小さな実践の一歩から

小さな努力の積み重ねが大きな成果を生む 2009.3

掃除三昧の日々

 最近こそ県外の学校トイレ磨きに参加していませんが、約十年の間、毎週のように全国の学校を「日本を美しくする会」の一員として汗を流していました。

 日本はおろか遠くはブラジルに3回、バングラデシュに4回、韓国、中国、台湾に各1回。ずいぶん物好きだと揶揄されたものです。

 寄る年波には勝てず、最近はもっぱら地域のJR駅トイレ、学校のトイレ磨き支援と、身近な地域を美しくする活動に没頭しています。

 いい加減にしたらと妻からも忠告されますが、ゴミや汚れに対して体が自然に反応するほど習慣化しています。最近は若手社員のみならず、地域の高齢者が数名加わってくださり、掃除年齢は若返りつつあります。

 365日、毎朝箒か雑巾を持たねば一日が始まらない、厄介な習慣です。

卒業記念にトイレ磨き

 平成13年3月、落合小学校の6年生から「長い間お世話になったトイレを、ピカピカにして後輩に渡したい」と健気な申し出。異論のあろう筈もなく、学校の協力で第1回を開催。

 実は全国に先駆けた活動として注目を浴び、文字通り日本での第一歩になりました。それから9年の歳月を経て、すっかり同校の伝統活動として根付きました。

 平成21年3月6日、9年連続で6年生98名の卒業業記念トイレ磨きが実施されました。

 人が嫌がるトイレ磨きに取り組むと、校風まですっかり変わってくることに気付きました。きびきびした動作や姿勢、礼儀正しいあいさつや返事、私語のない集中力、楽しい雰囲気など、児童らに欠けているとの批判をことごとくクリアーしているのです。

 もちろん教師の熱心な指導の賜ですが、児童は期待に対して見事な回答を行動で示してくれました。

 まとめのあいさつで「落合小学校は日本一」と評価しました。けっしてお世辞ではありません。人の嫌がるトイレ磨きのみならず、社会の規範に則った動きに感動したのです。

批判や中傷をのりこえて

 汚れているトイレ磨きには、当然ながら衛生管理の問題もあり、周囲から絶え間なく批判などが寄せられます。掃除前の手の消毒や終了後の手足の消毒まで、万全を期して取り組んだのは言うまでもありません。
「掃除は学校を語る無言の表現であり、生徒を映す無形の鏡である」
「自分の後始末は自分でする。人の後始末も喜んでさせていただく」
「後から来るもののために道を開く」

 教科書にはない子育てのエキスが、人の嫌がるトイレ磨きにはたくさん含まれていると実感しました。(終)

Plus One Message
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後から来たもののために
道を開くその行い尊し

公共のトイレ磨きに取り組む 2009.2

基本を忠実に守る

 かねてから予告通り地域内の公園トイレ掃除が、1月3日より正式にスタートしました。掃除活動は毎週土曜日に休まず実施。「地域を美しくする会」のメンバーは11名になりました。午前7時に集合して掃除を始めます。

 開始に先立って全員が整列し、姿勢を正して「おはようございます」のあいさつ。続いてトイレ掃除の目的を全員で唱和。リーダーの注意事項を聞いて取り掛かります。
①時を守る、②礼を正す、③場を清めるー の原則を忠実に実行。

 事情を知らない人が目撃すれば不思議に思われるかも知れませんが、この活動はボランティアではなく、己の心を磨くことに主眼を置いている証です。

 以下、唱和の5項目。
一、謙虚な人になる
一、気付く人になる
一、感動の心を育む
一、感謝の心を育む
一、心を磨く

トイレ磨きの効用

 JR駅のトイレ磨きが10年にわたって継続出来たのは、基本の姿勢を一度たりともゆるがせにしなかったからです。「気を付け」の姿勢が正しく出来る人は少なくなりました。

 かかとを揃え、つまさきを30度に開く、両手の指先を伸ばし身体に添える、背筋を真っすぐにし腰骨を立てる、ここからすべてが始まります。基本に忠実な動作はすべて最優先です。

