは極端に下がる。企業も個人も節電を求められている。原発運転の再開が危ぶまれている現在、愚痴を言っても始まらない。この機会に暮らしを見直してはいかがだろうか。その気になれば苦にならない節電のヒントはいくらでも見つかる。但し、がんばり過ぎて命を粗末にしては元も子もない。

No.22 ~どじょう首相に期待  「朽ちた皮袋」の中身を  そっくり川に流してはいかが ~

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”どじょう首相に期待 「朽ちた皮袋」の中身を そっくり川に流してはいかが”

「週刊文春」に「ま(前原)た(樽床)馬(馬渕)鹿(鹿野)の(野田)か(海江田)お(小沢)」と揶揄されながら、民主党の代表選は「た」と「お」が降りて五氏の争いになった。投票権のない小沢一郎元代表や菅直人前首相をペテン師呼ばわりした鳩山由紀夫元首相がしゃしゃり出て、一国の総理を選ぶ大切な代表選を党内向けの薄っぺらな争いにした。ダメ民主党再生のわずかなチャンスを自らの手で葬り去った。

国民を蚊帳の外においた日本のリーダー選びだったが、皮肉にも「挙党一致」「党内融和」「小沢詣で」の下らぬ論争で泡沫候補だった野田佳彦財務相が大逆転勝利した。これで世代交代は一気に進んだ。政治を裏から操ろうと目論んだ鳩山、小沢、菅のトロイカは、政治の表舞台で踊るチャンスを自ら潰した。

新しい日本のリーダーに選出された野田首相は、派手なパフォーマンスはないが芯の強い政治家だ。己の利益のために右顧左眄することはないだろう。手を上げた五人のうちでは、妥当な結果でよかった。小沢傀儡である「泣きの海江田」の逆転負けは、わずかに残った民主党の良心の表れだろう。国民の期待を一身に背負って誕生した民主党政権だったが、わずか2年で日本の国益を大きく損なった。政治と国民の間にひろく深い断層をつくった。悔いて余りある。まずは実践を通して国民の政治に対す信頼を回復して欲しい。

腐った皮袋に新しい酒を入れても祝杯とはいかない。千載一遇のチャンスと捉え、多少の公害は承知の上で「ダーティおざわ」「ルーピーはとやま」「クレージーかん」は、古い袋と一緒にまるごと川へ流してはいかがだろうか。日本には時計の針を逆戻りさせる余裕はない。

民主党は政権担当能力が欠如している

445日間も不毛な空騒ぎをして菅直人が首相官邸から去った。統治能力を持たない政治家に、国家の最高権力を与えた後遺症は大きい。にこやかに手を振って「在任中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい」。傲慢な態度や物言いは、最後まで変わらなかった。言葉の真意は分からないが、江戸末期の大儒学者・佐藤一斉師の指導者に対する箴言が念頭にあったようだ。『当今の毀誉は懼るるに足らず。後世の毀誉は懼る可し。一身の得喪は慮るに足らず。子孫の得喪は慮る可し』。勘違いも甚だしい。

思い付きによる場当たり的な政権運営で、日本を貶め続けた厚顔無恥で幼稚な宰相は去った。退陣表明から居座り続け、3ヵ月も政治空白を拡大した。野田佳彦新首相に期待したいが、トップが代わっただけで日本が立ち直れるほど簡単ではない。問題は民主党に政権担当能力が欠けていたことにある。雛壇の顔ぶれは新しくなった。しかし、座る椅子はさらに弱体化している。鳩山由紀夫や菅直人の失政を糾弾しても世の中は変わらないが、彼らは図らずも日本の首相が持つ権力の強大さを余すところなく国民に示してくれた。

新首相は国民目線で当面の政治課題に全力を上げながら、政界再編成への道すじをつけてもらいたい。民主党は政権担当能力がない、自民党ももはや再生出来ないだろう。そうであれば国家観を共有する同志が糾合できるはずだ。それが可能なのは野田新首相だけである。日本回復と子孫繁栄のために、与えられた権限をためらわずフルに使って欲しい。「菜根譚」の一章句『一時の寂寞を受くるも万古の凄涼を取ることなかれ』を届けたい。

リーダーシップが発揮できるシステムが求められている

そもそも刑事被告人で投票権のない小沢一郎が、民主党代表選の生殺与奪の権を握っているかのように伝えられるのはおかしい。民主党が政権交代以来、国民の期待にこたえられなかった要因がここにある。「泣きの海江田」が有力視されたのは、大きなグループを持つ小沢の支持を得たからである。二人羽織の政治で日本が良くなるほど簡単ではない。鳩山は首相時代、小沢にさんざん煮え湯を飲まされたではないか。その当の相手と組んで、政治を捻じ曲げようとした。その罪は重い。 鳩山がダメだから菅に代えた。菅がダメだから、今度は野田に代えた。うまく行かなくなったら「トップが悪いのだから、別の人間にやらせればうまく行く」。安易な発想に陥り、安倍、福田、麻生、鳩山、菅と首をすげ替えたけど、国益を大きく損ねただけではないか。リーダーを支える仕組みが旧態依然であったばかりでなく、民主党は政治主導を標榜し、政策決定システムまで壊してしまった。「挙党一致」「党内融和」など、選挙互助組合の民主党に求めるのはムリな話だ。ないものねだり。

必要なのは政治のビジョンを画き実行していくためにリーダーを支えるブレイン集団をつくること。社会が抱える様々な潜在的な問題を議論するプロセス制度を確立すること。政策議論を中心とした選挙ができること。これらのプロセスを国民に見えるようにすること。こうした政治システムが、個人のリーダーシップより重要な鍵を握っていること。もちろん国民の政治に対する関心の質も変わらなければならない。野田新首相が実力を発揮するには、少なくとも小泉時代の制度を超えなければならない。今なら出来る。その気になれば、野田佳彦ならやれる。

国民に自分の言葉で語りかける宰相になってもらいたい

残念ながら今回の民主党代表選はわずか二日間の党内向け論議だけで選ばれた。「小沢詣で」も繰り返された。最後まで国民に語りかける機会はなかった。実にいびつなかたちで日本国首相が選ばれた。本来、首相の条件は、国民とのコミュニケーション能力を基準とすべきだ。鳩山はぺらぺらしゃべるが、小沢にいたっては口も開かない。政治家は偉くなると国民とは話をしなくなる。世論の感じる痛みが、当事者として感じられなくなる。これからを期待されている新首相も、世論と対話をした経験はないだろう。強いて言えばテレビの討論、選挙区の街頭演説くらいで一方的なメッセージしか発していない。永田町用語で番記者にしゃべる、儀式性の高い国会の答弁、官僚への指揮命令、あえて言えばこれらは密室のコミュニケーションでしかない。政府を代表して自分の言葉で世論と対話したことは、一度もない。そういう仕組みがない。

幸い新首相は民主党一の雄弁家であり、要約力があり、分かりやすい日本語が正しく使える。現在の日本は異常事態である。今、何が起きているのか、問題点は何か、当面の解決策には何があるのか、誰よりも分かりやすく、政府を代表して語ることが求められる。官僚の作文ではなく自分のことばで語りかける。その上で「国民が喜ぶ政策」ではなく、「国民の役に立つ政策」を推進する。

26年前、松下幸之助翁が私財70億円を投じた松下政経塾の第一期生野田佳彦が巣立った。翁は90歳にして政治改革と新党結成の必要性を説いて回った。残念ながら協力が得られず、健康も思わしくなく幻に終わった。開塾30年余にして内閣では首相、外相、党では政調会長、幹事長代行という要職をOBが占めた。松下政経塾政権の感さえあるが、幸之助翁の志を継いで貰えるだろうか。

