世相藪睨み

No.2 ~手作り弁当を見直す~

手作り弁当を見直す

 

街角のコンビ二風景

 まだ夜も明けきらない朝六時半ごろ、街角にあるコンビニの駐車場に、トラックが次から次へと乗り入れている。

 そしてドライバーらはコンビニのドアを開ける。やがて、作業服に身を包んだ屈強な男たちが、ポリ袋を提げて早足に出てくる。いずれもポリ袋の中身は弁当である。一段落して、次の賑わいとなるのが午前七時半ごろ。この時間帯の主役は高校生たち。パンをかじりながらソフトドリンクを飲む。これは彼らにとって朝食代わりとなる。

 正午前後になると、サラリーマン、職人、勤め中らしき主婦たちでコンビニ前に行列ができる。もちろん昼弁当を求めている。

 下校時になると、もう一度、高校生らが、それに中学生らもコンビニに姿を現す。この時の目的はイロイロで、間食が主役となる。

 これらの風景は、日本全国の至る所で見掛ける日常茶飯事のひとこまになってしまった。妻や母らはどうしているのか。

 

喜ぶべきか、憂うべきか

 2000年2月の決算で、セブンイレブン・ジャパンは、ダイエーから売上高日本一の座を奪った。百貨店のそごう、スーパーのダイエー、マイカルなどは、厳しい不況風にさらされて店舗撤退も相次いでいる。

 にも拘わらず、コンビニ各社は出店を続け、売り上げを伸ばし勢いを増してきている。

 アナリストたちは、5年後もセブンイレブンが小売業のトップに君臨するだろうと予測する。あるアナリストは、ベスト5のうち3社までもコンビニが占めると言う。

 ますます暮らしは便利になり、冒頭で点描した風景は、増えこそすれ減ることはない。この現象を喜ぶべきか、それとも憂うべきか。

 便利に暮らすことが、人生の最大の目的であれば、それも良し。そうでなければ、この現象はあまりにも悲しいではないか…。

 

手作り弁当は単なる郷愁か

 私は、手作り弁当派である。中学生の時から現在まで、必要ならば一日たりとも手作りの弁当を欠かしたことがない。家庭を持って四十年、弁当作りは常に妻の役割である。

 数多くの人がコンビニで弁当を調達するのには、それなりの事情もあろう。

 しかし、どんな事情があっても、″戦場に赴く″一家の大黒柱に、コンビニの袋を持たせるようでは、妻たるものの資格が問われる。

 ましてや、かわいい子供たちにパンと牛乳で、しかも大切な朝食を立ち食いなんぞで済まさせて良いはずはなかろう。

 弁当に限らず、外食しないことを誇りとする我が家の習慣を、「時代錯誤だ」と冷やかす友もある。「単なる郷愁にすぎない」と軽んずる人もいる。果たして、そうだろうか…。

 

感謝の心を育てる

 私は、我が社の社員にも手作り弁当の持参を勧めている。一家の大黒柱としては、妻に対して手作り弁当を要求するくらいのわがままは、許されても良いと思う。

 世の中の平和が続き、モノが豊かになり、暮らしが便利になった。その分、家族同士といえども人間関係が希薄になっている。世間を騒がす不幸な出来事も、家族の心の通い合いの少なさに原因の一つがあるように思えてならない。

 手作り弁当を開いたとき、作った人に感謝する心が自然に湧き出てくるはずだ。それは朝早く起きて弁当を作ってくれた妻への思い、親への感謝の思いである。

 暮らしの便利さに流されて、かけがえのない人間らしい豊かな心を失ってはならない。

 手作り弁当は、日常生活の中で、あたたかい人間性の回復、そして家族愛の再確認などの大いなる手段の一つであり、何よりも感謝の心を育てる良き習慣と信じて疑わない。

(20001年2月号掲載)