◇謙虚な人になれる
 どんなに才能があっても傲慢な人間は、人を幸せにすることは出来ない。

◇気付く人になれる
 無駄をなくすためには気付く人になることが大切。日々の暮らしから無駄を追放できる。

◇感動の心を育む
 できれば人を感動させる人間になりたい。そのために身を低くして一生懸命に取り扱む。

◇感謝の心を育む
 人は幸せだから感謝するのではない。感謝するから幸せになれる。小さなことに感謝できる感受性豊かな人間になる。

◇心を磨く
 心を取り出しては磨けないので、目の前に見えるものを磨く。人はいつも見ているものに感化登れる。

人が嫌がる実践

 5つの願いを叶えてくれる方法は、人の嫌がる公共のトイレ磨きの実践が一番の近道だと信じています。

 私たちはいろいろな掃除用具を駆使して、どんなに寒い日でも素手で取り組みます。この方法には異論もあるところですが、心磨きの修行と考えれば抵抗はありません。何はともあれ新しい一歩です。

Plus One Message
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高齢化社会と言わせない 2009.1

超高齢化社会?

 2009年は団塊の世代全員が、還暦を迎えられます。広島市の人口統計によると60歳から80歳までが25万5,932人、全人口の26%を占めます。広島市の年金受給世代は30万人を超え、支える現役世代は72万人強。つまり2.43人が1人を支えている勘定。

 このままで行くと年金制度は遠からず崩壊し、悲惨な日々の到来が目に見えています。

 ちなみに20歳未満の人口は22万6605人ですから、定年になって現役を引退したとしても、まだまだ老け込んではならない年代ですね。

 還暦を迎えて家族全員が祝い、赤い帽子と羽織を身に纏って相好を崩した時代は夢物語。超高齢化社会と喧しいけれども、一区切りして新しい人生への第一歩と考えるべきでしょう。

伊能忠敬の偉業

 東京・深川の富岡八幡宮の鳥居をくぐると、左手に伊能忠敬の像があります。方位磁石を仕込んだ杖を片手に、第一歩を大きく踏み出す姿です。このとき忠敬55歳、今に当てはめれば定年退職後の65歳前後でしょうか。

 高齢者の仲間入りをして新たな挑戦を始め、古希で世界に飛び出したといった感じですね。第二の人生で日本全土を測量し、「伊能大図」なる後世に残る仕事を成し遂げています。

 家督を譲ってから天文や測地の勉強を始めたといいますから、範とすべき高い志と行動力ですね。

 広島市の団塊世代(昭和21年から23年生まれ)は、6万1087人。ともかく働きに働いて日本を支え、家族を守ってきました。定年でやれやれ一息したいところですが、それでは余りにもったいない。

 人生の大半を掛けて身に付けた知恵と経験を存分に発揮するとき至れりーと思いませんか。自分への見返りを求めるより、未来にどれだけ貢献出来るかが問われる世代。ともかく小さな一歩を踏み出すチャンス。

他人依存型社会との決別

 国や自治体にふんだんにお金がある時代は、行政サービスが実に行き届いていました。長い間、自分たちがなすべきことも、すべてお役所任せという意識が日本人には浸透しています。

 いつのまにか甘えの構造にどっぷり浸っていたのですね。行政は痒いところに手が行き届かなくなりました。ぼつぼつ他人依存型社会にお別れのときがやってきたようです。

 例えば自分たちの地域は行政に頼らず自分たちで良くしていく、そういう心構えで取り組みたいですね。

 私たちはささやかですが、1月3日から公園のトイレ磨きを始めました。いらざるお節介かも知れませんが、なにはともあれ小さな第一歩を歩み出しました。

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心が伝わる手書きの年賀状 2008.12

年賀状の歩み

 平成21年のお年玉付年賀はがきは39億5000万枚売り出されました。虚礼は廃止すべきなどの声もありますが、新年の伝統文化の継承としても年賀はがきは欠かせませんね。

 年賀はがきのルーツは明確ではありませんが、奈良時代には年始回りの行事があり、平安時代には貴族や公家などが遠方へ書状で送っていたようです。江戸時代になると飛脚が書状を運ぶようになりました。

 明治維新後の明治4年、郵便制度が確立しましたが、明治6年に郵便はがきを発行するようになると、年始のあいさつは簡潔に安価で送れる制度から、年賀状を送る習慣が急速に広まりました。明治20年頃には国民の間に、年始の行事として定着し始めたようです。

 このあたりが年賀状のルーツでしょうか。

パソコン全盛時代

 昭和24年にお年玉付年賀はがきが売り出され、大きな話題を呼び大ヒットしました。もともと年賀状は毛筆による手書きでしたが、昭和40年代から年賀状印刷が盛んになり、文字や絵柄が華やかに彩り始めました。

