平成27年8月28日(№6826) 「翁」から「神」へ

「翁」から「神」へ

最近は肉体労働を多くこなしているせいか、「老い」を実感することが多い。例えば「竹の子学園」の畑で鍬を振るうと、モロに肉体に堪える。しかも回復までには数日掛かることが多い。特に今週は雑草との戦いもあり、木、日、木と3日間も農作業に従事した。無理をするなと忠告してもらうのだが、無理する以前の問題で倒れてもやることで役割が果たせる。

 

先日も人生講座のキャピギャルの米今さんから「忙しい分だけ若返っていますよ」と理屈の通らぬ慰めをもらったが、確かにその通りであり用事がなくなると年齢より老けて見られる。但し、分を過ぎると身体が持たない。「老い」をポジティブに捉えるかは生き方の問題だと気づいた。年齢を重ねることをどう喜ぶか、ここがポイントである。嘆きにサヨナラ。

 

節目の祝い事を盛大に行い、その日を迎えられたことを素直に喜ぶ。見栄を張ったとしても、節目の儀式では魂が不安定に揺れる。それは「死」へ確実に近付いているからだ。「還暦」はとうに過ぎた。「喜寿」も難なく乗り越えた。次は「傘寿」である。さらに「米寿」、「卒寿」、「白寿」が待っている。ここまで来ると高齢者は人生の勝利者と言えないだろうか。

 

「米寿」ともなれば高齢者は「翁」の品格を備えていなければ、長寿の価値はない。いずれ一個の生物として自分は必ず死ぬのだという運命を受け入れる覚悟を持つ。「翁」となった自分は、死後、ついに「神」となって愛する子孫たちを守っていくという覚悟を持つ。長寿の祝いにはそういった覚悟を与える力がある。それは「老い」から「死」へ向かう励ましである。

 

長寿の祝いは人間を励まし続ける心豊かな文化だと受け止めたい。そういう生き方ができるか、これから問われ続ける。

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