2018年スタート!!

 

パワフルなエース!金本和宏です。

 

 

新年あけましておめでとうございます。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 マルコシの平成30年仕事始めは1月6日からでした。

 

まずは朝から協力業者の皆様と一緒に、広島市東区にある

 

鶴羽神社」に初詣に行き、仕事始めの儀を執り行っていただきました。

 

神主さんの挙げられる祝詞を聞くと身の引き締まる思いです。

 

今年一年健康で事故なく、お客様のお役に立つ仕事が出来ますよう祈願いたしました。

 

ここ鶴羽神社は、広島七福神めぐりの一つとしてご存知の方が多いのではないでしょうか?

 

 鎌倉初期に創建された、椎木八幡宮がその前身と伝えられ、

 

広島東部の総氏神として、広く崇敬されています。

 

その名の由来は、社殿裏の二葉山(椎木山)のたたずまいが、

 

あたかも羽根を広げた鶴の姿に似ていることで名付けられたといわれています。

 

私も以前、歴史探訪ツアーを企画し、お客様をご案内させていただきました。

 

仕事始めは、暖かい日に恵まれ、よいスタートが出来ました!

 

今年もお客様の笑顔の為に一所懸命頑張ります!!

 

 

 

平成30年1月9日(№7533) 少子化の危機を甘く見ていないか

少子化の危機を甘く見ていないか

公的な文書に「少子化」という言葉が現れたのは1992年の「国民生活白書」。それでも子供が今のように少なくなるとは考えていなかった。人口を維持するのに必要な2,08人を予測していた。希望子供数に変化はなかったものの、未婚化の進展が予想以上だった。「結婚、出産を望んでいない」若い女性は急激に増えている。「お金や時間を自由に使える人生が…」。

 

生涯未婚率は1990年の男性5,6%、女性4,3%から、2015年には、男性23,4%、女性14,1%にまで高まった。人口問題研究所は2035年には男性29,0%、女性19,2%に上昇すると予測している。「自立した女性が増え、結婚や出産を前提とする人生が当り前でなくなった」とも言えよう。結婚に前向きな人は男性の20代で6割、30代で5割にとどまる。

 

女性も20代で7割、30代で6割。年賀はがきには幸せそうな家族の写真が乗せられているが、親子5人の家族を見ると国宝級に思える。結婚のニュースが書かれると、まだまだ日本は大丈夫と心強くなる。頼る人がいない単身高齢者は急増している。孤独な高齢者を見て若い人は何を感じるだろうか。幸せな高齢者を観ることにより、結婚、出産へ繋がる?

 

経済の活性化が結婚の呼び水になるのだろうが、結婚生活の幸せ、子供を育てることの喜びが具体的に伝わらなければ、これ以上子供は増えないのではないか。女性も40歳を超えると出産が難しくなる。60年先の日本の人口は5千万人になるという。国土は荒れ果て、国家としての形をなさないのではないか。安倍さんにお願い。子供を増やす社会にして!

平成30年1月8日(№7532) 改善されない教員の「働き方改革」

改善されない教員の「働き方改革」

年末と新年にわが家の三世代が全員揃った総勢15人である。娘夫婦は中学校の教員であるが、孫の長男も高校の教員になるという。現職の教員もこれからの教員も、「働き方の改革」については詳しく知らない。小学校では2020年度から英語が教科になり、授業時間は増える。そもそも多くの学校現場では、労務管理のイロハである教員の勤務時間を知らない。

 

大半の学校が教員の出退勤時間をタイムカードやパソコンで記録していない。出勤時はハンコを押すものの退勤時は報告や目視で確認と言ういい加減さである。なぜ勤務時間の管理がおろそかになるのか。その一因として40年以上も前から今も適用されている「教職員給与特別措置法」の存在がある。1948年の給与改定により、一般の公務員より4%程度高い。

 

そのため残業代を支払わないことが決まり、それが管理をおろそかにした要因らしい。4%は当時の残業時間(8時間)に相当する金額として算出された。その後「学習指導要領」の改訂による指導内容の拡大などで教員の勤務時間は増え続けている。勤務実態とのズレが指摘されて久しいが、残業代を支払う必要がないため、学校側の勤務時間の管理意識は低い。

 

教員は学校が担うべきでない仕事を多く担当している。目撃するだけでも、登下校の見守り。最近は掃除もくっついている。放課後や夜間の見回り。給食費の徴収や管理。地域ボランティアとの連絡調整。教育委員会や区役所の調査への回答。中学校の土日の部活動の指導時間は、計算できないほど大きい。わが家の娘夫婦は1ヵ月60時間を超える。出費も多い。

平成30年1月7日(№7531) 北朝鮮が韓国とトップ会談

北朝鮮が韓国とトップ会談

北朝鮮が韓国とのトップ会談に応じると返答してきた。韓国の文在寅大統領は嬉しいだろう。大統領選のときから北朝鮮と会談すると言って来た。日本もアメリカも賛成ではなかったが、韓国が勝手にやることで放っておいたらしい。それでも物事が平和に進むことは悪くない。2月に韓国で開かれる冬季五輪への参加が話し合われるに違いない。よいことだ。