No.23 ~有害無益の  小沢一郎の追放が、  民主党を大人にする第一歩 ~

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”有害無益の  小沢一郎の追放が、  民主党を大人にする第一歩”

民主党の代表を退いてから国民の前に滅多に姿を見せなくなった小沢一郎氏が、自らの資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件で元秘書3人が有罪判決を受けたことについて、インターネットの番組で久し振りに公開の場で発言した。民主党の代表選挙のときでさえ、マスコミは側近を通じてしか記事に出来なかった。すべて推測記事でしかない。何を根拠に無罪と信じていたか分からないが、小沢氏も人の子、わが身に火の粉が降りかかるとなると、姿を見せ勝手な言い訳を始めた。

 「びっくりした。独裁国家で『気に入らない奴は有罪』という国なら別だが、証拠もないのに裁判官が推測に基づいて有罪を決めるのは、民主主義国では考えられない」と厳しく批判した。小沢氏は自らが裁判官のつもりでいるのかも知らないが、民主主義国では証拠に基づいて法で裁かれる。証拠のあるなしは裁判官の判断、有罪無罪も裁判官が決める、それに従ってこそ国家は成り立つ。

 それにしても小沢氏は思い込みの激しい面白い人だ。まるで裸の王様みたい。まもなく始まる自身の初公判に関して「ぼくは旧来の仕組みを変えて国民の生活を安定させなければならないと思っている。これは旧来の体制を変えることで、既得権を持っている人には『あいつだけは許せない』という意識が働く。彼らの狙いはぼく自身だ。政権交代のスケープゴートにされた」とも述べ、争う考えを示した。誰も小沢氏を生贄にしようとは思ってといない。小沢氏と企業の癒着の犯罪を裁こうとしているに過ぎない。

ダーティ政治家を居座らせる愚を知れ

小沢氏は民主党代表として「国民の生活第一」と全面に掲げて政権交代を果たした。その後はルーピー・鳩山由紀夫内閣を幹事長として操りながら、国民の生活どころか国家さえ危うくさせ、日本国の信用まで奈落の底に貶めた。九月号で「どじょう首相に期待、『朽ちた皮袋』の中身をそっくり川へ流してはいかが」と提起した。中身とは「ダーティおざわ」「ルーピーはとやま」「クレージーかん」のこと。小沢氏は政治家になって国家・国民のことを考え続けたとは信じがたい。己の権益を大きくすることに専念してきたのではないのか。小沢氏は政治家ではない。薄汚い利権屋に過ぎない。それでも先の民主党代表選では、小沢詣でが公然と語られる。民主党のアマチュア政治家の気持ちは分からないでもないが、無冠の帝王・新聞記者まで政治家として価値のない小沢氏を持ち上げることはないだろう。

 東日本大震災に遭遇して豪腕を発揮するのかと思いきや、見えないところで頑張っているのかもしれないが、少なくとも復興に向かって役立つ発言をしたとか、具体的な行動を起こしたとか、ニュースで伝えられたことはない。もっともこれから復興事業が始まれば、利権に介入してお得意の豪腕を発揮するのかもしれないが…。それは誰も期待しない。選挙や政局に手腕を発揮することは誰もが認める。しかし、その結果は日本の政治を著しく歪にしただけ。少なくとも「国民の生活が第一」とは対極にある活動で実力を発揮し続けている。百害あって一利なし。ぼつぼつ民主党議員もメディアも、小沢氏を無視してはいかが。

少しがっかりした、でも期待している

先月号で野田佳彦新首相に期待を込めてエールを送った。①国民目線で当面の政治課題に全力を上げながら、政界再編成への道筋をつけてもらいたい、②政治ビジョンを実現するためにリーダーを支えるブレイン集団を構築してもらいたい、③国民に自分の言葉で語りかける宰相になってもらいたい。国会は閉幕したが党内融和を優先するためか、泥どじ鰌ょうの実力は発揮されないまま。施政方針演説も国連総会の桧舞台でも、目線を下に落とし原稿を棒読みする姿にがっかりした。しかも内容は総花的、抽象的で野田ファンを失望させた。 小沢一郎元代表の秘書らが有罪判決を受けた直後の予算委員会で「司法判断にコメントするのは差し控えたい」と当たらず触らずの答弁をした。犯罪者の秘書を3人も出した小沢氏に即刻、除籍処分をするか、少なくとも離党勧告ぐらいはすべきではないか。小沢氏は臆面もなく血税を私物化している。旧新生党の解散時の残金など、迂回して自分の政治団体に移した。これらの資金には立法事務費や政党助成金が含まれている。法の上では罪にならないのかも知れないが、国民の目から見るときわめて巧緻な犯罪に見える。まもなく公判は始まるが、野田首相は民主党代表室に小沢氏を呼び、離党勧告をするチャンスではないか。あの田中角栄氏でさえ、起訴されてすぐ離党した。民主党は居座りが当たり前なのか、子分が有罪判決を受けても親分は知らん顔。小沢グループの議員たちは激励会までしたというから呆れる。判決の結果は分からないが、無罪になったとしても、少なくとも無実ではない。

愚直さを存分に生かして国造りを

野田首相に期待するのは個人的な理由もある。平成の坂本龍馬と期待して支援を続けている前横浜市長・中田宏氏、日本創新党党首・山田宏氏などと国家観を共有していると信じられるからだ。同時に政界再編成への期待も大きい。

野田首相の松下政経塾時代の恩師上甲晃氏(松下政経塾・元副塾長、現志ネットワーク代表)は、志ネットワーク誌84号で次のように述べている。「(抜粋)日本丸は戦後六十五年使用した老朽船で、船底に既得権益という名の牡蠣殻がいっぱいこびりついています。だから日本丸は遅々として進まないのです。それどころか船底に空いた穴から浸水が始まり、沈没の危険があります。船長が代わったからといって、日本丸のスピードが急速にアップすることはありません。牡か蠣き殻がらをふるい落とし、船を新しく造り直さなければならないところまできています。あなたには牡蠣殻をふるい落とし、船を造り替える仕事に着手していただかなければなりません。

今こそ日本の政治を根底から変えるチャンスです。民主党が割れ、自民党が腰砕けていくことは、老朽船を新造船に変えることです。〝自民党をぶっ壊して〟という総理大臣もいました。あなたもまた〝民主党をぶっ壊して〟でも、〝民主・自民の政党の枠組みをぶっ壊して〟でも日本の未来を開くために、山積する国家課題に、断固として対処する力強い政治を期待します。がんばれ、野田佳彦! 松下幸之助は見守っている」。

ニッポン再生の最後のチャンスを粘り強く、泥臭く生かして欲しい。

No.24 ~日本回復への道すじを示す中田宏・前横浜市長 ~

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”日本回復への道すじを示す中田宏・前横浜市長”

 「日本の政治には国家観がなおざりにされている。そのために政治家は目先の処理にばかり追われ、国民に迎合し、自らの権益を守るために汲々としている。このまま行けば近隣の大国に支配され、自らの意思で国の行方を決めることが出来なくなる。日本回復のための時間はもう残されてない。今こそ日本回復の道筋を示すことが急がれる。心ある政治家が先頭に立ち、国民と共に新しい潮流を創らなければならない。こうなってしまった理由の大部分は政治の機能不全によるものだと認識している。国家の運営を預かっている政府が、問題の根本に手を付けることが出来ず、すべてを先送りし、小手先の解決に逃げていたからだ。本来、日本人は自立精神の強い国民なのに国の小手先の政策で、自分がしなくても国がしてくれるという『依存心』を助長してきた。多くの国民は政府のやり方が誤っていることを知っている。自分に出来ることは自分でする。そして、自分の足で立つ、『自立心』の風土を創りたい」。

