続・世相藪睨み

No.20 ~辞めると言って辞めない菅直人に国民はもっと怒るべきではないか~

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”辞めると言って辞めない菅直人に国民はもっと怒るべきではないか”

辞めると言った首相に居座られると、東日本大震災の被災者は当然のことながら、世界中の国が困ってしまう。もうすぐ辞めると言った人と約束してもしようがないから、どの国も交渉のテーブルについてくれない。外国の首脳どころか、知事や市長でさえ拒否する始末。これではいくら本人が政治生命を懸けるといっても、何一つとして成就しない。

「続・世相薮睨み」⑲で『もうすぐ政治の仕組みが変わる。菅直人の辞任が日本を良くする』と書いて、菅首相の6月いっぱいの辞任、政界再編成前夜の新内閣誕生を予測した。残念ながら見事に外れた。言いっ放しで無責任のようだがお許しあれ。

それにしても総理大臣の権限は強いものだ。あれだけ学級崩壊状態なのに会議などにはキチンと出席し、自分たちがアホ菅と罵っている男を前に低頭している。目の前で「あなたが総理の職を辞さなければ日本は沈没します」と、口を揃えて大合唱できないか。ネクタイを掴まえて観念させられないのか。次期首相候補だ、与党大幹部だと奉られながら、この体たらくは余りにもみっともない。

マスコミの右顧左眄はあんなもので何も期待できないが、国民は菅直人の居座りを怒っていないのか。まさか歓迎しているとは思わないが、あまりにも大人し過ぎる。「菅直人は総理を直ちに辞めろ」程度のデモがあってもおかしくない。日本人は紳士的だと世界の評価は高いが、実体は無関心なのではないか。東日本大震災を評して「他人事ではないが、自分のことではない」と言い切った人もいたが、政治の停滞も同じ意識にあるのではないか。そうであればこの国に未来はない。国民はもっと怒りを形にすべきだと訴えたい。

復興大臣を辞めた松本龍は言葉遣いを正しくして出直せ

もともと松本龍のような男を政治家にすべきでなかったし、まして東日本大震災の復興事業のトップに立つ大臣になどしてはならなかった。もっとも本人は己の器を知っていたのか、菅直人首相の要請に再三辞退していたようだから任命責任が問われるところだろう。政治家はすべて言葉で評価されるほど、その一言一句は重い。鳩山内閣から菅内閣に繋がる民主党内閣では、濁流に流される木っ端のように軽くなっている。一連の発言を岡田克也幹事長に注意されても「誤解だ。発言を全部見てもらえば分かる」、村井嘉浩・宮城県知事には「長幼の序をわきまえろ」とお説教。「辞めるつもりはない。このまま真っ直ぐ進む」と反省の色もない。政治家の言葉は品性が欠けては、権威を失う。足りなかった、荒かったと陳謝する以前の問題だ。

松本氏は「個人的な思い」と理由を示さず辞任した。就任してわずか9日目の出来事だ。菅首相は松本氏の暴言に対して発言撤回も求めず、更迭をしようともしなかった。辞任の申し出に慰留さえしたらしい。政治の世界はまことに分かりにくい。首相はじめ政府与党幹部は、なぜ松本氏ごとき品性に欠けた政治家を擁護し続けるのか。今回は幸いにさっさと辞任したから野党の追及の手は緩むだろうが、菅首相は任命責任を逃れられない。適任者を選べなかったという意味でリーダーシップがなかった。松本氏は辞任の際「粗にして野ではあるが卑ではない」と第五代の国鉄総裁・石田礼助氏の言葉を引用したが、とんでもない話だ。松本氏の「粗」と「野」は品行を表し「卑」は品性を表す。いずれも不合格だ。先人の訓えである「長幼の序」などまるっきり曲解している。

益田市と広島市を結ぶ志あるグループの清掃活動

7月8日午前6時、金座街の一角に竹箒を手にした老若男女30人を超える人たちが集っていた。元気のいいリーダーの指示により、それぞれが持ち場に散っていった。シャッターの下りた商店街の歩道を隅々まで掃いていく。空き缶やペットボトルを拾う人、箒で掃いてゴミを集める人、ちりとりに掃き取り土嚢袋に入れる人、路面に仕上げのモップをかける人、それぞれ役割りは違っていても、広島一の金座街をきれいにしようという思いは一つだ。

 総指揮を取る小河二郎さんは88歳と高齢ではあるが、日本一の自動車教習所に躍り出た『MDS』の代表取締役である。昨年の7月8日に「カフェ・Mランド」を金座街にオープンした。同社としては初めての広島進出となる。開店して満一年になるが、以降、毎月「8」の日を記念日として有志が金座街の清掃を続けている。広島では新参だけに万事控えめではあるが、山陰と山陽を結ぶ活動は積極的に展開している。前述の掃除活動もそうだが、産地直送の新鮮な野菜や果物もカフェの店頭で販売、広島人の人気を呼んでいる。

 オーナーの小河さんは、企業も人も「友情と絆のために存在している」という。その考え方は関連する企業の、人や設えの隅々まで徹底している。ただし、唱えるだけでは意味がない。行ってこそ価値が生じる。だからすべてを形にして見えるようにするべきだと考えている。山陰と山陽を結ぶ活動はいまはまだささやかだが、続けることで価値が生まれ、やがて多くの人が追随し、結果として世の中が良くなると信じ切っている。1時間の清掃で心なしか本通りの空気の流れが変わったように感じる。きっとよい1日になるだろう。

減反政策のばら撒き被害が「ひまわりプロジェクト」に及ぶ

広島市安佐北区出身の半田真仁さん(福島市在住)がリーダーとなって東日本大震災や福島原発事故からの復活に向け「福島ひまわり里親プロジェクト」をスタートさせた。全国でひまわりを育ててもらい、タネを被災地に集めて希望の花畑を作る計画で「震災を風化させず、復興のシンボルにしたい」という。将来は観光客が訪れるような広大なひまわり畑をつくる構想を画く。郷里広島にも協力を呼びかけ「夏に咲くひまわりを見て、原爆とともに福島の原発被害に思いを寄せて欲しい」と訴える。

 この活動の経緯はプロジェクトリーダーの父親・半田和志さん(広島市安佐北区在住)からもたらされた。和志さんは「熟年のための生涯学習・プラスワンステージ」の常任講師を務めている。原発事故の現場で放射能を浴びながら活動する息子が心配で「帰って来い」とコールしていたが、熱意に負けて広島からも応援することになった次第。

 呼びかけられた講座のメンバーも大賛成で、福島と広島がひまわりで結ばれることになった。それぞれが庭の片隅の空き地やプランターなどで育てることになったが、合わせて休耕田を活用できないか模索を始めた。郷里の先輩たちに構想を持ちかけたが、あっさり拒否された。実はかつて米の減反政策で補助金目当てにひまわりを栽培した経験を持つ。一年で笹竹が田んぼに繁殖し、米作り復帰に塗炭の苦しみを味わったと言う。趣旨には賛同するが、ひまわり栽培は出来ないとの話。ばら撒き農政の被害がひまわりにまで及んでいたとは、夢にも思わなかった。愚策はいつまでも悪影響を及ぼす。まるで放射能みたいだ。