世相藪睨み

No.4 ~公園活用の知恵ほしい~

公園活用の知恵ほしい

公園は誰のためにあるのか

我が町の公園は、大小合わせて約200カ所ある。人口が6万人強だから、ざっと300人に1カ所の割合になる。この公園の数が多いのかどうかは分からない。要は有効に活用されているかどうかだと思う。

その実態を知りたくて、小春日和の日曜日、近隣の公園を散歩がてら巡回してみた。

意外なことに、公園でただの一人も子供たちの姿を見掛けることが出来なかった。偶然が重なったのかもしれない。それにしても異常ではないか。

父親とキャッチボールを楽しんでいた小学生は何処へ行ってしまったのか。

サッカーボールを蹴っていた子供たちの集団は何処へ行ってしまったのか。

人の姿と言えば、よちよち歩きの乳飲み子たちを遊ばせているヤンママたちに出会っただけである。

どうしたことだろう。もはや公園は、子供たちとは無縁の存在なのか。

「公園は汚い」と言う子供たち

公園には三種の神器ともいえる滑り台、ブランコ、砂場が設置してある。鉄棒を備えた公園もある。大規模な公園になると、テニスやソフトボールが出来るものもある。

子供たちに尋ねてみた。「なぜ公園で遊ばないのか」と…。「面白くない」と言う。「汚い」と言う。「ブランコや滑り台に興味はない」と言う。それに「塾やファミコンに時間を取られて、公園にくる時間なんてない」と言う。

「お父さんと、キャッチボールなどしないのか」と聞いてみた。「ずれてる」と笑われた。

どこの公園でも、確かにブランコも滑り台も赤茶色に錆びている。遊ぼうにも二の足を踏むような状態にある。

砂場を掘り返してみた。すると、ペットたちの糞が無数に出てきた。匂いもきつい。ペット愛好家にとっては、格好の屎尿処理場代わりなのである。

公園のゴミ箱は不要

面白いことに気付いた。例外なく、ゴミ箱のある公園は汚く、ゴミ箱のない公園は比較的きれいなのだ。これは興味深い。

ゴミ箱があると、かえって気が咎めないのか、ポリ袋に包んだ家庭ゴミが、その周辺までも平気で占拠している。

しかも至る所に空き缶やペットボトルなどが放置されている。ベンチの周りにはたばこの吸い殻も散乱している。一方で、ゴミ箱がないと良心が咎めるのか、ポリ袋に包んだゴミは見当たらない。空き缶やたばこの吸い殻も比較的少ない。

こういう傾向を見ると、人間の心理として、汚い所は遠慮会釈なく汚すことが出来る半面、きれいな所は汚せないらしい。とすれば、ゴミ箱を撤去してみてはどうか。きっと格段にきれいな公園になるに違いない。

変化していく公園の役割

地域に公園は不要だと言う人はいないだろう。「憩いの場所」と定義するのに異論をはさむ人もいないだろう。

どうしたら公園が本来の姿を取り戻せるのか。どうしたら子供たちが公園に帰ってきてくれるのだろう。子供は少なくなり、老人は増えてくる。もっと、公園の目的も役割も変化していかなければならないと思う。

なぜだか公園の設備は、ここ数十年来、全く変わっていない。折角の公園だから、もっと生かして使う知恵がほしい。公民館などの箱物では果たせない、大きな役割があるような気がしてならない。災害時の避難場所としてだけでは、あまりにももったいない。

(2001年4月号掲載)