掃除に学ぶ

巻頭言

掃除でこころをみがく    鍵山秀三郎

「ザーッ、ザッ、ザッ」
「カタッ、カタカタッ、カタッ」

 学校内のあちこちから音が響きます。

 いずれもトイレ付近から、熱のこもった声や息吹とともに伝わってくるものです。

 これは〔日本を美しくする会〕の研修に参加した人たちが、会場にお借りした学校のトイレで、便器や床に永年の間に染みついた汚れを取り除こうと、一所懸命励んでいる音が廊下まで聞こえているのです。

 トイレの中では、さまぎまな階層の人たちが、便器を抱えるようにしたり、頭を便器に突っ込んだり、あるいは床に這ったりして黙々と自分の持ち場を磨いている風景が見えます。かたちは様々ですが、取り組んでいる姿勢とやる気満々の気迫は共通しています。

 リーダーの明るい掛け声に、素早く応えるチームワークは、今日はじめて出会い、はじめて組み合わされた人たちとはとても思えない見事なものです。

 掃除に掛ける時間が二時間と聞いて、はじめての人は、「何故トイレ掃除にそんな長い時間が必要なのか?」 と、不審な顔をします。しかし、実践してみるとこれでも時間が足りないことに気づかされます。

 特に終了前20分くらいになると、それまで全く目に入らなかった汚れに気づき、これだけは何としても取り除き、美しくしたいという思いに駆り立てられるのです。

 時間内に思い通り綺麗にできたときは、心ゆくまで満足感を味わうことができますが、どうしても汚れが取れなかったときなどは、後に心を残しますものの、実はこのときにたくさんの学びがあるのです。

 それは与えられた場所を磨くための段取りや取組み姿勢の甘さ、清掃過程における心の隙間、限られた時間の杜撰な使い方、などなどが、次から次ぎへと浮かんできて反省することの多いのに驚かされます。

 この運動に参加して多くのことを素直に学べるのは、善友のなかに身を置いて、絶対肯定絶対安心の世界に入るからだと思います。

 参加の回数を重ねる度に、前の経験が活かされ、自らの成長に止まらず、周囲の人と共に成長していける素敵な会だと思っています

1-1 ~徒歩通勤~

徒歩通勤

No.1活動

 我が社には「No.1活動」という制度があります。

 毎月全社員がその月の目標を何か定め、そのことについて会社でNo.1になるように日々励もうというものです。

 テーマは何でもよいのですが、自分では決められません。

 本人を除いた他の社員がテーマを決めることになっています。
 「無遅刻No.1」
 「読書でNo.1」
 「机の中の整理でNo.1」
 「あいさつでNo.1」
 などいろいろです。

 何でもよいといっても一応の大枠はあります。
 
 まず「よいこと」。それにできればあまり目立たない「小さなこと」「毎日できること」
 「続けられること」です。

 このような活動が、定着してくれれば、企業における人づくりにとって、よい影響をもたらすのではないかという思いもありました。

徒歩通勤

我が家から会社まで1500m程度だから、歩けば20分か25分くらい掛かります。

 私の「No.1活動」の目標は、徒歩で通勤することに決められました。

 つまり「徒歩通勤でNo.1」を目指せという社員の要望です。

 車社会にどっぷり浸かっている53才(当時)には苛酷すぎる気もしましたが、50才を越えてめっきり足腰の弱った私を、日々見ている社員の愛の鞭と受け取り挑戦することにしました。

 案の定、一週間をすぎる頃から小指のあたりから鈍痛がはじまり、アキレス腱、そして膝までがおかしくなり、少々弱気にもなりました。

 しかし、社員の手前もあり痩せ我慢を重ねるうちに、いつのまにか気にならなくなり「徒歩通勤もまた楽し」の心境にまでなったから不思議です。

毎日が戦争

実際に毎日徒歩で通勤していると車で通勤しているときには気がつかない、いろいろな出来事に遭遇することになります。

 そのひとつが、歩行者は常に死と向きあっているということです。

 まずダンプカーの轟音とスピードです。体重の軽い人だと、歩道すれすれに飛んでいくダンプカーに吸い込まれそうな錯覚を起こします。

 体重82kgのわたしでさえ馴れるまでは恐怖の日々でした。

 またマイカーのスピードとクラクションは「そこのけそこのけお馬が通る」という閑かなものではなく、まさに戦争そのものです。

 信号機のない横断歩道で徐行してくれる車もなく、車庫入れなどで歩道を横切る車のクラクションで、人間の方が 「一旦停歩」。

 これらは特異な現象ではなく、ごく平和な日々の出来事です。

ゴミの山?

 わたしの通勤する道は、片側法面が多く、歩道に面した商店や住宅が少ないということです。

 商店や住宅が少ないということはその歩道をきれいにする人がいないということです。結果としてわたしはゴミの山を踏み固めながら、徒歩通勤することになったのです。

 いまにして思えばこの歩道のゴミとの出会いが、私の人生を大きく変えるキッカケとなったのです。           
 (96年7月)

1-2 ~ゴミに出会う~

ゴミに出会う

掃除はイヤー!

ことしも昨年につづいて就職活動が厳しく、学生は辛い体験を強いられています。

 我が社のような零細企業でも資料請求や会社訪問が増えています。
「我が社では企業活動や人材育成の基本を掃除においている。」

 これはここ数年来の企業説明会における私の第一声です。一瞬怪訝な顔をするものの説明をすれば、ほとんどの学生は理解してくれます。

 しかし頭で理解できても、日々の掃除の進めかたや、それに要する時間のことなどが明らかになると半数は辞退されます。

新しい発見

徒歩通勤を続けているといろいろ新しい発見があります。最初はともかく遅刻しないように一生懸命前に向かって足を運ぶだけでした。

 やがて家を出る時間、信号を渡るタイミング、歩くペース配分など上手になり、早く楽に歩けて余裕が出てきます。

 そうすると四季折々の風情や、美女たちのファッションの移り変わりなど自然にインプットされるようになります。これらはその気になりさえすれば車通勤でも可能ですが、歩かなければ絶対にインプットされないもの、それは「道・路」の状況です。

行政の谷間にある道

車の走る道は、定期的に「公」の負担で清掃車や散水車のお世話になるので比較的きれいです。

 中央分離帯のみどりも、造園屋さんの手を煩わしているのでまずまずです。

 また住宅や商店に接している道はそれほどひどくはありません。それは町内会や商店会など「民」の善意による奉仕が定期的におこなわれているからです。

 いちばん悲惨なのは「公」も手を入れない、「民」の奉仕も届かない住宅にも商店にも隣接していない人間の歩く道です。

ゴミに気づく

不思議なことに人の歩く道のゴミに気づいたのは、徒歩通勤をはじめてほぼ1カ月くらい経過してからです。

 その間、ゴミというゴミが種類を問わず散乱し、しかも積み重なって悪臭を漂わせていたのに、なぜゴミを意識しなかったのか今もわかりません。

 ある日の朝突然神の啓示のように「自分の歩く道は自分できれいにする。」と何の理由もなく決意してしまったのです。

妻からのクレーム

翌朝からのわたしの格好は、ジャンパーに運動靴、軍手で身をかため右手に長尺ヒバシ、左手にキャスターつきのお土産ぶくろ。

 タバコの吸い殻、ジュースなどの空缶、ビニール袋などの 「ゴミ」を拾いながらの通勤になりました。

 「ご近所の手前もあるしその格好をなんとかしてくれないか」
 「毎朝ゴミ拾いしているという噂でも立つと、恥ずかしくて買物にもゆけない」

 妻の抗議はもっともですが、一旦やろうと決めたことは、そうそう間単に中止することはできません。

 毎日いつもより30分早く家を出て、大型ポリバケツ2杯分のゴミを拾います。20日ほどでわたしの通勤する歩道が、やっと人並みのきれいな歩道に変身しました。

 妻もわたしの頑固さに呆れ果てて以後文句は言わなくなったものの、理解したわけではありません。

 その妻が4年後夫唱婦随で夜間のバス停清掃をはじめ、夢中になるのですから、掃除は不思議な力を持っているとしか言いようがありません。

(96年8月)

1-3 ~妻の掃除~

妻の掃除

糖尿を治す?

 妻もわたしも血糖値が高く、正しい食生活を強いられています。

 妻は二度ほど入院し、その都度快方に向かうものの、退院すると元の木阿弥になります。その原因について妻は否定していますが、運動不足と過度のつまみ食いにあると思っています。

 わたしは田舎育ちのせいもありますが、50年のキャリアを持つ頑固な弁当派です。一日三食わが家の味を楽しみ、原則として外食をしないことにしています。

 そのため味見や残飯整理の機会が多く、糖尿の責任の一端はわたしの弁当づくりにもあると責められています。食べ物を必要以上に口に入れる入れないは、本人の自覚の問題だから責められるのは筋違いのようにも思いますが、糖尿退治への協力は夫として当然のことです。

夫唱婦随

 「掃除で糖尿を治そうや」
 「なにゅうバカなことをいいよるん。掃除で糖尿が治るもんね」
 「船井先生も言うとられたで。陰徳を積んだら心が穏やかになって、脳波が下がるんと。脳波が下がったら病気が逃げていくらしいで。陰徳を積むには、誰にも分からんように掃除をするんが一番よ。」
 「格好がわりいけん、わたしゃ掃除なんかせんよ。」
 「夜中にすりゃあええじゃない。夜中なら誰にも見られんし、運動にもなるし、一石二鳥よぉ。」