 平成14年にインクジェット紙が登場し、年賀状はパソコン全盛時代に入りました。専用ソフトウエアが安価に売り出され、現在では誰でも簡単に年賀状が作成できます。

 そのせいもあって現在では、年賀状の9割もがパソコンなどで作られています。それで年賀の心が伝わるかどうかは、疑問ですね。

 年賀状ははがきに書いて出すのが基本ですが、電子メールで送ったり、携帯電話で「おめでとうコール」をする若い人も増えています。便利な道具を否定しませんが、せめて年賀状くらいは手間を掛けて書いて心を届けてほしいですね。

 年賀状の楽しみの一つはお年玉ですが、年々豪華になっています。1等はデジタルハイビジョンテレビなど6点から選べ、3965本も当たります。

こだわりの年賀はがき

 私は頑固爺と揶揄されますが、年賀状だけは下手でも筆書きにしています。それも黒と朱の2色を使って表書、賀詞、寿(朱)、一言メッセージの4工程ですから時間が掛かります。

 しかも年が明けてから投函しますから、元旦には届きません。年内に書き終えて一月一日に届くのがいいのか、新年を迎えて賀状を書くのがいいのか、論が分かれるところです。

 ガンを患って以来、正月に生きていることを確認して書いています。万一あの世に旅立っていたらサマになりませんからね。

 せめて年賀状くらいは一文字一文字に心を込めて、健康で新しい年を迎えられた喜びを、恩ある人々に伝えたいのです。書かせていただく年賀状は600通。

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祝日には日章旗を掲げよう 2008.11

ブラジルで感動

 日本からもっとも遠い国ブラジルに移民が始まったのは明治41年、月日の過ぎるのは早いもので昨年百周年を迎えました。同国では多くの日本人が活躍し、今では3世、4世が懸命に頑張っています。

 日系人が中心になって進めている活動の一つに「ブラジルを美くしくする会(掃除活動)」があります。これまで活動の支援に3度も同国を訪問しましたが、日本人のDNAを受け継いだ日系人に出会い、たくさんの感動をいただきました。

 「ブラジルを美しくする会」の開会式に国旗が掲揚、国歌が吹奏されました。何とブラジルの青年たちは起立脱帽し、直立不動で国旗に注目するではありませんか。 驚きました。日本では見られない光景です。

国旗国家法

 国旗はその国を象徴し尊厳を表すものとして、大切に扱われることが多い。

 わが国では平成11年8月13日、短い国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)が制定されました。

 第一条 国旗は日章旗とする。

 第二条 国歌は君が代とする。

 当時の小渕恵三総理は、義務付けは行なわない、強制しない、国民の間に自然に定着させるもの- と国会で答弁しました。祝日に日章旗を掲揚するもよし、しなくてもお咎めなしです。

 東京都教育委員会には厳しい通達が学校側に出され、それぞれの立場で物議を醸しています。

 わが国には「国民の祝日に関する法律」で「国民の祝日」を定めていますが、その趣旨は「自由と平和を求める日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築き上げるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日を定めるとあります。

 せめて祝日くらいは日章旗を掲げ、国民はこぞってお祝いしたいものですね。 

日の丸に誇りを

 最近では祝日であっても、家々に日章旗を見ることは滅多にありません。若い人たちの認識は、祝日は単なる休日で日章旗とは結び付かないそうです。

 日章旗は日本の国旗として、全世界の国々から認められています。オリンピックの代表選手は日の丸を背負って戦い、多くの国民に感動と勇気をプレゼントしています。

 国旗には、その国の思想や伝統的な文化、民族の使命などが表現されています。どこの国旗でも軽々しく扱っていいはずはありません。

 あれこれ言い分はあると思いますが、日本国民として祝日くらいは、日の丸にも心を寄せて素直に掲げたいですね。

 ちなみに私は2001年の敬宮愛子さまの誕生以来、祝日には日章旗を欠かさず掲揚しています。

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さわやかな朝のために 2008.10

日本を美しくする会

 いま、日本の国は精神的に病んでいます。しかし、私たちの血には、かつて貧しくとも素晴らしい美徳を備え、穏やかな生き方をしてきた日本人の心がDNAとして流れています。

