続・世相藪睨み

No.18 ~親が役立たずのぼんくらでも子がしっかり役割を果たすニッポン ~

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”親が役立たずのぼんくらでも子がしっかり役割を果たすニッポン ”

お辞儀で分かる菅首相の本気度

新入社員研修の基本部分を「経営理念」から「職場のエチケット」まで8講に分けて行った。真意がうまく伝わらず歯がゆい部分もたくさんあるが、いまどきは上から下までそんなものだと割り切っている。だが、お辞儀の仕方などは「言って聞かせる」では足りない。お詫びのお辞儀は「太ももに置いた掌が、膝を過ぎるまでの角度」とやってみせる。

 テレビニュースで村井嘉弘・宮城県知事が、菅直人首相を総理官邸に訪問したと報じられた。言うまでもなく東日本大震災の対応にもたもたしている国の責任を問い、復興の具体的な施策を迅速にして欲しいという陳情であろう。映像を見て驚いた。同席した枝野幸男官房長官、松本龍防災担当大臣は、低頭する村井さんを無視するかのように無表情で突っ立ったまま。菅首相はちょこんと頭を下げ握手した。

 低頭すべきは原子力発電所事故などの対応にミスにミスを重ね、被災者に塗炭の苦しみを与えている菅直人ではないか。土下座してお詫びしてもおかしくない。官房長官や防災担当大臣の所作は、日本人として恥ずかしい。翌日の朝刊で確かめた。村井知事の頭のてっぺんは、菅首相の顎の下にある。お辞儀には語らずして本気度が見える。レベルは表情と所作が裏付ける。

 研修では菅首相のお辞儀を悪い見本として伝え、われわれはあのような無礼なお辞儀をお客様にしてはならないと戒めた。口先だけなら何とでも言える。あの態度を見る限り、今さらの『復興構想会議』などはパフォーマンスでしかない。会議の乱立や人事の乱発、船頭多くして日本丸を何処へ案内しようというのか。

「吉里吉里人」の誇り

 悲劇の三月十一日から一ヶ月が過ぎた。まだ震災は進行中であり、復興への見通しは立っていない。未曾有の大惨事に見舞われながら、菅内閣をはじめ与野党の国会議員は己の役割を果たしていない。『国会は、国民に選ばれた代表者が、国民のためにさまざまなことを決めていく大切なところ』と教わっている。

 関東大震災では一ヶ月で復興予算と組織が決まった。関西大震災でも一ヶ月で必要な法律を十一本成立させた。東日本大震災では、まだ第一次補正予算案が国会に上程されていない。緊急の法律も手付かずのまま。国会が開かれているのかどうかもはっきりしない。国会議員のバッヂを付けていない『復興構想会議』の議長が、『復興税導入』をぶち上げた。

 こんな体たらくの行政を待っていたらいつまでたっても復旧しないとばかり、住民の手で瓦礫を片付け、コンビニの協力で飢えを凌いだ。災害用の発電機を使い医療用の電源も確保。中学校の校庭にライン引きで『H』を書いて自衛隊のヘリコプターを誘導した。重症者や透析患者らを順次搬送してもらった。「独立精神」で支えあいながら、避難生活を送っている地域がある。

 故井上ひさし著「吉き里り吉き里り人」の発刊を機に町おこしをして注目された岩手県大槌町の東三㌔の地にある吉里吉里地区。小説は東北地方の寒村が政府から分離独立する物語である。今回の震災でも翌日には対策本部を立ち上げ、役割分担も細かく決められたとう。政府が役立たずだと優れた地域王国が生まれる。明日にでも被災者が希望を持てるよなメッセージを発しないと菅内閣には天罰が下される。

新しいトップは秋葉市政にノー

 三期十二年もの長い間、広島市長の座にあった秋葉忠利さんが、市民を馬鹿にしたようにあいさつもしないで引退した。新しく市長の座に着いたのは松井一実氏。広島市中区出身の厚生労働省の官僚だが、立ち遅れのスタートを自民党と公明党の推薦で楽々クリアーした。

 前市長が後継に名指した副市長は、予想外に脆かった。事実上の一騎打ちを演じる与野党対決の構図だったが、投票終了と同時に松井氏の当確が報じられた。三期も勤めれば名物市長も飽きられる。後継指名などおこがましかったのか、凋落著しい民主党推薦が災いしたか。担がれた前副市長には気の毒だった。

 松井さんは『これまでの市政がなし得なかった議会との対話に努め、市民の声をお聞きする。広島を良くし、日本の元気を取り戻したい』とにこやかに当選の弁を述べた。議会とは、三期にわたって対立し続けた。そのことが市民にとって良かったのか悪かったのか判定できないが、政策のことごとくが停滞した。

 天から啓示を得たかのように、ある日突然、前市長はオリンピックの招致運動を始めた。多くの反対はあったが聞く耳持たず猪突猛進。新市長は公約どおり招致運動中止で一件落着。費用がいくら掛かったのか分からないが、どぶに捨てたようなもの。一部開催も否定しての完全撤退で一安心。ごたごたしていた広島西飛行場も、知事とうまく解決しそう。

 広島市民球場跡地の再開発では折鶴は保存しないと言明。「若者中心の賑わいの場にする」と方針変換を打ち出した。新しい広島市は「出かける平和から迎える平和へ」と大きく転換する。世界のヒロシマと著名になるだけでは、街の活性化にはつながりにくい。平和都市であって欲しいが、祈るだけで街は元気にならない。新市長の基本方針に賛成。

頼りない身近な先生、正体見えず

 市長選と同日に市議選、県議選も投開票が行われた。掃除仲間からは何を基準に投票すればよいかと聞かれ「菅直人が率いる民主党の公認・推薦以外の候補者」と返事した。選挙公報は発行されず、おかしな自粛ムードで個人演説会も開かれなかった。選挙期間中は事務所前で手を振るか、あいさつと個人名の連呼だけで騒々しく過ぎた。意外な人が当選し、当確と思われた人が落選した。その差は何なのか。

 候補者の選挙はがきには、地域の絆を復活、子どもの教育、過疎地の活性化、高齢者の生き甲斐、農業の振興など公約として掲げていた。一人くらいは市民のことを考える議員がいてもよさそうなものだが、彼らは何も勉強する気がないし、現地を見る力もない。支持者の陳情を役所に取次ぎしたり、地域のイベントに参加して手を振る程度の役割。これで年俸千四百万円とは勿体ない。

 役に立たないようでも役所では幅を利かす。職員は先生の顔を見ながら仕事をする。結果として議員を出していない集落が、行政から公平に扱われることはない。「村おこし・町おこし」と御託を並べるが、残念ながら過疎地の活性化などには一円の税金も回ってはこない。議員の知らないところで、集落は静かに一つずつ消えてゆく。