親子農業体験(志路・竹の子学園)物語

No.1 ~年甲斐もなく教育行政に憤慨~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。年甲斐もなく教育行政に憤慨

『ゆとり教育』崩壊を憂う

「知識・情報を獲得するだけでなく、自分で考え、創造し、表現する能力が一層重視されなければならない」…。素晴らしい教育的理念を掲げて『学校週五日制』が2004年4月からスタート、皆が期待した。

学校偏重社会の弊害を背景に、行き過ぎた詰め込み教育に対する反省からの制度化。だが、安直に算数や国語など主要教科を削減した結果、子供らの学力は著しく低下した。

当時の遠山敦子文部科学大臣は、「学力の低下はない」と強弁していたが、教育現場は目を覆いたくなるほどの惨状…。それもそのはず臨教審答申では「子供の教育は学校任せにせず、家庭の教育力を復活させ、地域社会の教育機能を再建させる」こともセットだったのに、鍵となる家庭教育と地域社会の教育機能が残念ながら抜け落ちていたのだ。

小学校六年間における主要四教科(国語・算数・理科・社会)の総授業時間は、1971年時点で計3941時間もあった。だが、2002年4月の『ゆとり教育』開始時には、2941時間に激減していた。

30年間で実に1000時間も授業が減ったことになる。いまさら悔 いても始まらないが、たとえ家庭や 地域社会の教育力が復活したと仮定しても、授業時間の減少を補えるとは考えにくい。ズバリ無理だ。明ら かに教育行政は、取り返しのつかない失敗をした― と断言できよう。

夢描き、六十五歳で一念発起

子供らの学力低下を行政や学校の責任として批判、非難することはたやすい。だが、それだけでは一市民 としての責任を免れない。文句の言いっ放しだけでは、無責任極まる。

私が教壇に立って、子供らに国語や算数を教えることはできない。むろん他人様の家庭に入り、子育てにあれこれ口を挟むことも許されまい残るは、地域社会の一員として可能な、なすべき事を見つけることだ。

新しい『ゆとり教育』制度の欠陥に憤慨したのは、高齢者に仲間入りした六十五歳の時。同期生たちは趣味に娯楽に、のんびりと暮らしを楽しんでいる。「年甲斐もなく」と思わなくもなかったが、教育行政に異を唱えた後始末をせねば…と考え付いた。六十五歳の一念発起である。

さて、私の生まれ故郷は広島市安佐北区白木町志路。市の中心部から車で約一時間かかる草深い地域だ。
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終戦後に約20年間もお世話になった農村で、過疎化が進んでいるが今も自然の恵みにあふれている。

先祖伝来の田畑や山林も、わずかだが残っている。だが青少年の頃、汗水流して耕していた農地は、見る影もなく、今や荒れ果てたまま…。

先祖の墓参で家族と帰省した2年前、「この土地を再生して子供らと一緒に、自然に親しめればいいなあ…」と根拠のない夢が一瞬、頭をよぎった。親子農業体験塾《志路・竹の子学園》創設のヒントとなる。

思いが強ければ、夢は叶う

周到に練り上げた計画でないだけに、何から手を付けていけばよいのか、全く見当もつかなかった。

主目的は『ゆとり教育』の欠陥を補うために、一市民として取り組むべき実践活動だ。しかも、子供らが
1.人としての大切な価値観(感謝・報恩など)を身に付ける、
2.コミュニケーション能力の体得と応用、
3.社会や人々の役に立つ人間になるための一助に―
などと狙いを定めた。

まず2002年の秋、郷里で頑張る先輩たちに、私の胸の内を伝えた。

「子供らが農業を実体験することで、額に汗して働くことの大切さ、自然の恵みの偉大さを知る。農作物を育てながら、命の不思議さと尊さも学ぶ。感謝や報恩の心を養う。少年少女期に自然と共生する暮らしを体験できれば、子供らの豊かな人格形成にも必ず役立つ…」

自ら夢を訴えながら、次第に我が胸が熱くなってくるではないか。じっと聴いていた先輩たちは「やってみようじゃないか。わしらの生きる張り合いにもなるし、何よりも過疎地の活性化になる」と、あっさり全面的な協力を約束してくださった。

次回に詳細を記すが、キーポイントの農園管理と農業指導を得てこそ初めて親子農業体験塾は成り立つ。最大の難関を突破できたのだ。

教育カリキュラムの検討、塾生の募集活動、必要経費の捻出、農園管理システムの策定などに、仕事の合間を縫って精いっぱい打ち込んだ。夢の構想は一歩も二歩も進んだ。

学びの環境も着々と整う

体験する農園は、私の所有地を活用…。米作り用の田は350坪、野菜作りには330坪を充てた。oyako_01_02

将来の夢になるが、子供らが学ぶ建物を造るための用地を、600坪ほど買い求めた。過疎地だけに都市部では考えられないほど安価である。

夢を追う―とは実に面白い。予想外の出来事が次々起きる。例えば、私が「子供らに竹の子掘りを体験させたい」と願っただけで、3000坪の「竹薮」が「竹林」に変貌し、無償で提供された。しかも遊歩道まで整備済みで準備して下さった。

oyako_01_03長さ約800mの道沿いに、百本も桜の苗木が植え込まれた。構想をはるかに超えて、雄大な学びの環境が形を現す。夢を描いて一年半、受け入れ態勢は着々と整えられた。

四季折々に美しく変化する自然すらも、親子農業体験塾の実現と成功を予感しているかのようだった。

ところが肝心要の塾生となる親子らの募集に、思いがけず難渋するとは、神ならぬ身に知る由もなかった。

No.2 ~責任は他にあらず、すべて我にあり~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。責任は他にあらず、すべて我にあり

育たない新戦力は誰のせい?

先の見通しが不透明な経営環境ながらも、わが社では今年も3名の新入社員を迎えた。昨年に続いての採用だけに、何としても短期間のうちに戦力として育て上げなければ、体力の弱い零細企業は耐え切れない。

昨年10月に社長職を退任してから人材の育成は私の担当になった。これまでも新入社員の研修に当たって創業トップとしての立場から、会社の歴史や企業理念、それに将来構想などを新人らに伝えてきた。

わが社では従来、基本方針として中途採用は行わず、新卒採用を続けてきた。時間と経費のリスクはあるにせよ、手あかの付かない若者に会社の将来を託したい― と願っているからだ。だが、若者に大きな期待を寄せて人づくりに力を注いだものの、期待した成果は挙がらず、業績向上に寄与できたという実感はない。

つい「今どきの若者は…」と思って、新入社員らの仕事に対する意欲の低さに原因あり―と責任を転嫁してきた。入社後1年を経ずしてリタイアした社員にも同じ思い…。

ところが立場が変わって、人材育成の責任を担ってみると、若者を見る目が180度も違ってきた。これまでは無責任に幹部社員らのせいにもしていたが、もう、それはできない。一日も早く新戦力を育て上げ、業績向上に貢献する義務がある。まさに正念場。安直に他の責任に転じるなんて、もはや許されない。