 去る十月二十八日、広島国際会議場で開かれた『中田ひろしと共に日本を良くする万縁の会(以下、万縁の会)』の講演会で一回り大きくなった中田宏は政治家としての覚悟を示し、新しい潮流作りへ国民の参加を求めた。平日の夜にもかかわらず集った二百名を超える市民のボルテージは上がり、活発な質疑応答が交わされた。中田宏の広島講演会は衆議院議員時代、横浜市長時代を含めて十四回に及ぶ。平成十年に「万縁の会」が誕生して以来、一年に一度は広島の有権者に政治への積極的参加を求めている。国会議員は選挙区のためにのみ働くのではなく、国家・国民のために働くことが大切だと実践で示しているのだ。

「万縁の会」の厳しい歩み

 「万縁の会」は平成十年、中田宏の政治活動を側面から応援するために誕生した。政治活動には資金が欠かせない。安易に企業・団体に求めると利権構造が生まれ、政治を歪なものにしてしまう。日本には馴染まないかもしれないが、国民の善意による個人献金で正しい政治活動ができないものかと、鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)の提唱で誕生した。会費は年間一万円、一口だけ、しかも個人会員のみ。会員は中田に個人的な頼み事は一切しない。いまどきそんな子どもじみた政治資金で活動はできない、と無視した向きもあったが、衆議院議員時代は順調に会員数が伸びていった。ところが平成十四年、横浜市長に立候補し当選した。地方都市の首長に転進したときを機会に多くの会員が離れていこうとしていた。実際に離れて行った。  そのとき鍵山会長は「私は中田宏が国会議員であろうと、横浜市長であろうと、はたまた一市民であろうと、彼が政治家である限り無条件で応援する」と明言された。地方の会員は減少したが、逆に横浜市の会員は増加し「万縁の会」活動は持ち直した。ところが中田宏は2期目の任期を目前に横浜市長を退任した。彼としては根拠のある信念を持った行動だったが、週刊現代の執拗なスキャンダル報道もあって理解されず、人として抹殺されることになる。加えて平成二十二年、同志と図って日本創新党を立ち上げ、参院選に挑戦したが、一人の当選者も出すことが出来ず惨敗した。もはや「万縁の会」は機能しなくなり、その存在は風前の灯になった。同年十月、「万縁の会」は臨時総会を開き、中田宏は参院選の総括を行い、これからの活動方針を明確に示した。鍵山会長も支援を呼びかけた。

不死鳥のごとく復活した

 鍵山会長の力強いメッセージで不死鳥のごとく「万縁の会」は復活の兆しを見せ始めた。発足当時の幹事の多くは離れたが、新しい支援者の力で全国的な活動を展開する戦略が打ち出された。全国を十四のブロックで統括し、各地区に市町村単位の支部を立ち上げ会員の増強を図ろうというものである。しかし、現実には厳しかった。年会費は一万円だが、一市民にとっては大金である。気持ちは支援に傾きつつあるとはいえ、現実に一万円の会費を負担して会員になる人は少ない。毎年、全国各地で開かれていた中田宏と市民の交流会も、昨年は途絶えてしまった。

 総会の決議から約半年後の七月、広島県呉市で呉支部(支部長・佐々木一幸)が誕生した。待望の第一号である。集った市民は約二百五十名、続々と入会希望者が現れた。八月には福岡支部(支部長・石川元則)で三百名の市民が中田宏を歓迎し、復活した。九月に入って松山支部(支部長・重見弥生)、高松支部(支部長・鈴木荘平)が相次いで誕生。それぞれ百名を超える市民が参加した。十月には広島支部で、前述の通り二百名が、更に山陰益田支部(支部長・町原裕貞)では、百四十名の市民が中田宏の熱い思いを受け入れた。十一月には山口市で新しい芽生えがあり、神戸支部でも復活する予定である。  十一月四日には本部幹事会を開催し、復活の兆しは見えるものの歩みの遅い一年を総括し、問題点の解決を検討した。政治の混迷は国家を危うくし、国民を不幸にする。組織を再整備し、中田宏を支えながら日本回復を目指して新しい流れを作るべく覚悟を決めた。

中田宏著「政治家の殺し方」を読んで欲しい

 十月二十六日、中田宏著「政治家の殺し方」が発売された。わずか一週間でAmazon・ベストセラーランキング総合三位、政治家・政治部門・マスコミ各部門で第一位になった。横浜市長在任中、中田宏はさまざまな改革に着手した。口先の改革を唱える政治家は多いが、実績を上げる首長(知事、市長村長)は皆無に近い。七年半で実質一兆円の負債を純減した。改革をするためには利権構造に手をつけなければ、前に進まない。改革により権益を失う人たちにとっては死活問題である。その妨害にはあらゆる手段を駆使する。本書は利権といわれる闇の扉を開け、市民のために掃除を始めるとどういう仕打ちを受けるか、その巧妙な手口が克明に述べられている。

 首長と議会や既得権益者が裏で手を握っていればすべてが和やかで、根拠のないスキャンダルなど生まれない。利権に目をつむり、妥協していれば、和やかな四年の任期が終えられる。特殊法人にメスが入れられない、公務員改革が掛け声だけで実質的には何もしない、天の声で公共工事の発注が決まる、マニフェストにどのように美辞麗句を並べようが何も変わらず、益々深みにはまり借金を増やし続ける。政権交代して二年余り、国家は益々疲弊の一途をたどっている。

 一人でも多くの人が国家を危うくし、国民の暮らしを不幸にしている深い根は何か、を知ることで志高い政治家を育てたいものである。次の総選挙では必ず政界再編成が行われる。そうでなければ日本は沈没する。野田佳彦首相のまっとうな決断を期待してやまない。

No.25 ~老害ナベツネ狂乱 栄光の巨人軍が泣く泥仕合~

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”老害ナベツネ狂乱 栄光の巨人軍が泣く泥仕合”

12月6日付けの読売新聞を使って、読売巨人軍球団取締役会長・渡辺恒雄氏(読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆)のインタビューを中心とした記事が十三面に掲載された。巨人軍の前取締役で球団代表兼ゼネラルマネージャー・清武英利氏の解任、解職問題で生じた一連のトラブルを、司法の場で解決すべく訴訟に踏み切った経緯をまとめたものだ。

 メインの見出しは「清武氏の言動こそ法令違反」サブタイトルが「巨人軍・本社の主張」。内容を読んでみると一呆け老人の戯言としか思えない。強度の認知症を病んでいるといったほうが分かりやすい。渡辺氏はわが国で最大の発行部数を誇る読売新聞の主筆である。「社会の木鐸」であるべきなのに、己の立場を弁えない狂気の沙汰ではないか。

 渡辺氏の周りには、常軌を逸した行動を諌める人間がいないのだろうか。新聞は社会の公器であり、読者の購読料で成り立っている。それを私した振る舞いは許されるものではない。訴訟の内容は一企業の人事問題から起きた内紛である。内輪もめを大っぴらにして満天下に恥を晒すこともなかろう。かくして読売新聞は読者を失い、栄光の巨人軍はファンに捨てられる。

 清武氏に一億円の損害賠償を求めているが、開いた口がふさがらない。読売巨人軍の名声、信用、ブランドイメージを傷つけたのは、渡辺さん、あなたではありませんか。言論・報道の絶対的条件であるコンプライアンスを遵守していないのはあなたですよ。天に向かって唾を吐くようなものだ。権力とはかくも人間を狂気(凶器)にするものか。  清武氏も12月13日、渡辺氏などを相手取り提訴した。泥仕合は果てしなく続く。勝手にやればいい。