 

日本でもサッカーの試合で北朝鮮を入国させた。もともとが同じ民族だから話し合って五輪を盛り上げるのは当たり前のことだ。それは目出度い話だが、慰安婦問題について最終的な合意に達していながら約束不履行とは何ということだ。韓国は手切れ金の10億円を受け取り使っていながら、合意に韓国民は納得していないとはどういうことだ。よく言える。

 

康外相「日韓合意について韓国民は納得していない」。河野外相「納得させるのはそちらの仕事で、日本の仕事ではない」。康「朴前大統領が勝手に決めて韓国外務省は関与していないので、正当なプロセスを経ていない」。河野「首脳同士が合意し、両国外務省が握手した。これを正当なプロセスでないと言うなら、韓国とは何も決められない」。康外相は蒼くなった。

 

日本と韓国の政府は冷め切っている。韓国政府のいい加減な主張で、日本は韓国を信頼していない。文大統領は日韓慰安婦合意の正当性を認めるのは難しいと選挙を戦っただけに、今更前言は翻せない。日本も韓国との関係悪化は避けたいが、いまさら合意を引っくり返されも困る。韓国政府は元慰安婦のクレームで日韓関係を断絶する訳にはいかないだろう。

平成30年1月6日(№7530) 初出勤

初出勤

今年は曜日の流れがきちんとしており、一月一日が月曜日で本日が土曜日になる。いつもなら一月五日が初出勤になるが、今年は一月六日と決められた。一日でも休みは長く感じられる。一月七日が日曜日、一月八日は「成人の日」となり、いつまでも正月気分は抜けない。今年も休まず出勤した。毎日清掃日と決めているから休めない。江原さん、大西さんも。

 

本日は初詣。昨年から地元ではなく市内の鶴羽根神社に変更した。町内の亀崎神社の宮司は学校の教員である。出勤日だから休めないという。飯を食べるのは学校の給料かもしれないが、地域の氏神様の祭司として為すべきことがあるのではないか。近年はこういう宮司が増えて氏子の信仰心が薄らいでいる。賽銭や初穂料が少なければ増やす努力をすればよい。

 

鶴羽根神社は都会の真ん中にある有名神社だけに、華やかで神々しい。宮司の祝詞も衣装もキチンとしている。お正月をやっと迎えたような気分だ。祝詞で商売繁盛するほど安易ではないが、「今年も頑張るぞ」と新しく心に誓った。交通安全のお守りと神札をいただいて帰社した。新年の会食をしながら今年の抱負を述べ合った。午後からは月例会議が開かれた。

 

明日と明後日は新年早々の連休となる。孫の次男坊・啓文は成人式だ。大晦日と新春二日の夕方は全員が集合し、ご馳走をいただいた。親夫婦、子供夫婦3組、それに孫が7人の大勢である。次に集まるのはお盆の墓参りとなる。時間と共に身体は不自由になる。長生きをしたいが他に迷惑は掛けられない。3月1日には私が81歳、4月1日には妻が80歳。

平成30年1月5日(№7529) アベノミクス六年目の課題

アベノミクス六年目の課題

安倍首相は経団連の新年会合でニッコリしながら、「給料の3パーセントアップをお願いしたい」と日本経済界の重鎮を前にあいさつしたい。経団連のお歴々は「今年の景気はよさそうだ」と口々に観測を述べていた。「ただし、中小企業は厳しいだろう」と言う声も聞かれた。賃金を上げたくても人手がないのが現実。新卒は高収入が得られる大企業へ向かう。

 

大企業の寡占は日本経済全体の数字を押し上げるだろうが、多くの国民の幸せがそれで得られる訳ではない。全てが平等にとはいかないが、「報いのある社会」が求められる。安倍首相は「働き方改革に挑戦する」と強調したが、大企業と中小企業の働き方はそれぞれ異なる。学校の現場も時間内に職場を去り、家庭で仕事をしなければ成り立たない方向に進む。

 

中小企業、とりわけ零細企業では、休日は会社へ出勤しないで現場に出る例も多い。働かないと売り上げは上らないし、会社の経営も成り立たない。国費を無尽蔵に使える国会議員に理解できない世界が日本中で動いている。景気や株価が上がっても、給料や生活のレベルは上がらない矛盾をどうするか。重大政策の一つである「教育無償化」はばらまきになる。

 

幼稚園から大学まで等しく教育を受けるために無償化をするのはよいけれど、財政の再建とのバランスをどうするのか。これ以上借金を増やして財政が破たんしたらどうするか、やがて金利も上げざるを得ないときがやってくる。総裁選挙までに「デフレ脱却」を達成する目途は立っていない。経済はやがて後退期を迎える。アベノミクスは終焉に向かうのか。

フォーラム新聞183号 2018年1月発行

フォーラム新聞183号
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平成30年1月4日(№7528) 貴乃花親方への集団リンチ