若者の潜在能力を信じる

あらためて若者らが育った家庭や教育の環境を見つめ直す必要に迫られた。私は戦前、極めてつましやかな辺地の村で育った。今では考えられない三世代同居の大家族だった。

多いときは12名も雑居する賑やかさ。当然のことながら、親や家族に構ってはもらえず、何事も自分の意思と能力で対処する知恵が求められる耐乏期のど真ん中で育った。

田舎の学校とはいえ、教育は厳しく「読み、書き、そろばん」を、徹底してたたき込まれたものだ。学ぶだけではなく、登校前、下校後も農作業の手伝いは当たり前だった。

だが、今は違う。物はあふれ、欲しい物は望めば簡単に手に入る。

核家族時代。共働きの家庭が増え、親に構ってもらえない子供らは、自由奔放に育つ。家庭や地域の教育力は衰え、学校におんぶに抱っこだから、土性骨の据わった若者が育つはずもない。教師の役割も忙しい。本来の子供の教育に加え、教育制度の改革で煩雑な仕事も多くなった。

企業の求める人材・即戦力などを、望む方が無理な時代といえようか。

現代の諸相を考えると、私の物差しで今の若者を測ること自体が、間違いと気付いた。「今どきの若者は…」と軽々しく批判するだけなら人は育たない。時代は移り変わろうと誰もが人として必要な能力を潜在的に持つ。それを発揮できない責任は、若者側でなく大人側にあろう。

わが社の場合は、私が責めを負う。「責任は他にあらず、我にあり」― この前提に立てば、ヒントは生まれ出るものだ。新たな試みを研修に取り入れ、予想を超える成果も得られた。今年は新戦力が育つ予感がしきりで、大いに楽しみにしている。

ままならぬ塾生募集が転機

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年甲斐もなく、教育行政に対する憤慨が、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》創設の動機になった経緯を前号で述べた。幸運にも、ふるさとの先輩らの全面協力で、中核となる農園など、学びの環境は予想外のテンポで整っていった。残るは、塾生となる親子らの募集である。

不覚にも当初、私は塾生の募集なんて、全く楽観的だった。実体験の場となる農地を確保し、農業指導や農園管理などの態勢さえ固めれば万全で、わずか十五組の定員だから即座に埋まる―と、思い込んでいた。

私が住むエリアには、九つの小学校があり、常日頃から良好な関係も保っている。趣旨を説明してお願いすれば、学校側の協力も簡単に得られよう―と安易すぎた。その根底に「善なるものならば、誰もが受け入れる」という思い上がりがあったことは否めない。『ゆとり教育』のポイントとなる地域機能の一端を担う―という自負心さえもあった。

そんな意識が私を傲慢にしていたのだが、うかつで不明だった。たとえ、その行いが善であっても、すべての人にとって善とは限らない。また正しいことであっても、学校側にはそれなりの立場と事情がある。すんなり受け入れられるとは限らない。

結果として一組の応募もなく、己の甘さに愕然とした。既に受け入れ態勢も整い、開塾日も決定済みだ。

いかに志が高くとも、農業体験塾は塾生がゼロなら成り立たない。募集が円滑に進まないのは、学校側が協力しないから― と、先様を責めて責任転嫁しても事態は解決しない。

募集頓挫の主因が、己の思い上がりの産物と気付くまでに、長い時間と心の葛藤が続く。やがて「責任は我にあり」と目覚め、新入社員教育 も含め、物事は順調に進み始めた。

oyako_02_02壁にぶち当たったおかげか、その 後の募集活動で、嬉しいことに定員 を超える応募をいただく。親子ペア は2割増の18組だが、正規塾生の 小学生21名、祖父母まで加える と総勢72名の大所帯になる。

四(喜び・信頼・幸せ)の数字にこだわり2004年4月4日、待望 の入塾式を執り行った。感謝と感動 のドラマ…。自然を舞台にした子供 らの歓声、躍動ぶりは、次号で&hellip

No.3 ~人に支えられ、天の祝福を受けてスタート~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。人に支えられ、店の祝福を受けてスタート

バングラデシュ訪問も契機

今年もゴールデンウイークを、世界で最も貧しいといわれるバングラデシュ国で過ごした。滞在期間は1週間。隔年ごと訪問し3回目だ。訪問時の気温は38度前後、湿度は80%を超え、蒸し風呂並み。

同国の人口は約1億4千万人で日本よりやや多く、北海道の約2倍の国土にひしめき合って暮らしている主要産業は農業。ところが、国民総生産(GNP)は427億ドルで 日本の百分の一にも満たない。一人当たりに換算すれば、わずか370ドル。この数値だけからも同国民ら の貧しさは容易に想像できる。

インドの東側に位置し、日本からは空路で約8時間。大病後初めての海外旅行としては、さほど無理のない飛行距離だった。「物好きな…」と揶揄する友人もいるが、私にとっては忘れ難い、魅力ある国だ。

訪問の目的は、日本発のNGO活動の支援、ビジネスセミナーへの参加、農村でのホームステイなど…。

それに加えて今回も現地の学校を訪問し、素朴な教師や生徒らとの心通う交流に大きな学びを得られた。

電気もガスも水道もない不自由な生活の中で、汗みどろに働きながら真摯に学ぶ子供らの姿は感動的だ。教わる事例も多い。耐乏の暮らしぶりは私の少年時代そのままだが、明るく心豊か。飽食に染まる日本の浪費生活を反省する材料にも富む。

実は、同国を初訪問時に子供らと交流した経験が、親子農業体験塾を創設する意欲を後押ししてくれた。

ふるさとの先輩が大きな支え

さて、応援団の〈志屋つくしクラ ブ〉を構成して、《竹の子学園》の農場管理や農業指導を一手に引き受けてくださるのは郷里の先輩たち。

代表幹事の竹下員之さんは若き日に青年団長を務められ、かつて私も薫陶を受けた。今も地域の指導者として、住民からの信頼も厚い。竹下さんは私の胸中をしっかり受け止め有志四人らに呼び掛けて同クラブを組織し、親子農業体験塾の現地活動をすべて支援いただいている。

竹薮を竹林に変貌させ遊歩道まで整備し、3千坪に及ぶ自然の大地を無償提供くださったのは佐伯成人さん。野菜作りの名人は、佐伯智弘さんと佐伯孝信さん、庭や植木の手れは元プロの一本木宗雄さんら…。いずれも幹事役で、平均年齢は70歳を超える。すさまじい高齢者パワーといえる。本当に有り難い限り。