維新の夜明け

 日本中の注目を浴びた大阪のダブル選挙は「大阪維新の会」の候補が圧勝した。大阪市長に橋下徹さん、大阪府知事に松井一郎さん。現職で元人気キャスターの平松邦夫さんは惨敗した。日本中に閉塞感が漂う中、多くの有権者は変革を望んでいた。橋下候補の言葉尻を捉えて攻撃、守りに徹した演説は受けようがない。

 府知事から鞍替えの橋下さんは弁舌が爽やかで迫力がある。大阪都構想と無駄撲滅の改革は多くの人を魅了した。民主党や自民党、それに共産党まで現職を推したが、遠く及ばなかった。何で民主、自民、共産が共に戦うのか、既成政党に対する不信感も加わった。これまでの組織選挙が否定されたが、今後の選挙のあり方に一石を投じた。やはり政治家は発信力だと、あらためて証明したカタチになった。

 一地方政党に過ぎないと多寡を括っていても、都構想の協議に応じなければ、近畿一円の全選挙区に維新の候補を擁立すると脅かされれば応じざるを得ない。少なくとも今の勢いなら民主党のみならず、自民党も現職議員が席を失うことになるだろう。もの言わぬ野田佳彦首相の発信力の弱さが、橋下・松井コンビの圧勝に拍車をかけた。  都構想が簡単に実現するとは思えないが、それでも有権者は夢を求めて喝采する。既成政党にとって今回の惨敗は大きな痛手になる。無様な摺りよりようは目を覆いたくなる。それにしても橋下さんの演説は、大阪色が濃くて面白い。内容の構成も人の足を止める。新しいスタイルの政治家として主流になるのではないか。少なくとも無駄遣い日本一の大阪市は改革されるに違いない。

「政治家の殺し方」出版記念パーティー

 「私を支持してくださるみなさまに事実無根のスキャンダル報道で辛い思いをさせた。中田宏を支持しただけで誹謗中傷を受けられたこともあっただろう。まことに申し訳ない。不徳の致すところ。心よりお詫びしたい」と絶句した。12月2日、横浜市内で開かれた中田宏著「政治家の殺し方」出版記念パーティーにおける中田宏さんの謝辞である。

 涙を堪え、唇を噛み締めながら、支持者にお詫びと感謝のあいさつをした。パーティーは「中田ひろしと共に日本を良くする万縁の会」会長・鍵山秀三郎さんの呼び掛けで開かれた。鍵山さんは「変わらず無条件で支援して欲しい」とごあいさつ。参加者は中田宏さんを芯から応援する支持者で溢れた。和やかな雰囲気で中田さんの苦労を思い遣った。中田さんは遠慮なく素顔を見せた。  乾杯の音頭は恩師の青山学院大学名誉教授・小玉晃一さんが務められた。学生時代のエピソードを交えながら、中田さんの人柄を語られた。万縁の会・東北責任者の岩渕敏美さんをはじめ、変わらぬ支持を続けている人たちがお祝いのメッセージを届けた。岩淵さんは「政治家の殺し方」を自費で購入し多くの支援者にプレゼントした。なかなかできない善意に満ちた行いだ。

 大阪ダブル選挙で同志の橋下徹さんと大阪維新の会が圧勝し、スポットライトを浴びた直後の集いだった。中田さんが日本の旗手として表舞台で躍動するのはいつの日か。いつも困難な道を選択し、挑戦し続ける生き様に胸が熱くなる。

忸怩たる思いの泥鰌首相

 結局、東日本大震災からの復旧・復興のための予算や関連法案は成立したが、ほとんどの懸案を先送りして国会は閉幕した。不退転の決意で取り組むとの抽象語を繰り返すのみで、何も発信しない野田佳彦首相をここを先途とばかりメディアは悪口雑言で責め立てた。「舌禍繚乱」と揶揄された大臣たちは参議院で問責決議を受けながら、「適材適所」と庇い続ける首相に守られた。

 多くの重要法案を先送りしながら「忸怩たる思い」だとする首相の心底が見えてこない。国家公務員の給与を削減する特例法案不成立で、年間二千九百億円の復興財源に穴が開く。ボーナスは4パーセントも増えた。復興財源に充てるため4月から毎月50万円減額されていた議員歳費は10月から満額に戻った。政党助成金の削減などは振り向きもされない。でも消費税は不退転の決意でアップさせると言う。

 国会は何をするところかと不思議でならない。政策論を抜きにして失言責めに終始する。アホの大臣の首を取ることは大事だが、そのために政策論議を手抜きしてもらったら国民はたまらない。少なくとも政治に対して無関係の失言に対してまで時間を使っても許されるのか。重要な政策は国民の見えるところで議論して欲しい。毎日政治が動いているのだから、何処かで誰かが決めているのだろうが何も見えない。このままでは国が滅びる。野田首相は愚かではない。もしかしたら奇想天外な秘策を胸に仕舞っているのかも知れない。もう少し期待したい。

No.26 ~期待はずれの野田改造内閣 暴走する岡田副総理 迷走する田中防衛大臣~

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”期待外れの野田改造内閣 暴走する岡田副総理 迷走する田中防衛大臣”

今回の内閣改造の前にして野田佳彦首相は「不退転の決意で取り組む」と大見得を切ったから、今度こそ背骨がある改革断行内閣が生まれると期待した。発表された閣僚名簿を見て、党内融和のために右顧左眄している体たらくにがっかりした。目玉の岡田克也副総理は経歴からして実力者と錯覚されがちだが、党代表のとき、外相のとき、幹事長のとき、何もしていない。「税と社会保障の一体改革」と「行財政改革」の担当相として、さほど時間をおかずに行き詰る。早速、暴走を始めた。

岡田大臣とは政権交代前の副代表時代にある会合で一問一答を試みた経験がある。シンプルなテーマなのに、しどろもどろでピントをはずした。あの程度の能力では海千山千の猛者を押さえ込むことはできない。顔のことは言いたくないが、このご時世だから世の中を明るくしなければならないのに、無表情の鉄火面は国民の心を暗くする。日本の外交・防衛の要に前大臣よりもさらに劣る田中直紀氏はないだろう。

防衛・外交畑にはまったく無関係ばかりではなく、国会議員としては珍しく専門分野を持っていない。なぜ彼が防衛大臣として最適なのか、野田首相の真意が見えてこない。要するに彼は防衛問題に関しては何も知らないのだ。迷走することは火を見るより明らかだ。外交や防衛には喫緊の課題が山積しているだけに実力者を配すべきだが、残念ながら民主党には適材が居ない。答弁能力のない大臣を雛壇に並べても、国会審議は前に進まない。

嘆かわしい政治家の劣化 小沢一郎を追放すべし

国語辞典に載せたい新語に「小沢(おざわ)る」「鳩(はと)る」「菅(かん)る」「野田(のだ)る」など、民主党政権に関する言葉が増えているそうだ。小沢一郎を語源とする「おざわる」の意味には、①裏で牛耳る、②子分をたくさん持つ、③都合が悪くなると雲隠れする、④知らない、忘れた、記憶にない、など…。小沢一郎は政治資金規制法違反(虚偽記載)罪で強制起訴されており、1月11~12日の2日間、被告人として裁判に臨み、検事の尋問に記憶にない、知らない、関係ないと逃げまくった。

尋問のライブを読んだが、この人間が政権与党の代表を務め、実質上の首相を選ぶ代表選に立候補した経緯を考えると暗澹たる思いに駆られる。とにかく尻尾をつかまれなければ何とかなるのだろう。疑わしきは罰せずで無罪になり、再び表舞台で暗躍するとしたら、日本の法律や裁判の制度に欠陥があるとしか思えない。問題になっている4億円の現金についても、二転三転供述を変えながら、少しも間違っていないと強弁する。検察は理詰めで追い込めないのか。