 このころ掃除の魅力に取りつかれはじめていた私は妻に強引にすすめ、ともかく夜のバス停を掃除することを承知させました。

深夜のデイト

 貧乏会社の経営者であるわたしの退社時間は、ほとんど深夜です。

 わが家から会社まで徒歩で30分かかります。

 仕事を終える15分前にテレコールをする。妻はただちに愛犬[乱]を連れて我が家を出発する。

 私は仕事を終え、掃除用具一式積んで会社を出発する。

 深夜のバス停で合流し、上り下りのバス停と周辺の掃除に汗を流す。

 色気のない深夜のデイトですが、夫婦が一緒になにかをするということは結構楽しいものです。

 犬を連れての単なる散歩よりも、掃除という目的が付加されれば継続も容易になります。

 当然のことですが適度の運動を必要とする糖尿病には良薬になる筈です。

婦唱夫随

 深夜の掃除デイトをすることにより、夫婦が円満になり、早朝出勤のサラリーマンにゴミひとつないバス停を提供できることは、経験しなければ理解できない喜びです。

 ところが困ったことに、いやいや夫に従って深夜掃除をはじめた妻が一転して掃除の魅力にとりつかれてしまったのです。

 私も普通の人間だから、ときには掃除を休みたいときがあります。

 「今日は疲れとるけぇ掃除を休もうや。」
 「なに言うとるんね。一旦やるいうて決めたらやり遂げにゃあ。神さんはちゃ-んと見とってよ。」

 出張で新幹線の最終便で帰っても広島駅の北口に、掃除用具を積んだ車で妻が待機しています。

 そのまま家にも寄らず、一直線にいつものバス停まで走ります。

 スタートは「夫唱婦随」でしたが継続は「婦唱夫随」。

 毎日の掃除が8年も続いているのは、妻の後押しによるところが大きい。 

(96年9月)

 

1-4 ~あいさつ~

あいさつ

万歩計

 血糖値が高いから用心するようにと医師から注意されたとき、友人が「一日一万歩は歩け。」と万歩計をプレゼントしてくれました。

 早速ベルトに着用して、毎日活用させてもらっています。

 朝の掃除に要する歩数は、多いときで3千8百歩、少ないときで3千3百歩、平均3千5百歩である。

 拾うゴミの数が多いときと少ないときでは差がでます。

 その他会社のなかや、現場の往復など、結構歩いているように思いますが、一日一万歩はきつくそれを越えることは滅多にありません。

 血糖値を下げるにはまず歩くことそう心に決めてから、お掃除の範囲を広げました。ともかく一日一万歩を越えることを目指しています。

子供のあいさつ

 お掃除の範囲を広げたため、毎朝子供たちと出会う回数が一気に増えました。わたしのお掃除の時間と、子供たちの登校時間が重なるためです。最近の若者はあいさつができないと言われます。もちろん子供たちも例外ではありません。

 このような現象は、戦後の学校教育や家庭教育に、責任の全てがあるかのように論じられており、それを嘆く大人も少なくありません。

 わたしもそのように思っていました。それは、毎朝出会う子供たちからのあいさつの少なさを、日々経験しているからです。

 大きくなるほどあいさつは少なくなります。それでも小学生は半分くらいしてくれます。中学生高校生はあいさつするほうがめずらしい。大人の若者はもちろんゼロ。

 残念ながら若者の現状を嘆いている熟年の大人たちもゼロに限りなく近い。

 あいさつのできる子はよい子。あいさつのできない子はダメな子。

 いつのまにかそう思い込んでいました。

子供だけではない

 あいさつできない子供を嘆く。子供を教えられない学校や家庭のありかたを論じる。それはそれで結構ですが、それらを論じる大人たちはキチンとあいさつできるのか、嘆く資格があるのか、その前に自らを戒める必要はないか。

 子供たちが先にあいさつしてくれればニッコリ返す。

 あいさつしてくれない子供たちは無視。

 毎朝このようなことを繰り返しているわたしも、よく考えてみれば、自分からあいさつのできない部類の恥ずかしい大人ではないか。恥ずかしい人間が、人のことをしたり顔であれこれ論じたり、嘆いたりしてはならない。

笑顔がいっぱい

 自分からあいさつできる人間になろう。すこし勇気が必要だったが、気がついた翌日から朝出会うすべての子供たちに、自分から明るくあいさつをすることにしました。

 そっぽを向く子供、怪訝な顔をする子供、無視する子供、などいろいろです。無理もありません。

 ある日突然ゴミを拾う怪しげなオッサンが声をかけはじめたのですから。

 「おじさんはゴミ拾い屋さん?」
 「うんゴミ拾い屋さんだ。」
 「まいにちたいへんだね。」
 「そうでもないよ。」
 「ぼくらもゴミを捨てんようにするけんね。」

 それでも一カ月もするとほとんどの子供たちが 「おはよう」を返してくれるし、会話も弾むようになります。「おはよう」には必ず笑顔がついてきます。

 子供たちがあいさつをしない、と嘆く前に、大人から先にあいさつすればよい。簡単なことです。
 
(96年10月)

 

1-5 ~己を育てる~

己を育てる

若者の値打ち

 最近の若者はさっぱり役に立たないと評判が悪い。

 「耐えることができない。」
 「すぐ諦める。」
 「指示がないと動けない。」
 「なんでも人の所為にする。自分は少しも悪くないと思ってる。」
などなど、今の若者は救いようがないほど四面楚歌です。

 ほんとうに役に立たないのか。

 ほんとうは役に立っているのに、そのように見えないのではないか。

 いつも若者だけが指弾されるが、上に問題はないのか。

 いつの時代も見る角度を変えれば若者は活力に溢れ素晴らしいとわたしは思っています。また存在するだけで価値があります。

遅刻ゼロに変身。

 遅刻常習犯のA君が、一念発起し同僚とともに早朝掃除をはじめました。遅刻の理由は単純で「朝寝坊」であり「体調の不良」であり、「交通渋滞」です。

 毎日5分だけ早く起きる。たったそれだけの決意で、半年たたない間に40分も早く起きれるようになりました。

 A君は、早朝掃除で中央分離帯の両脇に捨てられてある煙草の吸い殻拾いを担当しました。5分早く出勤すれば、五分だけの清掃快感が味わえます。しかし5分の吸い殻拾いの範囲はたかがしれています。

 すぐにそれでは物足りなくなり、本能的に次に進みます。より多くの爽快感を味わうためには少しでも自分の清掃エリアを広げるよりほかには方法がないことを自ら知ります。

 5分が10分になり30分になり、やがて40分になるには、さほど時間は要りません。

 その結果、「朝寝坊」はなくなり健康そのもの、もちろん無遅刻無欠勤。多くの称賛を浴びながら自らを光らせることになります。

 若者は忍耐力があり、そして勤勉です。A君は、日々の掃除でたゆむことなく己れを育てています。

手抜きをしない。

 若者にかぎらず誰しも仕事の上で心ならずも「手抜き」をすることがあります。

 手抜きをすれば手がかかる、ということを知りつつおこないます。

 要領のよいB君は、典型的な手抜き人間でした。

 B君はA君の一念発起に刺激されたかのように、早朝掃除に参加をはじめました。

 指示命令でやらなければならない掃除は苦役でしかありませんが、自ら進んでおこなう掃除は一味違います。B君の担当は、会社を挟んで南北のバス停掃除です。

 はじめはいい加減でも、回を重ねるごとに周囲のゴミの存在が許せなくなる。いきおい丹念になります。

 雑な自分が許せなくなり、丹念に掃除する自分を誇りに思うようになります。

 掃除はつまらないことのように思われています。掃除にまつわる蔑視語などもたくさんあり、嫌がられています。

 B君はいつのまにか人がつまらないと思っていること、人が嫌いだと思っていること、それをごく当たり前のこととしてできるようになりました。もはや手抜きはありません。

 若者は骨身を惜しまない。そして明るい。B君も、掃除で己れを育てています。我が社の全社員による早朝掃除活動は、ダメといわれる若者によって支えられ、日々休むことなくまもなく8年目に入ります。  

(96年11月)

 

1-6 ~素手で便器を磨く~

素手で便器を磨く

ゴキブリのいない町

 岐阜県の関ケ原の近くに、池田町という小さな町があります。

 その池田町は、ゴキブリのいない町として全国的に有名です。

 ゴキブリの跳梁跋扈に辟易した中小企業経営者が、ホウサンと玉葱の組合せにより、簡単にできるゴキブリ駆除剤を開発し、町民に無償で製法を伝授したのが、ゴキブリのいない町づくりのキッカケといわれています。

 その後、ロコミで全国に伝わり、消費者の要望でゴキブリ駆除剤「ゴキブリキャップ」の製造元[㈱タニサケ] が誕生しました。

 タニサケの社長を務めておられる松岡浩さんは、わたしの掃除の先生のひとりです。

チリひとつない会社

 松岡さんは「掃除哲学」で著名な鍵山秀三郎さん(㈱イエローハット社長)を[現代の菩薩]として、尊敬し、師事されています。

 また㈱タニサケは、アプローチから事務所、それに工場にいたるまでチリひとつない会社としても有名です。

 わたしは、昨年10月社員と一緒に掃除哲学を学ぶため、㈱タニサケを訪問させていただきました。

 早朝6時に現地到着ということで広島を夜中に出発し、総勢16名がマイクロバスで東上しました。

 荒みのない顔や物腰はだれでもわかる。ニコニコ、イソイソ迎えられチリひとつない会社の状況に驚嘆する以上に、磨かれた(自ら)社員さんの姿にピックリ仰天。掃除がここまで人を磨くということを、はじめて日のあたりに実感したのです。

お掃除の実習

 到着してすぐトイレ掃除の実習をさせていただきました。

 わたしは勿論のこと、社員も便器を素手で磨くことになろうとは、夢にも思いませんでした。

 正直なところ、便器は汚いものと考えていたし(タニサケの便器はピカピカ)、手袋をして棒ズリなどで掃除するものと思っていました。

 松岡さん自らが、先頭に立たれての用具の説明、掃除の手順など聞きながら、カルチャーショックを受けたこともあり、いつのまにか素手で便器を磨いていました。

 社員も次々と素手で便器を磨きはじめましたが、どう感じたのか顔はともかく心のなかまで計れません。

 「結果的にトイレも便器もきれいになるが、目的は心を磨くことにある。」
 「ただし日々実践を積み重ねていかないと、理解できないだろう。」
と松岡さんのお話。

日々便器を磨く

 お話を聞いたり、ほんのちょっぴり素手で便器を触ったからといって「便器磨きの哲学」が理解できようもない。そうであればやるしかないではないか。

 翌日から会社のトイレ掃除をはじめたものの、心の葛藤はつづく。

 便器のふちの裏側からは、黄色の汁がとめどなく流れる。ときには流れが悪いのか、汚物が留まっていることもあります。その度に鍵山社長の「手は勇気がある。一度触れればあとは何でもない」の言葉を自分に言い聞かせる。

