世相藪睨み

No.3 ~小さな実践で蘇る″美″~

小さな実践で蘇る″美″

慶州の旅から学ぶ

3年前、韓国の慶州を旅したことがある。慶州は、歴史上で初めて朝鮮半島を統一し、栄華を極めた新羅の王都だった地である。

旅の主な目的は、年老いた在韓日本人女性を収容している『慶州ナザレ園』を慰問することにあったが、学ぶ事も多かった。

慶州ナザレ園は、1972年に韓国の篤志家によって開設され、当初は永住帰国を願う日本人女性のための一時的な寮であった。現在では事実上、永住帰国を断念した在韓日本人女性の収容施設となっている。

その施設を定期的に訪問して、異国で天涯孤独になった日本人女性の慰問活動を続けている畏友の志に、私もいたく感銘を受けて、実は同行させてもらった旅である。

ゴミ一つない世界遺産の美都

帰途、世界遺産に登録された『仏国寺』や、昔人の信仰心と美意識を伝える『石窟庵』などを巡った。国宝の数々、世界最古の木版印刷物とされる『無垢浄光大陀羅尼経』などに接して、偉大な先人の文化を偲んだ。そして、すばらしい国民性にも気付いた。

この国には、孔子の思想に基づく儒学の教えが日常生活の隅々にまで根付き、脈打っているという。それは「年長者を敬う」「人に迷惑をかけない」「私より公を優先する」など、人々の生活態度からも証明されよう。

私は意地悪くも、観光客で溢れる仏国寺の広い境内や長い参道を見回した。驚いたことに、たばこの吸い殻など一本も見当たらない。空き缶やペットボトルも放置されていない。

常駐の清掃員がいるわけでもない。みんながゴミを捨てないようだ。くわえたばこで歩く人もいない。何かを飲みながら歩く人さえいない。ゴミが全く無いはずである。

参道には新羅様式の土器の壷が、優雅に配置されている。この土器はゴミ箱らしい。だが内部はきれい。もしかしたら、歴史の威厳と伝統に押されて、人に迷惑をかけるような行いなど出来ないのではないかとも思えた。

広島は美しい街か

ある財界人と話す機会があった。話が弾んだ末、広島の景観について意見が分かれた。財界人が主張されるように、広島の山、川、海などの自然は確かに美しい。しかし、街は汚れている。美と醜が混在しているのだ。

広島の汚れっぷりは、街を歩かない人には見えない。お迎えのハイヤーなどで通勤する人に、実情なんて分からないのだろう。

「一週間でいいから、バスで通勤してみませんか。横断歩道で信号待ちをしたり、バス停に立って辺りを見回してください。街の汚れか一目瞭然に見えますよ」と勧めてみた。

くわえたばこで歩く人、路上に唾や痰を吐く人、辺り構わず吸い殻を捨てる人など、公徳心に欠けた人たちの傍若無人な振る舞いは、目を覆いたくなるほど…。

彼らには一度、韓国の慶州と、日本の広島の違いを、ぜひ実感してもらいたいものだ。

微差は大差となる

たばこの吸い殻など、ゴミを捨てる人は、ゴミを拾わない。ゴミを拾う人は、ゴミを捨てない。この差は、僅かなようであるが、積もれば大差になる。

自慢するわけではないが、私の「ゴミ拾いながら通勤」は、十年を超えた。初めの頃に比べるとずいぶんポイ捨ては減ってきた。それでも一日に吸い殻の二百本や三百本は拾う。

「吸い殻を拾え」とまでは言わない。せめて捨てないようにして欲しい。ただそれだけのことで、韓同の慶州にも負けない美しい街が広島にも戻ってこよう。

(2001年3月号掲載)