農業指導や農園管理をお世話くださる郷里の皆さんに対して、私は厚かましい条件を出した。①すべての労力は無償で提供 ②行政の資金的助成は一切受けない ③種苗、肥料・農薬、農機具の使用料、病虫害の予防、害獣からの防護などの実費は入塾者負担―という内容。金銭や行政頼みほど脆いものはない。補助金などを当てにした活動は続かないし内部から崩壊する前例も目立つ。

堺屋太一さんは、著書『高齢化大好機』で「これからの社会を支えるのは高齢者で、しかも結び付きは金銭ではなく、好みや嗜好、それに価値観の共有である」と喝破した…。

《竹の子学園》スタートまでの歩みと経緯を見ても、堺屋理論の正しさは見事に証明される。世の中というものは不思議だ。一つうまくいくとすべて良い方向に回転し始める。天までも味方してくれ、奇跡が相次いで起きる。それも実感している。

多彩な入塾式の大成功に感動

四(喜び・信頼・幸せ)の数字にこだわり、2004年4月4日(日)に待ち望んだ《竹の子学園》入塾式を催した。正規塾生の小学生21名、親や祖父母を含む保護者を加えた総勢72名に及ぶ大所帯で賑わう。大成功に感激もひとしお…。

事前に、塾生らの心に残る出発を願って準備を整えたが、正直言って心配の連続だった。幹事役と打ち合わせれば、熱意のこもったアイデアが次々に提案される。中には間に合わない事案も出る。最終的に入塾記念植樹、塾生やスタッフのユニホーム一式を用意―などが決められた。

記念植樹のアイデアは良いが、予算と季節の関係もあって選定に難儀した。大きくなってはダメ、枝を張る木はいけない、もちろん高価な苗木は予算に合わない。結局、香りが良く、管理も易しい「金木犀」に集約され、塾生全員で二㍍おきに44本植え込むことでまとまった。

ユニホームも難しかった。塾生にもスタッフにも似合うよう、おそろいのキャップやジャンパーにするには…と、あれこれ話し合った。基調カラーは温かみのあるオレンジ色、デザインはシンプルに―とあっさり決まったが、問題はサイズ…。

塾生は1年生~6年生の成長盛りだから、大げさではなく、元横綱の武蔵丸と軽量の若乃花ほども差が開き、困った。やむを得ずアバウトに大・中・小の3ランクに区分。だが、身体にぴったりこないのが微笑ましく、塾生の評判も上々だった。

入塾式は地元の歓迎あいさつ、塾生らの可愛い声で「十の約束」を唱和、神楽舞「おろち」熱演と続く。oyako_03_01

午後は入塾記念植樹、大根やトウモロコシの種蒔き、里芋、ジャガイモ植えにも汗を流す。オレンジキャップ姿の軽快な動きは、見事に大自然の緑と調和し、塾生らの瞳も輝く

当日の天気予報は「100%雨、雷も発生」で心配したが、朝10時の開始から午後3時の終礼まで、天は大きな傘を開いて祝福してくださる。幸い一滴の雨にも遭わず、予想をはるかに超えた順調なスタート。瞼が熱くなった。天に守られ、人に支えられ、奇跡までも…。感謝に堪えない。

~《志路・竹の子学園》10の約束~
1.素直な子供になります。
2.我慢できる子供になります。
3.良い習慣を持つ子供になります。
4.社会の約束を守る子供になります。
5.自信のある子供になります。
6.甘えのない子供になります。
7.自分で考える子供になります。
8.やる気のある子供になります。
9.やさしい子供になります。
10.がんばれる子供になります。

No.4 ~シニア世代の活力と支援で夢拡大~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。シニア世代の活力と支援で夢拡大

五千坪を超える舞台が整う

あらためて、親子農業体験塾『志路・竹の子学園』を構成している現地の大自然を紹介しておきたい。

学園は、広島市安佐北区白木町志路中ノ村にある。広島の中心街から県道の高陽~向原線を北へ車で約1時間。のどかな農村が一帯に広がる。JRを利用すれば芸備線・井原市駅で下車、定期バスの志屋行き(1日6往復)に乗り換えると、約30分で木ノ原口に至る。谷あいの素朴な盆地で、過疎の色濃い辺境だ。

この周辺を《癒しの郷》と称して 『竹の子学園』を中核に、自然と人が共生できる心穏やかな空間づくり、 自然を媒介とした塾生親子のふれあい、地域住民との和やかな交流を通した人づくり―などを目指している。
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実は一昨年4月に『竹の子学園』の構想を立てた当初は、郷里に所有している750坪の休耕田を活用するだけのプランだった。だが、ふるさとの先輩方の思いがけないご支援で<予想をはるかに超えた広大な親子農業体験塾のスタートとなった。

地元のご好意で、前述の休耕田は地味豊かな田畑に再生された。その上、体験塾の学び舎を兼ねた憩いの場となり、地域の集会所にも使える建物の建築用地として、600坪を格安に提供いただいた。いつでも建てられるように、現在では排水路を含め整地まで済ませてくださっている。

さらに驚いたのは3,800坪もの整備された竹林までご提供くださり、延べ5,000坪(約16,500平方メートル)の舞台が大自然の中に整った。《癒しの郷》と総称しても遜色ない。

>金・時間・知恵注ぐ大きな心

広大な竹林をご提供くださったのは、郷里で農業を営む佐伯成人さん(73)である。典型的な[金持ち] [時間持ち][知恵持ち]で、心豊かな実践派の篤志家といえる。

oyako_04_02屋太一著【高齢者大好機】によると、日本の高齢化社会は、これらの能力を兼ね備えたナイスシニアらによって支えられると定義付ける。

誤解されてはいけないので、若干の解説を加える。[金持ち]とは無報酬で地域のために働いても生活に困らない人、[時間持ち]とは他人のために使える時間を持つ人、[知恵持ち]とは豊かな人生経験で蓄えた知恵を世・人のために提供できる人―という意味だ。そして、前向き積極的に地域社会と関わり、高齢者が兼備する能力を世・人のために捧げるべきではないかと提唱する。

年金問題は、先の国会でも論議を呼び、参議院選挙でも最大の争点になり、国民の関心は極めて高い。ナイスシニアらも直撃する。

地元の企業で働いた経歴がある佐伯さんの年金は、国民年金受給者よりも、やや多い程度である。だが、佐伯さんの心境は今、「年金は頂けるだけで有り難い。つましく暮らせば、不安なく生きていける」―。

佐伯さんは年金の支給を受け始めて当分、パチンコに入れ揚げた。勝った時はともかく、負けた後は「こんな遊びはもうやめよう」と決心するが、翌朝になると元の木阿弥…。その繰り返しは数年続いたという。

