続・世相藪睨み

No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~

No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~No.9 ~子供は無限の才能を秘めている。親の責任でチャンスを与えたい。~

愚問愚答の繰り返し

 文部科学省が示した学校教育の外部評価制度が推進され、保護者や地域の世話役が学校教育に口を挟む機会が与えられた。文科省のねらいは明らかでないが、外部圧力で子供の教育が再び迷走し始めている。  

 学校教育協力者会議の席上「スポーツが盛んになったのは結構なことだが、その分だけ子供が勉強の時間を取られる。スポーツと学業の両立について学校はどう考えているか」と詰問調。「その問いに対してはノーコメント」と教師は両腕でバツマークを作って答えた.。

 親の質問も下らないが、教師の返答は無責任極まる。スポーツを優先させるか、それとも学業を第一とするか、はたまた両立させるか、それは親の責任で決めてもらいたい━ と簡潔に回答すれば済むことだ。

 中には子供の躾まで学校に責任を求める役立たずの親も少なくない。学校側はへっぴり腰で、大抵の場合あいまいな返事でお茶をにごす。これでは学校教育を下支えする協力者会議には程遠い。

 「知識・情報を得るだけではなく、自分で考え、創造し、表現する能力が一層重視されなければならない」という素晴らしい教育理念を掲げて、2002年4月『ゆとり教育』がスタートした。皆が期待した。

 「ゆとり」という表現が災いしたのか、子供は勉強しなくなり、親の大半は放任した。責任放棄と言って過言ではない。もともと子供の教育は「学校と家庭と 地域がセットになって実効が挙がる」と、中央教育審議会の元会長・有馬朗人氏は答申している。家庭教育力の復活に問題はないのか?地域社会の教育機能に疑 問はなかったか?

「生活体験の詰め込み」が必要

 先述のスポーツ問答と同様に「子供が遊んでばかりいて勉強しない」と嘆く親は多い。その挙句「勉強しろ!塾へ行け!」と尻を叩かれる子供はたまったものではない。
 
 学力低下を心配して、再び詰め込み教育を復活させようという風潮の中で、親の叱咤激励はさらに拍車が掛かってきた。OECD(経済開発機構)の調査(PISA)で「日本の子供の学力は著しく低下した」と繰り返し指摘を受けた。

 PISAが指摘したのは「知識の量」ではあるまい。結論を先に言えば「学習する能力の低下」ではなかろうか。問題解決能力、コミュニケーション能力、生きる自信など、詰め込み教育の教科では得られない能力が求められている。

 今必要なのは「生活体験の詰め込み」である。再び競争原理を教育の場に持ち込むのは、子供の将来を考えると問題だ。子供たち自身の意志で「競う」のは構わないが、教育行政の方針で「競わせる」のはとんでもない誤りだと思う。

 スポーツで心と体を鍛えるのはいい。学習塾での学びを否定するものではない。しかし、今の子供たちに欠落しているの

は「生活体験」だ。子供らにとって大自然の中で「生活体験」を積めば、新鮮な驚きや発見を体感し、やがて勉強に取り組む意欲に直結するだろう。その結果として「競争心」を他に強いられず自ら育て、学力アップにつながると確信している。

 その学習体験の場を提供するのが地域の教育機関であり、子供の秘められた才能を開花させるのが親に課せられた子育ての責任である。

自然は「学び取る力」を与える

 2008年11月2日、親子農業体験塾『志路・竹の子学園』は5回目の終了式を迎えた。入塾している幼稚園年長組から5年生

までの20名は、フィナーレに手に持った鮮やかな風船を青空に向けて放った。風船は塾生親子たちそれぞれの夢を乗せて宇宙に飛び立った。

 農業体験塾は『ゆとり教育』の欠陥を補い、地域の学習機能を再生するために企画し、2004年4月に1年間のプレオープンを終えて、集落の高齢者の支援でスタートした。

 当初はわずか750坪の田畑でしかなかったが、今では支援者の協力で総面積が5000坪にまで広がり、休憩室、キッチン棟、仮設トイレ、ミニ運動場、遊歩道、約200本の桜まで子供たちを迎える自然の大舞台が整ってきた。

 これからの社会を支えるのは高齢者で、しかも結びつきは金銭ではなく好みや嗜好、それに価値観の共有である━ と堺屋太一さんは持論を述べている。

 堺屋理論が実証されたカタチで、子供の教育、高齢者の生きがい。過疎の活性化にベクトルを合わせた価値観の共有が、①労力の無償提供、②助成金の辞退、③受益者負担の原則に今も繋がっている。

 自然や土に楽しみ、楽しく農作物を育てながら、親はわが子の素晴らしさを再確認し、子供は普段の暮らしでは得られない親との絆を発見する。高学年の子は 低学年の子を思いやり、いたわる。逆に、小さい子は体験を通して、大きい子を尊敬し、信頼する。いつのまにか社会の規範を身に付けている。世代や年代を超 えての学びあう場が誕生している。

こども農山漁村交流プロジェクト

 総務省、文部科学省、農林水産省が連携し、全国の小学校を視野に入れ、地域各層の協力のもとに新しい試みが生まれた。小学校が毎年、一学年単位で農山漁 村に子供を送り出し、一週間程度の宿泊体験を行うものである。2012年には、全国2万3千のすべての小学校が、この取り組みに参加することを目指す。

 この企画はどこから生まれたのか分からないが、もろ手を上げて賛成である。政治家や官僚たちは己の権益死守に躍起となっているが、この取り組みは日本全体を見直す運動である。地域の自立を促し、遅々として進まない中央集権体制を地方分権に変えていく一助になると確信。

 学校の教科書がすべてではない。生きた教科書は、日本という現実のさなかにいくらでもある。学校教師だけが先生でもない。すべての大人が手本である。荒廃した学校教育を立て直すには、地域総ぐるみで取り組まなければならない。

 国の政策に先駆けて実践した『親子農業体験塾』における6年間の成果は、自然体験や農業体験による学び取る力の著しい成長が、人格の形成、学力の向上に貢献したことを証明している。すでに全国の数十ヵ所にモデル地域が選定され、現実に動き始めている。

 国民の税金の中から、この運動に少なくとも予算が組まれている。道徳や箱もの作りとは違うので、利に敏い悪徳政治家が手を突っ込みはしないだろうが、心配である。

 学力重視の親たちからは異論もあるようだが、あらためて子に対する親の責任を考え直して欲しい。何よりも子供の嬉々とした姿が見たい。

2009.1