 「社長がなんで社員の汚物を処理しなければならないのか!」社員に対する恨みつらみ。

 便器と対決するたびに、自分の身勝手さや醜くさ、それに傲慢さと直面しなければならない。その辛さ。しかし、いつからということもなく素直になっている自分を発見。

 松岡さんから教わった 「やってみなければわからない」とは、このことか。便器磨き(心磨き)も2年目に入ります。まだまだ序の口です。 
 
(96年12月)

1-7 ~一心不乱の経験~

一心不乱の経験

お掃除に学ぶ会との出会い

 「ちょっと沖縄へ行ってくるけん支度をしてくれ。」
 「…………」
 「長靴に、雑巾と、作業者を忘れんように頼む。それにカミソリ、タオル、石鹸、シャンプー、パジャマもね。」
 「おかしげなものを持って沖縄へ何しにいくんね。」
 「タニサケの松岡社長に誘われて便所掃除にいくんよ。」
 「何が嬉しゅうて十万円も使うて便所掃除をせにゃあいけんの。おかしげな人じゃね。」

 妻はブツブツ言いながら、それでも機嫌よく送り出してくれました。
 沖縄掃除の会への参加は、岐阜県池田町のゴキブリ必殺王、タニサケの松岡さんのお誘いによるものでした。

 正式には「日本を美しくする会・〇〇掃除に学ぶ会」といいます。

 ○○のところに開催地名を入れるのです。この会は毎月のように全国各地で開催され、掃除の中から何かを学びとろうとする経営者が、毎回数百名参加して汗を流しています。

 参加者の大半は、自動車部品販売業・㈱イエローハット社長の鍵山秀三郎さんの掃除哲学の信奉者であり実践者なのです。

不思議なことばかり

 沖縄掃除に学ぶ会には、250名の経営者と若干の主婦や子供たちが、会場の那覇市立前島小学校に集まられました。

 参加者は20班に別れ、それぞれリーダーの指揮のもとに便器磨きに入りました。多少の県民性があるのかもしれませんが、想像を絶する汚れでした。本来白い便器であるはずなのに、白いところがほとんどない便器には唖然としました。参加したことにも後悔しました。

 やや躊躇しながら周囲を見回すと誰もが何のためらいもなく「素手」で、難物に取り組んでいるではありませんか。格好だけは一人前に整えているし、その場 にいるのだから逃げだすこともできず、「えいや-」とばかりに黄色の便器と格闘をはじめました。悪戦苦闘90分、見事に便器は生まれたままの姿に蘇りまし た。いや、それ以上に美しくなりました。

 この便器磨きの90分時、まさに一心不乱、無の境地にあったように思います。みんなニコニコしているし、満足感に溢れています。

 昼食は地元の心尽くしのおにぎりと味噌汁。衣服にしみついた優雅?な香りのなかでのトイレ談義。お掃除談義。10年の知己のように心と心が溶け合う。これまで経験したことのない不思議なことばかりです。

 誰もがやりたがらないことが、嬉々としてやれる。なにも考えないで集中して取り組める。はじめての出会いでありながら深いところで連帯している。大企業の経営者も、中小企業の経営者も、わたしのように零細企業の経営者も、同じように溶け合え素直になれる。

お掃除を学ぶ会で得たもの

 わたし自身がいかに傲慢で鼻持ちならない人間であったか。これまで7年も取り組んでいた清掃活動がいかに浅いものであったか。

 いつも困難なことには目をそむけ逃げていた自分。人間としての弱点を巧みに隠していた自分。問題があるたびに言い訳ばかりして、正当化しようとしていた自分。さまぎまなことに気付く。

 知らないうちは平気ですが、実像が見えてくると恥ずかしさでいっぱいになります。その恥ずかしさは、これから長い時間をかけ、実践の中で自分で始末しなければならないものです。

(97年1月)

 

1-8 ~トイレ掃除 海を渡る~

トイレ掃除 海を渡る

上海を掃除訪問

 [広島掃除に学ぶ会]の一周年を記念して、上海に掃除訪問することになりました。

 ことの起こりは、広島YMCAの梶原校長が姉妹校の上海YMCAを友好訪問したときの便所掃除談義にあります。

 瓢箪から駒のたとえどおり、忘れた頃に上海YMCA総領事から正式の招聘があり企画されました。

 団長に梶原さん(YMCA国際ビジネス専門学校校長)、副団長には井辻さん(井辻食産社長)佐古さん(事業立地社長)、顧問に鍵山さん(ローヤル社長・東京)、元岡さん(浜勝社長・長崎)という豪華メンバーです。

 11月1日広島を出発したときは20名ほどでしたが、福岡空港では四国九州や近畿地方の仲間も加わり30名にふくれあがりました。

 さらに上海の空港では、東京組が馳せ参じ、結局総勢38名の経営者による上海訪問団となりました。

心暖まる熱烈歓迎

 その夜は、上海YMCAの歓迎レセプションがあり、YMCAや復旦大学日本語学科の若者たち数十名が暖かく迎えてくれました。

 上海YMCA李総主事の歓迎あいさつに続き、日本側は梶原団長が流暢な?中国語(中国弁)で挨拶されましたが、反応を見るとあまり通じていないようでした。

 参加者全員の自己紹介にはじまり日本語、中国語それに英語のまじった和気あいあいのレセプションでした。

日本掃除団 難物に取り組む

 翌日は早朝から復旦大学付属老人施設のトイレ掃除でした。

 聞きしにまさる汚れ方でありましたが、それよりも水が出ない、排水が流れないなどの設備不良には参りました。

 水はいくらでも出る暮らしに馴れているわたしたちには信じられないことです。

 見慣れた洋式水洗便器もありましたが、溝をまたいで用を足す大便所に、はじめてお目にかかりました。右手には手摺りが設置されており、それで身体のバラ ンスを取るのだと思いますが、ドアは三ケ所あっても中には仕切りがなく、場合によっては一列に三人並んで用を足すことになりますが、生活習慣とは言え理解 できないこともありました。

 それでも完璧に掃除を終え、最終チェックに回ったとき、湯気の立つ現物が鎮座し、ふくいく?とした香りを漂わせているのに又びっくり。

感動いっぱいの日中交流

 3日目は羅山市民会館のトイレと周辺掃除である。この日は一般市民のかたも参加され、チームを組んでのお掃除になりました。前日のショックで少々の汚れにはびくともしない。真面目に取り組むメンバーの姿をみて遠巻きに見物していた市民もぼつぼつ参加をはじめた。

 市民交流会ではわたしも掃除の体験を話させてもらいましたが、これを契機として、身のまわりからきれいにしていきたいという上海市民のお話が印象的でした。

 ことばは通じにくいものの掃除を通じて暖かい心が通いあい、再会を約しながらの別れとなりました。

マスコミで連日報道

 滞在中、テレビや新聞の同行取材があり、次のように連日好意的に報道されました。

 「広島の事業主たちによる掃除団が上海の公衆トイレを清潔感あふれるものにした。それを目撃した市民は我が家のトイレさえも隣人に清掃してもらった。我が身を振り返り、そのことを恥と思い、今後の環境問題を考えたい。」

 超充実の上海掃除4日間でした。

(97年2月)

1-9 ~掃除用具の住まい~

掃除用具の住まい

夜間研修の延長戦

「今夜は技術研修のあと、トンカツ日本一の[浜勝]見学じゃ。」
「なにを見学するんかいの。」
「きまっとろうが。[浜勝]いうたら掃除。そこで評判の掃除用具の置場を見学するんよ。」
「なんじゃ、掃除用具の見学か、やっとれんのぉ-。」
「心配するなや。見学が済んだら日本一おいしいトンカツの味見をしながら、ウチの掃除用具置場づくりの検討会じゃけん。」

慣れのせいか最近の我が社の掃除用具は少々乱暴に扱われています。

[浜勝]の元岡社長とは、掃除を学ぶ会での顔見知りです。ただし顔見知りといっても、元岡さんは掃除の大先輩で時折遠くからお見掛けするといった間柄です。

わたしは前夜ひそかに[浜勝八木店]の掃除用具置場を確認し、吃驚仰天済みでした。まさに掃除道に叶った使い易い整理の仕方でした。

これは説明するよりも、ありのままを社員に見せてびっくりして貰うほうが理解が早いと判断し、研修の延長になったのです。

効果のある現場研修

事前に店長に許可をいただいていたので、遠慮なく裏手にまわり、全員で出番を待っている整理された掃除用具の状態を見せていただきました。

さすがに効果抜群で、部材をスケッチしたり、写真を撮ったり、用具の種類や数のチェックをしたり大わらわでした。

早速トンカツを賞味しながら、我が社の掃除用具置場整備の検討会になりましたが、そうそう永くは続かず、いつのまにか「トンカツ」の批評会に変わってしまいました。

店内の清掃具合から店員さんのマナー、それに肝心のとんかつの味のことなど、口角泡を飛ばしての議論にはいささか疲れましたが、それでも食事の終わるころには、制作責任者、部品調達係などの役割も決まり、あとは[掃除用具置場]の完成を待つばかりとなりました。

掃除用具に命を入れる

掃除を徹底するには、掃除の意味するところを理解したり、それぞれの心構えを正したりすることは当然のことですが、なによりも掃除用具に命を入れることが大切です。

命を入れるとは人間と同じように大切に扱うということです。まず用具に名前をつけ存在証明をする。雨風がしのげる場所をつくる。ピカピカに磨いてやる、ことです。

掃除を続けるには、環境づくりと使い易い用具の整備は不可欠です。

掃除用具の住まい完成

せっかくトンカツを餌に掃除用具の現場を見せたのに、一向に取り掛かる気配がありません。仕事が忙しく忘れてしまったのか。「さては食い逃げ!」と思った矢先、よりによってこの冬いちばんの寒さといわれた日の午後8時すぎ作業が始まりました。