かかる人物が政権与党で大きな力を持ち、金魚の糞の国会議員も他のグループを圧する。腰巾着議員たちは小沢に何を期待しているのか。4億円を自宅の金庫に保管していたというが、にわかに信じ難い。1千万円の札束は新札で厚みが7㌢ある。、積み重ねると2㍍80㌢にもなる。我が家の2階に達するほど。彼は政治家の風上にも置けない。この機会に政界から追放して欲しい。それだけでも党内はまとまりやすくなる。

門松も国旗もない 辰年元日の街角風景

今年の六月に開催予定の「Mランド・百キロウォーキング」参加のための鍛錬の一環として、昨年の五月十五日以来、徒歩通勤も含めて一日一万歩以上歩いている。早くも連続二百四十日を超えた。勿論例外なしだから年末年始も徒歩出勤は変わらない。休日でも為すべきことはいくらでもある。烏骨鶏の世話、花壇の水遣り、社屋周辺の歩道清掃と水撒きなど。徒歩通勤の距離は片道一・五キロと短いが通勤範囲に住宅はなく、店舗、事務所、コンビニ、ファミレス、ガソリンスタンドなど約四十軒が並んでいる。

正月だから各軒先に国旗、門松、注連縄、新年挨拶状など当たり前と思っていたが、あらためて注意して見ると年末とさして変わらない。大手の生命保険会社の入り口には「12月30日から1月3日まで休みます。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」の告知のみ。国旗と門松はゼロ。小さな注連縄が5、新年ご挨拶の貼り紙が8。近くの団地を三十分ほど歩いてみた。自治会が配布した「賀正」の小さな貼り紙のみ。ここでも日の丸はゼロ。

祝日には国旗を掲げる決まりになっているが、罰則がないからか、国旗に尊厳がないのか、正月風景としては余りにも侘しすぎる。祝祭日に国旗を掲げるのが当たり前だった昔が懐かしい。どうしてこんな日本になってしまったのか。わが社では午前0時を合図に国旗を掲揚する。門松は手造りでデラックスだ。注連縄も特大。一歩社内に入ると鏡餅が供えられ、正月花が要所に活けてある。掃除は休みなく行い、エントランスに水を打つ。一社だけ浮いている気がしないでもないが、時代がどのように変わろうとも、日本の良き伝統は守りたい。

広島テレビ開局50年記念番組 「平和へのひと筆・あなたへ」

広島地方に民放テレビは4局あるが、広島テレビ放送は二番目の老舗である。今年は開局50年の記念すべき年に当たる。一月八日、記念番組「平和へのひと筆・あなたへ」が放送された。職業、年齢を問わずさまざまなジャンルの人が、平和への願いを「ひと筆」に託してメッセージを届けた。熟語に比べて「ひと筆」は思いが深い。番組のオープニングに安田女子大学の文学部書道科の学生らが、大きな筆を肩に担いで墨痕鮮やかに「和」の「ひと筆」を書き上げた。日本の伝統文化である筆文字は流石に格調が高い。

東日本の大震災で活躍した陸上自衛隊の皆さんも復興の願いを「ひと筆」に託した。新しい生命の誕生を見た若い親たちも、子どもたちの幸せを「ひと筆」に祈った。私たちが活動を続けている通学路清掃のメンバー十一名もそれぞれ平和への思いを「ひと筆」に込めた。この日の番組でピックアップされたのは、田畑栄造さんの「手」、三島清一さんの「笑」、それに筆者の「美」。それぞれの思いをメッセージに託した。

番組の構成で掃除活動は破格の扱いを受けた。通学路清掃の活動に始まって、「ひと筆」書きの姿、締めくくりの笑いヨガのバンザイまで長い時間特集された。番組の各シーンやラストの押さえまで、全員が背中に背負っている「ご縁に感謝」の筆文字が何度も躍った。「ひと筆」に込めた番組制作者の平和への思いが、きっと多くの視聴者の目に焼き付いたことだろう。この番組を契機に日本伝統の筆文字が復活すると嬉しい。

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No.27 ~震災復興は遅々として進まず 政治の怠慢と行政のコミュニケーション不足~

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”震災復興は遅々として進まず
政治の怠慢と行政のコミュニケーション不足”

東日本大震災で被災した自治体の復興に役立てる「復興交付金」の第一次査定に、ブーイングの嵐が巻き起こっている。特に怒りをあらわにしたのが、村井嘉宏・宮城県知事。怒髪天を突く表情が、テレビ画面でも見てとれる。「復興庁ではなく査定庁だ!」。県全体では57%しか認められず、申請に対してゼロ回答の市町村もあった。「納得がいかない!」と復興大臣に猛抗議。

岩手県は全額に近い97%が認められた。自民党推薦の知事と民主党推薦の知事では査定に温度差があるのかと下衆の勘繰りをしたが、そうではないらしい。国側は「復興プランがトータルの街づくりという〞面〟で計画されたかどうかを重視した」という。つまり「道路一本だけ、建物一つだけ」とい〞点〟の申請は認めなかったというのが真相らしい。

それなら納得。現に宮城県・大崎市は申請の218%の査定だから、決してえこひいきではない。2011~12年度分しか申請しなくても、13年度分まで前倒して配分している。無能な政治家では出来ない芸当を、優秀な官僚はしたようだ。要するに復興のグランドデザインが出来ている自治体と、そうでない自治体の差が出たということか。

使い道の自由度が高い金だとはいえ、無計画に箱物や道路などに無駄遣いされては、増税までして捻り出した2兆円が泣く。〞鳥の目〟を持った政治家や役人がいないのなら、外部に応援を求めて復興計画を練り直しては如何。手慣れた分捕り合戦だと錯覚していると、泣かされるのは支援を待っている被災者だ。ここは市長さん、町長さん、村長さんたちの見識が問われる。

既得権に切り込めない

民主党内閣は大切なことをなにも決められない。難しいことは先送りが日常茶飯事になり、「身を切る」「不退転の決意」などは言うだけになってしまった。政治の世界は高度な手練手管が必要なのだろうが、国会の審議など見ていると虚しくなる。公務員改革では骨格の部分に踏み込むのかと思っていたら、新規採用を70%減らすと行革本部の暴走番長は宣った。あれ? おかしいぞ?

 「身を切る」とは自らのことではなかったのか。まだ身内でもない学生たちの生身を切って、ロートルがぬくぬくしていては改革とは言えまい。それとも選挙の支持母体には逆らえないのか。現役の官僚らが痛みを引き受けるのだとばかり思っていた。だから野田首相の「不退転の決意」に拍手を送っていた。公務員の年齢構成が逆ピラミッド型になると、行政の効率性はますます低下する。

 09年度の新規採用が8511人であったのに対し、13年度は2550人となる。「焼け石に水」にもならない。公務員の改革に必要な給与水準の引き下げ、人員削減、天下りの根絶、年金格差の是正など骨格への切り込みは何一つ見えない。二年間の7、8%の給与カットでお茶を濁すとは笑い話にもならない。

 新規採用をどの程度に押さえるかは、国がやるべき業務と必要な職員数を精査して行なうべきで、一大臣の思いつき発言で左右されてはたまらない。ただでさえ「就職氷河期」に喘ぐ学生たちの門戸を政府が率先して閉ざすのはおかしい。経費削減の道具にしてよいはずはない。