お金と時間がある程度自由になる高齢者が通る道の一つのようだ。佐伯さんは朴訥で、自分の思いを相手にうまく伝えるのが苦手。その分、遊びに走る自分を見詰めて、人一倍悩んでいた。そんな時に『竹の子学園』構想を、竹下員之さん(つくしクラブ代表幹事)から聞き及び、共鳴して幹事役まで買って出られた。
「子供らが自由に野山を走り回りタケノコ掘りやわらび狩りなども楽しませたい」という私の願望を、じっくり黙って傾聴していた優しい笑顔が、強く印象に残っている。

後日談になるが、この時の出会いがパチンコの泥沼から抜け出すきっかけになったようだ。まさに[金持ち][時間持ち][知恵持ち]の本領を、佐伯さんがフルに発揮する。

「すべて自由に使っていいよ」

幸か不幸か私が胃癌で倒れ、「竹の子学園」の開園が一年延びた。その間に尽力された佐伯さんの孤軍奮闘ぶりは想像を絶するほどだ。晴雨を問わず、未明から竹薮と格闘が続く。家族の支援や仲間の佐伯孝信さん(同クラブ幹事)らによる本業そっちのけでの協力も見逃せない。

広大な竹薮を美しい竹林に変貌させる作業、竹林を結ぶ道路の整備、800mに及ぶ遊歩道の新設、道端に桜の苗木を百本も植栽など…。

「自分の身体と時間を使って、人を喜ばせる行いをすることが、天から人間に与えられた役割だ」と、我が生涯の師・鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)から教わったが、佐伯成人さんらの実践はまさに師の導きそのもので、頭が下がる。

それらの整備に加え、景観の良い場所に人々が集い、憩えるように自ら手造りの「あずまや」を3棟も建てていただく。広場には百日紅(さるすべり)が植えられ、今夏は赤、白、ピンクの可憐な花が咲いて、来訪者の心を和ませ、慰めている。oyako_04_03

佐伯成人さんらが丹精込めた自然空間を、私は勝手に《癒しの郷・百日紅公園》と名付けたが、尊い汗と涙と真心の結晶で、かけがえない。

費用負担を確かめた際、「どうせ暇な身分だし、年金の使い道をパチンコから竹薮に変えただけよ」とあっさり笑い飛ばし「すべて『竹の子学園』で自由に使っていいよ」―。

佐伯成人さんの口癖は「人生に回り道なし。今を一生懸命に…」。貴重な人生経験に裏打ちされた心魂に響く名言であり、胸に刻んでいる。

No.5 ~子供たちの表情や動きが輝いてきた~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。子供たちの表情や動きが輝いてきた

自由闊達に振る舞える喜び

「竹林で滑って転ぶ、遊歩道を走り回る、虫を捕る、畑で泥んこになる、少々のヤンチャをしても叱られない、子供にとって自由に振る舞える時間が、何物にも変えがたいほど楽しいようだ」…と、広島市内から親子参加している岡寺由樹さん(小学校三年生)の父親賢一さん(46歳)は嬉しそうに語る。

「おじさん、こんにちは。せみを とったり、みずのなかをあるいたり たのしかったよ。とうもろこしがお いしかったよ。つぎがたのしみ」と はがきをくれた横山紘基くん(二年 生)。「雨がふってたいへんね。田 んぼのいねはげんきに育っていますか? 次も家族四人で参加します。 妹はイモほり、わたしは竹林であみちゃんたちと、やんちゃ遊びをするのがとても楽しみです」篠塚美晴さん(三年生)からは、毎月欠かさず、はがきが届けられる。

親子農業体験塾《志路・竹の子学園》スタート前には、苦心惨憺しながら8ヵ月間の教育カリキュラムを組んでいたが、人間の頭で考えた計画なんて自然の威力の前にはかなわない。作物の植え付け、収穫作業、 それに野外教室など、すべて天候に左右される。雨や風に見舞われればひとたまりもない。カリキュラムの変更にはサッカープレーのように常に瞬時の決断が求められる。

子供らは冒険者のように、変化を歓迎する。型にはまった押しつけを好まない。日常茶飯事で行なわれる計画変更には自然に反応し、むしろのびのびと動き回る。基本さえきちんと押さえておけば、自由に振る舞わせる仕組みが教育効果を上げると知った。子供らのはがきや保護者の感想などからも読み取れる。

親も一緒に楽しむ大切さ

国民教育の哲人・実践者として著名な森信三先生は、社会生活の基本的なルールとして「時を守る」「場を清める」「礼を正す」-大切さを教えられた。自由に振る舞う前に、集団生活の約束を果たすことが必要だ。

子育ては、夫婦が協力しあって、厳しさ、優しさ、楽しさの三つをバランスよく子供に与えることが大切である。《竹の子学園》の役割の大半はその場を提供することにある。

「厳しさ」とは社会規範を子供に教えることで、父親の役割になる。

「優しさ」とは子供のすべてを受け入れることで、母親の役割だ。

「楽しさ」とは子供と一緒になって遊んでやり、楽しさを与えてやることである。

最近の少年犯罪の原因に、バランスを欠いた親子関係が子供に悪影響を及ぼしている―と指摘する心理学
者も少なくない。仕事に多くの時間を奪われて、子供たちと接する時間の少ない父親の役割は、バランスを保つ上で特に重要だ。

実は、《竹の子学園》が入塾の条件として「親子で参加」を第一に上げている理由はここにある。

大自然の中では素直に心が開きやすい。子供らは自分の興味に従って勝手に遊び、自由に学び吸収する。

子供と一緒に楽しみ、親の役割を果たす絶好の場の一つにもなる。

成果が出始めた自然体験

子供に社会規範、生活規範を教えるといってもそれほど難しいものではない。ささいなことをしっかりやらせきる習慣を身に付けさせればいい。

塾では「大きな声で返事する」「あいさつする」「姿勢を良くする」ことに努力している。十分とは言えないまでも成果は出ているようだ。

四月に開塾して早くも六ヵ月が経過した。わずか月一回の親子農業体験だが、塾生らの表情や動きが、心なしか輝いているように見える。

四月塾…入塾式、金木犀の記念植樹、ジャガイモとサトイモ植えほか。
五月塾…田植え、ナス、トウモロコシ、スイカ、ウリの苗植えほか。
六月塾…竹林教室の講座①、タマネギ、ダイコンの収穫ほか。
七月塾…竹林教室の講座②、ジャガイモ、トウモロコシの収穫ほか。
八月塾…そうめん流し、虫捕りや 川遊び、ナスなどの収穫ほか。
九月塾…栗拾い、ぞうり作り、白 菜、キャベツの苗植えほか。

 

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入塾式:21人の小学生たちでスタート。「竹の子」のようにすくすく育ってね。 6月塾:竹に囲まれた野外教室。風が自然のオーケストラに聞こえるから不思議。 8月塾:冷たい水と一緒にそうめんが竹樋の中を流れてくる。「おいしい」