遅れたのは「全てのものを生かして使う。」という掃除の基本精神に沿って、建築現場などから再利用できる部材を集めていたらしい。

さすがに若手社員といえども寒いらしく、コンビニから熱爛のお酒やおでんを買って、身体を暖めながらの作業になりました。

夜11時ころ「社長お!完成しましたよ!」という女子社員の黄色い声。年がいもなく全速力で二階から走り下り掃除用具置場に一直線。「ほうき」「チリトリ」「バケツ」「ゴミ袋」が整然と並んでいる。しかも名前までついて。思わずみんなで拍手。そして記念撮影。我が家で勢揃いして威張っている掃除用具たち。それを見てなぜか胸が熱くなり、こみあげてくるものを押さえることができませんでした。

(97年3月)

 

1-10 ~地球の裏側でも~

地球の裏側でも

燎原の火のごとく

昨年の上海に続き、地球の裏側のブラジルでも掃除の火の手があがりました。

5年前、鍵山秀三郎さんの掃除哲学に感銘を受けた田中義人さん(岐阜・東海神栄電子工業社長)を中心に、岐阜県大正村でわずか30数名でスタートした[日本を美しくする会・〇〇(県名)掃除に学ぶ会]のささやかな活動が、ブラジルでもはじまりました。

日本での今年の全国規模の[掃除に学ぶ会]は29の都市で開催が予定されています。そこにはトイレ掃除を通じて、自らを磨きあげようという自称[そうじびと]たちが、毎回300名も集い、トイレ磨きに汗を流しています。

掃除がまた海を渡る

1月30日、鍵山秀三郎氏ご夫妻を団長として日本の[そうじびと]41名が、ブラジルに向けて13日の予定で旅立ちました。わたしもその一員です。

現地のマスコミは到着前より、わたしたちの渡伯を大きく取り上げ、サンパウロ新聞や、日伯毎日新聞では一面で「ブラジルは日本に比べて掃除というものに対して、極めて関心が低い。日本から掃除に学ぶ会のメンバーがブラジルにきて、ブラジル人に掃除の大切さを教えてくれることに感謝している。」という論調でした。

とくにサンパウロ新聞では「日本の億万長老の経営者たちが…」という最大級の賛辞で、主要な参加メンバーの企業紹介をしていました。

ブラジル側は、現地で15の美容院を経営する飯島秀昭氏(サンパウロ・蒼鳳社長)を中心とする日系のメンバー40名が、[歓迎]の大きな横断幕とともに暖かく迎えてくれました。

掃除で結ばれる日伯

掃除の実践会場であるイビラプエラ公園では、まだ夜も明けやらぬ早朝から掃除に関心を持つブラジルの人たちが続々と集まり、開始時間には500名にもふくれあがりました。

通訳を通じて「掃除のこころ」をことばで伝えることは難しかったものの、実践を通じて掃除をすることの素晴らしさは理解されたように思います。

現地の参加メンバーは、ブラジルの明日を担う20才前後の青年たちが中心で、7ケ所のトイレと6万坪の公園掃除に、陽気な民族らしく嬉々として取り組んでくれました。

昨日までまったく見知らぬ異国の人間が、掃除を通じて国境を越えて理解しあい、一つになれたという感動がありました。

これは掃除というものが、たかが掃除ではなく、一見平凡に見えるもののいかに大きな力を持っているかを証明したように思います。このささやかな運動が、この日をきっかけとして、掃除蔑視のブラジルに根づき、新たな交流や文化が育まれるような気がしました。

信頼される日本人

日本人(日系人)はブラジル国民から、尊敬され厚い信頼を得ているといいます。政治の世界でも、経済の世界でも、多くの人が相当の地位を得て活躍しておられます。

何故?という問いに「日本人は勤勉で礼儀正しく、なによりも己れを捨ててブラジル国民とともに、国づくりに尽くしたことが評価されている。」との答え。

このようにものごとの判断基準を損得よりも善悪においた生き方こそわたしたちがいま学ばねばならないことだと思います。

己れを捨てて他のために早くす。掃除道の神髄を、異国で懸命に生きる日本人に教えていただきました。

(97年4月)

1-11 ~環境美化表彰~

環境美化表彰

お掃除で表彰

マルコシが「多年にわたり清掃活動に精励し、地域の環境美化向上に功労」があったとして、広島市長より表彰されました。

表彰式には、市長をはじめ議長、教育長、各区の区長、それに関係部出者の幹部の列席があり、盛大なものでした。

ほかにも各地区の町内会、老人会PTAなどの団体も表彰を受け、もっと街を美しくしようという思いのかたがたくさんおられ、目立たないところで日々活躍されている実態を知ることができ、意を強くしました。

お掃除で人間を磨く

もともとわたしたちの清掃活動は単なる手段で、目的は「お掃除を通じて人間を磨く」ことにおいており、表彰の主旨とは若干異なるものの、見えるところは同じです。

お掃除が地味なおこないであることは今も昔も変わりませんが、どちらかといえば、地味なこと、他に評価されないこと、などは素通りする人が多い。とりわけ汚いことには目をそらしがちです。

お掃除は、毎日続けることにより汚いことから逃げなくなる。小さなことに気づくようになる。自分より他人を大事にする気持ちが生まれてくる。つまり他人のことを思いやる気持ちを養い、他人のために尽くすことが当たり前の人間になる。

お掃除が、今の企業が目指している「ひとづくり」に有効な方法であることは、数多くの事例が証明しています。

お掃除はむつかしい

最近は各地でお掃除の活動が活発になり、高い評価を受けているものの、実践者はまだまだ少ないようです。毎日実践ということになると微々たるものではないでしょうか。

お掃除は特別な技術もいらないし特殊な用具も必要としない平凡なおこないです。

それなのに何故できないのか。きれいにする人よりも、汚す人の多いのが圧倒的に多いのが実状です。

わたしたちは長い間毎日お掃除をしているので、掃除そのものは苦になりませんが、少しも減る気配を見せない空缶、煙草の吸い殺、ビニール袋、ときにはバスのベンチに放置される家庭ゴミなどには、正直いってため息をつくことがあります。

もののない時代から、ものの氾濫する時代へ急激に変化した日本人は傲慢になり、ものを大切にするこころ、他を思いやるこころ、公共を大切にするこころなど、かつての日本人がもっていた美徳を失ってしまったように思います。

その結果、責任の所在があいまいになり、「自分がやったことを、自分が始末する。」というあたりまえのことができなくなったのではないか。これらのことに気づくとお掃除は難しいものではなくなると思うのですが。

お掃除をやってみる

日本では、諸外国にくらべて、公のことより個をたいせつにする風潮にあります。たとえば生ゴミを平気でバス停などに放置できる人は、我が家の快適さしか頭になく、その行為により被る他人の迷惑など思いもよらないのでしょう。

その方々には、まず我が家以外の場所を掃除されることをお薦めします。手間のかかることはできなくても、公の場所にはゴミを捨てないとか、我が家の前の道路のゴミを拾うとか、ほんの小さなことから始め、毎日続けることにより、自分より他人を大切にすることの素晴らしさを実感してもらえたらと思います。

そのことの総和が、やがてお掃除が表彰の対象になるような特別のおこないではなく、人間としてのごく当り前のおこないとして浸透していくものと思っています。

(97年5月)

 

1-12 ~生涯の師~

生涯の師

自分の顔ではない!

厚顔無恥と言われそうだが、[ビジネスセミナー]の巻頭グラビアの「経営者の素顔」に登場することになりました。

もともとこのコーナーは、わたしのような零細企業の経営者ではなく知名度の高い財界のお歴々が登場するものと理解しています。

固辞したものの、わたしにお鉢が回ったいきさつについて不明のまま取材を受けてしまいました。

それでも発売日が待ち遠しく早速書店で購入し、ページを開いて第一感「この顔は自分の顔ではない!」

わたしのまったく知らない顔が大写しになっていました。いつも鏡で出会う自分とは適う顔を発見。

わたしはこのグラビアのように穏やかな顔をしていない。このように優しい笑顔に出会ったことはない。

もしもこれがわたしだとしたら、わたしの知らない間に変わってしまったとしか言いようがありません。

人の顔を変える力

鍵山秀三郎さんとは平成5年9月東京で開催された[船井セミナー]が最初の出会いです。

鍵山さんはそのセミナーで講師をつとめられ、穏やかな表情でお掃除を例として「凡事徹底」について語られました。

そのころ、わたしもある動機から毎朝バス停や通勤途中の道路の清掃をしていました。

わたしの掃除は、はじめて4年もたった頃であり、ぽつぽつ世間の話題になりはじめ、いささか得意顔をしていた時期でもありました。

そんなわたしに鍵山さんのお話はものすごいショックを与えました。

33年のトイレ掃除や、徹底した掃除のやりかたはまだしも、お掃除を「させていただいている」という謙虚な姿勢は、お掃除を「してやっている」という、わたしの傲慢な姿勢に鉄槌をくだすものでありました。

いつのまにか鍵山さんの人生観や経営哲学にひきこまれ、セミナー終了後、興奮状態のまま名刺交換を乞うことになりました。

もしも鍵山秀三郎さんとの出会いがなかったら、依然として傲慢なままのわたしであったろうし、いまのようないい顔にはなれなかったにちがいないと思います。

素手で便器を磨く

世間には立派なことを言っても、己れのおこないとの間に、大きな隔たりのある人が多いのが普通の社会です。

はじめて沖縄で開催された「掃除に学ぶ会」に参加したとき、汚れた便器を穏やかな顔で、しかも素手で磨かれている鍵山さんの姿にふれたとき、そこに菩薩を見たように思いました。

いうこととおこなうこととの間に寸分の隙もない。これこそ現代の菩薩。もともと自転車に乗って行商からスタートした自動車部品の販売会社を、年商一千億を越える業界第二位の上場企業に育てあげられたいまもその謙虚さは変わりません。

人間形成の三要素は「素質」「師匠」「逆境」と言われていますが、このときから鍵山秀三郎さんをわが生涯の「師」とすることを自分勝手に決めました。

あのようになりたい

その後各地の「掃除に学ぶ会」や遠くブラジルや上海のお掃除にも、鍵山さんのお供をさせていただいています。

その謙虚で穏やかな日々のおこないから、学ぶべきことはあまりにも多い。講演を聞くことも学び。書かれた本を読むことも学び。

しかしどんな学びも、行をともにし、間近で人柄に接し、そのおこないから学ぶことには遠く及ばない。

その度に「あのようになりたい」という気持ちは一層高まります。

(97年6月)

 