忸怩(じくじ)たる思い

3月11日、悲惨な東日本大震災のあの日から一年が過ぎた。NHKの特集番組を見たが、少なくとも画面上からは震災の復興は遅々として進んでいないように見える。山積みされた瓦礫はどうなるのだろう。などと言いながら己に何が出来たのか。あらためて思い起してみるが、役に立つことは何もしていない。心を悼め、祈り、励まし、少しのお金を届け自己満足にひたっている。所詮、「他人ごとではないが、自分のことではない」と醒めているのではないか。忸怩たる思いがする。

日本赤十字社へ届けた義援金は被災者のお役に立っているのか、それとも何処かへ消えたのか、行方はさっぱり分からない。ささやかな善意を集めて「日本を美しくする会」に届けたお金は、掃除畏友の支援活動に生かされていると報告があった。SOSを受けて駈けずり回り、少なからぬ資材を調達して届けた同業者からは何の音沙汰もない。

平成7年の阪神大震災では1430万トンの瓦礫が出たが、建物の解体は一年で90%以上終わり、3年後にはすべての処分を完了した。岩手、宮城、福島の瓦礫は2253万トンに及ぶというが、最終処分が出来たのは6%弱に過ぎない。岩手県は通常ゴミ処理の11年分の476万トン、宮城県は19年分の1569万トン、県内処理の福島県は208万トンという気の遠くなる量。

野田首相は瓦礫処理のピッチを上げるというが、いつまでにどれだけの量という具体的な工程表を示していない。抽象論や精神論では何も解決できない。瓦礫も石やコンクリートだけならいいが、山積みされた家屋や倒木が夏場になって発酵し、二次災害は出ないのだろうか。国難に役立たずの民主党を選んだ不運を嘆いても始まらないが…。

天皇陛下のお言葉

民3月11日、東日本大震災一周年追悼式が挙行され、天皇皇后両陛下が臨席された。病癒えない身でのお出ましだったが、微塵もその気配を見せることなく追悼の言葉を述べられた。「―その中には消防団員を始め、危険を顧みず人々の救助や防災活動に従事し、命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れてはなりません」。このお言葉に涙した。

原発事故でふるさとを離れた人々、様々な支援活動を行なったボランティアなどに対しても労われた。世界各国から寄せられた支援の数々にも感謝の意を表された。国民のみなが被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善するよう希望された。お言葉の端々に国民の行く末を案じられる気持ちが伝わってきた。国民のすべてが陛下のお言葉に胸を熱くしたのではないか。

野田首相の式辞は、天皇陛下のお言葉を拝聴した後だけに、何と空疎な内容であったか。形式に過ぎないかもしれないが、国家の責任者の言葉としては恥ずかしい。少なくとも震災や津波による災害、とりわけ原発事故における被害においては、政府の失政による拡大が少なくなかった。詫びる言葉があるべきだった。

亡くなられた方々の御霊に報い、ご遺志を継いでいくために三つのことを誓うと述べた。①被災地の復興を一日も早く為し遂げる、②震災の教訓を未来に語り継ぐ、③助け合いと感謝の心を忘れない…。震災以来この一年、民主党政府の稚拙な対応を見れば、少なくとも御霊は安らかではない。天皇陛下のお気持ちを噛み締めて欲しいものである。

No.28 ~かくなる上は選挙で落とせ!ルーピー鳩山、ダーティ小沢、クレージー菅の健忘症トリオ~

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”かくなるうえは選挙で落とせ!
ルーピー鳩山、ダーティー小沢・クレージー管の厚顔無恥トリオ”

平成二十一年(2009)九月の総選挙で「政権奪取」の合い言葉と共に政権交代の原動力になったマニフェストを掲げた民主党に、国民はまんまと騙された。東日本大震災をはじめ数々の国難にも何一つとして有効な手立てが示せず、米国をはじめ近隣の諸国から嘲笑を浴びながらかつて世界第二位の経済大国だった日本は沈没寸前で喘いでいる。

野田佳彦首相はじめ政権党幹部の「行かないで…」という懇願合唱がルーピー鳩山の耳に届くはずもない。個人の資格というが、元首相の肩書きはそれほど軽くはない。民主党の最高顧問・外交担当としてイランを訪問し「世界平和に貢献したいとの思いで批判も覚悟だ」と政府を混乱させた。羽交い締めでも止めるべきだった。ルーピーに言葉は通じない。

野田内閣は関西電力・大飯原子力発電所の3、4号機再稼働へ向けて一歩を踏み出した。民主党最高顧問新エネルギー担当のクレージー菅は、首相時代の悪業を忘れたかのごとく「脱原発ロードマップを考える会」を発足させ、さっそく批判の活動を展開した。原発の善悪は論じなければならないが、民主党の一員としては身の処し方があるだろう。

ダーティ小沢の政治資金規制法違反の裁判は、この号が発行される頃には判決が下されているだろう。大方の予想は「疑わしきは罰せず」で無罪だという。空の金庫に四億円を運び込まれたのを見たものがいないから無罪放免とは司法も情けない。「前夜は星空だったのに、朝は一面の雪化粧。雪が降る場面を見ていなくても、夜中に降ったのは明らかです」として、結婚詐欺・連続不審死事件に死刑を求刑した検察の勇気に拍手を送りたい。野田首相は国会でルーピー鳩山を擁護し、クレージー菅やダーティ小沢には手も足も出ない。下剋上の元代表、元首相、前首相のわがままに、いまのところけじめを付ける雰囲気はない。

かくなる上は今年の秋にでも行なわれると予測される総選挙で断罪するほかはない。北海道第9区、東京都第18区、岩手県第4区の有権者の良識と勇気に期待したい。国会議員の資格を剥奪すれば、国民を不幸にする悪業も少しは慎むに違いない。

三代目の不気味

北朝鮮の三代目が自信満々で打ち上げた人工衛星(長距離弾道ミサイル?)は、あっという間に空中分解し、海の藻屑と消えた。超秘密主義の独裁国は何故か打ち上げの模様をプレスセンターまで設営し、大スクリーンを備えて世界のメディアに公開した。よほど自信があったに違いない。わが国も迎撃ミサイルを要所に配備して、国と国民を守る万全の準備? をしていた。

三代目は満座の中で大恥をかかされ激怒していると思いきや、祖父と父の功績を称える巨大銅像の除幕式に手を振って現れた。実況された映像では、怒りなど微塵も感じさせない若者らしい笑顔だった。北朝鮮のメディアは黒を白と糊塗するのかと思いきや、珍しく黒を黒として報道した。一瞬にして1900万人分の一年間の食糧費、約700億円が吹き飛んだ。もったいない。それでも笑顔で手を振る様は、何とも不気味で後が恐い。次は核?