親子四人そろって毎月参加される 篠塚靖さん(40)は「どんなに忙しくても、家族全員で楽しみに参加 することを決めている」―。何より 嬉しい塾への応援メッセージだ。

No.6 ~過疎の地から全国に「夢」を発信~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。過疎の地から全国に「夢」を発信

上甲晃先生の高邁なる志

松下電器産業の創業者である松下幸之助翁が、国家百年の計を持つ政治の実現を目指して『松下政経塾』を創設されて22年が経過した。

その塾頭を当初から14年間も務めた上甲晃先生が、松下翁の遺志を継いで立ち上げたのが『青年塾』。 熱い活動を続け、8年目になる。

『青年塾』の目的について上甲先生は「まともな日本人を育てる運動だ」と説明されている。確かに金儲けのためなら手段を選ばない企業経営者、国家国民の利益より己の権益を最優先する政治家の多いこと…。かつての誇りを持った日本人、恥を知る日本人は何処へ行ったのか― と嘆きたくなる昨今の体たらくだ。

『松下政経塾』からは既に60名を上回る政治家が誕生し、そのうち国会議員が29名も活躍している。

この8年間で全国から『青年塾』に集った志高い青年たちの数は、延べ600名を超えた。若い塾生らがリーダー格として、日本の各地でさまざまな分野においてフルに活躍するようになれば、日本の未来にも、ほのかな明かりが灯るかもしれない。

《癒しの里》に全国から集う

毎年8月、『青年塾』では研修の 一環として〈全国サマーセミナー〉を2泊3日間の日程で開いている。7回目になる今夏は、その舞台として、親子農業体験塾『志路・竹の子学園』を中核とする《癒しの郷》をご指名いただいた。大きく重すぎる役割だが、光栄の至りである。

メインテーマは「忘れてはいけないもの、忘れかけているもの探し」。
討議される分科会の課題は、
①過疎地の活性化、
②高齢者の生き甲斐、
③子供の教育。
今まさに地域で取り組んでいる活動にどんぴしゃりだ。

わがふるさとの広島市安佐北区白木町志路の集落は、弥生時代から2000年余の歴史を持つ。だが、北海道から鹿児島まで、まさに全国規模で125名にも及ぶ若者が集結する出来事は空前絶後…。研修には1泊2日のホームステイが組まれ、難しい宿題もあったが、結果的に受け入れた集落側の感激が大きく、すべて吹き飛んだほど。毎月開く『竹の子学園』とは一味違うドラマが演じられた。

まず、JR広島駅から芸備線を利用。井原市駅から六㌔を超える県道を徒歩で会場入りする若者たちの姿に、迎える集落の皆さんは大感激。炎天下をものともせず、「志」の旗を先頭に汗を流しての行進ぶりは、見守る人たちの心を揺さぶった。

心尽くしの「そうめん流し」で乾いた喉と空っぽになった胃袋を満たし、休む間もなく会場の小学校へ…。

最初に研修テーマの基調報告を聴いた後、それぞれ三つの分科会に分かれて、前述した日本の今日的な課題が熱心に討議された。

最近ではめったにお目にかかれない真摯な若者らの姿にふれ、異国の光景のような錯覚さえ起こした。頼もしい限りで、嬉しくなった。

竹林を切り開いた〈百日紅公園〉で夕刻から始まった交流パーティー では若さがさらに弾けた。集落の森 に生息する鹿の焼肉に地元米のおにぎりは、豪華でないけれども真心がいっぱい。そよ風が竹の葉を楽器に変え、涼やかなメロディーを奏でる。虫たちも控えめに伴奏へ参加…。

農家のホームステイで学ぶ

午後九時。研修はまだまだ続く。メインのホームステイはここからスタート。ホストに案内されて、18戸の農家に分宿。家族らと生での語り合いが待っている。「集落の暮らし今昔」「悲惨な戦争体験」「伝統技術の継承」「高齢者と過疎」「自然の偉大さと恩恵」「害獣との熾烈な戦い」「親子の絆」など…。話題は尽きることなく、夜を徹して語らう光景が各家庭で繰り広げられた。

長い一日になったが、現実の中に身を置いた貴重な体験…。机上で得られない感動と発見、気付きがあったに違いない。かくて研修は大成功。

「上甲先生の講演で勇気が湧いてきた」「朝早くから掃除や草むしり もしてくれた」「煙草の吸い殻が一本もなかった」「礼儀正しい若者ばかり…」「見送る時は涙が止まらな かった」「シワだらけの手を握って 泣いてくれた」「また来てほしい」 「志路の地名が全国に伝わるといい ね」…。

感動のドラマは、このままでは終わらない。『青年塾』の若者たちの「夢・志」となって、全国各地に発信されていくだろう。期待も大きい。

No.7 ~小さな実践の積み重ねこそが子供を育む~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。小さな実践の積み重ねこそが子供を育む

大人にとって子供は最高の教師

「子供らが農業を実体験することで、額に汗して働く大切さ、自然の恵みの偉大さを知る。農作物を育てながら、命の不思議さと尊さも学ぶ。感謝や報恩の心を養う。成長期に自然と共生する暮らしを体験できれば、子供らの豊かな人格形成にも必ず役立つ」…。高邁なる理想を掲げ、現地の協力を得て踏み出した親子農業体験塾《志路・竹の子学園》。

だが、目的・趣旨はもっともながら、己の未熟さもわきまえぬ傲慢なスタート時の意気込みを省みている。第一期の終了を控えた今、冷や汗をかく思いで、実に恥ずかしく思う。

傍目には順調に進んだかのように見えるが、羅針盤のない船が航海しているようなもので、実際には危なっかしい日々を過ごしてきた。

確かに、勇気ある試みとして、一部の方から高い評価をいただいた。だが、内実を明かせば何もかも結果オーライ…。入塾された素直な子供ら、理解ある保護者、それに献身的な協力を惜しまぬ郷里の諸先輩らの支えが、評価のすべてである。

年甲斐もなく、『ゆとり教育』を進める教育行政に憤慨して、「俺がやらねば…」と力んだわけだが、使命と役割を果たすどころか、逆に子供たちから教わることが多かった。

「今どきの子供たちは…」と世の大人たちは愚痴をこぼすが、「今どきの大人たちは…」と逆にそしられ
ても仕方がない。それほど子供らは大人にとって最高の教師といえる。

五月の塾で子供らが泥んこになって田植えをした成果が今秋、黄金の稲穂になって姿を見せた。今年は絶え間なく台風が日本列島を襲い、全国各地で大きな傷跡を残した。だが、幸運にも《竹の子学園》の稲は、豊作と言えないまでも、たわわに実ってくれた。農場管理などに行き届いた〈つくしクラブ〉の皆さんによる丹精込めたご尽力の成果である。

