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No.2 ~責任は他にあらず、すべて我にあり~

No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~No.9 ~春を待つ「ゆとり教育」活用の"大自然"~

  65歳からの挑戦.gif親子農業体験(志路・竹の子学園)物語.gif  木原伸雄.gif春を待つ「ゆとり教育」活用の“大自然” ゆとり教育」見直し表明?   昨年12月15日付の全国紙朝刊トップに、中山成彬文部科学大臣が「ゆとり教育」を反省し、新学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明― と大きな活字が躍った。   きっかけは、同日付で発表の小・ 中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)で、中学2年の数学の平均得点が1995年に比べてダウンするなど、学力の低下が大きいことを問題視した発言のようだ。   児童・生徒の学力低下の傾向は、 高校1年の読解力の低下が明らかになった経済協力機構(OECD)の学力調査(PISA)に続く事実。   中山文科相が「とても世界のトップレベルと言えない状況を、厳しく受け止めないといけない」と、危機感を持つのも不思議ではない。   遠山敦子前文科相は「ゆとり教育」の実施で学力の低下はあり得ない―  と強弁していただけに、見直しを表明した勇気には一定の評価をすべきであろう。ただ、何を見直すのか? 「余裕を持って基本的なことを教え、自ら考えられる前向きな子供たちを育てる」という「ゆとり教育」 の基本理念を変えようとするのだろうか? 中山文科相のねらいは、学習指導要領の見直しや競争原理の導入などで「世界トップレベル」の学力を取り戻すことにあるらしい。 「ゆとり教育」の理念は正しい   2002年4月、賛否両論渦巻く中で半ば強引に「ゆとり教育」が実施され、教育現場を大混乱させたことは記憶に新しい。その時からたった3年足らずで、日本の学校教育は時代に逆行する方向に進むようだ。   新しい教育理念を消化しきれなかった学校教育の現場に問題はないのか? もともと子供の教育は「学校と家庭と地域がセットになって初めて実効が挙がる」と、18年前の中央教育審議会会長だった有馬朗人・元文部大臣がズバリ答申している。   家庭教育力の復活に問題はないのか? 地域社会の教育機能も疑問ありだろう。極めて大切なカギを置き去りにしたまま、教育行政の再々迷走は迷惑至極だ。被害者は子供たち側で、危ぶむべきは日本の将来だ。   詰め込み教育に問題あり― として「ゆとり教育」に大転換したはず。学力低下が顕著になったから、再び競争原理を取り入れようとするのはあまりにも短絡的すぎるのでは…?   子供たち自身の意思で「競う」ことは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のは誤っていると思う。   むしろ「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、問題解決能力を育てる」方向が、学習意欲を高めていくはずだ。「ゆとり教育」の欠落している部分を補いながら、その長所を伸ばせば、学力アップの近道にもなると思うが、いかがだろうか。 生活体験の「詰め込み」が必要   東京都町田市立つくし野小学校の中野幸子教頭は、「『南はどっち』と尋ねても今の子供たちは分からない」と嘆く。授業は、乏しい自然体験を前提に、驚きや発見を体感することを目標に、各教諭に児童の感性を育てるよう求めている― という。   自然体験を見直し、その重要さに着目したい。「ゆとり教育」の実施で、子供らが自然・生活体験できる時間は増えた。その時間を有効に工夫・活用した自然・生活体験の提供こそ地域社会が担うべきだと思う。   子供らにとっては、新鮮な大自然の中で生活体験を積めば、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その成果として、「競争心」を他に強いられず自ら育て、必ずや学力アップにもつながると思う。   その一環として、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》がある。子供の教育に対する地域社会の責任を果たす目的で開設した。幸いにも多くの支援者や、真に子供の幸せを願う親らの熱意で、徐々にその効能と成果を見せつつある。うれしい限りだ。   こうした取り組みは学校で行うのが理想だが、学習時間の短さが障害になり、現実問題として無理なようだ。高齢社会に突入した現在、本当の〈金持ち〉〈時間持ち〉〈知恵持 ち〉のシニアは急増している。  彼らの潜在能力を活用すれば生きがいづくりになり、「ゆとり教育」の理念を生かす絶好の手段となる。   着々進む農業体験塾の環境整備   今年も元旦午前零時、故郷の氏神様である宮崎神社へ、恒例の初詣でに出向いた。帰途《竹の子学園》の農場に立ち寄ったが、辺り一面の銀世界。春を待つイチゴやタマネギは雪の下で息をひそめていた。   春になればこの過疎の地も、第二期の塾生親子で賑わうだろう。ささやかな実践ながら、もしかしたら新しい教育の道を開くかもしれないと思い描くと、老いた胸も躍る。   《竹の子学園》は4月まで冬休みだが、子供らのため教育環境の整備は休むことなく、現地のシニアたちの尊い尽力で着々と進んでいる。   砂利を敷いた遊歩道は、転んでも大怪我をしないように突き固めた。滑り台や鉄棒など遊具の周辺は、石やコンクリートを除去し、まさ土が盛られた。倒木を活用して滑らないように、階段もそこここに設ける。   竹林にはロープを張り、子供らが自由に冒険できる環境づくりも計画中。これらは現地シニアと保護者らの共同作業で実現させたい。   自然を生かした教育の環境整備は、さらに充実させる。実に楽しい夢ある春を迎えられそうだ。   すべては「ゆとり教育」の欠陥是正に一役買う志で前向きに臨む。責任は他にあらず、すべて我にあり

育たない新戦力は誰のせい?

