続・世相藪睨み

No.13 ~局観を欠いたばらまき農政が限界集落を疲弊させ続ける~ 

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痩せ衰えた神鹿に涙

 春燦漫の4月3日、久し振りに安芸の宮島を訪れた。今年は天候に恵まれて桜は満開、多くの観光客が小さな島を埋め尽くした。「志ネットワーク・青年塾」第13期生の入塾式が行われる宮島商工会館に向かう途中、いくつかの公園に立ち寄ったが小さな異変に気が付いた。シカの糞が小豆粒ほど小さく、まばらなのだ。宮島に渡った時、観光客に群れるシカの頭数が、以前より激減していることに違和感を持った。数や糞だけではない。周辺の住宅には網が張られている。ごみ箱にまでネットで覆われていた。増え続けるシカの被害に悲鳴を上げた町民の訴えに、広島県と廿日市市が責任の所在で論議していた。詳しい経緯は分からないが、町あげてのシカ追放運動にまで発展したようだ。シカの餌を販売禁止し、町民の防御も堅くした。シカの数が減るはずである。しかも痩せこけていた。食べ物もままならないから、胃腸の機能も自然に衰える。糞が小さくなって当然。

 しかし、人間の仕打ちは酷い。かつてはシカを神の使いとしてもてはやし、観光資源にも散々利用し、被害が広がると自然に戻れーと追放する。人間の都合で自力で生きる能力を奪っておきながら、いまさらそれはないだろうーというシカたちの恨み辛みが聞こえてくるようだ。

 若者に日本の将来を支えて欲しいと強く願った上甲晃さん(松下政経塾・元塾長)は、平成9年4月「志ネットワーク・青年塾」を立ち上げられた。今年13年目にもなるが、地方で初めての入塾式が安芸の宮島で開かれた。上甲さんの「塾長記念講話」に続いて、光栄にも地元としてメッセージの機会を与えられた。

 衰退の一途をたどる日本の農業と、宮島のシカの現状は余りにも酷似していると若者たちに伝えたかった。

政治にもてあそばれ続けた農業

 青年塾で学んだ穀倉地帯の若者たちは、上甲さんの「21世紀は農業の時代だ!」の檄を信じてUターンした。石川県金沢市の林浩陽さんは第一期生でその一人だ。現在は農業法人の経営者として、34ヘクタールの水田で稲作に取り組む。

 林さんは農業補助金をモルヒネだと喝破している。その正体は何か。魚が釣れないからといって、国のお金で魚屋さんで魚を買うのと同じ。働かなくても生きていけるなら、農法の改革もしないし、手間の掛かる品種改良に取り組まないーと。

 父親の教えがすごい。「絶対に補助金はもらうな!」父親の存在が米作りを成功させた。自力で生きる道を探し当てた。日本の農業を再生させる格好のモデルと言えよう。

 総選挙が近いせいか、農政の改革が声高に語られるようになった。各党が掲げる政策の大半は、農業そのものを弱体化させる選挙日当てのばらまきでしかない。与党の自民党も政権交代を目指す民主党も、その他の小政党もマニフェストは似たり寄ったりである。国策として日本農業の未来像は語られない。補助金のメニューを増やしたり、上乗せしないと一票に繋がらないからだろう。目先の支援を求める選挙民にも問題があるかもしれない。

 しかし、大規模農家はともかく、小規模農家は補助金なくして生きられなくなっている。つまり補助金を与えられ続けて、自らが生きる力を失ったのだ。長い間国会議員たちは、当選する目的だけのために農業や農民を操ってきた。そこには国家百年の大計などは、かけらほども見ることができない。暗愚な政治家に国の行く末を任せ切ると、日本も農業も沈む。

ふるさと再生を夢見るが…

 わがふるさとではシカが繁殖して農作物を荒らし、甚大な被害を与えるばかりか、防護のための莫大な出費を余儀なくされている。シカたちの糞は宮島のそれに比べて数倍も大きく、しかも大量である。自力で生きるシカから農作物荒らしは生存権の主張であり、領域を犯した人間との戦いだというメッセージが聞こえてくる。人間が乱開発した国土では、彼らとの共生は夢物語…。増え続けるシカなどの害獣と、減り続ける農民との熾烈な戟争である。自分の力で生きるシカは手強い。

 ふるさとは戦後60数年を経た現在、2000余人の住民が634人に減り、今もなお減り続けている。高齢者率は47%を超え、若年人口(15歳未満)は5%にも満たない。労働人口はすべて兼業で、専業者はゼロである。「限界集落」を超えて「消滅集落」へ一直線に進む。

 石破茂農水相は「中山間地域の小さな農業も大切だ」「減反見直しは正直者がばかをみないカタチを…」というが、補助金などのばらまき政策は、まったく役に立たない地域がある事実を知ってほしい。残念ながら、国会議員が欲しがっている票は数百票しかない。だが、同じ国で生きている日本人だ。

 石破さんは国会議員のなかにあっては、数少ないほんもの政治家だと認識している。ばらまき補助金以外で「限界集落」再生の妙手はないものか、票にはならないかも知れないが、高齢者の生き甲斐、過疎の活性化に役立つ政策を掲げて欲しいものだ。このまま弱小農家が消え続ける現状を放置するのは、政治の機能不全ではないか。経済の再生は不可欠だが、人の命は何よりも重い。

過疎を置き去りにした行政

 GW期間中の高速道路は、30回以上の渋滞が前年の約2倍で58回を数えたという。「休日割引」や「定額給付金」の効果もあって、一時的には各地に活況を呈した。交通渋滞は二酸化炭素を撒き散らす。地球温暖化対策の一環として二酸化炭素削減に「真剣に取り組んでいる」と政府は言うが、やっていることと言っていることの乖離が大き過ぎる。

 戦後、食料の確保や農業の発展のためと称して、国・地方自治体が使った税金は80兆円を超える。残ったのは荒れ果てた休耕田の真ん中を貫く立派な道路と、人影のない無数の公共建物だけである。農家戸数は280万戸に激減し、専業農家はその一割にも満たないのが実情である。瑞穂の国はなぜここまで崩壊したのか。諸悪の根源は無差別に補助金をばらまいた農政と、それに群がった卑しい族議員たちの愚にある。

 いまさら悔いてもはじまらないが、衆議院の予算委員会のやり取りを聞いていると、まだ懲りずに道路や箱物を作ろうと議員は躍起だ。彼らに一票を投じた有権者として、安易な己の行為を恥じている。

 連休中にもかかわらず、ふるさとの高齢者たちは田植えの準備に余念がない。まるで別世界の光景である。国会議員らが赤絨毯の上を闊歩するのは構わないが、時には限界集落の畔道を歩いてほしいと願う。農業の現実がよく見える。その中から真の農政が生まれる。選挙中のどぶ板作戦も結構だが、人口の密集した都会にとどまらず、人影が疎らな荒れ果てた農村に足を運ぶのも政治家の大切な役割だ。そこにも人は生きている。生殺与奪の権限は、政治家が握っていることを忘れて欲しくない。  (青年塾のメッセージを加筆・補正)