 そのDNAは「トイレ掃除を通じて、世の中から心の荒みをなくしていきたい」との思いでスタートをした「日本を美しくする会」活動の根底をなすものです。

 この活動は平成5年に始まり、国内47都道府県はおろか、中国、台湾、米国、ブラジルまで、燎原の火のごとく広まっています。

 現在では127の団体が、全国至るところで掃除活動を展開中です。

国民運動の提唱

 もし日本中の人が毎朝一斉に掃除をしたなら、日本中に心地よい風が吹き、穏やかな一日が始まるのではないでしょうか。

 9月14~15日の2日間、京都で開催された『日本を美しくする会・全国大会』で【日本を掃除しよう】との宣言が採択され「日本中の家族、地域、学校、職場で、毎朝丁寧な掃除を行い、身の回りを美しくしてから一日を始める」という行動指針が示されました。
 具体的には、
①すべては一人かち始まります。まず自分から始めましょう。
②あなたの回りから仲間を増やしていきましょう。
③世代を超えて子供、孫たちに掃除の素晴らしさを伝えましょう。
④一人の百歩より百人の一歩、みんなで日本を良くしていきましょう。

やさしくない掃除活動

 一人で始めることは難しくありません。一人が百歩歩るくことも、その気になれば容易に実践できます。

 しかし、儲け話ならともかく、誰もが嫌がる掃除など、何の見返りもない活動に振り向く人は限られています。ミーイズムが蔓延する世の中、日本を掃除する国民運動は前途多難です。

 でも、不可能ではありません。日本人のDNAを信じて、ひたむきに続けていれば、いつかは運動が成功すると確信しています。

 これまで10数年、ささやかな掃除活動として進めてきましたが、これからは心を新たに、国民連動として実践していきます。

身近な公園のトイレから

 今年の夏から地域内の公園トイレを少しずつ磨いてきましたが、10月から掃除用具を本格的にそろえ、隔週で予行演習を始めました。

 第一公園では地域内の椋田さんが参加され、水垢と尿石で汚れた小便器を素手でピカピカにされました。心強く思いました。

 来年から毎週土曜日午前7時から実施。1月3日からスタートします。よろしくご支援ください。

 

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さわやかな朝のために

10年続いたJR駅の清掃 2008.9

トイレが使えない

 平成10年の年末、地域内のJR駅をきれいにしようと決心しました。動機はきわめて単純。「駅のトイレは汚くて使えない」という利用者の不満が、窓越しに聞こえてきたからです。

 地域内には芸備線が走っており、安芸矢口、玖村、下深川、中深川、上深川、狩留家と6つの駅があります。そのうち駅長が常駐する安芸矢口と下深川は、比較的きれいです。

 問題は4つの無人駅。信じられないと思いますが、政令指定都市の広島市にも、汲み取り便所が現存しているのです。管理者のいない駅の便所の汚れは、想像を絶するひどさでした。

もうすぐ10周年に

 毎週土曜日、6つの駅をローテーションできれいにしようと決めました。

 平成11年1月2日、運悪く積雪20cmの寒い朝で厳しいスタートでした。

 掃除は一番電車が到着するまでに終了。そうしないと利用されるお客さまに迷惑が掛かります。

 そのためには午前4時半掃除開始、遅くとも6時前に終わらねばなりません。

 1時間半でトイレ、ホーム、待合室、駅前広場の清掃、線路のゴミ拾い、自転車置場の整理整頓が必要。

 幸い社長、有志6~7名の協力で、今年の年末には連続500週、10周年を迎えます。土曜日はお正月でもお盆でも巡ってきます。豪雨の日も極寒の朝もあります。それでも休まなかったのは何故だろうか– 正直言ってよく分かりません。

「きれい!」が後押し?

