続・世相藪睨み

No.3 ~中央教育審議会の朝令暮改は日本の未来を危うくする~

chotto seso_00 中央教育審議会の朝令暮改は日本の未来を危うくする

求人難時代の人材確保に苦しむ

 やや停滞感があるとはいえ、大企業では好況が続き史上最高益を出す企業も少なくない。

 団塊世代の大量退職が続く背景もあって、大企業では新しい人材を求めてバブル期以上の青田刈りが顕著になっている。困った現象だ。

 そのあおりを受けているのが零細企業だ。好況の風が届かず新規求人の体力も失いつつあるが、それでも人材がいなければ仕事にならない。

 長期計画による採用が難しい現状だけに、どうしても立ち後れは否めない。大企業では大学三年生に就職内定を出す傾向にある。こうなると零細企業は太刀打ちできない。

 やっとの思いで採用できたとしても、学生の質が予想以上に変わっている事実に驚く。

 ビジネス社会では身に付けた知識を使いこなさなければ、実戦で役に立たない。自分で考え、自分の力で説明できない人間は身の置き所がなくなる。その挙げ句が早期の退職につながると考えられる。

 しかし、よく考えてみれば無理もない。中学、高校、大学と丸暗記や反復学習で身に付ける「知識型」の学力を強いられてきたのだ。
 
 学校の試験内容は定かではないが、繰り返し勉強し丸暗記をした人間が勝利している。一部の教師はこうした詰め込み教育に危惧を抱いていると思うが、「応用力」を中心とした教育を周辺は許さないだろう。

 仕事で役に立たないからといって、彼らを責める訳にはいかない。実社会で通用しない勉強を余儀なくされた若者たちも、矛盾した学校教育の被害者なのである。その若者たちを採用した企業も、また被害者だといって過言ではなかろう。

日本の将来が歪められる

 彼らもやがては日本を担う各界各層の中堅に成長する。明治、大正、昭和の三代にわたって、世界に誇った日本の教育レベルの高さが溶けるのは火を見るより明らかである。

 2006年に実施された経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)で日本は、世界のトップクラスからアジア各国の後塵を拝する教育後進国に転落した。

 その結果、「詰込み教育」の反省から生まれた「ゆとり教育」を掲げた現行学習指導要領の改定審議を中央教育審議会に求めるなど、学力低下批判を拭い去ろうと躍起になった。

 理念の表現としては「ゆとり教育」を残しながらも、具体的方針は明らかに「ゆとり教育」から方向転換した。朝令暮改の教育方針は、わずか6年で再び学校現場を混乱させる。

 授業時間と学力の関係が十分解明されていないのに、小中の主要教科を10%程度増やすことで、再び世界トップの座を取り戻せるのか。はなはだ疑問であり、安直な教育方針の転換に唖然とする。

 今回のOECDの学力テストで問われたのは「読解力」「数学的応用力」「科学的応用力」で、答えを出す力よりも答えを導く過程が重視されている。この部分を理解しなければ、再び誤りを繰り返すことになり、日本の教育は致命傷を受ける。

 学力調査で出された問題を検討してみた。そこには明らかに日本の詰込み教育では、正答できないだろうと納得できる設問が数多くあった。

 実社会に出てから直面する出来事に、手持ちの知識でどのように答えを導き出すかが問われている。日本の高校生らの白紙が多かった事実も残念ながら首肯ける。

嘆いていても始まらない。企業も教育に責任を持つ

 「詰込み教育」や「ゆとり教育」の洗礼を受けた若者たちは、自らの力で生き抜かねばならない実社会に飛び込む。大学などで専門的に学んだ知識が、実社会ではほとんど通用しない現実に戸惑う。

 期待して採用した企業側も、余りにも現実離れした若者たちの応用力のなさに、宇宙人の再来かと驚く。

 ここで問われるのは企業の教育力だ。しかし、大企業ならともかく零細企業には、若者を再教育する能力も時間も費用もない。ないないづくしではあるが、彼らを育てなければ零細企業の明日はない。

 罪のない学生らを責めたとしても問題の解決にはなるまい。企業にはさまざまな考え方の人間が働いているが、何よりも「人材力が企業力」と認識し、若者を育てるという意識と仕組みの構築が急務となる。

 教育学者の森信三先生は 「教育とは流水に文字を書くような果かない業である。だがそれを岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」と教えられた。

 大学は授業料を学生らから徴収し、国家からも多額の助成金を受けているが、企業は生活費も敦育費も利益から捻出しなければならない。一種の投資になる が、回収が保証されない支出である。それを承知で取り組むにはそれなりの覚悟が必要だ。企業の収益力もだが、何よりも教育は当たり前という社風が培われて いなければ成り立たない。

「凡事徹底」で人育て

 数年前より社員の協力を得て人材育成に取り組んでいるが、教える側も教わる側も半端な思いでは続かない。「知識型」の教育にどっぷり浸かった若者たちには驚きだろう。

 研修のうち、座学は年間144時間、しかも一日の仕事を終えてからスタートする。大学の講義に慣れた新入社員はメモ上手で研修報告書をまとめるのは得意だ。だから講義のない研修に戸惑いを隠せない。


人材育成に欠かせない始業1時間前の地域清掃人材育成に欠かせない始業1時間前の地域清掃


トイレ磨きは気付きの宝庫トイレ磨きは気付きの宝庫


 

 課題に対して朗読、そしてQ&Aがすべてだ。考え抜いて答えを導き出せば解放される。慣れれば何でもないが、しばらくは難行苦行の連続だろう。しかし、半年もすると少しは考える人間になれる。

 中には耐えられず逃げ出す若者もいるが、それを恐れていては教育にならない。ゼロになっても手を抜かない覚悟で取り組んでいる。

 実戦研修はさらに厳しい。毎週土曜日は午前5時からJR駅のトイレ磨き、平日は1時間早く出勤して地域清掃と通学路清掃。この研修には終わりがなく、やがて日常活動に変わり、良い習慣が身に付く。

 トイレ磨きや地域清掃で得られるのは、「充実感」「達成感」「連帯感」「爽快感」である。平凡な行いを積み重ねると人間は成長する。

 内閣が変わって《教育再生会議》の熟も冷めたようだが、ねじれ国会で右往左往していると日本は縮む。

 今からでも遅くはない。学校数育も社会に通用する人育てを目指し、国家総動員で取り組んでほしい。

 2008.2