続・世相藪睨み

No.8 ~正論だけでは政治は機能しない 小さな実践から変えてゆく~

No.8 ~正論だけでは政治は機能しない 小さな実践から変えてゆく~No.8 ~正論だけでは政治は機能しない 小さな実践から変えてゆく~ 正論だけでは政治は機能しない 小さな実践から変えてゆく

団塊世代の意識改革

平成20年3月から団塊世代をメンバーとして、小さな講座を月2回の割合で開いている。1クラス6名の構成で午前の部と午後の部に分かれ、闊達な論議が展開されている。

 名付けて「豊かに生きるための人生講座」。対象を団塊世代に絞り自由に意見を述べ合う仕組みが、メンバーに受け入れられたのか、12回コースが第2期に入った。

 講座の時間は1時間半だが、最初の30分は座長が最近の話題を解説し、お互いの意見を求める。雰囲気が和んでからメインテーマに入る。

 原則として、異なる考え方を述べるのは構わないが、相手の意見に反論をしない。結論も出さない。

 考え方の違い、立場の違いを認め穏やかで遠慮のない議論の場になって面白い。永い間、言いたいことが言えないサラリーマン生活から解き放されたせいか、実に瑞々しい新鮮な話し合いの展開になる。

 同じことの繰り返しだから12回も続ければ飽きそうだが、回を重ねるごとに盛り上がり、止まるところを知らない。したがってメンバーの入れ替えもあるが、新春から第3期がスタートする。

 できるだけ政治の話題に触れないようにしているが、教育論議だけは活発である。麻生太郎内閣のスタート時に、日教組発言で国土交通大臣の椅子を棒に振った中山成彬さんの見解には賛意が多い。

 日本の教育は厚さ3mのコンクリートに固められたようなものだから、その上から種を蒔いても水を遣っても芽は出ない。いくら教育基本法をいじっても予算をばらまいても、所詮「焼け石に水」でしかないー と。

毀誉褒貶はあるが団塊世代の多くは、実に健全な思考回路の持ち主だと実感している。また、異なる意見の交換で意識改革も始まっている。

正論が通用しない歪な社会

 中山さんは問題発言の後、閣僚を辞任し、次の衆院選にも立候補しないと宣言した。「ゴネ得」「単一民族」発言は記者会見の場で撤回し、かつ謝罪した。しかし、日教組問題については、頑として撤回しなかった。中山さんの発言には批判的な人も多いが、内容はともかく信念を曲げない姿勢には拍手を送りたい。

 最近の政治の停滞や混乱には、建前発言で事を円く収める風潮に問題があると思う。本音で語ると職を賭けねばならないとしたら、闊達な論議になりにくい。本音と建前を上手に使い分ける政治家は安全だが、本音で語り切らないから政治に対する国民の不信が増加する。

 どうでもいいことの前に、大切な問題が消えてしまうのが、今の政治を歪めているのではないか。

 中山発言の成田問題だけでなく、日本の社会に「ゴネ得」は間違いなく蔓延している。ゴネれば得をする現象はごまんとある。誤った権利を主張して無理を通せば、腰の弱い道理が引っ込みやすい。言葉の品性は別として、正鵠を射ていると思う。

 中山さんには信念を貫き通して教育の改革に頑張ってほしいが、元大臣とはいえ一市民の立場になるとマスコミの関心は極端に薄くなる。

 せっかく国会議員の職まで賭けたのだから、なんとか日本の教育が正常になるように正論を展開してほしい。

目に余るマスコミの言葉狩り

 大臣の要職にあるものがその職を辞するのは、政策の誤りやスキャンダルなら仕方ないと思う。しかし、中山さんの今回の発言程度で辞任しなければならないとしたら、政治は正しく機能しない。言葉尻を捉えて問題発言化し、大臣の首を飛ばすなどの悪習は政治を貧しくさせる。

 みのもんたの「朝ズバ!」に中山さんが緊急出演された。中山発言の真意を補足説明させるのかと思ったら、結果的に民主党幹部とマスコミ人3名の計4人に囲まれて責め立てる「詰問会」模様になってしまった。これが民主主義を標榜する政治家やマスコミ人の正体だとすると暗澹たる思いがする。

 政権与党の大臣や要職にある人は、言葉を吟味して抽象的な建前論で話さねばならない。万一、本音で語って失言すると、たちまち野党やマスコミの「言葉狩り」の餌食にされる。

 日本の政治の次元の低さにがっかりするし、メディアの常套手段にも腹立たしくなる。彼らは「言葉尻」を捉えて、陰湿で卑怯な報道をしている意識さえないに違いない。

 中山さんの発言がすべて正しいとは思わないが、彼らに嵩にかかって責められてもびくともしない姿は頼もしい。毀誉褒貶はあるが骨のある政治家が「言葉狩り」によって、またも抹殺されたかと思うと情けない。  残念ながら正論だけでは日本社会は動かなくなっている。正論は、例え小さくても市民の力で支えなければならない。「言葉狩り」に代表されるような貧しい批判にのみ終始していると、やがて日本は滅んでしまう。可愛い子や孫たちに、誇り得る幸せな社会を残せなくなる。

日本を掃除する

 鍵山秀三郎さん(日本を美しくする会創設者)が提唱された掃除活動の輪は、47都道府県はおろか、中国、台湾、アメリカ、ブラジルなどの外国にまで燎原の火のごとく広がっている。たかが掃除でしかないが、想定外の驚くべき現象だ。

 平成20年9月14~15日にわたって京都市内で開かれた「日本を美しくする会・全国大会」で、『日本を掃除しよう』という宣言が満場一致で採択された。

 日本中の家庭、地域、学校、職場で、毎朝、丁寧な掃除を行い、身の回りを美しくしてから一日を始める。そうすれば、日本中に心地よい風が吹き、穏やかな一日が始まる。

 政治やマスコミの愚かさから目を離すことはできないが、いちゃもんを付けるだけでは何も変わらない。世の中を良くする思いがあれば誰にでもできる行動を、コツコツ続ける活動が必要な時代になった。

 残念なことであるが現在の国の政治機構や政策決定の仕組みが変わらないかぎり、与党が政権を維持しても野党に交替しても、国民の暮らしは悪くなりこそすれ良くはならない。

 少なくとも戦後60数年、似而非民主主義の政治体制で肥大してきた悪習は、各政党が美辞麗句を並べて叫んだとしても国民の期待を裏切り続けるだけだ。実に情けない。

 国会議事堂でも議員による清掃活動が始まったと伝えられる。地方の首長や有職者による『日本を洗濯しよう』という活動も立ち上げられた。

 地方から、そして一市民からの日本を変える活動は回り道のようだが、案外、近道かもしれない。

2008.12