打ち上げ失敗は日本にとって幾つものプレゼントをしてくれた。実害がなかったのはその一つだが、最大のラッキーは民主党政府が危機管理に無能だと事実で国民に教えてくれたことだ。全国瞬時警報システムの「アラート」は、東日本大震災のときの「スピーディ」と同様に使われなかった。情報が得られなかったのか、それとも得ていたのに故意に発表しなかったのか。理解に苦しむ。

万全の迎撃態勢を敷いていると野田首相は胸を張っていたが、150キロメートルも上昇し、一分も飛んでいたミサイルをレーダーは捉えきれなかった。日本の防衛体制は国民を守るために役に立たなかった証である。これでは虎視眈々と日本を狙う周辺諸国になめられる。無能な防衛大臣の責任追求も結構だが、事実関係と防衛能力の検証が急がれる。丸裸の手ぶらでは危なくて外を安心して歩けない。

田中迷走大臣の功績

「国会議員の定数削減や公務員改革が出来なくても、消費税の増税は断固として実現する」と野田首相は断言。政治改革に執念を燃やしていたように見えたが、どうもまやかしだったらしい。口調は明確でしゃべりは上手だが、言っていることは支離滅裂で整合性が取れない。難しい判断は先送りする習慣が付いてしまったらしい。参議院の集中審議などのテレビ中継をみていると、大臣たちが政治を動かしているのではないとよく分かる。

田中直紀防衛大臣だけではないが、テレビに映し出される大臣席の右往左往を見ていると悲しくなる。民主党政権の歴代首相は「政治主導」を小賢しげに唱えていたが、日本の政治をリードできるような大臣たちはいない。田中大臣のオロオロ振りを見ていると、親玉が無能であっても防衛省はともかく機能すると分かる。二人羽織の醜態を見せ付けられるのも慣れっこになってしまった。

田中大臣は日本政治の隠れた部分を、テレビ画面を通して国民に分かりやすく見せてくれた。もしも有能な政治家だったら、あたかも大臣がすべてコントロールしているように見せ掛けたかもしれない。大組織の中へ不勉強の大臣、副大臣、政務官らが乗り込んで行っても具体的には何も出来ないと教えてくれた。お人好しの有権者もルーピー鳩山、クレージー菅、ダーティ小沢らが、大嘘つきだと納得しただろう。

他にも無知な岡田克也副首相、傲慢な枝野幸男経産相、無能な安住淳財務相、野田首相は別格として官僚の操り人形であることをテレビ画面は教えてくれた。連立与党である国民新党の信じられないハチャメチャ風景は、正常な人間には理解できない振る舞いだ。政党助成金は国民の税金から拠出されている。田中大臣にはせっかくの機会だから、もう少し頑張って政治家の正体を見せ付けて欲しい。来るべき総選挙の判断材料を提供されるよう期待している。

政治の仕組みを変える

野田首相も選挙互助会に支えられていては、せっかくの能力も発揮できないだろう。多少の混乱は我慢するから、思い切ってガラガラポンをやってほしい。どうせなら有権者に選ばれた首相として、新しい仕組みの上で存分に能力を発揮してもらいたい。ただし、国家・国民のために権力を行使すること。混乱を極めている今こそチャンスと思うが如何。

No.29 ~いざ決戦!もうあなたを相手にしない(野田) やれるものならやってみろ(小沢)~

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”いざ決戦!もうあなたを相手にしない(野田)
やれるものならやってみろ(小沢)”

zokusesouyabunirami29-1消費税増税を巡る野田佳彦首相と小沢一郎元民主党代表の会談は再会談ないだろうと思っていたが、思いがけず二度目の話し合いが持たれた。消費税増税法案に協力して欲しいと懇請する首相に、賛成できないということは反対ということだと小沢氏はうそぶいた。シナリオどおりに展開し、野田首相は小沢氏の呪縛から逃れることができた。これからは自分の思い通りにやる、あなたの推薦で任命した役立たずの大臣も首を切らせてもらうと宣言した。やれるものならやってみろ! 国民の支持は我にありと減らず口をたたいた。立ち合った妖怪・輿石東幹事長もなすすべはなく世紀の会談? は終わった。

 すでに結末を読んで腹積りをしていたのだろう、それからは電光石火。翌日にはさっさと組閣を終えた。もしかしたら一気に党役員も変えるのかと思ったが、あっさりと見送った。小沢の力を背後にしない輿石なんて気の抜けたサイダーのようなもの。

 驚いたのは新任の防衛大臣。拓殖大の森本敏教授を起用した。安全保障に精通した第一人者として著名だが、防衛庁時代から初めての民間人起用だけに党内外からブーイングが起きた。「国防上の問題で責任が取れるのは、選挙で選ばれた政治家しかいない」という。そうかもしれないが、前任の田中直紀氏やその前の一川保夫氏の体たらくを見ていると、政治家の責任なんて絵空事に過ぎない。選挙の洗礼を受けているかどうかよりも、見識が立派かどうかが優先する。しかし、日本の政治家たちは根性がひねくれているから、まさかのときは理屈抜きで足を引っ張りかねない。それが日本の安全保障をそこなうことはあり得る。多くの反対を押し切って選んだ責任からも、野田首相はお得意の政治生命を賭けて新防衛大臣をバックアップする必要があろう。

森本新大臣はかねてから民主党の外交・安全保障政策を厳しく批判してきた。鳩山内閣のインド洋での補給活動の撤退、菅内閣の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件の対応、危機管理のセンスがないこと、野田内閣の北朝鮮ミサイル発射時の情報発信の遅れなど、槍玉に上げている。穿った(うがった)見方をすれば、民主党の人材不足を補うために、民間から起用したと言えなくもない。逡巡する森本氏に「自衛隊の最高指揮官は首相だ。指揮監督権はきちっとしている。その点はまったく心配ない」と明言した。いざというときは一蓮托生、首のすげ替えではことが済まない。それだけに野田首相の覚悟が見える。

これで税と社会保障の一体改革は、簡単ではないが一歩前進した。前門の虎、後門の狼は猛々しさを増している。民主党内では第二次改造内閣で不満分子がさらに増えた。しかし、国民は「口先だけの民主党」に愛想を尽かしている。実力者ぶった小沢氏を支持するものは、役立たずの国会議員の仲間だけ。国民は消費税増税は歓迎しないが、それは小沢支持だからではない。せっかく政治生命を賭けて「乾坤(けんこん)一擲(いってき)」の勝負をしたのだから、恥も外聞もなく野党に擦り寄ってでも宿願を果たしてもらいたい。遅蒔きながら「決められない政治」と辱められた看板を取り外ずチャンスだ。民主党内閣ではなく日本国の野田内閣として、必ず道は開かれる。

世界に無能ぶりを喧伝したクレージー菅直人さんあなたの姿をもう見たくない

zokusesouyabuinirami29-2五月二十八日に開催された「東電福島原発事故調査委員会(以下、事故調)」における菅直人前首相の参考人聴取は、これからの原子力行政の問題点を明らかにするため世界が注目していた。まもなく暑い夏を迎える日本列島は、原発再稼働に向けた政府の判断も大詰を迎えている。その大切な時期に当時の最高責任者であった菅氏の発言は、内容によってはさらに混乱を拡大しかねない。

今回の事故調における参考人聴取は、多くのマスメディアを通じて相当に詳しく報じられた。率直な感想は「なぜ日本国はこのような役立たずを総理大臣を選んだのか」という疑問である。日本国の首相は絶大な権限を持っている。大抵のことは思うがままになるし、よほどのことがない限り不可能はない。「気違いに刃物」というが、与えられた絶大な権限を思う存分振り回し、多くの人を死に追いやった。

原発の二次災害を拡大したと伝えられる三月十二日早朝の現地視察の意義を「現場の考え方や見方を知る上で、顔と名前が一致したことは極めて大きなことだった」。馬鹿に付ける薬はないというが、無意味な視察で四十分も現地の時間を奪った罪は余りにも大きい。愚かな宰相の無益な行動が、どれだけ原発の災害を拡大させたことか。悔やみきれない。

当時、多くの政府関係者は、菅氏に大局観がまるでないことを嘆いていた。最終決定権者だから、ゴーサインが出るまで待たねばならない。瑣末(さまつ)なことにこだわるから、いつの場合も判断が遅れ、しかも間違ったという。わが社のような零細企業でも、社長に大局観がなく現場に口出しすると仕事がストップする。緊急時であれば「その事態にどう対処するか」を考えるべきなのに、部下の業務に過剰介入し、あれこれ指図されると解決のチャンスを逃す場合がしばしばある。