 

感動と歓声の稲刈り初体験

大自然が今年一番の秋晴れで、子供らを迎えてくれた10月17日のこと。稲刈り体験に先立って、まず第2農場でサツマイモやサトイモの収穫作業に取り組んだ。oyako_07_01

稲刈りは、昔ながらの鎌で直接刈る方法で汗を流す。竹下員之先生の指導で進められた。手作業だけに一日かかって大人で120㎡しか刈り取れない。親子50人が総がかりで1時間、やっと4分の1ほど。稲を刈って束ね、はでに架け自然乾燥させる。程よい時期に脱穀し、籾のまま保存するのが40年前の収穫法だ。

現代の農業はすべて機械化され、稲刈りから脱穀までコンバイン(自動稲刈り脱穀機)が代行作業してくれる。従って、子供らの稲刈りも疑似体験に等しいかもしれない。
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だが、自分が植えた苗を成長まで慈しみ、最後の刈り取りに至る一連の作業は尊い。オレンジハットをかぶり、班分けの鮮やかなバンダナを首に巻いて立ち働く姿も、揺れる黄金の波とよくマッチして、美しい。

一段落した時点で、コンバインによる作業に移る。同乗を望む子供らの行列が出来たほど。竹下先生は一人ずつ膝に乗せ、稲を刈りながら田んぼを一周。子供らの歓声が青空に響く。全塾生が同乗体験を終えた頃は、日も傾き、影が長くなっていた。

 

美味! おやつのふかし芋

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子供らが稲刈りに歓声を上げていたころ、〈つくしクラブ〉の女性グループは、午前中に掘ったサツマイモのふかし作に余念がなかった。

今年は好天に恵まれて、予想外の豊作。周りを丹念に掘り進めば、1本のつるに7~8個のサツマイモが連なって姿を現す。小学低学年には、持ち上げられないほど重い。

「みんな家族みたい!」とはしゃぐ。あわててつるを引っ張ると、芋は姿を見せてくoyako_07_04れない。手を抜くと必ず失敗する。勉強と同じで、一つ一つ着実に手順を踏むことが大切。

大地が舞台の体験はすべてが学びにつながる。泥んこになっても、失敗しても、保護者らはニコニコして躍動し瞳を輝かす子供らを見守っている。大自然のやさしさに包まれると、人の心は限りなく穏やかになり、癒やされる。親子の微笑ましいシーンが至る所で展開され、印象深い。

台風被害のとばっちりで野菜の価格が高騰し、今回の収穫作業は実利面でも大きく貢献したようだ。子供らは農業の実体験を通して、豊かに成長している。次回は感動あふれる「卒塾式」の模様をお伝えしたい。

いる。

No.8 ~人を育てる教材いっぱいの「自然」~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。人を育てる教材いっぱいの「自然」

日の出も日没も見たことない?

「生まれてから一度も日の出、日没を見たことがない」と答えた小・中学生が過半数に上る―。川村学園大学・斎藤哲瑯教授(教育社会学)による自然体験調査で分かった。

調査は平成16年6月、関東や東北の小・中学生3288人を対象に実施。その結果、日の出や日の入りを見たことのない子供が、市部で52.6%、郡部でも45.9 %に及んだ。いずれも前回調査(平成12年)より該当者が増え、過去 最高となった。高齢者の仲間入りした私などには、思いもかけない調査結果に、驚くばかりだ。

ほかにも、▽自分の身長より高い木に登ったことがない▽海、川などで魚釣りをしたことがない▽木の実や野草などを採って食べたことがない▽わき水を飲んだことがない― 子供も50%前後を占め、思いがけない数字を示す。信じられない。

さらに、体験の貧弱さは自然の中だけにとどまらず、日常生活でも…。調査によると、自然体験が多い子供は、生活経験も豊かな上に「家にいるのが楽しい」「学校が楽しい」と 答える割合も高い傾向だ。多様な経験と生活の満足度には関連性が見られるという。斎藤教授は「親が自然の中に子供を引っ張り出さなければ、太陽の動きを追う経験さえもできない」と、強く危惧している。

自然との共存こそ欠かせない

人々は子供に限らず太古の時代から、自然の恩恵を享受しながら暮らしを営んできた。自然と共生する中で、豊かな人間性が養われ、心やさしい感性も磨かれてきたと思う。

ところが、文明の発達につれて暮らしは便利になったものの、次第に心のゆとりを失い、欲望のおもむくままに、多忙な日々を余儀なくされている。大人だけではなく、子供たちだって例外ではない。

朝早くから学校で学び、クラブ活動、宿題、塾に至るまで、日々のスケジュールはいっぱいだ。時間が余ればファミコンに熱中する。親は親で、子供以上に忙しい。結果として豊かな人間性を育む自然との共生から縁遠い暮らしになってしまう。

こうした無味乾燥的な日常は、最近多発する青少年らの惨たらしい犯罪とも無縁ではないだろう。

現代文明の発展過程を知らない子供たちは、お金さえ出せば、すべての物が手に入ると思ったとしても不思議ではない。米でも野菜でもスーパーに行けば並んでいる。姿を見せるまでには途方もない時間と労力を要したことなど、思いもつかない。
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幸いにも、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》で学ぶ子供らにとっては、自然の恩恵や、農作物の種蒔きから収穫までの過程を知るために、絶好の機会となったに違いない。

迷いに迷った卒塾式セレモニー

11月7日、初めての卒塾式だけに、企画立案がどうしても体裁を考え、カタチにとらわれてしまう。会場、来賓、式次第、行事、記念品など、検討するたび迷路に迷いこむ。悩み抜いた末、贅肉をすっかり落としたシンプルなスタイルに決まる。

会場は晴天を信じて手作りの《百日紅公園》。来賓なし。式次第はあってなきがごとし、雰囲気で自由に変える。行事は風呂哲州さん(シンガー・ソングライター)と中井征さん(岩国女子短大・講師)二人の友情出演による「童謡・唱歌」と「紙芝居」の二本立て。記念品は迷った挙げ句、塾生には実践教育の泰斗である森信三先生の高弟・寺田一清先生編「ものがたり・伝記シリーズ」、保護者には森信三先生の「修身教授録抄」を選んだ。oyako_08_02

食事は、4月入塾以来、地元〈つくしクラブ〉の皆さんのご指導とご協力をいただきながら、親子らが丹精込めて慈しみ、汗を流して育てたお米や野菜で作られた自然食…。

午後の体験授業で、大根や白菜の収穫をした後、来年のためのタマネギと春キャベツの苗植え。これで、4月から始まった親子農業体験塾はすべてのカリキュラムを終えた。

親子らの絆がさらに強まる

oyako_08_03セレモニーを締め括ったのは「寄せ書き」と、風呂さんのリードによる全員の大合唱。「寄せ書き」は、地域のJR駅でご用済みとなったごみ箱を再生して、親子全員が思い出を書き込んだ逸品だ。続いて塾生親子らと〈つくしクラブ〉の皆さんが腕を組み「今日の日はさようなら」を元気いっぱいに唱和…。その歌声が秋晴れの野山にこだました。 oyako_08_01

6年生は卒塾したが、5年生以下の子供と保護者らには、また4月に再び会える。プレゼントのお米や野菜を車に載せて現地を後にする親子らの笑顔と、手を振って別れを惜しむ集落の皆さんの涙が印象的。すべてが《志路・竹の子学園》の8ヵ月にわたる成果を如実に物語っている。

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の”大自然”~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然”

ゆとり教育」見直し表明?

 昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。

 きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。

 児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。

 中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。

 遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すこと にあるらしい。

「ゆとり教育」の理念は正しい

 2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。

 新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。

 家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。

 詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?

 子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。

 むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。

生活体験の「詰め込み」が必要

 東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。

 自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。

 子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。

 その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。

 こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。

彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。

着々進む農業体験塾の環境整備

 今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。

 春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。

 《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。

 砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。

 竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。

 自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。

 すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。

No.10 ~自然は、子供たちに”学び取る力”を教え育む~

No.10 ~自然は、子供たちに"学び取る力"を教え育む~No.10 ~自然は、子供たちに"学び取る力"を教え育む~

No.10 ~自然は、子供たちに"学び取る力"を教え育む~自然は、子供たちに“学び取る力”を教え育む

遊ぶことは子供の天分

 景気は底を突いて、踊り場にいると竹中平蔵・経済財政担当大臣はのたまう。だが、中小企業の現場における実感は政府の観測とは異なる。いったん上向きかけた景気は、再び下降しそうな気配が濃厚である。

 大切な家族を守らねばならない親父としては、「何とかなるさ」と呑気に構えてはおれない。死に物狂いで働くことが、苦況を乗り切る最善の策と思う。といって、やみくもに動くだけでは成果は挙がらない。

こんなときは「エイ、ヤ!」と開き直って、夢中でしかも楽しく働く心構えが必要だろう。そうすれば思いがけないアイデアが湧き出て、新たな道も開けようというものだ。  

 「子供が遊んでばかりいて勉強しない」と嘆く親は多い。その揚げ句「勉強しろ!塾へ行け!」と、尻を叩かれる遊び盛りの子供の方はたまったものではない。学力低下を心配して、再び詰め込み教育を復活させようとする風潮の中で、親の叱咤激励は更に拍車が掛かってきた。

 それは、とんでもない間違いではないのか。大人が夢中で働くとき、新しい発想や工夫が生まれるように、子供だって遊びに熱中するとき、新しい知恵や創造力が育ってくる。

 いつも親の目を気にする子供に、人間的な成長は望めない。子供が夢中になる遊びを共に探す配慮も、親の役割の一つだと思う。遊びは子供にとって、大切な天分なのである。

基本的な学力・能力とは?

 中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を心配した発言の根拠は、経済開発協力機構(OECD)の調査(PISA)で「日本の子供の学力が著しく低下した」という発表を受けたからだ。PISAが指摘したのは「知識の量」ではあるまい。

 結論を先に言えば「学習する能力の低下」であろうか。問題解決能力、コミュニケーション能力、生きる自信など、詰め込み教育の教科では得られない能力が求められている。

 親子農業体験塾《志路・竹の子学園》では、塾生親子と「十ヵ条」の約束を交わし、実践している。
 ①素直になる、②我慢する、③良い習慣を付ける、④社会の約束を守る、⑤自信をもつ、⑥甘えない、⑦
自分で考える、⑧やる気を起こす、⑨やさしくなる、⑩がんばる― を、自然を相手に修得する約束だ。

 これらを身に付けることが、21世紀の学力の基本だと心得ている。

 他から強制されるのではなく、自らの意思で学び取る意欲・自主性こそ、今の子供たちに求められる能力であろう。親は子供の学力とは何か―を正しく理解する必要がある。

世代や年齢を超えて学び合う場

 勉強の得意な子も不得手な子も、低学年や高学年も共に自然体験する中から、それぞれの感性に応じて学び合う。《竹の子学園》の世話役は、大半が高齢者だ。厳しい中にも優しさにあふれ、人の心を和ませる。

 土に親しみ、楽しく作物を育てながら、親は子供の素晴らしさを再認識し、子供は普段の暮らしとは全く違う新しい絆を発見する。高学年の子は、低学年の子を思いやり、いたわる。逆に、小さい子は体験を通して、大きい子を尊敬し、信頼する。

 ここには子供たちの大好きなファミコンや便利な自動販売機もない。むしろ異次元とも思える不自由な自然環境を舞台に、塾生親子らが高齢な世話役に支えられ、嬉々として躍動する姿は感動的でさえある。

 ささやかな学習体験かもしれないが、《竹の子学園》の一年間で、自ら学ぶ意欲の大切さを感受し、育めたと確信している。第一期の思い出 アルバムから、学びのプロセスを感 じ取っていただければ幸いである。

 昨年の入塾式は2004年4月4日で、「喜びと幸せの二重奏」と語呂合わせした。今年は05年4月3日を予定している。麻雀ゲームでい う「一気通貫」と、縁起も良い。

 未来の日本を背負って立つ子供たち― 大きな可能性を秘めた彼らの能力を最大限に生かし伸ばしたい。そのために、私たちに今、何が出来るかが問われていよう。

 未知に挑む夢と希望で、新たな予感に胸をときめかせながら、今春も新鮮な出会いを心待ちしてる。

No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~

No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~

No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~自然の中で子供らの笑顔を育てる

『子ども』

 批判ばかりされた 子どもは
 非難することを おぼえる

 殴られて大きくなった 子どもは
 力にたよることを おぼえる

 笑いものにされた 子どもは
 ものを言わずにいることを おぼえる

 皮肉にさらされた 子どもは
 鈍い良心の もちぬしとなる

 しかし
 激励をうけた 子どもは
 自信をおぼえる  

 寛容にであった 子どもは
 忍耐を おぼえる

 賞賛をうけた 子どもは
 評価することを おぼえる

 フェアプレーを経験した 子ども
 は 公正を おぼえる  

 安心を経験した 子どもは  
 信頼を おぼえる
 
 可愛がられ 抱きしめられた 
 子どもは 世界中の愛情を 
 感じとることを おぼえる。
 

 この詩は、皇太子殿下のお誕生日 に際しての記者会見で、去る2月21日、殿下ご自身が引用された。  ドロシー・ロー・ノルト(アメリカの家庭教育学者)の『子ども』と いう詩で、スウェーデンの中学教科書に収録されていると紹介された。