貴乃花親方への集団リンチ

マスコミが連日垂れ流す貴乃花親方へのバッシング。日馬富士らの集団暴行より沈黙の貴乃花親方が悪いとはどういうことか。貴乃花親方は理事から二階級の降格処分を受けたが、八角理事長は「あれは処分ではない、単なる処置だ」と嘯いた。喧嘩両成敗だというが、今回の暴力事件はその比喩は当てはまらない。頭から血を流した貴の岩は無抵抗でやられた。

 

本人に言わせれば「何も悪いことはしていない。それなのに横綱たちが一方的に暴力を振るった。誰も止めなかった」。これは明らかにリンチだ。日馬富士は自発的に引退し、50万円の罰金で済んだ。リンチを黙って見ていた白鵬は止めもせず、事件を協会に報告もせず、減給一か月半の処置で済んだ。土俵を休むことはない。八角理事長も減給三カ月で済ませた。

 

地位には無関係だ。こういうことを処置と言う。それに比べ貴乃花は二階級降格の処分である。これは不公平ではないのか。特に八角理事長は最低でも白鵬の出場状停止、八角理事長は己の役職を降格すべきではなかったか。そうすれば世論も納得するだろう。「モンゴル勢の星の回しあい」を拒絶したから、貴の岩は横綱に可愛がられたと言われても仕方がない。

 

貴乃花親方の態度も組織人として決して良いとは言えないが、大横綱が絡む集団リンチの真相究明が急がれるべきだったのではないか。おかしなものを「おかしい」として行動を起したものは「異常」であり、「危険」な存在とされる。「従順」と「奉公」が正義とされる日本の社会では、白鵬のように「パワハラ」や「いじめ」で、力づくで従わせるしかない。

平成30年1月3日(№7527) 伝統文化と人権が衝突

伝統文化と人権が衝突

スーパー・フジへ行く途中の陸橋から北を眺めると、歩道脇に植えられた楓が美しく色づいて多くの人に秋をプレゼントしてくれていた。それが今年から見られなくなった。わずかな市民が「掃除の手間」を嫌がり、街路樹を短くするよう区役所に要望したのだ。楓がいろいろな姿を見せながら散り行く姿を見るのは嫌いではないが、後始末をするのを嫌がるのだ。

 

そのような場所が地域内にはたくさんある。近場では聞かないが「除夜の鐘」が煩いと猛抗議をし、お寺に中止させた例もある。東京都小金井市の曹洞宗「千手院」は近隣への配慮から、2014年から「除夜の鐘」を自粛している。住宅街では住民の中に不快を感じる人もいるだろう。そうはいっても昔からの伝統行事だ。騒音と言うべきかどうか、どう解決?

 

考えられないようなことだが、「除夜の鐘」の中止までに相当の争いがあったと推察できる。確かに喧しいと言えばそうだが、108つの鐘が我慢できないほどではないだろう。現実にはたくさんのわがままものがいるのも事実だ。あるお寺では昼間に「除夕の鐘」を撞くことにしたそうだ。それも悪くはない方法だが、「除夜の鐘」で年越しを知ることも大切だ。

 

年末の「餅つき大会」も中止の槍玉にあがった。ノロウィルスや集団食中毒の恐れがあるという抗議だ。伝統行事を取りやめる理由はそれなりにある。しかし、何百年と受け継がれて来たものが今、相次ぎ苦境に陥っているのは現代特有の背景もあるようだ。地域の交流が薄くなっていることも一つの要因だ。地域住民同士の信頼関係が薄くなっているのでは?

平成30年1月2日(№7526) 年賀はがき

年賀はがき

初詣から午前三時帰宅し、3時間の睡眠を取り起床した。「さあこれから年賀状」と気持ちだけ張り切ってスタートした。その前に新聞と年賀状を取りに郵便受けまで行った。新聞は厚くて片手では持ちきれないほど、年賀状も予想外に多く持ちきれない。うろたえているうちにバランスを崩し、後ろへ仰向けに倒れた。左足、右手のひら、頭二か所を打撲した。

 

それでなくとも身体が不自由なのにやっとの思いで立ち上がった。左足の膝の裏と首の右側をひねっている。年賀状どころではないが、決めたことだから平然として実行する。まず朱墨で「寿」を中央に書く。拡げて乾かす。280枚を書いたころには一枚目が乾く。「寿」の右には墨汁で「新年おめでとうございます」、右には「すばらしい一年でありますように」。

 

一言添えられるように空間を作っておく。元旦に届いた年賀状を見ながら宛先を書くのだから思いもこもる。前回は夫婦連名であったのに女性一人の名前、男性1人の名前、不運があったに違いない。やはり賀状は夫婦連名で書かせていただく方がいい。新年欠礼の挨拶状も40通あった。当方も高齢だから無理はない。こうして一人ずつ寂しく旅立ってゆく。

 

予定通り3日には全ての宛名を書き終えられる。結構苦労があったがその達成感は他から得られない。どうして元旦から書き始めるかと言うと、年賀状を投函して死んではたまらない。少なくとも1月1日には元気で新年を迎えたという証が欲しい。届くのも遅くなるがそれだけ目にも止まりやすい。屁理屈を並べるが、年内に「新年おめでとう」とは書けない。

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