 駅の管理責任は「JR西日本」にあります。私たちの清掃括動が、要らぬお節介だという指摘もありました。それでも続けられたのは、利用客の「きれい!」の一言でしょうか。

 トイレの悪臭はなくなりました。ほんのひとときですが、チリひとつないきれいな駅が実現しました。線路の吸い殻や空き缶もゼロにはなりませんが、目に見えて少なくなりました。

 いつのまにか放置自転車は影をひそめ、バイクなども整然と並べられるようになりました。きれいにすれば、見る人の心が美しくなり、行いまで変わることを知ったのは大きな収穫です。

新たな実践へ

 少し名残り惜しい気もしますが、10年を機にJR駅の掃除はひと区切りとします。いつまでも大切に使われるよう願っています。

 地域活性化のために、新しい実践を検討しています。残念ながら少ない人数の零細企業ですから、さしたる活動はできませんが、少しでもお役に立てれば…。

 やはりお掃除? 行政や地域力の行き届きにくい公園の美化などに、新しいやり甲斐を見付けます。

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10年続いたJR駅の清掃

強く願えば叶うもの 2008.8

不安いっぱいのスタート

 平成15年の冬、胃癌の手術で闘病中に「親子農業体験塾」の構想を練り、スタートすることを決めました。自分の命が定まらない内に始める無謀さに、家族たちは呆れ返り反対。多くの人に迷惑掛ける― と。

 塾生は集まらず、支援体勢も定まっていないときだけに、反対するのは当たり前です。それでも頑固一徹の執念で「まず決断、条件はそれから整える」と生意気を言って押し切りました。

 実際にあれこれ条件を考えていたのでは、結局何もできないまま頓挫するのが関の山です。無謀と言われようが、ともかく一歩踏み出す―それが大切です。

ホームスティ

 幸い難しいと思われた条件も整い、手探りながらスタート。欲を捨て損得を超えれば、新しい世界が手を広げて待っています。

 農場管理や施設の整備など、ふるさとの支援者たちがすべて無償で協力してくれました。基本の費用は塾生家族が負担、行政の経済的支援を受けないで何とか運営が可能に。

 屁理屈をこねないでまず実践、そうすれば道が開けると学びました。

 3年目から欲が出て、塾生たちに農家の暮らしを体験させたいと「ホームスティ」を企画。強く願えば叶うもの。支援者に迷惑を掛けながらも実現。塾生たちは戸惑いながらも、嬉々として親とはなれた農家の暮らしを体験。自然の不思議さに驚きがいっぱい。

親も知らない子供の成長

 自然体験や農業体験はグループごとに、リーダーの指揮により活動を展開。大自然に包まれているせいか、やんちゃ坊主たちも思いがけず素直になります。

 どちらかと言えば便利には遠い不自由な世界。大きい子供は寛容になり、小さい子供をいたわる。小さい子供は言い付けを守りながら、小さな世界で社会規範をしっかり学びます。

 ホームスティ先では迷惑を掛けないように、自然にわがままがか影をひそめる。細やかな体験を通して、机の上では得られない貴重な習慣を身につけていきます。

 目を見張るような子供たちの成長ぶりを、きっと親は信じられないでしょうね。

三世代が溶け合って

 過疎地の集落は、小さな塾生たち、若い保護者、世話役の高齢者の三世代が溶け合って賑わいます。損得を越えた世界で、新しい体験を重ねます。

 核家族の多い世の中、別次元のふれあいを至るところで創出。殺伐な今の社会では考えられない、穏やかな世界です。

 小さな実践が生み出した子育て教育環境が、自然を舞台に花開きました。

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強く願えば叶うもの

K教師の勇気ある第一歩 2008.7

通学路清掃の意味

 毎週水曜日の午前七時半から、地域内小学校の通学路清掃を始めて10年が経過。始業前の1時間を社員に提供してもらっての活動だけに、無理強いもしましたがよくぞ頑張ってくれたと感謝でいっぱいです。

 口田小、口田東小、落合小、落合東小、倉掛小、真亀小、亀崎小の7校ローテーションですから、7週間に一度の割合になります。

 人間はきれいなものを見れば、心が美しくなると教えられました。通学路を清掃し、元気いっぱいのあいさつを続ければ、きっと勉強にも良い影響が表れると期待しての活動でした。

現実は厳しい

 7週間に一度では物足りなく、何とか毎週7校の通学路清掃を模索しました。
隔月に発行している情報誌「フォーラム」に2ヵ月分の予定を掲載し、案内を続けました。一つの学区から5~6名参加してくだされば、簡単に実現します。

 地域の高齢者、それに教師や保護者も関心を持ってくださるのですが、実践の一歩を踏み出すには勇気が必要です。「えいやー」と小さな垣根を飛び越えれば簡単なのですが、複雑な人間社会ですから摩擦が生じ ないとも限りません。

