世相藪睨み

No.16 ~由々しき『ゆとり教育』~

姿由々しき『ゆとり教育』

言葉を持たない若者たち

今に始まったことではないにしても、特に最近は若者との会話が難しくなったように思う。この風潮を、世代間のギャップだろうと考えていたが、そればかりではないようだ。

会議の席でも若者らは実に言葉がシンプルだ。問い掛けても「はい」「いいえ」程度で、具体的な言葉が返ってこない。甚だしいときには口も開かない。うなずいたり、首を振ったりして事を済ませてしまう。

こうした現象を、私は言語概念化能力の不足だろうと思い込んでいた。つまり頭の中に考えはあっても、それを言葉にして表現する能力が欠けているのだと思っていたのだ。

ところが、それは私の認識不足で、「もしかしたら最近の若者は、言葉のストックがないのではないか」と実感するようになった。

そう思ったきっかけは、ソルトレークシティー冬季五輪で話す日本選手のインタビュー応答ぶり…。むろんテレビの映像で浮き彫りにされたから、誰もが知っている。

大リーグのイチロー選手や、マラソンの高橋尚子選手のように、人生観やスポーツ観に裏打ちされた見事な言葉を、ついに聴くことはできなかった。その代わり、大仰なパフォーマンスや溢れんばかりの笑顔を、ふんだんに見せてくれた。

同じ大リーグとはいえ、新庄剛志選手の場合、イチロー選手と違って、話す日本語が文章にならない。

『ゆとり教育』は弊害だらけ?

2002年4月から「個性尊重」とやらの『ゆとり教育』が始まる。学歴偏重社会を背景に、行き過ぎた詰め込み教育に対する反省から生まれた『ゆとり教育』ではあっても、数学や国語などの主要教科を一律に削減することには、納得できかねる。

学校は週五日制になって、学習内容が三割も削減されてしまい、これでは学力低下も免れないが、本当に大丈夫なのか…?

学習内容を削れば、ゆとりが生まれる―という発想では短絡にすぎよう。指導方針の定まらない「総合的な学習の時間」が、学力低下にさらに追い打ちをかける。

たまりかねた遠山敦子文部科学相は、ゆとりよりも学力重視をうたった「学びのすすめ」を打ち出して頑張っているようにも見える。

『ゆとり教育』を基本にして、学力アップを図る、対応は現場の判断による―としている。けれども、現場の教師の能力と熱意はどれほどのものなのか? 大いに心配である。

前述したように、今でさえ言葉を持たない若者が氾濫しているというのに、それすら正さず、なお助長しかねない『ゆとり教育』。その現実は弊害だらけといえるのではないか。

放課後や家庭での学習を、授業の補完と位置付けてはいるが、誰が、どのように教えていくのだろうか。この点も定かではない。

新学習指導要領の『ゆとり教育』が、遠山文科相の提言で、逆にゆとりを奪われかねないのは、何とも皮肉な巡り合わせといえるだろう。

もっともっと勉強させよう!

我が社の若い社員たちは、学生時代に受けた当時の<ゆとり教育>のツケを、仕事の現場で支払っている。辛い日々を送っている。

『ゆとり教育』は、単に子供の知識不足を招くばかりでなく、学ぶための力・意欲さえも奪うだろう。何とかならないものか…?

それを避けるためにも、読み・書き・そろばん、道徳教育にしっかり取り組むべきだ。

始業前も放課後も勉強させよ!本を読ませよ!家庭では厳しくしつけよ!大人が範を示して、勤勉を身に付けさせよ!

時代がどのように変わろうと、勤勉に勝る教材・良薬はないはずだ。

(2002年4月号掲載)