2-1 ~戦争は終わっていない~

戦争は終わっていない

トイレ掃除、韓国へ

昨年の上海、本年2月のブラジルに続いて、トイレ掃除が海を渡るのは三度目です。

この度の訪問先は、在韓日本人のお年寄りを収容している韓国慶州のナザレ園。

なぜ、ナザレ園のトイレ掃除なのか、それについての経緯を述べさせていただきます。

戦争悲劇の象徴

慶州ナザレ園は、1972年10月韓国の福祉家金龍成氏の私財で開設されました。当時は、永住帰団する日本人女性の一時的寮でしたが、現在では、事実上永住帰国を断念した在韓日本人女性の、収容施設となっています。

収容されているのは、太平洋戦争の末期、韓国人男性と結婚し韓国に渡り、さらに朝鮮動乱に遭遇して、夫や子供を失い、蔑視や迫害のなかで、辛うじて生き残り、異国で天涯孤独になったおばあちゃん達です。

戦後五十数年を経たいまも、戦争の傷跡はいたるところで悲鳴をあげています。

忘れてならないのは、このナザレ園の運営が、戦争の被害者である韓国の篤志家たちによってなされているという事実です。

足立進さん

わたしの尊敬する人物の一人に、足立進さん(山口・㈱ぎじろくセンター社長)があります。

足立さんは、8年前偶然「ナザレの愛」というビデオを見る機会がありました。それで心を動かす人はあっても、身体を動かす人は少ない。

足立さんのすごいところは、すぐ事実を確認するため、単身で慶州に足を運んだことです。

その後8年間に8回も多くの人を誘い、ナザレ園を慰問のため訪問しておられます。その数は延べ300名を越え足立さんの年中行事のひとつになっています。

奇しくも足立さんが見た「ナザレの愛」のビデオは、鍵山秀三郎さんの制作によるものです。

ナザレ園掃除のきっかけ

上海掃除における鍵山秀三郎さんと足立進さんの出会いが、ナザレ園掃除のきっかけになりました。

実現までにはさまぎまな障害があったものの、単身ソウルに金龍成先生を訪ね、掃除の心を伝えてお許しをいただいたり、トイレの下見をしたり、準備を進められた足立さんの努力が実を結ぶことになりました。

もちろん鍵山秀三郎さんの心からの支援も、足立さんに大きな勇気をもたらしました。

泣きながらのトイレ掃除

足立さんの友人と㈱ローヤルの精鋭を中心にした40名の「そうじびと」が海を渡りました。

トイレ掃除に先立って、ナザレ園のおばあちゃんたちとの交歓会がありました。

在園者28名のうち半分以上は痴呆老人です。会話も十分できません。安芸郡出身者もおられましたが一言もしゃべれない。

ところが日本の童謡や、昔の流行歌を唄うときは、手を叩いて、歌詞も節もしっかり唄える。ときには笑い、ときには涙を流し、わたしたちの手を握りしめて離さない。

「日本の人と日本の歌をいっしょに唄うときが、おばあちゃんたちはいちばん幸せなのです。」と宋美虎園長のお話。

この人たちを不幸にしたのは、まぎれもなく日本の国です。日本はいま繁栄を謳歌していますが、世界のあちこちにまだまだ戦争の後遺症を残しています。せめて「まだ戦後は終わってはいない。」という思いだけでも持ち続けていたいものです。
(ナザレ掃除に学ぶ会より)

(97年7月)

 

2-2 ~商いの原点をみる~

商いの原点をみる

びっくりしなさい

経営コンサルタントとして著名な船井幸雄先生は、商売繁盛のコツを訊ねると「びっくりすることです。」と答えられる。「そのためには繁盛している現場に足を運び、自分の眼で見ることです。」

繁盛現場を見てびっくりしないような鈍感な人間には、商売繁盛など望むべくもないことでしょうね。

地に落ちた商人道

なぜそうなったのか、門外漢のわたしに解説などできないものの、最近のマスコミ報道に見るかぎり、日本の商道が、地に落ちてしまったことがよくわかります。

日本を代表する企業の数々の不祥事が、マスコミを賑わさない日はありません。野村証券しかり、第一勧銀しかり、です。

その後の経過をみても、これら大企業のトップには、人間としての誇りや、商人としての自負心など「かけら」も見えません。

混迷のときは原点に

近代のわが国商業の基礎を築いたのは「近江商人」であることを否定するものはいません。

船井幸雄先生のことばをお借りすると「混迷のときは原点に帰れ。」ということになります。

わたし流に解釈すれば「商人魂の原点である近江商人のふるさとに足を運び、自分の眼で確かめびっくりしなさい。それが学びだ。その上でどうすることがまっとうなのか確かめなさい」ということになります。

滋賀の掃除に参加

機会があろうとなかろうと一度は近江八幡の土を踏みたいと考えていましたところ、「ブラジル掃除」でお世話になった後藤さん(滋賀ダイハツ販売・社長)から「滋賀掃除に学ぶ会」に参加しないか、とお誘いをいただきました。まさにグッドタイミング。

プログラムを見ると、近江商人の歴史を一堂に集めた[近江商人博物館]の見学。製作者の鍵山社長が解説される「てんびんの詩」の観賞。

なによりも魅力的だったのは、近代の近江商人が、一度は学んだと思われる[近江八幡商業高等学校]のトイレ掃除。

もしかしたら、近江の豪商たちが用を足したかもしれない便器を素手で磨く。自称「そうじびと」にとっては逃してはならない価値ある「滋賀の掃除」です。

収穫の多かった滋賀掃除

近江商人の、創業の原点である天秤棒も見ることができました。

近江商人の精神と歴史を学んでほしい、と鍵山さんが私財を投じて制作された映画「てんびんの詩」を、ご自身の解説を聞きながら鑑賞。感動に涙が止まらない。

数多く残された「家訓」から商売の基本を学ぶ。家訓の多くは、当時の社会道徳の根本となっている儒学の影響を受け、いずれも勤勉、倹約、正直、堅実、堪忍、知足、分限といった徳目を重視している事を学ぶ。

トイレ掃除の実践では、珍しく中学校の教師一人と、生徒二人と組合せになりました。

始めは素手で便器を磨くことに躊躇していた教師、顔をそむけていた生徒。時間が過ぎるにつれて便器磨きに夢中になっていく様子がよくわかります。

一心不乱の90分。真っ白に磨き上げた便器の前で抱き合って感動をあらわす師弟。

掃除という平凡な行為が、師弟をここまで近くし、ここまで素直にすることに、あらためて感嘆。

通り一辺の観光などでは見えないものが、掃除の中からは見えてきます。もしかしたら、豪商の小便の雫をいっぱい浴びたせいかも知れません。

(滋賀掃除に学ぶ会より)

(97年8月)

 

2-3 ~小さな力の結集~

小さな力の結集

全国に拡がる掃除のこころ

第22回広島掃除に学ぶ会は、二度日の全国大会となり、日本の各地から270余名の善男善女が広島に集まられました。

この「掃除に学ぶ会」は、平成4年、わずか36名で岐阜県恵那市で産声をあげた
[日本を美しくする会・恵那掃除に学ぶ会」を起点として、わずか5年足らずの間に、日本の津々浦々まで燎原の火のように拡がり、年間30数回も日本のどこかで全国大会が開かれるようになりました。延べにすると数十万の人たちが参加していると推定されます。

お掃除運動の特徴

いろいろな運動というものは、特定の企業や団体にバックアップされて継続するものが大半ですが、掃除に学ぶ会は違います。

広島掃除に学ぶ会が、只の一度も休む事なく22カ月も続いているのは、個人の立場で人間としての高い志を持つ人の力に負うところが大きいのです。お世話役の中核をなすのは、井辻さん(井辻食産)、佐古さん(事業立地)、梶原さん(YMCAビジネス学校)、越智さん(ヒロコシグループ)など。それを支えているのは「素交」の人たちです。

この人たちの心の拠り所は、鍵山秀三郎さんの「掃除哲学」にあることは言うまでもなく、その哲学を自分の身体を使って実践するところに掃除の魅力があります。

活動を支える水面下の力

たかがトイレ掃除というものの、便器やその周辺を完璧に磨くためには、28種類もの掃除用具が必要であり、その掃除用具を現場に応じて無駄なく準備しなければなりません。一般的に学校のトイレは、男女あわせて20箇所程度あります。

道具の種類×必要数量×掃除箇所=道具の総量となります。

例えば今回の全国大会では、270人分の掃除用具を揃えなければならず。広島掃除に学ぶ会の毎月の参加者は百名前後ですから、約3倍になります。

その用具の調達、掃除現場の状況による用具の分類と仕分け、しかも「短時間で」「無駄なく」「正確」がセオリーですから、いい加減な心構えでは役に立ちません。

今回も前日の深夜まで準備をおこない、当日は午前四時から最終のチェック。午前7時からの掃除スタートに備えられました。

なお終了後、次回に備えての掃除用具の整理整頓は、準備以上に難儀なことなのです。

こうした水面下の作業にいそいそと取り組まれる人の存在抜きには、掃除運動は成り立ちません。

それだけに、水面下の努力を知ることが、掃除を行なうことで得られる「感動」とともに、「感謝」が生まれ「お掃除をさせていただきながら」「自分を磨く」「謙虚になる」という目的に近づけるのです。

至誠神の如し

広島国際会議場で開かれた記念講演で、鍵山秀三郎氏は「たとえ能力は劣っていても、誠意をもっておこなえばそれは神のおこないと同じですよ。」と強調されました。

交流会では、再会を歓びあったり新しいご縁を結んだり、和やかなひとときをすごす。

翌早朝から広島市内の千田小学校を、関係者のご好意で「掃除哲学」の実践道場として拝借し、トイレ掃除に270名が汗を流しました。

そのあと、[おにぎりコンパニオン]の善意による「おにぎり」「味噌汁」に舌鼓を打つ。

お掃除で「神」になった掃除仲間は、多くの学びを得て、再会を約しながら一路ふるさとを目指して会場をあとにするのです。

(広島掃除に学ぶ会より)

(97年9月)

 

