平成24年10月24日(No5788) 子ども教育の体罰復活論
子ども教育の体罰復活論
ある講演会の質疑応答で「子どもを駄目にしたのは教育基本法の体罰禁止にある。復活すべきではないか」という考え方が述べられた。主旨は体罰=暴力の話ではないと思うが、武器を奪われた教育に対する嘆き節のように聞えた。体罰の中身を整理しないと暴力容認論になりかねない。教師や親といえども子どもに対する暴力は許されるはずない。
教師が子どもを殴ったとしても、その理由をキチンと説明すれば許されるという。具体例も述べられた。とんでもない勘違いだ。おおよそ暴力は感情の高まりからくる産物だ。そこには子どもを思い遣る愛情などは後から付けた理由に過ぎない。教室で騒いだりして廊下に立たされるとか、グランド一周などの体罰は許されるだろう。それは暴力ではないからだ。
親や教師がろくにあいさつも出来ないくせに、子どもに強要するのは筋違いだ。それで殴られたりしたらたまったものではない。子どもをキチンと教育したいなら、先ず実践で模範を示すのが先だ。子どもを見れば親の正体は瞬時に分かる。きちんとした子どもは、親の家庭教育が良い証となる。学校を見れば教師のレベルは判断できる。やらせる前にやれ。
ドロシー・ロー・ノルトの言葉。「殴られて大きくなった子どもは、力に頼ることを覚える」「批判ばかりされた子どもは、非難することを覚える」。しかし、「激励を受けた子どもは、自信をおぼえる」「寛容に出会ったこどもは、忍耐をおぼえる」。「竹の子学園・十の約束」は、この詩から生まれ、教育効果を上げている。子どもの教育には体罰を必要としない。