お人好しの国民は三年前の総選挙で「国民の生活第一」を掲げたマニフェストに騙されて民主党に政権を与えた。まさかダーティ小沢、ルーピー鳩山、クレージー菅の厚顔無恥トリオが、ここまで日本の国を貶め、国民の暮らしを苦しめるとは思いもしなかった。せめてもの罪滅ぼしに事故調の最終報告書では、菅氏の責任を明確にして、再発防止策を提言する責任がある。あいまいな調査で終わらせるようでは世界に笑われ、犠牲者も安らかに眠れない。できれば菅氏らを証人喚問し、嘘をつき続ければ偽証罪に問うてもらいたい。

菅氏は最高指揮官であるにもかかわらず、結果責任を当時の枝野幸男官房長官や海江田万里経済産業相、それに保安院、原子力委員会、東電などに負わせ己を正当化した。情報が上がらなければ上がるようにする責任があるにもかかわらずだ。

今回の事故調では安全保障会議や中央防災会議を開かなかったいきさつ、原子力災害対策特別措置法に基づく対策本部とは別の本部が立ち上げられたことの是非について追求がされなかった。自身の失態を棚に上げて、エネルギー政策などに批判を展開したことは、厚かましいにも程がある。党として機能しない民主党に責任を求めても応えてくれないだろうが、国政調査権を付与された事故調に期待するところは大きい。

No.30 誇りある日本をつくるために ~さらば!「決断できない政治」~

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”誇りある日本をつくるために~さらば!「決断できない政治」~”

昨年の十月、中田宏・大阪市特別顧問(前横浜市長)は、竹中平蔵・慶応大学教授(小泉内閣総務大臣など歴任)と『告発!ニッポンの大問題30』を共著、よく売れた。同月、幻冬舎から『政治家の殺し方』なる政治の裏舞台を白日のもとに曝したきついタイトルの本が発売された。ベストセラーになり、アマゾンで堂々の「政治部門」「ノンフィクション部門」でトップを独走、売れに売れた。政治家が改革を志し、実際に地下室の扉を開けるとどういう仕打ちを受けるか。横浜市長として数々の改革に成功したが、不利益を被る輩から手酷い仕打ちを受けた。一連の「週刊現代」事件の真実を赤裸々に描いた必読の傑作である。

今も売れ続けているが、さらに今年の六月『改革者の真贋しんがん』を上梓し、PHP研究所から発売された。前作に続きアマゾンの「社会・政治部門」「ノンフィクション部門」でトップを走り続けている。現在、橋下徹・大阪市長に請われて大阪市特別顧問に就任し、東奔西走の日々を送っている。『政治家の殺し方』では「なぜ政治を変えることができないのか」、「変えるとどうなるのか」という日本の利権構造について書かれた。『改革者の真贋』は「改革のための決断」「決断するための思考」が分かりやすくまとめられている。

三年前の総選挙で「政権交代」を旗印に戦った民主党が大勝利し、多くの国民は民主党内閣に日本再生を期待した。ところが口先だけの「決断できない政治」は、日本の世界的地位を貶め、国民の暮らしに瀕死の重傷を負わせた。本書は、まもなく終焉を迎える民主党政治への鎮魂歌となる書としてお薦めする。

政治家の役割とは決断を下し 責任を取ること

中田宏著『改革者の真贋』の素晴らしいところは、政治家としてはめずらしく正しい日本語で文言が具体的に積み重ねられていることに尽きる。だから分かりやすい。本書は、以下の八章で構成されている。

第一章 改革にはビジネスセンスが必要だ ~赤字を減らすための戦略的決断~

第二章 日本の将来を見据えた改革を ~科学技術立国・日をつくる創造的決断~

第三章 効率的な大都市運営システムを ~二重行政を解消する正義の決断~

第四章 日本再興の鍵を握る「羽田空港国際化」 ~現状悪化を阻止した潮目の決断~

第五章 改革を断行した横浜市長時代 ~物事を前に進める迅速な決断~

第六章 決断できないものに指導者の資格はない ~やらねばならないときの限界超えの決断~

第七章 改革者・橋下徹の真実~大阪を変革する勇気の決断~

第八章 誇りある日本をつくるために ~よりよい国を次代に渡す決断~

民主党内閣の三代首相を揶揄しているわけではないが、国民のための正しい政治は、皮肉にも鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦内閣の真逆にある。

八つの決断を提起しているが、理想論ではない。あるべき論でもない。すべて改革者である都市経営者・中田宏の実績として検証できるところがすごい。「国民の生活が第一」という政党も誕生したが、笑わせる。

日本ではめずらしいぶれない政治家・中田宏

改革の真贋-thumb-300x438-5328平成五年、中田宏は細川護煕が率いる日本新党から衆院選に立候補し、国会議員になった。金儲けのため政治家になった珍種もいるが、大半は器の差こそあれ、先見性、ポリシー、決断力を備え持っている。ところが経験を積むにつれて能力を発揮できなくなる。政治活動には予想外に費用が掛かる。問題のその金をどうやって調達するかだ。大抵の場合、安易な利権構造に組み込まれ、折角の才能を枯渇させてしまう。

中田宏は国会議員時代、新進党に属したが寄せ集めで誕生した民主党に参加せず、現在まで無所属を通している。したがって国民の税金で賄われる政党助成金を受けていない。平成九年、「中田ひろしと共に日本を良くする万縁の会」(会長・鍵山秀三郎イエローハット創業者)が誕生した。政治資金を一人一万円の会費で賄う日本では珍しい見返りを求めない個人献金のシステムである。

平成十四年から横浜市長を二期務めたが、改革のために決断し、そして実行し、都市経営者として存分に力を発揮した。しかし、利権を失ったあらゆる階層の反撃を受け、謂れなきバッシングを受け続けた。それでもひるまなかった。ぶれることはなかった。常に決断する政治を目指し、実践し続けた。彼の政治信条は国会議員になることでもなく、大臣などの権力者になることでもなかった。ただひたすらに誇りある日本の未来を築くところにあった。

天は中田宏を見捨てることはなく盟友・橋下徹大阪市長と、日本のためにがっちり握手する幸運に出会えた。『改革者の真贋』の「横浜改革」「橋下維新」の真実を明らかに!のキャッチコピーは日本の将来を示す。

総選挙へ出馬の決意を固める~枠組みがあってこその選挙区~

もともと中田宏は神奈川八区選出の国会議員だった。少なくとも一年以内に行なわれる衆議院選挙に出馬する決意を固めている。しかし、選挙区を決めるより先に大局観を共有する政党など、選挙で問う枠組みが必要である。今風に言えば「第三極の政党」だろうか。どこまで進んでいるのか、部外者に詳細は分からないが、東奔西走しながらキーマンとして寝食を忘れて活躍中である。

「中田ひろしと共に日本を良くする万縁の会」は、選挙区が想定される神奈川県のみならず、平成十年には広島県支部が誕生した。相次いで福岡、栃木、高松、松山、神戸をはじめ広島県呉市にもウイングを広げている。さらに平成二十三年には北から東北、北関東、南関東、東京、神奈川、栃木、中部、近畿、中国、四国、九州と地区統括担当が選任され、支援活動に余念がない。

七月二十八日には「福岡・万縁の会」が開かれ、二百名を超える会員を前にして、憲法改正、原発再稼働、尖閣諸島、沖縄基地、日米同盟、財政再建、消費税増税、自衛権、経済活性化など、現在の日本が抱える諸問題について信ずるところを明確にした。活発な質疑応答も行なわれた。これから各地で所信を表明する講演会が、相次いで決定している。テーマは「誇りある日本をつくるために」さらば!「決断できない政治」

中田宏は己の信ずるメッセージを国民に発信し続けながら、新しい国民的潮流のうねりを起こしつつある。