2-4 ~リーダーの存在~

リーダーの存在

トイレ掃除の手順

たかがトイレ掃除という向きもありますが、掃除の順序と役割分担が明確でないと、掃除ははかどらず、決められた時間内には完了が難しくなります。

掃除仲間には、ベテランの参加もあり、初めての参加もあり、老若男女ありでチームをリードすることは相当慣れた人でも難儀します。

リーダーを仰せつかると、順序と用具の説明から入る。付属物の一旦撤去→換気扇の取り外し→灯具の取り外し→天井の蜘蛛の巣や汚れとり→璧磨き→便器磨き→床磨き→排水口磨き→水を流す→拭き上げる→用具を洗い片付ける→換気扇など機器の取付け→最後にチェックをおこない完了です。簡単なようですが、現実にはこれだけでは済みません。

水栓金具などに故障があれば完全修理。ドアの蝶番や把手なども同様です。

掃除用具の使い方

むだをしない。効率よく使う。ということが原則であるため、一例をあげると次のようになります。

スポンジを縦に使うときは横向きにする。横に使うときは縦向きにする。効率よく磨くためです。スポンジを絞るときは、両手で押し潰す。絞ると切れ、傷みが早い。スポンジを洗うときは、バケツの外で両手で押し潰し、バケツの中で広げ水を吸い込ませ、外で押し潰すことの繰り返し。バケツの中の水を汚さないため。床をタワシで磨くときは、目地を痛めないように円を描くように動かす。このとき一方の手は、床にベッタリとつける。このほうが早いし力も入る。その他、タオルの絞り方、洗剤の使い方、便器の水垢の落とし方など、用具の使い方の秘伝は、限りなくあり、すべて経験から生まれたものです。

大阪の中心を離れて

大阪掃除に学ぶ会のトイレ掃除の道場を提供されたのは、中心よりずっと離れた柏原市の玉手中学校。

新大阪から梅田に行き、環状線で天王寺まで行く。大和路線に乗り換えてやっと柏原市に着きます。

地元のかたはともかく、他府県から参加するには、少々難儀な場所です。もう少し新幹線から近いところがよいのですが、そう贅沢はいえません。実のところ、会場を提供していただける学校が余りにも少ないのが現状なのです。

大阪掃除に学ぶ会の会場も、お世話役が苦心を重ねられ、玉手中学校の校長先生の見識と、勇気ある決断によって決定したものでしょう。

無事平穏がいちばん?

大半の校長先生は、会場をお願いにいくと、慇懃にお断わりになる。

・汚れたところを見られたくない。
・休日に学校を開放し、事故があったときの責任。
・教育委員会や地元PTAなどの了解が容易に得られない。
・教職員の賛成が得られない。
・セキュリティーの問題。
などなど、お断りの理由にこと欠きません。

要は波風立てたくないのが一番ということかもしれません。

無事平穏では何事も解決しないなどと愚痴るのは、こちらの言い分でしかなく、やはり粘り強く二枚腰でお掃除の意義を伝え、理解をいただかなくては前に進みません。

忘れられない手作りの味

トイレ磨きに一心不乱に取り組み快い汗を流したあとの食事は抜群においしいものです。地元スタッフのみなさんの心を込めた「豆ご飯」と「豚汁」の美味しかったこと。手をかけられた食事は、いつも素晴らしい。

(大阪掃除に学ぶ会より)

(97年10月)

 

2-5 ~掃除は雑事にあらず~

掃除は雑事にあらず

お掃除は雑事か

北は北海道から南は九州沖縄まで毎月どこかで開かれている「全国掃除に学ぶ会」の参加メンバーは、圧倒的に経営者が多い。

中には㈱イエローハットの鍵山社長をはじめ、東京一部上場企業の経営者も少なくないが、まだまだ掃除など雑事と考えている経営者に比べれば、浜辺で百円硬貨を探すほどの少数派です。

わたしがトイレ掃除に全国のあちこちへ出掛けていることを知り、軽蔑の眼差しを向けないまでも「なんのために」とか「理解できない」と怪訝な表情をされる人はあとを絶ちません。

普通に考えればその通りです。貴重な休日を使い費用も馬鹿にならない。しかも技術が進歩し、合理的な分業が進んでいる昨今です。

単純な雑事であるお掃除などは、新入社員かパートか専門業者に任せておけばこと足りると考えて一向におかしくありません。

世の中に雑事はない

鍵山社長は、自分の身体とりわけ手足と自分の時間を使って、他人様のために尽くすことが、人間にとってもっとも大切なことだと教えられます。

もともと世の中には雑事というものはない。小さなことを雑事と錯覚して、雑におこなうから雑事になるのであって、どんな小さなことでも一生懸命取り組めば、それは素晴らしい行いであると教えられます。

人間は雑事と称して面倒なことを他人に押しつけていると頭が働かなくなり、この世のなかに雑事などないということに、気がつかなくなるそうです。

その最も顕著な現象がバブルの崩壊であるといって過言ではありません。

「はきものをそろえる」の原点

まだ残暑のきびしい8月の最後の日曜日、比較的便利の悪い「長野掃除に学ぶ会」に全国から370名もの経営者が、お掃除で自分を磨こうとして集まられました。

いつもは250名くらいで300名を越えることは滅多にない。便利の悪い長野市にこれだけの人々が集まられたのは、掃除の魅力もさることながら、「はきものをそろえる」という詩で有名な、曹洞宗・円福寺の藤本幸邦老師にお目にかかれ、しかも2時間の講演を聞かせていただけるというビッグな付録がついていたからだと思います。

もともと「はきものをそろえる」ということは、永平寺を開かれた道元禅師が、禅宗の修業のひとつとして「自分の履物を揃えられないようなものに何ができるか。まず履物を揃えるところから始めなさい。」と教えられたことが原点ということです。

このように教えられると「掃除ひとつできないものに何ができるか。まず掃除から始めよ。」という言葉には説得力があり、もはやお掃除は雑事などとは言えなくなります。

八十七 燃ゆる不動の 残暑かな

養護施設円福寺愛育園や篠の井高校をはじめとする各施設のトイレはもともときれいに掃除してありましたが、藤本幸邦老師の五七五の決意の句を披露されたあとだけに、一層トイレ磨きに心がこもりました。

わずか二時間でも、一緒にトイレ掃除に取り組むと、いつしか百年の知己のようになります。それはおたがいに打算や損得でなく、無心になれるからではないでしょうか。

やってみるとはじめて理解できるが、心と身体になんのわだかまりもなく、ひたすら無心に取り組める。それが掃除の魅力のひとつでもあります。

(長野掃除に学ぶ会より)

(97年11月)

 

2-6 ~ゲスト講演の魅力~

ゲスト講演の魅力

掃除に学ぶ会の次第

各地で開催される全国規模の「掃除に学ぶ会」は、おおむね土曜日の午後おそく始まり、日曜日の午前で終り、誰でも自由に参加できます。

土曜日は参加者のなかから数名の体験発表があります。その体験発表も通り一辺のものではなく、文字どおり体験のエキスであるから、胸が熱くなることがしばしばあります。

続いて目玉であるゲストの講演があります。最近では、滋賀ダイハツの後藤会長 (滋賀)、ブラジルから掃除のために来日された飯島秀昭氏(大阪)、イエローハットの鍵山秀三郎社長(広島)、円福寺の藤本幸邦師(長野)、スペシャルオリンピックスの中村勝子理事(神奈川)などが講師をつとめておられます。

それが済むと交流会がはじまります。全国から参加された同友との新しい縁はここで始まります。

もちろん再会を喜び旧交もあたためる場所でもあります。

交流会ですが、形式的なセレモニーなどなく、料理なども極めて簡素です。酒を飲んだり、料理をぱくつくのが目的ではないので不満を口にするかたもありません。

交流会終了間際には、それぞれ参加者がテーブルの上を片付ける。器ごとにまとめられ、後片付けしやすくする。もちろん残飯などありません。

翌日は、午前七時より受付開始。開会セレモニーがあります。お掃除をすることの意義が確認され、会場提供者への感謝の気持ちが表されます。その後各班に別れ、リーダーから掃除手順の説明、用具の使い方の説明など受け、一斉にトイレ磨きがはじまる。リーダーは、はじめての参加者を指導したり、時間配分したり仕上がりの確認をしたり休む間もなく動いている。

トイレ磨きが終わると掃除用具の整理整頓。次回すぐ使えるように水洗い、拭き取りののち用具箱に格納します。

最後は一堂に会し、本日の体験発表などおこない、主催者手づくりのおにぎりや味噌汁などで昼食をとり再会を約して解散となります。

会費は宿泊費などすべてを含んでおおむね一万二千円程度です。

スペシャルオリンピックス

今回の神奈川掃除に学ぶ会は、横浜から電車で40分ほど北にあたる相模原市で開催されました。

ゲスト講師のスペシャルオリンピックス日本(会長・細川佳代子氏)の中村勝子理事の講演は、その迫力もさることながら、知的障害者についての関心がきわめて低い一般健常者の目を醒ますに充分な内容でありました。

「どんなに医学が進んでも、全人口の2%は知的障害者は生まれる。知的障害者を除外して社会を語ることはできない。」
「知的障害者は、障害者として生きられても、人として生きているとはいえない。」
「環境を整え、機会を与えられて、教育すれば、健常者と同じようにスポーツを楽しむことができる。」
「ハンディを持つために、バスケットをしたことがない人、プールで泳いだことがない人、トラックを走ったことがない人たちに、スポーツを楽しむ機会を提供したい。」
「適切な指導と励ましがあれば、かれらは身体的、社会的、知的、精神的なすべての面で学び、楽しみ、成長することができる。」
「スペシャルオリンピックスは、日常トレーニングの発表の場である」
掃除の会でのゲスト講演は、しばしば社会を変える起爆剤になります。

(神奈川掃除に学ぶ会より)

(97年12月)

 