子供らの笑顔育ては親の責任
No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~ No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~ No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~
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皇太子殿下に尊敬と親近感

 『子ども』の詩を引用された皇太子殿下は、次のお言葉を続けられた。「子どもを持ってつくづく感じますが、この詩は、人と人との結び付きの大切さ、人を 愛することの大切さ、人への思いやりなど、今の社会で、ともすれば忘れがちな、しかし、子どもの成長過程でとても大切な要素を、見事に表現していると思い ます―後略」。記者会見は長時間にわたったが、『子ども』の詩を引用された皇太子殿下の、敬宮愛子様に対する深い愛情がうかがえ知れて、尊敬の念と親近感 を強く抱いた。

 とかく、皇室は雲の上の存在として遠くから眺めるばかりで、従来はさほどの関心を持てなかった。

 ところが、慎重な言い回しながら、日本の伝統的な良い習慣が失われつつある世相を嘆かれている発言に、大いに共鳴できた。親たる者、願いはすべて同じだと心強く思えた。

子を思う親の思いは皆同じ

 「自然は素晴らしいが、便利が当たり前と思う都会の子供には、自動友情を知る 子どもは切をおぼえる販売機もない農村は不自由に違いない。それでも不 平・不満もなく、生き生きと躍動している。わがままな 孫たちも、本質は素直なんだと実感 している」(河野那恙重さん)  

 「子供らはみんな冒険好き。都会 では潜在能力を、自由に発揮する場 所がない。どちらかと言えば、して いけないことばかり。一年間の経験 で、これまで気付かなかった子供の 良さが発見できた」(篠塚靖さん)

No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~
河野 那恙重さん
No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~
篠塚 靖さん
No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~
白井 秀信さん
No.11 ~自然の中で子供らの笑顔を育てる~
横山 正和さん

 

「私の経験では自然体験の機会を 与えるのが、親の責任だと思ってい る。特に親子農業体験塾では、自立する心、我慢する心、団体生活の友情など、社会の規範を守る大切さが学べる」(白井秀信さん)

 「一年生の子供は、いつも独りぼ っちで家にいる状態…。自然とは縁 がなかった。農業塾でお兄ちゃんや お姉ちゃんとの新しい出会いが、子 供をよみがえらせたようだ。大自然の中で夢中になって遊んでいるう に、いつのまにか子供社会に馴染んでいる」(横山正和さん)

 ― 以上は、塾生の保護者らの感想を紹介した。
  
 ドロシーの詩は、子どもを愛する大切さ、心豊かな子どもの成長を願う親の良い指針になる。その強い思いは、皇太子殿下も国民も変わりは ない。時代が変わろうとも同じだ。

 4月3日、待望の親子農業体験塾 《志路・竹の子学園》の第二期がス タートする。今年は「竹の子」の当 たり年で楽しみが増える。昨年に続き16種類の野菜も、種類を変えて育てる。新しく「ホームステイ」や 「森林探険」もメニューに入った。

 大自然に包まれた《竹の子学園》で、子どもたちが多くを学び、たく ましく成長した姿を見せてくれる日 を、楽しみに待ちわびている。

最終回 ~チャンスを与えれば、子供は思いがけない才能を発揮~

最終回 ~チャンスを与えれば、子供は思いがけない才能を発揮~最終回 ~チャンスを与えれば、子供は思いがけない才能を発揮~

 

最終回 ~チャンスを与えれば、子供は思いがけない才能を発揮~チャンスを与えれば、子供は思いがけない才能を発揮

天のご加護? 成功を確信

 平成17年4月3日、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》の第二期が、元気いっぱいスタートした。
    
 「何事も始めることはやさしいが、続けることは難しい」と言われる。慣れない第一期の運営は、手探りの日々にウエートがかかり、次期に思いをはせる心のゆとりもなかった。まさに先人の教えを実感した。 
    
 塾生の募集、運営・協力体制の整備、研修プログラムの策定など、どうしても前期に勝る準備をせねば…という気負いが邪魔をする。      
  
 その上、記念すべき入塾日の天気予報は、雷を伴った雨、しかも確率80%である。これまで再三にわたり雨天の予報を覆してきたが、今度ばかりは無理かと、観念していた。   
  
 すべてのプログラムを屋外で進める学園活動だけに、雨が最大の天敵なのである。ところが何としたことか。またしても奇跡が起こった。塾生が集まる午前9時には、おてんとう様も顔を出してくれたではないか。  
  
 塾生(小学生)は予定を超えて21名、保護者らが51名、計72名の応募となり、昨年度にも増して賑やかで、充実した入塾式となった。有り難い限りである。      
  
 予報の雷雨は外れではなかった。終礼を済ませ解散した約10分後、天も割れんばかりの雷鳴が轟き、猛然と雨が降り始めたのである。天の粋な計らいにご加護を感じ、あらためて成功を確信した次第である。

自ら学び取る力=学力を養う

   正直言って第一期は、及び腰で、お互いに遠慮がちだった。それ故に想定した教育効果も十分でなかったように思う。大いに反省している。
  
 今期の塾生は継続が10名、新入が11名。この組み合せが絶妙のバランスをもたらす。学年は6年生が1名、5年生が2名、4年生が6名、3年生が2名、2年生が4名、1年生が6名の構成となる。

 塾生をグループ3班に分け、6年生と5年生の3名を班長に、4年生の中から新人を除く3名を選び、班長補佐に指名した。メンバーには班別に赤、青、黄のバンダナを身に付けてもらい、判別しやすくした。

 入塾式では塾生親子が壇上に登って自己紹介。頬を寄せて抱き締め合ってもらう。一連の行事は塾生だけの力で、助け合って進めた。ここで班長は小学生とは思えないリーダーシップを見事なまでに発揮した。

 記念植樹は前年と同じ金木犀。高さが2mもあり、小学生の手に負える代物ではない。心配だった。それなのに、穴掘り、土入れ、植樹、水遣りまで、きちんと成し遂げた。

 農作業のじゃがいも植え、さといも植えも、班ごとに親子で行った。一糸乱れず― という表現があるが、現地お世話役の指導の下に、実にてきぱきと作業を進めた。今期は一味も二味も違った体験になりそうだ。

 「学力」とは「学び取る力」と理解している。学校や家庭では得られない教材と体験を、自然の舞台はふんだんに提供する。塾生らは親の大きな愛に包まれつつ、元気で明るく育ち、成長していくと信じている。

可愛がられ 抱きしめられた子どもは 
世界中の愛情を感じとることをおぼえる 
(ドロシー・ロー・ノルト)

最終回 ~チャンスを与えれば、子供は思いがけない才能を発揮~

最終回 ~チャンスを与えれば、子供は思いがけない才能を発揮~平成17年4月3日
親子農業体験《志路・竹の子学園》
第2期 4月塾 入塾式


ご愛読ありがとうございました。