 正直言って「もう止めよう」と思った日もあります。

 今日まで続けられたのは、掃除で出会う子供たちの笑顔と、明るい元気なあいさつです。ともすれば萎えそうになる気持ちを支えてくれたのは可愛い子供たち。

とうとう感動の日が…

 7月の第2水曜日、地域内にある小学校の正門付近で清掃朝礼を始める寸前、若いK教師が自前の竹ぼうき持参で前触れなく参加。

 Tシャツに短パン、それにウォーキングシューズ姿で、明るく「おはようございます!」のあいさつ。まさに10年間待ちに待った一瞬でした。慣れない掃除フォームで40分間、汗を流して頑張られました。

 登校してきた子供たちから質問を浴びせられながら、真面目な顔で「掃除は楽しいよ」と答えられておられました。たかが掃除ですが、子供たちはK先生に心からの尊敬の念を抱いたのではないでしょうか。

掃除が教師と生徒を結ぶ

 子供たちに囲まれて、にこにこしているK先生の周りから、目に見えない強いオーラを感じました。きっと子供たちも一時限目から、集中して授業に参加したことでしょう。

 顔馴染みの子供がいたので感想を聞くと「自分から掃除するなんてすごいよ!と嬉しそうな返事。小さな波紋ですが、大きな輪になりそうな予感がしています。

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K教師の勇気ある第一歩 

新しい交流のスタイル 2008.6

高齢者時代の到来

 最近の人口動態調査によると、後期高齢者の割合は10人に1人とか。2050年には、日本の人口は9000万人を割り、2.5人に1人が後期高齢者で、世界に類のない長寿国になります。

 凡人には想像も及ばぬ社会に変化しますが、それだけに高齢者の役割は一段と重要になります。できれば後42年ほど長生きして、日本国の変わり様を自分の目で確かめたいですね。

 間違いなく現在の社会保障制度は崩壊し、物の時代から心の時代に移行すると思います。かつて祖先が経験した険しい暮らしの日々が待っていると思います。

生き方が問われる

 長寿社会でどんな役割を担えばいいのか、定かではありませんが、現在、蔓延しているようなミーイズム(モラルを破壊する利己主義)は通用しないでしょう。

 確かな根拠はありませんが、新しい時代の到来に漠然とした不安を感じています。小さなきっかけがあって『心豊かに生きる・人生講座』を地域の熟年世代に呼び掛けました。

 幸いにも共感して下さる方が応募していただき、1クラス6名で2クラスをスタートしました。講座と称しても誰かの話を聞くというスタイルではなく、参加者の人生経験から学びあう形式で進めています。

 アットホームな雰囲気で賑やかにおしゃべりしながら、メンバー同士がお互いに生き方を反省・自戒しつつ楽しんでいます。

農村の高齢者と交流

 1期は10回講座で終了ですが、最終回は安佐北区白木町志路の『癒しの郷』で、農作業や昼食作りをしながら≪都市と農村の交流≫の真似事を企画しています。

 疑似体験程度の内容ですが、畑で季節の野菜を収穫しておかずを作ります。ご飯は山で枯れ木を集め、鋳物の釜で炊きます。文明の恩恵を受けない不自由な体験の中から、想定外の新しいスタイルの交流が生まれるのではないでしょうか。

 現地は田畑や遊歩道、整備された竹林、手作りの公園などで、約5000坪の広さがある自然が舞台です。

地域活性化のモデルに?

 都市の団地などでは、考えられないほど過疎化が進んでいます。中山間地域では限界集落が増加し、暮らしの維持が困難になりつつあります。更に少子化が将来を不安にさせます。

 こうした現状を考えるとき、地域の活性化はどうしても高齢者が主役にならざるを得ません。誰かが何とかしてくれる時代ではなくなりました。自らの力による自立が求められます。

 ささやかなモデルが歩き始めました。ご支援下さい。

 

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新しい交流のスタイル

履物をそろえる 2008.5

校風を語る

 少子化社会への変化にともなって近年は若手社員の採用がままならず、零細企業としては戦力増強に難渋しています。
 幸い今年は女子社員の採用に成功。残念ながら男子社員は、合格点に届かず断念しました。
 入社式から10日ほど過ぎると、採用のお礼と来年のお願いを兼ねて、出身大学を訪問します。
 担当ゼミの教授室が体育館にあり入り口を通ったとき、数10足の履物が美しく揃っているのを目撃し、びっくりしました。
 たかが履物に過ぎませんが、この光景は大学の校風を見事に表現しています。