2-7 ~青年市長先頭に立つ~

青年市長先頭に立つ

近代産業発祥の地

群馬県高崎市から、電車で西へ1時間ほど行くと、人口4万の富岡という小都市があります。

明治新政府は、明治5年日本の近代国家への礎石として、工場化された産業施設の創設を計画しました。

外貨獲得の手段として、生糸の輸出振興策が打ち出され、官営模範製糸場(現・片倉工業)が建設されましたが、その第一号の場所として選ばれたのが富岡市です。

この製糸工場は、木造煉瓦づくり延べ一万坪におよぶ大工場で、120年を経たいまも歴史的な文化遺産として輝いています。

明治5年といえば、西郷隆盛で有名な西南の役(明治十年)の前だから、当時の日本にはいまでは想像もつかない優れたリーダーシップの持ち主が存在したことになります。

行政が音頭をとる

富岡掃除に学ぶ会は、「日本を美しくする会」ではじめての行政が音頭をとった珍しい掃除の会です。

この会が誕生して五年が過ぎ、全国各地ですでに100回を越える掃除の会が開かれていますが、これまでに行政が表立って支援した例はありません。

なぜこのような喜ばしい事態が起きたのか。それは富岡市の行政トップである若鷹今井清二郎市長と鍵山秀三郎さんの出会いにあります。

今井市長は、NHKで放映された「こころの時代」に出演された鍵山社長の掃除哲学に偶然ふれる機会を得られました。

感動された今井市長は「なんとしても一度鍵山社長にお目にかかりたい」という強い気持ちを持たれ、旧知の片倉工業相談役の柳沢晴夫氏のご緑で、日本を美しくする会発祥の地である岐阜県大正村での対面となったのです。

このことが、富岡掃除に学ぶ会の実現につながりました。

富岡を美しい町にしたい

今井市長は、市の施設や町全体が年を経るごとに悪くなるのは間違っている。町も建物も年とともに輝かなければならないという持論を持っておられます。

官営製糸揚が120年を経た今も輝き続けているのを見るたびに、その意を強くしたといわれます。

建物は
1.耐用年限のきたものは取り替える。
2.まだ使えるものは修繕する。
3.汚れたものは掃除する。
この三つさえしっかりやれば、年を経るごとに磨かれ美しくなるにちがいないと考えられました。

ただ1と2は予算さえつければ誰にでもできるが、3は誰にでもできるように思えるが、誰にもできるものではありません。

市民の日々のおこないの積み重ねで美しい町にしたい。町だけではなくそこに住む人の心までも美しくしたい。それには掃除がいちばんだ。

神様は、今井市長の願いを聞き届けられ、鍵山社長との縁結びをしてくださった。

それから今井市長は、各地の掃除の会に積極的に参加され、わたしたちと一緒に、素手で便器磨きに一心不乱に取り組まれました。

その熱意が鍵山社長を動かし、多くの市民を動かし、「富岡掃除に学ぶ会」を実現しました。

お掃除ですべてが生きる

当日は今井市長を先頭に行政の関係者、善良な市民、全国のお掃除仲間、349人が富岡小学校に集い、トイレ掃除に汗を流しました。

「掃除によって町が生きる、人が生きる、道が生きる、なにもかも生きる。ありがとう」今井市長の涙のあいさつは、多くの人のこころを熱くし、富岡市の未来を物語ったのです。

(富岡掃除に学ぶ会より)

(98年1月)

 

2-8 ~掃除の灯りを全国に~

掃除の灯りを全国に

鍵山秀三郎さんの願い

岐阜県大正村でおこなわれた [掃除に学ぶ会]の締めくくりに鍵山秀三郎さんは、いつものように優しい笑顔で次のように述べられました。

「今回の掃除に学ぶ会に参加された方は、ぜひご自分の家庭に、地域に、掃除の灯りをともしていただきたい。掃除を通して絶対肯定、絶対感謝、絶対安心の世界をつくりあげれば、日本は世界の模範になれると思います。善友は助け合って成功すると孔子さまも言っておられます。このご縁をみなさんが日本中に広げてくださいますように。」

平成5年11月、第一回掃除に学ぶ会が、この大正村でわずか35名の参加でスタートして丸4年、今回は全国から450名の参加を得たのだから、燎原の火の如くと表現して過言ではありません。

鍵山さんの願いである「お掃除で日本を美しくしよう」という運動は瞬く間に日本全土を巻き込んだ国民運動になってしまいました

隅々まで広がる掃除の輪

全国規模の掃除に学ぶ会は、平成9年28カ所で開催された。今年は38カ所で予
定されています。

そのほか各地で独自に毎月開催されている掃除に学ぶ会の回数はその数百倍にも達しています。

冒頭のあいさつにある鍵山さんの願いは、日本の津々浦々で実を結んでいます。

昨年の2月、山口県に宇部掃除に学ぶ会(代表・ぎじろくセンター足立進社長)が誕生しました。

毎月第4土曜日の早朝6時から、東岐波小学校のトイレ掃除をおこなう。スタートしたときはわずか十数名の同志であったものが、回を重ねるごとに増えています。中には売名行為だとか、非日常的な行為だとかの心ない反応もあるようですが、黙々とおこないで示すことにより支持を得ています。

同じく4月に発足した福山掃除に学ぶ会(代表・丸八工業吉岡誠司社長)は、一気に会員300名を越える大きな会となり、毎月第1日曜日に100名を越える会員が、福山市内の小学校のトイレ掃除に歓喜の汗を流しています。

ことし9月には全国大会の開催も予定されており、さらにその輪が広がるものと思われます。

さらに8月には、山口県下関にも掃除に学ぶ会 (代表・唐戸魚市場松村久専務)が誕生しました。いまのところ30数名の参加者ですが、すでに[忠霊塔]のトイレを下関一の美しいトイレに甦らせています。

やがては下関の玄関口である下関駅のトイレ磨きに取り組む計画もあり、いずれ市民運動に発展していくものと思われます。

なにが人の心をとらえるのか

福山掃除に学ぶ会Nさんの感想。
「人はいろんなものから学んでいます。わたしが掃除で一番学んだこと。志を同じくしている人が一つのことに集中している姿。何ともいえない爽やかさがあります。汗を出すと自分の中にある甘えが消えていきます。会は月一回でも、会社のトイレは毎日磨いています。いや磨かせていただいています。たかが掃除、されど掃除、少しずつ本物が見えてきた今日この頃です。自分の子供には勉強がで
きなくても、身の回りのことがキチンとできる、掃除の心をもった人間になってほしいと願っています。」

みんな旅費を払って見知らぬ町のトイレを磨きに汗を流す。そのトイレを使うのは自分ではない。ただ使ってくれる人の喜ぶ顔を想像して黙々と磨く。これは凄いことです。それが人の心をとらえて離さないのかもしれません。

(宇部・下関・福山掃除に学ぶ会より)

(98年2月)

 

2-9 ~掃除がトップを変える~

掃除がトップを変える

平成10年は32カ所で

平成10年の各地掃除に学ぶ会は、当初予定だけですでに昨年を大きく上回り、すでに32カ所が決定しています。これはすべて全国大会と称される大規模の学ぶ会の回数なのです。ほかに各都道府県単位や、市町村単位で毎月開かれている小規模の学ぶ会は、実数が掴めないほど増え続けています。

ことしも掃除に学ぶ会は北海道の札幌市で開催される 「北海道掃除に学ぶ会」 から、沖縄県宮古島で開催される「沖縄掃除に学ぶ会」まで日本列島を縦断します。

さらに地球の裏側ブラジルでも、2月21日から13日間、第三回「ブラジル掃除に学ぶ会」が開かれ日本からも25名の代表が渡伯し掃除を通じて親善を深めます。

ちなみに広島県での全国大会は、9月11日から2日間、福山市で開催されます。

掃除で不況を克服

不思議なことに掃除に学ぶ会に参加する社長が経営する企業は、日本株式会社倒産か!といわれる昨今の厳しい経営環境のなかでも伸び続けている企業が多いのは不思議です。

掃除に学ぶ会の実質的リーダーである鍵山秀三郎社長の㈱イエローハット (東京・カー用品卸販売業) しかり、掃除の会を全国に広めるきっかけをつくった田中義人社長の東海神栄工業 (岐阜・集積回路基盤製造業) しかり、さらにとんかつ店では日本ではじめての株式店頭公開を果たした浜勝の元岡健二氏など、枚挙にいとまがありません。

地元広島でも、「広島掃除に学ぶ会」のまとめ役である井辻さんの井辻食産㈱や、越智さんのヒロコシグループなど多士済々です。

トップの生き方を変える

心ない経営者のなかには 「掃除で商売繁盛するのならなんぼでもやるでぇ。」とのたまう人もあります。
「掃除なんぞ大の男がやるべき仕事ではない。」と蔑視される人もあります。掃除そのものが不況を克服することに役立つかどうかは、各論のあるところですが、這いつくばって一心不乱に臭い便器を素手で磨く行為には人間そのものを変えていく影響力があるように思います。

つまりなんの邪心もなく便器磨きに取り組む行ないそのものが、日々積み重ねられることにより、トップの生き方や企業の在り方を無意識のうちに変えていく作用があるのかもしれません。

トップが変われば、当然のことながら企業の体質も変わります。そこに働く社員の質も向上します。

掃除を続けることによって培われた謙虚な商売の在り方は、やがて地域や顧客の支持を得る。それが不況のなかでも結果的に成長を続ける大きな要素になっているといって過言ではありません。ただそこに至るまでには、トップの強靭な継続執念と10年20年単位の途方もない長い歳月が必要であることはいうまでもありません。

黙々とおこなう

渡部昇一先生は著書[ヒルティに学ぶ心術]のなかで「人間にとってもっとも大切なものは、哲学的体系などではなく、個人の実践によって確信として深められた思想である」と教えられています。つまり畳のうえの水練は役に立たない。平凡なことを黙々と続けることによって深められた思想にこそ価値がある、ということでしょう。ことしも鍵山哲学の「凡事徹底」の神髄にふれるべく掃除行脚を続け日々の実践に生かしたいと念願しています。

(98年3月)

 

2-10 ~経営に生かす~

経営に生かす

千葉のそうじびと

東京からJRの総武線で東へ30分程行くと習志野市に〔津田沼〕という駅があります。

金子さん(㈱ホーマス・社長)は5年前より毎朝2時半起床でその〔津田沼駅〕の周辺を清掃し、数万人の通勤者に快適な朝を提供しています。この駅前の清掃は、雨が降っても風が吹いても一日として欠かすことはありません。

