世相藪睨み

No.7 ~履物を揃える効能~

履物を揃える効能

道元禅師の教えを知る

曹洞宗の開祖である道元禅師は、日本思想史上で最も優れた思想家の一人といわれる。

道元禅師の思想は「只管打坐」(ひたすら坐禅に努め、日々の行がすべて坐禅に通ずる)で表されるように、仏道の行(坐禅)を真剣に実践し、それに専念することのようだ。

著述のうちでは『正法眼蔵』九十五巻が名高く、曹洞宗の本質・秘奥を和文で説き明かしている。内容は、広く仏道の教義、神髄から坐禅、修行、嗣法などに関する日常の行い作法に至るまで懇切丁寧に集大成してある。

その至高で奥深い独自の境地は、中国や日本の禅書に類を見ない卓絶したものとされ、日本人の書いた最高水準の哲学書としても評価が高い。いつかは私もひもときたい。

道元禅師は、仏道の修行の一つとして「自分の履物を揃えられないようなものに何ができるか。まず、履物を揃えることから始めなさい」と修行僧に教えられた。この教示は、『正法眼蔵』でも言及しているという。

私はその教えを、四年前に「長野掃除に学ぶ会」に参加したとき、長野市内にある曹洞宗・円福寺の藤本幸邦老師による講話から学び取らせていただいた。

履物を揃える意味

講話の中で藤本老師は「履物を揃えると家族の心も揃う。それはやがて、世界中の人の心も揃うことにつながる」と強調された。

その教えに感動した私は、我が家で履物を揃えることを即、その日から実行に移した。

藤本老師の教えは、家族全員が自ら気付いて、自分で履物を揃えられるようになるまで、黙々と揃え続けることだった。

履物を黙って揃え続けるということは、簡単なようでも意外に難しいものである。

半年すぎても全く変化なし。きちんと履物が揃っていることに、家族の誰もが気付かない。怒鳴りたくもなってくる。

藤本老師に手紙で理由を問い掛けてみた。すると「揃える人の心が穏やかでないと、家族は気付かないだろう」というご返事…。

そのうち、ようやく家族も揃えるようになった。こうなると不思議なもので、履物を揃えることが、とても楽しくなる。

町内の会合に出席しても、乱れている履物を黙々と揃えることが出来るようになった。気付いて改まるまで何度でも繰り返して…。

行きつけの病院に通ったときも同様である。しかも、誰にも悟られないように、履物を揃えるコツも覚えた。

子が親を導く情景

しかし、やはり一般大衆は家族よりも難関である。一向に気付かず、改まる気配もない。

公共の場で履物を乱しているのは、若者以上の大人が大半である。子供や幼児は比較的よく揃えている。これは、学校や幼稚園の躾(しつけ)が行き届いているせいだと思う。

ある公民館で、自分の履物を揃えている小学生を見た。「ぼく、すごいなあ!」と、思わず頭を撫でていた。

同伴の父親は、歩幅のまま履物を脱いで会場に入ろうとする。「パパ、きちんと揃えないとダメだよ。またママに叱られるよ」

だが、父親は息子の忠告を無視して会場に入った。息子が追っ掛けていく。やがて父親は後戻り。乱れた自分の履物を揃えた上で、息子と手をつないで会場に入っていった。

良い子供を持った親は幸せ者であろう。うっかり親が誤った行いをしても、子供の方から親の誤りを正そうとする。

たかが履物というなかれ。履物の揃え方だけで、その家族の穏やかさまで見えてくる。履物を揃えれば、心も揃う。

(2001年7月号掲載)