道元禅師の教え

 曹洞宗の開祖である道元禅師は、仏道の修行として 「まず履物を揃えることから始めよ」と教えられています。
日本人の書いた最高の哲学書として評価の高い「正法眼蔵」でも言及しておられます。
 長野市内にある曹洞宗・円福寺の藤本幸邦老師が作られた「はきものがそろうとこころもそろう」の詩は多くの人に愛されています。
 家族全員が自ら気付いて自分で履物が揃えられるようになるまで、黙って揃え続けるようにーと、老師は私を諭されました。
 その通り実践しましたが、全員が自分の履物を自分で揃えるまでには、数年の時が必要でした。

創設者の姿

安佐北区内にある大学の創設者は「心を育て、人を育てる」と想い続け、後継者は守っているそうです。
 もしかしたら学生たちの履物が揃うようになるまで、黙々と自分が直し続けられたのではないでしょうか。
 企業に社風があるように、家庭には家風、学校には校風があります。
 いずれも一朝一夕に築かれるほど容易ではありません。長い歳月を重ねて生まれるものでしょう。
 何事も始めは小さな行いに過ぎませんが、続けていればやがて偉大な伝統として姿を表します。

無形の鏡・無言の表現

「お掃除は学校を語る無言の表現であり、生徒を映す無形鏡である」と言われます。『お掃除』を『履物』に、『学校』を『家庭』に、『生徒』を『家族』に置き換えるとどうでしょう。
 「履物は家庭を語る無言の表現であり、家族を映す無形の鏡である」となります。
 辞去してあらためて辺りを見回したところ、校舎や校庭の隅々まで掃除も行き届いていました。
自転車も行儀よく並び、学生のあいさつも明るく元気がいい。
 創設者の銅像もやさしく微笑んでいました。

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履物をそろえる

掃除は素晴らしい

テーマを新しく

スーパーやホームセンターに行くと、掃除用具の種類が多いことに驚きます。なかにはどうやって使ったらいいのか分からない新兵器も並んでいます。

日本人は掃除好きな人が多いのかな? と思わせますが、事実は少々違うようです。毎日わが家の掃除には勤勉でも、意外にも公共の場所は無関心ですね。むしろきれいにするというより、汚す人が多いのが現実です。ちょっと寂しい。

タイトルの「小さな実践の一歩から」は、わが生涯の師と仰ぐ鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)の教えです。誰でも出来る善い行いを、少しずつ毎日続けなさいと教わりました。

ごみを捨てない人に

世の中には「ごみを捨てる人」「ゴミを捨てない人」「ゴミを拾う人」の3種類の人がいます。

ゴミを捨てる人が多ければ、町は汚れ放題。捨てない人が多くなれば、少なくとも汚くはなりません。拾う人が多い町はいつもきれいで、暮らす人の心も穏やかです。

残念ながち世の中はミーイズム(モラルを破壊する自己主義者)が蔓延し、人の心も荒んでいます。

政治家や官僚たちの無責任な行いは、世の中に醜悪なゴミを捨て続けているのと同じです。さして役に立たなくてもいいから、悪いことだけはしてほしくないと願っています。

竹ぼうきは素晴らしい

いつの時代に考案されたのか定かではありませんが、とてもシンプルな掃除用具です。安価で使い易く機能的で、隅々まできれいにしてくれます。その上、心のなかまで爽やかにしてくれますから、一度使い始めると病み付きになります。

私の一日は竹ぼうきで歩道を掃くことからスタートします。お正月も日曜日も休むことはありません。20年も続けていると「箒だこ」が、左右の親指の根元と、両方の手のひらにできます。「ゴルフだこ」と同じように堅くなるのです。

掃除の神様から勲章をいただいた気分です。

正しいフォームでお掃除を

竹ぼうきを使うにはスポーツと同じよに、フォームがしっかりしていないと成果が上がりません。見られて美しく、素早く、疲れを最小限に掃くには、まず基礎になるフォームの訓練が必要です。

まず脇をしっかり締める、軽く指先で操り遠心力を最大限に活用します。しかも足を止めないで掃いていきます。身体の動きのすべてが一つになったとき、最大の効果が発揮できます。

たかが掃除ですが、用具の使い方は意外に難しいのです。せめて休日の朝くらいは、竹ぼうきを使って門前清掃を始めてみませんか。

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掃除は素晴らしい