最初のころはたった一人の黙々とした行為であったものが、いつのまにか賛同者が増え、やがて[千葉掃除に学ぶ会]へと発展しました。

メンバー中には現職の国会議員も数名ふくまれ、中小企業の経営者、学校の教師からサラリーマン、一般の主婦まで裾野がひろがり、毎月の参加者は数百名にのぼります。

金子さんが掃除にかかわりを持ったのは、五年前友人にプレゼントしてもらった一本のカセットテープと一冊の本からでした。

その本とテープは、東京で自動車用品の卸し業を営む鍵山秀三郎さん(㈱イエローハット・社長)の[凡事徹底]です。

当時バブルの崩壊で本業の不動産業の凋落に苦しんでいた金子さんは[凡事徹底]のなかで語られている掃除哲学に共鳴し「掃除を徹底することで、荒んだ社員の心を癒し、会社を蘇生させよう」と決意したのです。千葉のそうじびと誕生です。

掃除問答

金子さんをはじめ、金子さんに共鳴する利さん(日本企画社長)、高山さん(高山測量社長)などの熱意が実り、[千葉掃除に学ぶ会]は、ことしの2日で第17回を迎えることとなりました。

この掃除に学ぶ会は、単に掃除の実習をおこなうだけでなく、先哲からの学び、新しい縁を深める交流、それに掃除の実習がセットになっています。

今回の研修では、折からの不況で苦しむ中小企業の経営者達が、鍵山秀三郎さんの経営哲学や人生哲学を学ぶことを希望し、その要望に応えて「素晴らしき人生、素晴らしき掃除」をテーマに一問一答形式でおこなわれました。

・不況で仕事が少なくなり因っていること。
・安売り競争に巻き込まれ、収益があがらなくなっていること。
・ノルマを強いられ社員のこころが荒んでいること。

などなど現在の中小企業が抱えている難問が、息つく間もなく次々と問いかけられた。

鍵山秀三郎さんはこれらの質問に対して自らの信ずるところにより、一つずつ平易な表現で懇切に答えられました。

「常に柏手のことを考える」
「小さなことを疎かにしない」
「安易な道を選ばない」
「自分に都合のよい条件を待っていても一生いい条件はこない」
「困難なことを避けない。それを克服するところに成長がある」
「仕事は売り上げや利益だけではない」
「目に見える条件を前面に出して競争すると必ず敗ける。目に見えない条件で競争する」
「物事の決断の基準は、そのことで社員は幸せになるか、である」

吹雪の中で

掃除の実習は春の吹雪の中で行なわれました。かじかんだ手足で250名の参加者は、船橋市立海神中学校のトイレ磨きに、一心不乱に取り組みました。終了後、地元の女性の心尽くしによるおにぎりを頬ばる善良の顔は、それぞれ一様に爽やかでした。

(千葉掃除に学ぶ会より)

(98年4月)

 

2-11 ~地域に根づく掃除活動~

地域に根づく掃除活動

お掃除の会の脱皮

日本を美しくする会の全国大会は北は北海道の旭川から、南は沖縄の宮古島まで全国を縦断して、今年は32カ所で開催されます。

開催の案内は、その都度各地域の実行委員会から全国のお掃除仲間に具体的な内容を添えて届けられる。

毎回シンプルではあるが、記念講演や交流会があり、メインのお掃除実習へと続く。そこには余程のことがないかぎり日本を美しくする会の総帥鍵山秀三郎さん(㈱イエローハット社長)の姿があります。

もともとこの会は鍵山さんの掃除哲学に共鳴する田中さん(東海神栄電子工業㈱・社長)をはじめとする有志の実践活動の場としてスタートしました。そのため鍵山さんは多忙なスケジュールを調整されて可能なかぎり参加されていたのです。

ところが回数が少ないときはよかったものの、最近のように全国にまたがり、ほぼ毎週開催されるようになると、いかに超人的な鍵山さんといえどもすべての会場への参加は難しくなります。

鍵山さんの名前がない

掃除仲間のほとんどは鍵山さんの信奉者です。掃除の会に参加することにより、その人柄にふれたり、掃除実践の指導を受けたりすることを期待しています。

ところが今回の長崎掃除に学ぶ会の案内状に鍵山さんの名前がないのです。あいさつの項目にも、講演の項目にも、毎回最後におこなわれる講評にもない。つまり参加されないということです。

少なくとも掃除の会は鍵山さんを中心として国民運動にまで成長してきました。掃除に学ぶということもありますが、鍵山さんに会うために参加する人の多いことも事実です。

その意味でも鍵山さんの参加されない掃除の会に、これまでのようにたくさんのメンバーの参加がないのではないか、と危惧する向きもありました。

掃除運動は地域に根付いた

日本の最西端で開催された長崎掃除に学ぶ会は、茨城から、埼玉から、そして沖縄から、飛行機や新幹線を乗り継いで200名を越える全国の掃除仲間が集まり賑わいました。

鍵山さんの姿が見えない掃除の会が大成功したということは、掃除によって日本を良くしていこうという鍵山さんの掃除哲学が、国民運動として地域に根付いたことの証明であり、ほんものであることの証明でもあります。

神奈川掃除の会のお世話をされている丸山さん(㈱カナケン・社長)は「今回の成功は意義深い。掃除運動が独り立ちした記念すべき大会となった。鍵山さんも本懐と思う。掃除によって日本を良くしていこうという運動が日本はもとより、世界中に拡がることを期待している。」と嬉しそうにあいさつされました。

やりがいのあった古い便器

掃除の実習は諌早市の北諌早小学校で行なわれました。開校32年の歴史のある学校です。

トイレは開校時のままで、便器の汚れはしたたかであった。汗みずくで磨いたものの積年の汚れはとれず心残りでありました。

表面についた汚れは簡単に落ちますが、本体に深くしみ込んだ汚れは並大抵のことでは落ちません。

あたかも現在の日本が抱え込んでいる病巣のようでもありました。

(長崎掃除に学ぶ会より)

(98年5月)

 

2-12 ~掃除で人を育てる~

掃除で人を育てる

お掃除は人づくりの基本

わたしは人材育成の基本を掃除に求めている。「ようそこまで徹底してやるね。」と仲間に冷やかされますが我が道をゆくの心境です。

社員には何よりも優先して掃除を好きになろうとする努力を求めています。次に好きになることを求めます。最後に無意識に掃除ができるようになることを求めます。

ここまでくると今の社会に必要な人材が必ず育ってきます。

どうしても掃除が好きになれない社員をどうするかということになりますが、それは別の道を歩んでもらうことになります。

トップから新入社員まで「そうじびと」で固めると、間違いなく企業は一体化し、清々しいよい社風が築かれると信じています。

掃除をテーマにしての企業活動も間もなく10年になりますが、日々の実践を通じてそのことを実感しています。

お掃除の神髄を学ぶ

わたしが生涯の師とあおいでいる鍵山秀三郎さんの率いる㈱イエローハットの本社は東京にあります。

そこでは毎週金曜日を掃除研修の日として全国の経営者に門戸を開いていただいています。

希望すればだれでも掃除のイロハから神髄まで学ぶことができますが、どこまで学べるかは受ける側の姿勢と実践次第です。

わたしはかねてこの研修を受けさせていただくことを熱望していました。ただお互いに経験のあることですが、トップ一人が学んでもさほど成果はあがりません。共に働く全ての人間が同時に学ぶことが最善です。

これも学べば何とかなるものではなく、学ぶには学ぶ資格が必要で、たとえば日頃掃除に、まったく無関心の人には、動機づけにはなっても見えない部分が多すぎて勉強になりません。たとえ小さな掃除でも、数年日々継続している人はよく見えるようです

満を持して東京へ

全社員が毎日掃除ができるようになって5年経過したら掃除研修へとかねて心に決めていました。

やっと時がきたものの、あいにくの不況です。零細企業にとっては17名分の飛行機代と宿泊費、それに平日2日間の負担は大きい。

しかし、周囲の情況が悪いからといって軸を変えることはできない。

思い切って予定どおり東京へと飛びました。

平凡なこと(掃除)を徹底すると人も企業も、どう変化するかということを目で見、肌で学ばせていただきました。

学びをことばで表すことは難しいが、マンツーマンで指導される鍵山社長をはじめ、幹部の方々の溢れんばかりの熱意が次第に人間を変えていきます。効果はてきめんで、翌日から社員の動きが変わり、つれて会社全体のうねりが起きてきました。

掃除運動は国民運動に

5月中旬北海道で開催される「札幌掃除に学ぶ会」に町村文部大臣が参加される予定です。

掃除で荒んだ日本をよくしていこうという鍵山社長の30年来の思いが陽の目を見る日でもあります。

これから「日本を美しくする会」の掃除実践は、多くの一国民の支持を得てい国民運動へと開花するにちがいありません。

(イエローハット掃除に学ぶ会より)

(98年6月)

 

あとがき

一昨年の春、[ビジネスセミナー]という経済誌を発行している展望社の弥山社長より、「掃除について書いてみないか。」というお誘いがありました。

どちらかといえば書くのは好きなほうですが、それはアマチュアとして自由気ままに書くということであって、月刊誌に責任をもって毎月なにかを書くということとは意味がちがいます。

いったん躊躇したものの 「なにごとも経験よ。なんとかなるもんよ。」という弥山社長の無青任な励ましで、ともかくスタートしlました。

はじめての経験なので、いろいろ気骨が折れることもありましたが、厚かましく2年間も連載してしまいました。内容も文章も拙いものだったと思いますが、多分はじめの無責任な激励もあって、我慢しながら24回も続けさせてくれたのだと思い
ます。

内容はすべて 「掃除」をテーマにしたもので、悪戦苦闘しながらともかく鍵山秀三郎さんより学ばせていただいた掃除哲学の一端を伝えられたような気がします。

はじめの一年間は、わたしと掃除との出会いや掃除の素晴らしさについて書かせていただきました。あとの一年間は、全国各地で展開される[日本を美しくする会]の活動を中心に書かせていただきました。その24回分を若干の加筆訂正をしてまとめたものです。

本書を作らせていただくにあたり、生涯の師と仰ぐ鍵山秀三郎さんに巻頭言をお願いしたところ、快くお引き受け下さり、華をそえていただきました。ありがとうごぎいました。

また本書のきっかけを作ってくださった展望社の弥山政之さんに心よりお礼を申し上げます。

平成十年七月

木原 伸雄