先の見通しが不透明な経営環境ながらも、わが社では今年も3名の新入社員を迎えた。昨年に続いての採用だけに、何としても短期間のうちに戦力として育て上げなければ、体力の弱い零細企業は耐え切れない。

昨年10月に社長職を退任してから人材の育成は私の担当になった。これまでも新入社員の研修に当たって創業トップとしての立場から、会社の歴史や企業理念、それに将来構想などを新人らに伝えてきた。

わが社では従来、基本方針として中途採用は行わず、新卒採用を続けてきた。時間と経費のリスクはあるにせよ、手あかの付かない若者に会社の将来を託したい― と願っているからだ。だが、若者に大きな期待を寄せて人づくりに力を注いだものの、期待した成果は挙がらず、業績向上に寄与できたという実感はない。

つい「今どきの若者は…」と思って、新入社員らの仕事に対する意欲の低さに原因あり―と責任を転嫁してきた。入社後1年を経ずしてリタイアした社員にも同じ思い…。

ところが立場が変わって、人材育成の責任を担ってみると、若者を見る目が180度も違ってきた。これまでは無責任に幹部社員らのせいにもしていたが、もう、それはできない。一日も早く新戦力を育て上げ、業績向上に貢献する義務がある。まさに正念場。安直に他の責任に転じるなんて、もはや許されない。

若者の潜在能力を信じる

あらためて若者らが育った家庭や教育の環境を見つめ直す必要に迫られた。私は戦前、極めてつましやかな辺地の村で育った。今では考えられない三世代同居の大家族だった。

多いときは12名も雑居する賑やかさ。当然のことながら、親や家族に構ってはもらえず、何事も自分の意思と能力で対処する知恵が求められる耐乏期のど真ん中で育った。

田舎の学校とはいえ、教育は厳しく「読み、書き、そろばん」を、徹底してたたき込まれたものだ。学ぶだけではなく、登校前、下校後も農作業の手伝いは当たり前だった。

だが、今は違う。物はあふれ、欲しい物は望めば簡単に手に入る。

核家族時代。共働きの家庭が増え、親に構ってもらえない子供らは、自由奔放に育つ。家庭や地域の教育力は衰え、学校におんぶに抱っこだから、土性骨の据わった若者が育つはずもない。教師の役割も忙しい。本来の子供の教育に加え、教育制度の改革で煩雑な仕事も多くなった。

企業の求める人材・即戦力などを、望む方が無理な時代といえようか。

現代の諸相を考えると、私の物差しで今の若者を測ること自体が、間違いと気付いた。「今どきの若者は…」と軽々しく批判するだけなら人は育たない。時代は移り変わろうと誰もが人として必要な能力を潜在的に持つ。それを発揮できない責任は、若者側でなく大人側にあろう。

わが社の場合は、私が責めを負う。「責任は他にあらず、我にあり」― この前提に立てば、ヒントは生まれ出るものだ。新たな試みを研修に取り入れ、予想を超える成果も得られた。今年は新戦力が育つ予感がしきりで、大いに楽しみにしている。

ままならぬ塾生募集が転機

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年甲斐もなく、教育行政に対する憤慨が、親子農業体験塾《志路・竹の子学園》創設の動機になった経緯を前号で述べた。幸運にも、ふるさとの先輩らの全面協力で、中核となる農園など、学びの環境は予想外のテンポで整っていった。残るは、塾生となる親子らの募集である。

不覚にも当初、私は塾生の募集なんて、全く楽観的だった。実体験の場となる農地を確保し、農業指導や農園管理などの態勢さえ固めれば万全で、わずか十五組の定員だから即座に埋まる―と、思い込んでいた。

私が住むエリアには、九つの小学校があり、常日頃から良好な関係も保っている。趣旨を説明してお願いすれば、学校側の協力も簡単に得られよう―と安易すぎた。その根底に「善なるものならば、誰もが受け入れる」という思い上がりがあったことは否めない。『ゆとり教育』のポイントとなる地域機能の一端を担う―という自負心さえもあった。

そんな意識が私を傲慢にしていたのだが、うかつで不明だった。たとえ、その行いが善であっても、すべての人にとって善とは限らない。また正しいことであっても、学校側にはそれなりの立場と事情がある。すんなり受け入れられるとは限らない。

結果として一組の応募もなく、己の甘さに愕然とした。既に受け入れ態勢も整い、開塾日も決定済みだ。

いかに志が高くとも、農業体験塾は塾生がゼロなら成り立たない。募集が円滑に進まないのは、学校側が協力しないから― と、先様を責めて責任転嫁しても事態は解決しない。

募集頓挫の主因が、己の思い上がりの産物と気付くまでに、長い時間と心の葛藤が続く。やがて「責任は我にあり」と目覚め、新入社員教育 も含め、物事は順調に進み始めた。

oyako_02_02壁にぶち当たったおかげか、その 後の募集活動で、嬉しいことに定員 を超える応募をいただく。親子ペア は2割増の18組だが、正規塾生の 小学生21名、祖父母まで加える と総勢72名の大所帯になる。

四(喜び・信頼・幸せ)の数字にこだわり2004年4月4日、待望 の入塾式を執り行った。感謝と感動 のドラマ…。自然を舞台にした子供 らの歓声、躍動ぶりは、次号で&hellip